Opera Night
- ¥ 400
コミックマーケット95で発行した赤安の小説本です。そしかい後に、FBIと公安の合同任務にかこつけて降谷さんに会おうとしたりする赤井の、一年にわたるほぼ片想いのお話。ほの甘ハッピーエンドです。
本文サンプル
夜の大気は澄みきって爽やかだった。良いことだ、と赤井秀一は単純に考える。 雨上がりの春の夜。アスファルトはまだ部分的に濡れていた。空に星は見えない。仕事ではなく散歩したくなるような夜だ。ぶらりと歩いていった先で、美味い酒でも飲めれば最高なんだが。 現実はそうもいかず、赤井は片耳のイヤホンに入った定期連絡に「了解」と機械的に答えると、煙草を口にくわえた。 ライターをかまえたところで、前方で淡い光に照らされる人影に目を据えた。 相手は、両手を腰の後ろで組んで立っている。 彼に、睨まれている気がした。きっと、なにか言ってくるだろうと思って待ってみたが、黙ったままなので、無視して煙草に火を点けた。 「こんな」 それを待っていたみたいに彼が口をひらく。 「ところでサボってないで」 「サボっているんじゃない、俺は任務中だ」 「ええ、そうでしょうとも」 降谷零は、気のせいでなく赤井を睨んでいた。 頭上の照明から落ちる光はやや楕円形になり、降谷はその中へ片足を踏み出している。 もっと近くに来れば、顔にすっかり光が当たるのに、これでは表情を読み切れない。 「言い訳されるのは、いつものことですから」 「たまたま、俺の担当エリアに喫煙所があった。そういうことだろ」 「今晩の警備は我々、公安だけで十分だったのに、後から強引に割り込んできたのは、そちらなんですからね。足手まといにならないでくださいよ」 彼の声にはたっぷりトゲが含まれている。煙草をふかしながら聞いていた赤井は言った。 「それは、降谷くん。多少のサボりは見逃してもらえるという意味かな」 「そうじゃない。僕らの邪魔をしないでしっかり働けと言っているんだ」 ムッとした口調で、こちらへ詰め寄ってきたので彼の姿がスポットライトを浴びたように浮かび上がる。 「自分に都合のいい解釈をしないでください」 「言っておくが、俺たちは邪魔をしに来たんじゃない。警備に加わったのは先方から要望があって、うちのボスが偶然」 「知ってますよ。それぐらいは聞いてますけど」 赤井の言い分を煩わしそうな手振りで降谷はさえぎる。 劇場の方から、鐘の音のようなものが聞こえた。同時に赤井のイヤホンにもまた定期連絡が入る。 あたりを見渡し、了解、とつぶやいた。 数日前から、経済分野の国際会議が東京で開かれていて、出席者をもてなすために観劇の宴が設けられたのが今晩だった。 各国の要人ばかりというのは当然として、その中に、赤井の上司であるジェイムズと、昔から親交のある人物がいて、概ねそのあたりの繋がりで、日本に在留しているFBIも警備に協力することになった。 そんな経緯を、割り込んできたと表現されるのは心外だが、この程度の嫌味を言われるのは慣れている。 「きみも、いつものことだな」 吸い終わった煙草を灰皿へ投げ入れた。 「なにがですか?」 降谷が眉をひそめる。 「俺が、きみに歓迎されていないのは、だよ」 「どういたしまして」 真意不明なことを言って彼は肩をすくめた。 遠くで、車のタイヤが激しく軋む音が聞こえた。一瞬ハッと二人に緊張が走る。続いて急ブレーキを踏む音。それらがまだ止まないうちから、話し声と駆け寄っていく足音 、こちらはそんなに騒々しくない。 「状況を報告しろ」 降谷が口元のマイクに向かって早口で喋っている。 同時に赤井にも連絡が入った。劇場前の道路で乗用車のスリップ事故が発生。事件性は特に見当たらない。 「オーケイ、わかった」 通信を切ると、降谷もちょうど似たような文句を口にした。互いになんとなく顔を見合わせる。 「異常は無いみたいですね」 「ああ、まったく。そいつが一番だ」 赤井は次の煙草に火を点ける。 「やれやれ、終わりまで、そうあって欲しいね」 「ようやく第二幕の中盤でしょうから、まだ、終わりは見えてきませんよ」 口から煙を吐いて、赤井はきょとんとした。 片耳にかけたイヤホンから、返事は不要と前置きして事故の件は片付いた旨を知らせる連絡が聞こえる。 「なんで変な顔をしてるんです」 降谷が、そっちこそと言いたくなる目つきをして首を傾げている。 「えっ……、第二幕……って?」 「ですから、今晩の演目が。三幕まであって、その後もカーテンコールやらありますからね。まだまだ先は長いと思いますよ」 彼の視線は赤井の顔から自分の腕時計に移動した。 その間も赤井は、ぽかんとして降谷を見つめている。やがて、降谷も見つめ返してきた。 「あなた、なにに驚いてるんですか」 春の暖かな夜を、ざあっとかき回すような風が吹く。風には花の甘い匂いが混じっていた。心地良いが、雨の湿気も戻ってきて、じめじめと感じられる風だ。 「降谷くん、きみは……、もしかして今晩の舞台の構成とか内容とか知っているのか」 「もちろん知ってますよ。えっ、知らないんですか」 降谷は口を小さく開けたまま目をぱちぱちさせた。 「俺だって、タイムスケジュールは頭に入れている」 赤井は、ややムキになって反論する。 「劇場の内部を担当してる奴らは知ってるんだ。どんな芝居かも。けど俺は外の担当だから」 「そんなわけないでしょう。FBIってそんなに大雑把なんですか」 降谷は呆れ顔で、わざとらしいため息まで吐いた。 「それに、今晩のはお芝居じゃなくて、オペラです」 「……ふうーん」 「まさか今、あなた初めて知ったんですか!? 大丈夫ですかそんなことで」 「オペラだって芝居だろ。バレエやミュージカルでも。どれも似たようなもんじゃないか」 そういえば。赤井は思い出す。この仕事が決まったとき、ボスのジェイムズが「本国じゃ、なかなかチケットが取れないんだ」と、妙にウキウキしていたのを。 ボスは今ごろ、警備を頼んできた旧知のお偉いさんの隣で、いっしょにオペラを楽しんでいるのだろう。 「人気のやつなんですよ。客席の警護係りの席を確保するのに苦労しました」 「ふうーん」 焦れたように降谷が靴のかかとで地面を軽く蹴った。 そういえば客席担当のジョディが、まるでデートかと思うほど念入りにドレスアップしていたことも、赤井はぼんやりと思い出す。 気がつけば、ほとんど吸わないうちに短くなった煙草を、スタンド型の灰皿に押し込んだ。今晩のどこを誰が担当するかという打ち合わせのときに、ジェイムズから当日はタキシードが着たいかと聞かれたのだった。赤井はその問いには答えず、自分は外にしてくれと言った。そのほうが煙草が吸いやすいから、と。 「きみは、タキシードを持っていないのか」 「は?」 彼なら、きっと似合いそうだ。これほど容姿端麗な男なら。もっとも、なにかの仕事の都合で、一回や二回はもう着ているかもしれない。そのとき、彼が名乗っていたのが、どれなのかはともかくとして。 「あなたこそ、持っていないんですか」 「若いときはアルバイト先で必要だったんで持っていたよ。安物だがね」 降谷がわずかに頰をゆるめて口角を上げた。微笑んだというにはあまりにささやかな変化だった。 「オペラって、どんな話なんだろうな」 「魔法使いが出てくるそうです」 口から出た小声は夜気の中へ紛れるように消える。 「魔法使いが、主人公の望みをなんでも叶えてくれるそうですよ」 「なんでも、とは、気前のいい話だ」 赤井は立ち位置をずらした。見上げても夜空が屋根で隠れてしまっていたからだ。 つられたように降谷も半歩横にずれて夜空を仰いだ。明るい色の髪が耳元から細い首筋へ流れた。惜しい、と赤井は思う。彼の横顔は、こんな劇場の端にある喫煙所ではなく、シャンデリアが輝くホールとか、いっそ月の光の下で見たら、もっと美しい眺めだっただろうに。 「どうでしょう。お伽話ですから」 「だけど良いじゃないか。なんでも叶うなんて」 「そうですかぁ?」 大げさなほど声高に語尾を上げた降谷は、とても同意しかねるといった顔をしている。 「魔法の杖を一振りか、指を鳴らしでもすれば、望みのものが手に入るんだ。こんなに素敵なことはない」 赤井は、実際に指をパチンと鳴らしてみせる。 「……理解できませんね」 彼には、心底、というふうにつぶやかれた。 「きみにはないのか? 魔法を使ってでも叶えたい望みとか、手に入れたいものとか」 「ありません。あったとしても、もっと現実的でマシな方法を考えます」 きっぱりと言った。それはもう、まったく迷いの無い眼差しで、さっき夜空を見上げていた、見惚れるほどに魅惑的な横顔とは、まるで別人のようにきりりとして、赤井を見る瞳がきらりと光った。 「そうか、ないのか」 「あなたには、あるんですか? FBI」 降谷の声は笑いを含み、からかいを滲ませていた。 「あるよ。魔法を使ってでも手に入れたいものが」 赤井はもう一度、夜空を見上げた。薄雲が晴れたのか星が小さく瞬いている。 「というか、魔法でもないと、叶いそうにない」 自分としては独り言のつもりだったのに、やけに大きめのはっきりした声になった。 降谷が、じっとこちらを見つめている。 もう一度、指を鳴らしたら、魔法がかかるだろうか。 「意外ですね」 「そうか? ま、意外性があっていいだろ」 無粋な定期連絡がまた、変わったことは無いか飽きもせずに聞いてくる。 何も無い、と告げた。春の夜はまだ終わりまで遠いそうだ。ということはまだ、彼とはお別れじゃない。 公安との合同警備だと聞いたとき、正直、期待した。降谷零に会えることを。 そして実際に会えたし、言葉を交わすこともできた。まあ、春の夜にふさわしい、ロマンティックな内容とはいかなかったが、顔だけでも見られればと思っていたのに比べれば大ちがいだ。 上出来の方なんだろうな、と赤井は思うことにする。魔法を使ってでも手に入れたいものは、きみの心なんだと打ち明けたら、彼はどんな顔をするだろうか。 想像すると、少しだけ楽しい。 「……急に黙ったりして、なにを考えてるんです」 降谷が静かに、口調は丁寧だが、だいぶ疑わしい様子で尋ねた。 「いや、大したことじゃないよ」 「どうせ、ろくでもないことでしょ」 「きみは急に、俺に冷たくなったな」 「最初からそうでしたよ。……なにを考えているのか、当ててみせましょうか」 気取ったしぐさで、細い指を、形の良い唇に添えた。 赤井は、普段は取り澄ました顔ばかりしている彼が、子どもっぽく無邪気な表情で、こちらの顔を覗き込もうとしてきたので、ふいに顔がだらしなく崩れそうになり心臓がどきどきしてきた。 「きっと、こんな夜は仕事してないで、散歩に行って、どこかでお酒でも飲みたいとかって考えているんじゃないですか?」 「……あぁ」 半分、上の空でうなずいた。 劇場からキンコーンカンコーンと鐘の音が響く。あれは時報のようなもので、おもしろいチャイムだ。 「すごいな、よくわかったな」 「僕は、おまえの心ぐらい読めますからね」 「なんだ、そうなのか」 声に出して笑った。降谷の言ったことが、純粋におかしかった。しかもやけに得意そうな口ぶりで。 「……やっぱり変な奴」 降谷は憮然として、今晩の会った最初のときのようにまた眉をひそめた。 夜風が強く吹いてきて、なにもかもを揺らす。 風がおさまるのを待って、赤井は煙草を口にくわえ、ライターをかまえる。 「だけど、こんなに気持ちの良い夜ですからね」 「そうだろう。どうかな、きみもいっしょに……」 「仕事中でなければ、僕も考えますけど」 首を傾げ、眉間にしわを寄せたまま妙に思わせぶりな流し目をしてみせる。それは、自分の態度が相手にどう影響を及ぼすのか、わかっているとしか思えなかった。 「今晩は誘うなら、僕の部下にしますよ。それじゃあ、他の場所を見に行くので」 愛想のかけらもない事務的な声で言うと、背中を向けて去っていく。 「やっぱり、フラれたな」 赤井はつぶやき、吐いた煙が風に吹かれて、誰もいなくなった空間にたなびく。呆気ない幕切れだった。 だが、しかし「今晩は」と、彼は言ったではないか。 まだあともう一回ぐらいは魔法を使うチャンスがありそうに思える。 さしあたっての問題は、この仕事が終わってからでも酒が飲めそうな店を見つけることだ。 一人で飲みに行くことも考えるが、ここへいっしょに来ている仲間連中と、たぶん行くことになるだろう。 つまり、まあ、いつものように 。暖かくて、少し湿り気を帯びていたけど、やはり春の夜は快かった。