大学生2年生、夏──【準備号】
- 200 JPY
A5 16P ※コピー本です 官能小説家・相澤に翻弄される大学生カツキ。 Twitterに上げていたものを加筆修正しました。 正式版の発行は早くて来年春の予定です。
<サンプル>
なんでもできて なんにでもなれると思ってた。 だけど、ある日、気付いてしまった。 なりたいものがない自分は、なんにだってなれやしない。 優秀で有能でなんでもできたとしたって、その先に目指すものがなければ、それはつまりただの人。 十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人。 でも、あんたなら、俺を何かにしてくれる気がした。 それがなんなのかはわかんねえ。 でも、きっと俺は何かになりたかったんだ…いや、今でも何かになりたくて足掻いてる。でも足掻くほどに息が苦しくなって深い海の中に沈んでいく。 なあ、大人になったらこの深い海から出られるのか? 教えてくれよ。先生。 *** ジージージーという蝉の声がまるで耳鳴りのように鼓膜に張り付いてくる。もうすぐ夕方だというのに、夏の音は大変元気にご近所中に自慢の声を響かせている。夕方…ちらっと見た時計は十六時…というより十七時に近い。それなのに太陽はいまだにギラギラと輝き、アスファルトを白く照らしている。ジリジリとした日差しが首筋に突き刺さり、焼き肉で網にあぶられている肉たちはこういう気持ちなのだろうか…なんてことを考えてしまう。 やっぱり帰るときも日焼け止め塗るか…。 めんどくせぇ、とカツキがため息を吐き出す。家まであと数分。いつも歩く見慣れた道に、見慣れない黒い影を見つけて眉間にシワを寄せる。 声は聞こえないが、ババアと…黒い男が談笑している。住宅街に似つかわしくない雰囲気の、黒い男。 誰だ、アイツ? 自分の母親が楽しそうに話す姿に嫉妬したわけじゃないが、見ず知らずの男に笑顔を向けているのを見ると、なんだかモヤモヤした。 「かっちゃん、マザコンじゃね⁉」 前に上鳴に茶化されたことを思い出し、チッ、と一人で舌打ちをする。そんなんじゃねーわ。 「あ、カツキー!おかえりー!」 玄関先にいたババアが俺を見つけるなりでけえ声で名前を呼ぶ。しかも声がデカいだけじゃなく、大きく手も振っている。何年も前からこういうことをされるのは気恥ずかしくて「ガキじゃねーんだぞ!」と、何回も言っていたが何度伝えてもこのありさまなのでもう諦めた。 そんな母親の大きなアクションにつられるように、黒い男がこちらを向いた。 ボサボサの長髪に窪んだ目。くっきりとしたクマと無精髭…どう見てもまともな仕事をしているとは思えない風貌だ。 「うっせーんだよババア!」 「もう! ババアって呼ぶなっていつも言ってるでしょ〜」 「ははっ。元気な息子さんですね」 ………………喋った…。 ようやく声が聞こえる距離まで近づいて、黒い男がちゃんと人間だったのだと認識する。幽霊には見えないが、こんなクソ暑い日に上下黒の服でこんな風貌で…もしかしたら人間じゃないかもしれない、と少しだけ不安を抱いていたが、ちゃんと人間のようで安心した。 「こちら相澤さん。お隣に引っ越してきたの。小説家さんなんですって!」 「小説家…」 「やめてくださいよ。大した仕事じゃないですから」 「……どんな小説書いてんすか?」 こちらが質問すると、二人は一瞬止まってそれから目を見合わせてくすくす笑った。 「カツキには、少し早いかもね〜」 「はぁ? んだよそれ!」 「官能小説──だよ」 ぞくりとするような低い声。黒い男は続けざまに、ちょっとエッチなやつね。とからかうように付け足した。口の端を上げてニィっと微笑う。ガキだと小馬鹿にした態度のハズなのに、なぜか俺の心臓がドクドクと音を立てる。 「それくらい知っとるわ」 逃げるように玄関へと入る。後ろで母親が「今日、バイトは?」と聞いてきたので「六時!」とだけ返して乱暴に玄関のドアを閉める。するとなぜか、ヒンヤリとした空気が肌に触れる。 ──まだ、心臓、すげぇ。暑さで火照った頬…いや、違う。顔が熱くなっているのは、痛いほどに突き刺さる日差しのせいじゃない。むしろ、背筋を這うような真っ黒な視線と…あの骸骨みたいな笑顔。 「っくそ!」 俺は自分の中をもぞもぞと動くこの感情がなんなのかわからず、イライラしながら冷えた麦茶を一気に飲み干した。 首筋を流れる汗はいつの間にかクーラーで冷えていた。それがツゥーと首筋を這うと、また脳裏にあの男が現れた。 「……相澤」 何かを確認するように、俺はあの男の名前をぽつりと呟いた。 *** アイツが引っ越してきてから数日が経った。 「ただいまー」 玄関のドアを開けて真っ先に感じた違和感は、うるせぇ、だった。夕方のバイトを終えて帰宅すると、いつもより母親の声が甲高く廊下まで響いている。今日は別に誰かの誕生日でも結婚記念日でもないのになんでだ?と不思議に思いながら、おそるおそる声のするダイニングキッチンへ足を進める。 ガチャ 「ただい──…」 「あ、おかえりカツキ!」 「おかえり。外、暑かったでしょ?」 「…やぁ。お邪魔してます」 「………………あ?」 テーブルに大皿で盛られた棒々鶏。それを囲むように座る母親と父親、そして……あの黒い男。 理解ができず一瞬、思考がフリーズする。 「なんっ…」 「相澤さんね、お仕事が立て込んでて、ここ数日ご飯ちゃんと食べてない〜って言うから、お母さん無理やり食べさせてるの!」 「いやいや、無理やりだなんてそんな。本当に助かります。それに、こんな美味い飯食べるの久々で…お隣が爆豪さん家で本当に良かったです。」 「やだわ〜もう! 遠慮せずにじゃんじゃん食べてくださいね!」 「……………親父、ちょっと」 いつの間にか、驚くほど打ち解けている母親とあの黒い男…。この状況がまったく理解できない俺は、ちょっとと言って父親を廊下に連れ出した。 「おい、なんだあれ?」 「あれって…相澤さんの事?」 「そーだよ!」と、ボリュームを抑えた大声を出すと、親父は「あぁ〜」といつも通りのへにゃへにゃした顔で答える。 「僕もね、最初は色々と心配したんだけど、なんというか、僕らが考えてるような事は全然ないから安心して。」 「……」 親父は俺の表情を見てまだ納得していないとわかったのか、続けて口を開いた。 「お母さんはさ、僕らが会社や大学に行ってる間、一人じゃない? ご近所さんと話をしたり友だちとカフェに行ったりする事もあるけど、いつでも気軽に話せる、って相手がいなかったんだよ。」 「……うん」 「相澤さんは、毎日ってわけじゃないけど、庭のお花に水をやってる時に声をかけてくれたり、電球がきれた時に交換してくれたり、あとは……思春期の息子との接し方について相談に乗ってくれたり」 「なっ…!」 たしかに。ここ最近は、母親からの干渉が少し減ってきたなと思っていた。それがアイツのアドバイスだったとしたら、なぜか無性に腹が立つ。 「僕らがフォローできない部分を面倒みてくれてるだけだから、安心して。それに、お母さんもちゃんと相澤さんとどんな話したのかとか、家に上がってもらったとか、そういうの全部教えてくれてるから。」 大丈夫だよ、と頭を撫でながら言われる。誰も見てないとはいえ、この歳で親から頭を撫でられるのは恥ずかしく、うるせー!、とその手を振り払う。 「……わぁったよ」 「ちょっと二人とも〜どうしたの〜?」 「ごめんねお母さん〜今戻るよ。さ、行こうかカツキ」 「あぁ」 親父と一緒にリビングに戻ると、母親が茶碗をあの男に渡していた。ほんの数分の間におかわりをしていたようだ。 不健康そうな見た目のわりにガッツリ食うんだな……意外だと思ってチラリと見た…………つもりだった。 「あ〜…なんか、ごめんね。勝手にお邪魔して…」 「え? あっ、いや別に…大丈夫っす…」 「はい! カツキもいっぱい食べてね〜」 「うっせババア! いつも通りに食うわ!」 視線に気づかれ、ドギマギした返答をしてしまった。どうしようかと焦ったものの、茶碗を持ってきた母親のおかげで事なきを得た。そのままギャーギャーといつも通りの口喧嘩をする。まぁまぁ…と、相も変わらず父親はソレを止められずにおどおどしている。 いつもの光景。 …ただ、いつもと違うのは、 「明るくて楽しい家庭ですね」 と窪んだ目を細めて笑う、この男の存在だ。 ババアと親父は上手くたらしこんだみてぇだが、俺はそう簡単に騙されねぇ。 絶対に裏がある。 詐欺か、不倫か、はたまた凶悪な殺人鬼か──ドラマや小説で見たあらゆるパターンを脳内でシュミレーションする。何が狙いかはわからねぇが、絶対に俺がこの男の正体を暴いてやる。 ***