millennium
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「millennium」 A5 40P 全年齢 織田作×太宰。 アラブパロ合同企画「そうだ、らくだに乗ろう」併せでの新刊です。 アラブっぽい世界で庶民の織田作と生き神の太宰さんが出会ったりおしゃべりしたりします。 sampleはこちら(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=14972932)により長文のものがあります。 注意事項が数点ありますので以下に記載いたします。お読み頂き、ご理解頂いた上でご購入ください。 ■最終的に太宰さんが死にます。 ■本文中に人種差別、食人、人体切断、宗教の要素をほのめかす描写がありますが、本書はそれらの現実での問題を肯定したり助長する目的の同人誌ではありません。 ■また本文において、アフリカ系国家におけるアルビノの扱い、仏教国での生き神など、モチーフにしたものはいくつかありますが、あくまで作者の中において仮想のアラブっぽい雰囲気を持った国もしくは地域を造りあげて描写したものであり、特定の国家や人種に焦点を当てたものではありません。 ■なんでも許せる方向け。 以上です。
本文冒頭
額から血が出ているぞと言われたので拭ってみると、手のひらに赤いものがべったりとついてきた。 真っ赤に濡れた手にすこし驚く。だが匂いを嗅いでみると、それは赤色の土絵の具だった。恐らく今朝、仕事に出る前に養い子達と遊んでやっていた時につけられたのだろう。朝飯もそこそこに熱心に絵を描いていた子がいた気がするし、自分が家を出る時、幼い顔たちが揃いも揃って意地の悪い笑みを浮かべていた気もする。まんまとしてやられた。 血ではなく絵の具だ。目の前の客の男にそう返してやりつつ、額からこめかみをごしごしと拭う。 教えてくれてありがとう。私が感謝を述べると客の男は褐色の頬を照れたように緩ませて笑い、商品の香辛料を選ぶのに戻った。 帰宅したら何か仕返ししてやらなくてはな。固く決意する私の視界の端を、主人に縄を引かれたらくだが荷をくくりつけられたままに悠々と歩いてゆく。 黒々とした獣眼の上、長い睫毛がぱちぱちとする。それをぼんやり眺めていると、客の男が声をかけてきた。 親父さん、今日いないのかい。木材の骨組みに幌布をかけただけの粗末な屋台の下に並べられた麻袋の中から、なにがしかの葉っぱを手に取ったり、戻したりする客の男。 ちょっと席を外しているだけだ。私は答える。じゃああんたが今の店番かい、これいくらだ。皺のある手が小さな白い粒を見せてくるのに、だが私は首を傾げた。たまに頼まれるだけの臨時の店番ゆえ、香辛料の値段も価値も分からないのだ。そう素直に答えると客の男は何だそりゃと呆れて、あんた盗みや詐欺に入られるなよ、と、親切にも忠告をくれた。 瞬間、市場に強い風が吹き込んでくる。狭い通路に乾砂が満ちる気配に私は赤銅色の頭を俯かせ、客の男も外套を頭までかぶってその場に座り込んだ。屋台にかけられた布や人々の衣服が派手にめくれ上がるなか、二人してじっと静かに風をやり過ごす。 少しののち。空気の荒ぶりが止まったのを確認してから、私は顔を上げた。砂粒のせいで頬がざりざりする。いやあ強かったねえ。客の男が外套を叩き払う。それに頷きつつ、私は屋台の中を確認した。葉物の香辛料が少し飛びはしたが、それ以外はおおかた無事なようだった。 私が安堵していると、近くで干し肉を売っていた子供が、口に砂が入ったとべそをかきだした。ばかだねえ、下を向かないからだよ。その子の母親らしき女が、干し肉にかぶった砂を払いつつ言う。気をつけな。雨季が去っちまったから、今の砂は乾ききってよく飛ぶんだよ。蓮っ葉な言葉とともに、女の荒れた指先が干し肉の表面を撫でてゆく。それを見た私は、最近養い子達に思いきり肉を食べさせてやっていないな、と思った。 肉だけではない。新鮮な果物も、菓子も、あまり食べさせてやれていない。何かもう少し割りのよい仕事はないだろうか。麻袋に詰まった香辛料の数々を見ながら、考える。 日頃の仕事も、こうして店番をするのも、報酬は人並みにもらえている。私も子供達も食べるに困るほどではない。だが、育ち盛りの子らにはもう少し充分に食べさせてやりたいと思う。 決して毎日でなくてもいい。ただもう少しだけ、よい生活をさせてやれないものだろうか。誰かの誕生日を前に財布の中身を気にするだとか、肉の塊を買う時にそれぞれの配分を考えるだとか、そういう染みったれた思いをしなくていい程度で良いのだが。 客をほったらかして考えていると、遠くの方で私の名を呼ぶ者があった。顔を上げる。まだ少し砂が待っている通りの向こうから、ここの屋台の店主である中年の男が、こちらへ走って来ているのが見えた。あ、親父さんだ。客の男が呟くのに、私も頷く。 おうい、おうい、すまなかったねえ。そんな事を叫びつつ、親父は突き出た腹を揺らして厳しい太陽の下をのたりのたりと走って来ている。全く速度は出ていないが遠目にも分かるほど汗だくになったその姿に、そんなに走らなくても速度は変わらない、と私が朴訥に叫ぶと、客の男がむせて笑った。 私の言葉に親父は少し速度を落としたようだったが、それでもひいひい言いつつ小走りで屋台へとたどり着いてきた。ひさしの下に親父の汗のにおいが加わる。ごめんねえ、遅くなっちゃったねえ。息切れの合間にそう言った親父は私の横に置いてあった古い木箱にどっかり座ると、黄ばんだ前掛けで大儀そうに額をぬぐった。 おいおい、大丈夫かい親父さん。客の男が自らの袖裾で親父を仰いでやる。そのかすかな風に親父はにっこり笑って礼を言い、それから改めて私に向けて頭を下げてきた。 すまなかったね、いきなり店番させちゃって。昨日納品したものに不備があったって連絡がきたもんだから、私も慌てちゃってね。 荒い息の中言われるのに、首を横へ振る。店番自体は私としては別によかった。普段からちょくちょくやっている事だし、今日の仕事は午前中で終わりで時間があった。空き時間で小遣い稼ぎができるなら願ってもないことだ。私がひとつひとつ返事をしていると、それが終わらぬうちに客の男が割り込んできた。 納品って親父さん、料理屋にでも卸してんのかい。興味本意の言葉に、親父がああまあちょっとね、と言葉を濁す。歯切れの悪いその返事に客の男と私が顔を見合わせていると、親父は私にくれる金を手元で数えつつ、ぼそりと呟いた。 実は、『神の子』の屋敷に、香辛料を納品しててね。 客の男が素っ頓狂な声をあげる。親父さんそんないい仕事やってんの。通り全体に大きく響いた客の声に、親父はぎょっとして客を制した。ちょっと勘弁してよ。おおっぴらに言っちゃダメなんだから。眉を下げる親父に、客も慌てて自らの口を塞ぐ。どこかおかしみのあるその光景を見ながら、私は一人、市場の向こうに見えるひときわ高い丘を眺めた。 我々がいるこことは違い、砂の上に粘土と石畳を敷いてきちんと整備されている丘。その一番上には白い土壁造りの巨大な屋敷が建っている。 通称、『神の子』の住まう家。 分厚く堅牢そうなその白い壁を遠目に見ながら、意外だな、と思った。この親父は寺院や僧侶の家などをはじめ、宗教色の強い客先との商売はあまり好まない筈だ。客の男もそれは思ったようで、香辛料を幾つか袋に詰めてもらいつつ、親父さんにしちゃ珍しいねえ、と言った。 素直なその言葉に、親父が苦い笑みを落とす。まあそうなんだけど、あんまりにもお銭がよくてねえ。ほら、うちもちょっと抱えるものがあるから。言外に借金を匂わせた親父が客に袋を渡す。それを聞いた客はばつが悪そうに肩をすくめて見せ、横で聞いていた私も、ああ、と思った。 『神の子』関連の取引は、宗教との繋がりもあってとにかく金払いがいいと聞く。少なく見積もって、相場の二倍か三倍だそうだ。ならば引き受けるのも納得だ。金に勝るものはない。多少の建前や理由はあれど、親父も私と同じ、或いはこの国の大多数の人間と同じ。ただ今を生きるのに必死なのだ。 はい、毎度あり。ありがとさん、また来るよ。簡潔な応答が横でなされるのに顔を上げると、客の男は私にも手をひと振りしてから帰っていった。人のいい男だな。そう思いつつ私が客の背中をぼんやり見送っていると、すこし汗の落ち着いた親父が、横からとんでもない事を言ってきた。 ねえ。今言った『神の子』の屋敷に、果物と野菜を運んでやって欲しいんだけどさ。出来ないかな? はあ? 今度は私が素っ頓狂な声を上げる番だった。だから声が大きいよ。私の顔をむぎゅっと押さえる親父。それに呼吸を邪魔される傍ら、私は『神の子』の屋敷をもう一度見た。 丘の上、土壁造りの屋敷は先程と変わらず豪奢にそびえている。 あそこに、私が。 すぐに浮かんだのは純粋な疑問だった。どうして私が。あの屋敷へ出入りできる人間は限られている。たとえただの荷運びでも、高額な報酬を渡す代わりに、面子も仕事の配分も厳重に管理していると聞く。 くわえて先程の親父のように、屋敷に関わっているという事は公言を控えるのが通例だ。いくら現在屋敷に出入りしている人間から頼まれたと言っても、部外者が簡単に入れてもらえるようなところではない。 私が目を白黒とさせていると、親父は苦い顔になり、事情を説明し始めた。それによると、なんでも元々果物と野菜を運ぶ係であった八百屋の爺が、屋敷の侍女に手を出しかけていたところを見つかって出禁になったらしい。それで代わりのものを、出来れば女にだらしなくない者を、探しているのだと。 それにどっと脱力する。八百屋の爺の顔は私も知っている。あいつは昔から老若問わず女癖が悪いのだ。馬鹿な老人だ。宗教人の元で色欲に走るなど。金のためならそれくらい我慢すればいいものを。 私が呆れていると、親父が頼むよ、と重ねる。聞けば屋敷の人間に斡旋を頼まれ、私なら生真面目で問題も起こさないだろうと、もうあらかたの話を通して来てしまったのだと言う。そんな勝手な。私が憮然としていると、親父は更に頭に汗をかきつつ、この通りだからさ、とふかぶかと頭を下げた。 このごろ薄くなってきた後頭部がこちらから見えるくらい、頭を下げる親父。その姿に私はおもわず言葉に詰まった。この親父には昔から私生活を含めて世話になっている。そんな相手に懇願されると、弱い。 だが、それでも不安は残る。私は以前、後ろぐらい仕事をしていた時期があるのだ。もし宗教人や屋敷の人間に調べられたらまずいのでは。色狂いの老人の方が倫理的にまだ良い気もするが。渋る私に、親父がたたみかける。特別に、今回の給料は即金でもらえるようにしておいたからさ。それと今日は遅くなるだろうから晩飯もこっちで用意してあげるよ。あんたの好きなカリーだ、あとで家内に作らせるからさ。どうだい、好きだろう、あれ。 ぽんぽんと付け加えられてゆく報酬に、む、と声が出る。いや待て、流されるな。親父が作るカリーは絶品だが、さすがにこの年で食い物につられるのはどうなのだ。まあ子供達もあのカリーが好きだけれども。 悩んだ私に、親父が駄目押しのように報酬の額の委細を耳打ちしてくる。私はその額に仰天した。それは養い子らに今よりぐんと良い飯を食わせてやれるだけでなく、新しい服や履き物まで用意してやれるような規模のものだった。 それだけの金が、定期的に入ってくる。 やる。 即答した私に、親父はほっと肩を撫で下ろした。 *****




