Moon Ship
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■内容 ジャンル:古典創作、恋愛、考察資料 古典『源氏物語』「宇治十帖」からの創作。 (1)小説 薫×浮舟 容姿以外に取り立てて優れたところもなく、強い後ろ盾のない浮舟は、権威ある男たちにいいように左右されていく。女の体でゲームをするように見えない競争をする薫と匂宮だったが、浮舟の本心は…。 彼女の「心」はどこにあったのか? を考えて書いた小説です。 (2)考察資料 小説を書く上で調べた資料のまとめです。 文学であると同時に学習のための教材でもある『源氏物語』前半と比べ、「宇治十帖」には「個としての目覚め」が感じられます。当時は自分が属する家、血族、職場、いろいろなものに繋がれて、その先に「人」があり、個の想いや幸せといったものはそれほど強く確立はされていなかったように思います。しかし、浮舟では消極的なやり方でありながら「何も持っていない」女が、「自分を見ない」男を拒絶する展開になっています。 これらについての考察資料です。 ■仕様 サイズ:A5 ページ数:200P(表紙込み) 表紙:モノクロ、PP 装丁:宮美 ■発送 あんしんBOOTHパック利用(ネコポス) 匿名配送 ※段ボール補強+ビニールで梱包し、茶封筒で届きます。
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物心ついたころから、彼女は、待つ女、だった。 父親の記憶はない。赤子だった彼女を連れて再婚した母・中将君は典型的な零落貴族の娘で、曽祖父の代には参議まで登っていたらしいけれども、中将だった祖父は若くして亡くなり、強い後見を持たなかった母は大叔母を頼って出仕せざるを得なくなったそうだ。しかし、親族といえ、祖父とは母親違いの兄妹ということもあり、後ろ盾になったのではなく、自分の話し相手として引き取ったというのが正しい。そのころ、大叔母は先々帝の皇子・八の宮と結婚していた。 それでも、母にとって宮家への出仕は楽しいものだったようだ。幼い彼女に昔語りをする母の瞳は、きらきらと輝いていたのだから。八の宮は、一時は東宮にもという話もあったほどの方だったので、住まいや室礼はもちろん、側仕えの者たちも気の利いた面々が揃っていた。 中秋の時期に月を愛でる管絃の宴をしたときなど、本当に絵巻から抜け出したような素晴らしさだったのよ、と母は何度も彼女に繰り返した。 その美しい思い出がごく短い間のことだと、彼女はずっと気付かないでいた。 母の記憶通り、確かに八の宮は大臣家出身の女御から生まれた有力な皇位継承者のひとりで、風雅を愛し、思索を求める穏やかな人物だった。けれども、その性質を御しやすしと受け取られ、政争の道具として利用されたがために、母が出仕してほどなく中央政界からは爪弾きにされつつあったのだ。 中将君は政治には疎いけれども情の深い女だったので、北の方である大叔母と生まれたばかりの姫君たちのために、真心を込めて仕えた。その素直な性質が、却ってよくなかったのかもしれないし、后がねと期待されて育てられた大叔母も世間を知らなすぎて、早いうちに中将君を手ごろな男君に縁付けるという世知恵を持たなかったようだ。ふたりめの姫君を出産した時の産褥で北の方が亡くなった後、赤子と幼児を慈しむ中将君に、八の宮が妻の面影を見出したとしても責めることはできない。宮のお手つきとなった中将君は、大叔母の葬儀からそう何年も経たないうちに、八の宮にとって三人めの女の子を生み落とした。 しかし、正室腹である娘ふたりをこよなく愛する八の宮は、劣り腹である三女には酷い父親となった。妻ただひとりを愛していたはずの自分に沸き出でた肉欲を受け止めることができず、彼は中将君と赤子を遠ざけることで、その事実を隠蔽したのだ。 妻の座を望んでいたわけではない。ただ、お可哀想な、お気の毒な方と申し上げ、同じく大切な人を失った、その心を共に分け合ったのだと信じて肌を重ねたのに、彼の裏切りは中将君にとって心移りや感情のもつれよりも、もっと残酷なものになった。女房勤めをしていても、決して彼女は低い生まれの女ではない。いくら八の宮が皇統でも、そんな扱いをしてよい存在ではなかった。 が、それも後見あればこそである。中将君は傷ついた心を抱えて、中級貴族の求愛を受け入れ、やがて陸奥守となった夫について東国に下った。 それでも、やはり母は宮を忘れられなかったのだろう。京よりも厳しい冬の寒さは、夜の星をより可憐に輝かせる。嫁いですぐ妊娠した中将君は彼女と手を繋ぎ、大きなお腹をさすりながら簀子に近寄って、古歌を口ずさむことがあった。 ―― ぬばたまの夜渡る月にあらませば家なる妹に逢ひて来ましを ちょうどそれは国衙の方向だったから、彼女は母が継父の帰りを待ちわびているのだと受け取った。後になって思い返せば、誰の心で何を思って呟いたのか……。 「貴女は、つれない月舟になってはだめよ」