【超妖言延期通販】約束なんていらない(狗巻×夢主)
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4/25の超妖言に出す予定だった夢小説本です。 狗巻先輩、伏黒くん、五条先生寄りの、狗巻先輩落ち。百鬼夜行の出会いから5月までの物語を15万字以上の文字で綴りました。 よろしければ以下サンプルです。 https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=15038223
サンプル(本編二話より一部抜粋)
(……桜) 薄く染まった花びらが横切る。 四月。春。あれから三ヶ月と少しが過ぎ、呪術高等専門学校に入学した。 入学してすぐは、現状唯一の同級生である伏黒との仲を取り持とうと、五条がいちいち騒ぎ立てて鬱陶しかったが、自分と同じように幼少からこの男に振り回されていた伏黒と黙殺し続けて耐えた。その伏黒とは、五条という共通点をもっていることから会えば話すものの、互いに相手へ干渉する性格でないため、適度な距離を保てている。 さらに時は過ぎ、四月も半ばになると、それまで不在にしていた二年生と合流。五条と入れ替わる形で簡単な任務を共にこなすようになった。伏黒含め、一年はどちらも二級で単独任務を許されていることから、呪霊との戦闘に慣れるというよりは、任務開始から終了までの流れを掴むためのものだったのだろう。 その証拠に、つい昨日、初の単独任務をこなしてきた。 (単独任務、ラクだったな……) 正直な感想は、それだった。呪霊がそこまで強くなかったのもあるだろうが、誰かとの合同任務の時にあった、互いを計りあう空気や他人の目がなかったことが、ラクだと感じた。 等級なんて、と思っていたが、単独で任務をこなせるのは悪くないな、と思うようになっていた。 (まあ、二ヶ月後には、私……) 手袋をはめた手を、軽く握る。手袋をする季節は、とうに過ぎている。 いつまで、隠せるだろうか。 ひとりの方がラクではあるが、伏黒や先輩達が悪い人ではないのは、この短期間でも分かった。そんな人達に、自分を疎外するような目を向けられたくは、ない。 (……隠さなきゃ) 手袋をはめ直し、歩みを進める。 特に目的地があるわけではない。そういえば校内を散策するタイミングがなかったな、と思い立ったのだ。 本来ならば、普通に授業を受けている時間なのだが、伏黒は任務。教師である五条は授業の途中でなぜか姿を消し、なし崩し的に自習となったのだ。 「やっぱり、すごいなぁ……」 五条が「ごっめーん☆ なんか呼び出されたから、自分でなんとか勉強して!」とぬかした時は、教科書を投げつけるほど激昂したが、いざ開き直って外を歩いてみると、悪くないな、と思った。 宗教系の学校を謳っているためか、古い建物が立ち並ぶ高専。家もそこそこ大きいという自負はあるものの、ここの建物はまた別の珍しさがあった。きょろきょろしてしまう。 「ん……」 さわさわと木の葉が風に揺れる。山奥にある高専は、日が落ちるとまだ寒く、その分桜の開花がゆっくりとやってきていた。高く舞い上がった花びらが、静かに降り注ぐ。地面を染める桜の色はまだ少ないが、もうすぐこの道は薄紅色でいっぱいになるだろう。 そんなことを考えていると、ふと、ある花壇の前で足が止まった。 「花……あれ?」 不揃いの石を並べて囲った花壇に、春にふさわしい色とりどりの花が咲いていた。花は嫌いではないが詳しくもないため、なんという名前かは分からなかったが、きちんと並んで咲き誇る花々は綺麗だと思った。 だから、その土が乾ききっていることに、首を傾げた。 花が規則正しい列を成しているため、人が手入れしているのだと思われるが、明らかに水をやっていない。よくよく見ると、雑草も生えていた。 「手入れしてる人、忙しいんですかね……」 時間もあるし、水くらいやってもいいだろう。いやしかし、勝手に手を加えて良いものか……。と考えを巡らせる。空と花壇をふらふらと見遣っているうちに、一輪の花が目についた。 「……折れてる…」 鮮やかな緑色の葉から、するりと伸びた細い茎。小振りで白い花弁を五つずつ付けた花が、鞠のように丸く集まって咲いている。その花々の重さに耐えかねたのか、一輪だけ、不自然に首を折っていた。 「うーん……」 試しに指で支えてみたり、隣の花に寄りかからせたりしてみたが、どうにも頼りない。しばらく首を傾げて悩んでいると、昨日コンビニに寄った際に貰った割り箸を思い出した。 昨晩夕食を購入した時、割り箸を二膳貰っていたのだ。 早速、小走りで寮に戻り、余った割り箸とワイヤーを持って戻る。道に落ちている花びらを避けながら、軽やかに走っていくと、花壇の前に新しい人影を見つけた。 「……狗巻先輩」 「高菜ー」 しゃがんで花を眺めている狗巻に恐る恐る近づき、そっと空けられたスペースに近づいた。 「えっと……こんにちは」 「ツナ」 「………」 これは、挨拶し返してくれたのだろう……多分。 まさか狗巻がいるとは思わず、割り箸を抱えて居場所に迷っていると、彼が座っている隣のスペースをポンポンと叩かれた。 「失礼、します……」 狗巻の顔色を窺いながら、そっと腰を落とす。拒絶の色が見えないことを確認し、ようやく息を吐いた。 「こんぶ?」 「え……」 頭を、こてん、と倒し、狗巻が問いかける。何を訊かれたのか分からず答えに迷っていると、割り箸とワイヤーを指さされたので、ようやく内容を理解した。 「ああ、これは……その子が、折れかけていたので、支えてあげようと」 そう言うと、「明太子っ」と拳と手の平を合わせて『納得』というポーズをとったので、きちんと質問に回答できたのだろう。 「しゃけしゃけ」 「あ、はい、失礼します……」 (早くやれ、ってことかな……) 今度は折れた花を指されたので、割り箸を花壇の土に刺し、ワイヤーで緩く縛り付ける。大した作業ではなかったのですぐに済んだが、その間ずっと狗巻の視線を指先に受け、居心地の悪さを感じていた。 「お、終わりました……」 「ツナマヨ」 「………」 そこで、会話が途切れた。 さらに、狗巻が動かないので、こちらも動けない。 手直しした花を見つめる狗巻を横目に、心の中で苦い顔をした。 (狗巻先輩……何しに来たんだろう) 入学して一ヶ月弱。狗巻と再会してから一週間と少し経った。 だが、未だに狗巻棘という人間を理解できず……苦手意識を持つようになっていた。 悪い人ではない。それは百鬼夜行の日で分かっている。入学後に一度、パンダ、狗巻の三人で任務へ赴いたことがあったが、その時の会話からも、彼の人の良さを感じた。 (……あの時は、ほとんどパンダ先輩が通訳してくれたようなものだけど……) じっと狗巻を見つける。 彼の目は花を捉えて止まっているだけで、それ以上の情報が読み取れない。『悪い人ではないと理解している』、と『何を考え、言っているのか理解できる』はイコールにはならない。 彼の話す言葉の内容を『理解できた』と思っても、結局は妄想。狗巻の人となりをこちらが勝手に解釈し、そこから言われた内容を想像しているにすぎない。 なぜなら、その『理解したつもり』の内容が合っているか否かを、狗巻は明確に答えられないから。 (だから、私が聞いても、きっと分からない……) 百鬼夜行の出来事を経て、正直、狗巻に会うのを心待ちにしていたのだが、そのことに気付いてからは、気後れする気持ちが勝ってしまっていた。 「……高菜?」 視界に狗巻の手が入り込み、びくり、と肩が揺れる。 「あ、いえ……! 雑草、抜かないと、ですかね? と、思いまして!」 話しかけられた内容が合っているかは分からないが、懐疑的に思っていることを悟られたくなくて、さっと花壇に手を伸ばした。 雑草に指をかけ、手前に引いたところで―― 「……ッ」 手を、引っ込めた。 「?」 「……いえ、なんでも。やっぱり、雑草は今度で……。水やりの方が優先ですよね。私、じょうろか何か、取ってきます」 「すじこ……ッ!」 狗巻が声を荒げるが、言うだけ言うと、逃げるように背を向けた。 水やりの道具がどこにあるかは分からなかったが、走って逃げて、逃げて……。偶然見つけた用具入れの小屋に飛び込んだ。 「はぁ……」 雑草を抜こうとした手を握り、ずるずると座り込む。 「はぁ……」 引き抜こうとした時の、根がぶつりと切れる感覚が消えてくれない。 あのまま力を加えていれば、ひとつ命を絶っていたと思うと……折り曲げた脚の間に顔をうずめた。どうにも、生きているものが消えていく様子に恐怖心が芽生える。 「……はぁー……」 尽きないため息を吐きながら、落ち着くのを待つ。どのくらい経ったか分からないが、手の震えが落ち着いた頃に立ち上がり、じょうろを探しあてると、水をくんで花壇に戻っていった。 「やっほー!」 「………五条さん」 戻ろうかと思った。なんなら手にしている水をすべてぶちまけてやろうかと思った。 授業を放棄したはずの五条が、座り込んでいる狗巻の隣に立っていた。 なぜ、ここの花壇は目を離すと人が増えるのだろうか。 「なんでいるんですか」 「君が教室にいなかったから、探しに来たんでしょ。自習って言ったじゃん」 「あなたが先に授業を投げ出したんじゃないですか」 あの五条が、一度放り出したものを取りに戻るなんて、誰が思いつくか。 経験から、これ以上まともに取り合っても疲れるだけなので、無視して花壇に水をやる。 「こんぶ?」 「聞いてよ、棘~。この子、いっつも辛辣でさ~」 「おかか……」 「ええ~? 棘までそんなこと言うの?」 泣くよ? 泣いちゃうよ? と迫る五条を、鬱陶しそうに追い払う狗巻。 (……なに話してるんだろう) 花壇全体に水を撒きながら、ふたりを見つめた。 「なぁに? そんな熱烈に見つめられたら照れちゃ――」 「なん、でも、ない、です!」 空になったじょうろが、五条にぶつかる一歩手前で軌道を変え、あらぬ方向へ飛んでいった。 「こっわ。いきなり物を投げるの良くないよ?」 「全部! あなたの! せいです!」 今にも掴みかかりそうな剣幕でにじり寄ると、ぽん、と頭に五条の手がのしかかった。 「まーまー。落ち着いて。じゃあ、真面目な話をしようか」 「……なんですか」 「任務」 本当に真面目な話だったので、大人しく身を引く。 「今、出れる人いないから、行ってきて」 「……そういうことは、早く言ってくださいよ」 「外で伊地知が車回してるから、準備できたらすぐね」 「そういうことは! 早く言って! ください!」 なんて奴だ、と怒鳴りつけるのも馬鹿らしい。呪具を取りに寮へ戻ろうと踵を返す。 その途中、水を吸い込んでシュワシュワと音を立てる花壇の土を、視界の端で捉えた。 (あれ……? 雑草、全部抜けてる……?) 引き返して狗巻に聞いてみようかと思ったが、きっと彼と言葉を交わすのは不可能だろうと、諦めて寮に戻っていった。 *** 某県津々部市。県の西部に位置し、森林、川、そしてダムも有する自然豊かな地方都市である。加えて、近年は複数のアニメの舞台となったり、時間はかかるものの都心から一本で行けるアクセスの良さから、気軽に旅行気分を味わえると人気を集めている。 そんな呪いとは無縁と思われるのどかな街に、狗巻達を乗せた黒い車がするりと入り込んだ。 「津々部橋、ですか」 「ええ」 聞かされた単語を復唱すると、話を切り出した補助監督兼、運転手である伊地知が肯定を示した。 「この先にある津々部橋という橋で、ここ三ヶ月の間で四人、子どもが死亡しています」 「四人……」 元々静かだった車内に、緊張感が加わる。 「死亡したのはいずれも女児で、橋から飛び降りて即死。さらに、決まって満月の夜に事件が起こっていることから、規則性……つまり何かしらの意図が加わっているものと考えられます。次の満月までまだ数日ありますが、早急に原因を突き止めて次の犠牲者が出ないように、というのが、今回の任務となります」 「了解しました」 頷いて返事をすると、後部座席に並んで座っていた狗巻も、こくり、と頷いた。 任務を言い渡した五条があまりにもふざけた調子であったため、また小規模な任務かと余裕を持っていたが、すでに死者が出ているならば、気を引き締めなくてはならない。 「あの……」 唇を強く締めていると、運転席から弱々しい声が聞こえた。 「今の内容、五条さんから事前に伝わっていると思っていたのですが……」 「……聞いていないですね」 「しゃけ」 嘘偽りなく伝えると、今にも消えそうなため息が返ってきた。 この人とは、話が合うかもしれない。 *** さて。現場となった津々部橋は、正確には『旧津々部橋』と呼ばれ、津々部駅から北に向かっていった大きな川に架かっている。『旧』ではなく現在の『津々部橋』は国道として車の往来も盛んであるが、こちらは車両の進入はできない。代わりに、自転車もすれ違えるほど広い幅と、道を縦断するように並べられた花壇。そして腰を休ませるためのベンチが設置され、随分と穏やかな印象を受けた。 「……なにもないですね……」 「しゃけー…」 昼下がりの春風が、ベンチに座る狗巻達を撫でる。山奥で多少涼しいとはいえ、普段から山にある高専で過ごしている身だ。芽吹いたばかりの新緑や、開いた花々。どこまでも伸びる大きな川と、その先の山脈を前に、随分リラックスしてしまっていた。 ふたりは今、現場の調査という名目で橋にきている。実際に起こっている事件は満月の夜であるが、日中からでも何か手がかりになるものはないか、と訪れたのだ。伊地知は、人の多い駅周辺での聞き込みをしており、別行動をとっている。 「たーかなぁ……」 狗巻が、手にしていたビニール袋からおにぎりを取り出し、それを合図にこちらもおにぎりを取り出す。ここに来る途中、数時間はまともに自由行動をとれないだろうと、伊地知が気を利かせてコンビニやドラッグストアに寄ってくれたのだ。 「ツナマヨ〜」と言いながらツナマヨのおにぎりを頬張る狗巻を、横目で見る。 そもそも、なぜ彼が一緒にいるかというと……五条の気まぐれである。単独任務だろうと足早に伊地知の下に向かった先で、五条と狗巻が並んで立っていたのだ。 ――『あ、今日の任務は、棘にも行ってもらうから』 ――『えっ』 ――『君がメインで、棘がサポート。棘。この子、僕が教えた甲斐あって優秀なんだけどさ、まだちょーっと危なっかしいから、見ててあげて』 ――『ちょっ…』 ――『しゃけ』 ――『うそ……』 こんな感じで、当人の意見が通る隙なんてまったくなかった。 (……気まずい……) 正直、気まずい。車内でだんまりだったのはもちろん、ここに来てから約三十分、「とりあえず、座って様子見ますか?」「しゃけ」以外の会話がなかった。 「………」 「………」 手にしているツナマヨのおにぎりを、口に入れる。普段はパンを食べることが多いのだが、おにぎりを選ぶ狗巻の後姿が妙に楽しげで、ミネラルウォーターと合わせて、思わず同じものを購入してしまったのだ。 (久しぶりに食べたからかもしれないけど……美味しい) もぐ、ともうひと噛みして、狗巻が好きな(と思われる)味を吟味する。 (『美味しいですね』とか言ったら……返事してくれるのかな……) 狗巻が、最後のひとくちを口に押し込んでいる。その様子を眺めながら、どうしようかと逡巡していると、唐突に狗巻が前方を指さした。 「いくら、しゃけ」 言葉も添えられ、彼の目線を辿ってみると、柵状の欄干越しに、広い空と長い山脈が広がっていた。空は青く、春らしい澄んだ色をしている。まだ山頂には雪が残っているのか、山々の一部は白く染まっていた。 「え……と」 ①山の方に何かを見つけた。 ②今回の事件について、今後の方針を話している。 ③その他。 (どれ……⁉) 明確に指されているわけではないので、訊かれた内容が微塵も分からない。 「………」 「………」 訊き返して良いものか悩んでいると、違和感のある間が生まれてしまった。早くこの沈黙を埋めなければと口を開け閉めするも、それらしい単語は浮かばない。 狗巻も、自身の言葉が通じていない事を感じ取ったのか、言葉を継ぎ足そうと口を開いた。その時、 「みぎゃっ」 か細い第三者の声が、少し離れた場所から聞こえてきた。 山の風景から視線を外し、声がした橋の中腹を向く。そこには、小学生くらいの女の子がふたりおり、ひとりはうつ伏せに倒れ、もうひとりは何かを抱えたまま心配そうに傍に座っていた。 転んだのか、と推測している間にベンチから飛び出したのは狗巻で、一拍遅れて後を追った。食べかけのおにぎりを手にしていたビニール袋に突っ込みながら駆け寄ると、倒れていた女の子が狗巻の手を借りて身体を起こしていた。 「狗巻先輩」 「すじこ」 狗巻が、涙目で座り込む女の子を目で示す。その膝には、小さなすり傷ができており、じわりと血がにじんでいた。 「うっ……」 知らない人間の前だからか、懸命に泣かないように唇を噛んでいるが、大きく膨らんだ涙は、いつ零れてもおかしくなかった。 「いくらー…」 眉を八の字に垂らし、心配そうに背中をさする狗巻を熟視してしまう。ようやくポケットから絆創膏を取り出したのは、もうひとりの女の子が助けを乞うようにこちらを見てからだった。 絆創膏は狗巻に手渡し、自分は袋から未開封のミネラルウォーターを取り出す。「ごめんなさい。しみますよ」と、出来る限り優しい声をかけ、女の子の傷口を簡単に洗ってやった。 「ひとまず、これで大丈夫です。ただ、早くおうちに帰ってきちんと消毒してくださいね」 「………」 狗巻の手によって貼られた絆創膏に視線を落としながら、こくり、と答えかけ……迷いを絶ち切るように首を振った。 「だめ、マリーちゃんを動けるようにするんだもん」 「マリー、ちゃん……?」 「こ、このお人形です……」 問い返すと、転んでいないもうひとりの女の子が、抱えていたくまのぬいぐるみを差し出した。こげ茶色の短い毛並みをもった、両手で抱えられるほどの大きさ。何の変哲もないテディベアだったが、首にかかった、赤い石のおもちゃのネックレスがよく映えていた。受け取るのを待つと、女の子はこう付け加えた。 「『人形の橋』にお人形を持っていくと、満月の夜にお人形が動けるようになる、って……」 「満月の夜……!」 狗巻も同じことを考えたのか、真剣な眼差しとぶつかる。 その女の子が言う『人形の橋』とは、こうだ。 満月の日までに、ここ津々部橋の下に人形を置いておく。すると、満月の夜に人形が動きだし、橋の上で一緒に遊んでくれるのだという。『人形の橋』の噂は子ども達の間で広まっている噂らしいが、ここ最近は津々部橋の死亡事件が多発しているため、大人たちから厳しく言われているようだった。 そんな中、転んでしまった女の子――アキと、説明してくれた女の子――カナエは、大人の目を盗んでやって来たのだそうだ。 「でも……やっぱり危ないですし…今日のところは……」 「や、やだ……!」 アキが目尻から涙を落とし、テディベアを奪い取る。テディベアを強く抱く様子は、何か強い意志の上で拒絶しているように見え、カナエに理由を求める。 「あの……約束、したんです」 「やくそく……?」 カナエが、ゆっくりと首を縦に振る。迷うように指先をいじりながら、続けた。 「はい……。あの……わたし、遠くに引っ越すことになって……。それで、アキちゃんが、このお人形をくれたんです」 『人形の橋』という噂の名称のせいで、『ぬいぐるみ』と『人形』がごちゃまぜになっているようだが、噂にこの区別は関係ないのだろう。 「そんな時、『人形の橋』のお話を聞いて……。アキちゃんが、『この人形が動けるようになったら、カナエも寂しくないね』って……言ってくれて……」 友情の証として、この噂の通りにしようと約束したのだそうだ。 アキもテディベアを抱きしめたままのところを見ると、その通りらしい。 (……困った) 狗巻を盗み見ると、こちらも眉を曲げている。 『人形の橋』という噂が明らかに怪しい以上、このまま放置もできない。今テディベアをここに置いていくだけならいいが、夜にまた来られたら元も子もない。 (仕方がない……) 心の中で「ごめんなさい」と謝り、思い切って口を開いた。 「その『人形の橋』のお話、『一日に置いていい人形の数はひとつだけ』って、知ってました?」 「えっ」 アキとカナエの声が重なり、驚いた目でこちらを見上げた。アキは涙を引っ込めて口を開け、代わりにカナエの目が絶望に潤んだ。 「そ、そうなんですか……?」 「ええ……。実は私達もその噂を聞いて来たんです。昨日、人形を置いたんですけど定員オーバーだったみたいで、人形は動かなかったんです……」 「うそ……」 「代わりに、さっき人形を置いてきたんです。だからごめんなさい。また明日、来てくださいね」 押し付けるように言うと、ふたり揃って俯いてしまった。肩が震え、押し殺そうとした嗚咽が漏れている。 『人形の橋』について何ひとつ知らなかった人物が人形を置くなんて矛盾もいいところなのだが、よっぽどショッキングだったのか、信じてくれたようだ。 これも彼女たちを守るため……とはいえ、心が抉れるように痛い。早くしないと泣いてしまう。 「……わかり、ました」 必死に表情を留めていると、カナエが先に顔を上げた。 「で、でも、カナエ……!」 「しょうがないよ……。順番は、守らなきゃ」 「でも……」 諭すような言い方に、食い下がっていたアキもすごすごと諦めの空気を漂わせる。何度か「でも……」と呟いた果てに、ぎこちなく頷いた。 (よかった……) 膿を出すように息を吐く。 それから、今日はもうここに来ないよう念を押し、力なく帰るふたりを見送った。 「ふぅ……」 勝手に色々と事を進めてしまったが大丈夫だろうかと、隣で手を振る狗巻を見遣る。彼は、こちらの視線に気づくと顔を向けたが、怒りや不満というより、どこか落ち着かない雰囲気を持っていた。 それもそのはずだ。アキとカナエは、帰る直前、怪我の手当てをしたことについてお礼を言ってくれたのだが、どうにも歯切れが悪かった。特にアキは、両手を握りこんで下を向いており、カナエがテディベアを持っていない方の手でアキの手を引くまで、動こうとしなかったのだ。 「心配……ですね」 「しゃけ……」 「すみません、勝手にたくさん嘘を吐いてしまって……」 「おかか、こんぶ」 狗巻が何を伝えようとしているかは分からなかったが、話を勝手に進めてしまったこと以外にも謝らねばならないことがあった。 「今日中に、どうにかします」 あのふたりには、『今日はダメ』と伝えられた反面、『明日は大丈夫』ということを確約してしまった。これ以上辛い顔をさせないためにも、今日中にどうにかしなければならない。 狗巻も承知の上のようで、ガッツポーズをしながら、ふんす、と鼻を鳴らした。 *** 夜というものは、古来より人々に恐れられてきた。 すべてを照らす太陽が沈んだ後、月と星の灯りだけでは乏しい。何も見えない、不確定な暗闇は、歩く者の不安を掻き立て、いらぬ妄想を膨らませ、そこで起きた不可解な現象に『怪異』という名を付けた。 名を持った不可解な出来事は、人の口を渡り歩き、さらに夜を不気味なものに仕立て上げる。そしてまた起きた現象によって説得力を持ち……。負の連鎖である。 こうした連鎖の中で呪いは生まれたのではないかと、時々思う。 もちろんすべてがそうではないが、原因のひとつではあるだろう。 なぜなら、自分も暗い地下室に閉じ込められた時、悪い事ばかり考えていたから。 「はい、今行きます」 オレンジの常夜灯の中、ベッドから起き上がる。電話口に淡白な返事を投げると、さっさと切って下着姿のまま狭いホテルの一室を歩いた。 椅子の背もたれに引っかけていた、ワンピースタイプの制服を掴むと、頭から一気に被る。袖を通し、ふたつしかないボタンを留めながら、寝起きの思考を叩き起こした。 あれから……ふたりの少女を見送ってから、狗巻と共に橋周辺の探索を簡単に行っていた。橋の上を歩き、両端に河岸へ降りる階段を見つけると、下方にも探索範囲を広げた。 ……と、いうと苦労がなかったように思えるが、できれば二度とあの階段は通りたくないと唸るほど、険しい道のりだった。川へ伸びる階段は不揃いな石畳でできており、確かに人の手が加えられていたが、それも足元だけのことで、春が訪れ生き生きと芽吹いた雑草が、踏み入れた人間の視界を覆っていた。 先導する狗巻が行く手を阻む草をいなしてくれなければ、探索を拒んだかもしれない(少し言い過ぎだが)。そしてそれは、河原にあった残穢の発見に関わることだった。 感じ取ったのは、階段を下ってすぐの川辺。狗巻も同じタイミングで気が付いたようで、目を合わせて頷いた。 靄のように川原を覆う残穢はとても薄く、呪いがそれを残してからかなりの時間が経過していることを推測させた。 早急に、『人形の橋』の噂と合わせて伊地知に報告。彼も同様の噂を聞きつけたらしく、方針はすぐに固まった。 元々入手していた情報も、『人形の橋』の噂も、行き着く先は夜だ。日中に事が動く可能性は低い。そのため、伊地知と合流後、彼が手配してくれた近隣のビジネスホテルで仮眠をとることとなった。夜までの時間、英気を養うためである。その間の津々部橋の監視は市内の『窓』に任せ、異常が感知された段階で、伊地知、狗巻らに連絡を飛ばすようにも伝えている。 「……よし」 備え付けのテーブルに置いたスマホで、時間を確認する。 二十三時四十七分。普段なら眠気に襲われていてもおかしくない時間帯だ。伊地知の提案通り、仮眠をとっておいて正解だった。 電気をつける。まぶしさに眩みつつ、洗面所まで進んで顔を洗い、髪を整える。最後に小物を入れたポーチを腰に巻き、短刀を左右に携えた。 (問題、なし) ドアの横に設置されている姿見で、全身を確認する。変な寝癖もついていない。 唯一、二本の短刀がやけに目に付いた。 赤と黒の、対の短刀。『徳叉』と『紫雨天妖』ではない、新しい呪具である。 昨年の百鬼夜行を経て二級術師として入学した彼女は、入学祝いも兼ね、これらを五条から授かった……いや、押し付けられたのである。 名を、『赤吠(せきばい)』、『黒鳴(くろなり)』という。 その名の通り、左に掛けた赤黒い刀が『赤吠』。漆塗りのように深い黒色の刀が『黒鳴』である。どちらも特徴的な造形をしておらず、飾り気のない短い日本刀であるが、対の呪具であるため、使用時のバランスの良さは以前の呪具と比べ物にならない。癪だが、五条が用意しただけあって切れ味が良く、軽いのも利点だと思っている。 ちなみに、等級は二級。あの男にかかればもっと良いものを貰うこともできたが、本人曰く「もっと良いのが欲しかったら、頑張って実力つけてね!」らしい。イラッとしたので蹴っておいた。 (そんなつもりはありませんって……) 嫌なことを思い出した。消し去るように、肩に垂れた髪を払う。仕上げに、黒手袋を指が突き抜けそうな力ではめると、十本の指に巻き付くように刻まれた呪印が隠れた。 具合を確かめるように手を握って開くと、部屋を後にする。同じタイミングで出てきた狗巻と共に、伊地知の待つロータリーへ急いだ。 車通りの少ない夜道を、伊地知の運転で駆け抜ける。目的利の津々部橋まで十分足らずだが、車内の空気は、行きとは違った意味で緊迫していた。 「『窓』の報告によると、呪霊は日中の推察通り、橋の下にいます。私は、おふたりが橋に行かれたのを確認次第、帳を下ろします」 「わかりました」 同じ後部座席に座る狗巻が頷くと、ついに津々部橋に到着した。