23区の最果てにある下町を舞台にした短編、掌編の3作を収録いたしました。 この土地が囁いた言葉に耳を傾けて、自身の妄想を加えて物語を紡ぎあげました。 たくさんの方に楽しんで頂けたら、無常の喜びです。 ------------------------------------------------------------- 空港で搭乗を待つ、男女ふたりの風景を描く。「空港にて」 河川敷をねぐらにする三人が体験する一夜の物語。「ナイト・オブ・ザ・リバーサイド・プレイス」 最果ての海で、男が見たものは……。「約束」 ------------------------------------------------------------- の三篇をお送りいたします。 文庫版(A6) 152ページ (32,679文字) 2020/11/22発行 第31回文学フリマ東京出店 ・「ゆうメール」での発送となりますのでご了承ください
SAMPLE
『大田区幻想奇譚』サンプルを掲載します。収録作「空港にて」を一部掲載しています。 ——————————————————– ……陸は顔を上げた。 傍らの優希は、パイプでできた腰掛けにもたれながら、中央の集塵機に煙草をもみ消していた。 「あ、れ?」 辺りを見回した陸。 五人も入れば一杯の狭い空間。 中央には煙草の灰を集める集塵機と、その上には大きな換気扇。 ガラス張りの壁の向こうには、並列に並べられたベンチが見えた。 「ここは…?」 呟いた陸の声に、優希は顔を向けた。 不意に、陸の掌から滑り落ちたもの。 乾いた金属音が小さく響き。 慌てて拾い上げたジッポが、中指のシルバーリングにカチリと当たる。 途端に妙な感慨に襲われて、陸は顔を上げた。 ガラスの壁面に写った自分の姿。 膝の擦れ落ちたリーバイスにショットのライダース。 一歩ごとに、ウォレットチェーンと鍵束がかち合う金属音。 鉄板入りのブーツの心地よい重さ。陸はまじまじとガラスに映った自分の姿を見た。 「どうかした?」 言葉じりに鋭さの余韻を残し、優希は言葉にした。 「いや……」 怪訝に眉をひそめた優希。 懐を探ると、潰れた紙パッケージの中に曲がったマルボロが一本。 陸は、おぼつかない手つきで火を灯し、最期の煙草を咥えた。 オイルの香りが絡み合い、霧散した。 「一瞬、どこにいるのか忘れてた」 「何それ」 吐き出した煙は陸の周りで少し揺れ、その後には頭上の換気扇に、勢いよく吸い込まれて行く。 「……なんだかまるで、ずっと長いあいだ吸ってなかった感じだ」 「大げさな」 馴れた手つきで、煙草を咥える優希に、陸は火を差し出す。 彼女が煙草に火をつけるとき、咥えたまま細い首を伸ばす仕草。 「……しかし」 優希の一呼吸。 「ほったらかしも極みだね」 「いや、ゴメン」 不機嫌な横顔。見慣れた表情。 諍いを思い出した。 到着した空港線の終点から、向かうべきターミナルの真逆の改札を出てしまったこと。 ターミナル間にはかなりの距離があり、移動するための道筋も解りづらかったために、行きたいターミナルに辿り着くのに些少の時間がかかってしまったこと。 「別にいいけど」 「悪かったよ」 「思ってないくせに」 ざわつく気持ちを吐き出すように、陸はひとつ息をついた。 「ホントに悪かった。だからもういいだろ」 少し感情が滲む陸の言葉。 「せっかくだからさ、せめて今だけでも」 優希は、陸を見た。 「止めようよ、こういうの」 まっすぐに陸の眼を射る、優希の眼差し。 「……勝手だね」 端正な顔立ち。冷たいくらいの綺麗な表情。 「気持ちは収まらないんだけど」 「ホントに悪かったと思ってる」 「……何か奢って?」 「は?」 両手を腰に当て、首を傾ける優希の癖。 「着いたら、初めの一杯は奢りね」 「え?」 「あとご飯と、酒の肴も」 「解ったよ。それで手を打ってくれる?」 「仕方がないでしょ」 優希は不器用に笑顔を見せた。 「……この空港にはさ」 「え?」 ふいの言葉に、優希はきょとんと。 優希のようすに、陸は含み笑いをもらしてしまった。 「さっきさ、言ってただろ?」 憮然とした優希に、 「空港に向かう電車の中でさ」 「……ああ、あれか」 優希は、短くなった煙草をもみ消す。 「この空港にはさ」 「うん」 「空港に不似合いな施設があるって」 「施設?」 「何だか解る?」 少し虚空を望み、陸は向き直った。 優希はニヤニヤと、陸のようすを眺めていた。 「……解んない」 「もう、ちょっとは考えてよ」 「考えてもなあ」 「じゃあヒント」 腕を組んだ右手から人差し指。 「そのおかげで受験も上手くいく」 「?」 もう一度、宙を仰いだ陸。 陸の顔を眺めながら、優希は首を傾げて微笑った。 「答えは出た?」 「ーん?」 優希は瞳を細めながら、 「答えは案外つまらないよ」 優希が喫煙室の扉を開けた。 後を追って、陸も立ち上がった。 「神社!」 答えに驚く陸に、 「大げさな」 と優希。 「空港神社っていうんだって」 「ここにあんの? 建物の中に?」 優希は軽く頷きながら、 「航空安全と輸送祈願の神社なんだってさ」 「墜落事故のないように?」 「そ。飛行機が落ちない、受験にも落ちない」 優希はつまらなさそうに、頰をかく。 「行ってみようよ」 「無理」 眉をひそめた陸に、優希は笑いかけた。 「もうゲート入っちゃったでしょ」 「?」 「搭乗ゲートにはないの。あるのはゲート入る前の空港ビル」 「そうなんだ……」 「ま、行ってみたかったけどね、ネタのひとつにでも」 「慌ててゲート入らなくてもいい、って知っていればね」 「そうねえ」 と宙を仰いだ優希。 「まあ、この状況だって、そうそうある経験じゃないから」 少し灯りの落ちた照明。 搭乗口を前にしたベンチソファには、人の姿は全くない。 ガラス張りの外に広がるのは、滑走路を想像させる、暗く広がる闇。 「にしても……」 陸は辺りを見回して、 「暇だな」 「寝れば?」 優希の嫌味を、小さく微笑いながら躱す。 いつもならやり過ごせない、小さな棘みたいな感情は、今は笑えるだけの余裕で包める。 いつからだろう。 交わす言葉の端々に、いつでも苛ついた感情を纏わせるようになったのは。 少しずつ確実に。 お互いの苛立ちは、澱のように沈殿して。 「……怒ったの?」 優希の声に、陸は顔を上げた。 「いや、ぼんやりしちゃった」 「なにそれ」 「何だか、こういうの、久しぶりな気がする」 「そうね」 呟き返した優希は、ガラス越しに広がる暗い影の向こうに視線を移した。