近世大名は城下を迷路化なんてしなかった
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「近世大名は、敵が簡単に城に近づけないように、城下に屈曲や袋小路、T字路を作った」……この広く知られた知識は、実は誤りだった。 江戸時代初期の城下絵図に迷路のような街並みは発見できず、城下町ではない都市と比較すると、城下町の方が道が良かった。江戸時代初期の文献に、城下の街路を複雑化させよという指南は出てこない。出てくるのは見通しにこだわった事実ばかりであった。 街路の屈曲を防衛のためと考えだしたのは太平の世になった江戸中期以降だった。この頃に生まれた巷説のひとつである『盛岡砂子』を論拠として大正時代から昭和にかけての研究者がお墨付きを与えて街路屈曲防衛術は定説になった。しかし、『盛岡砂子』の「盛岡丁割初」の逸話は、まだ制度化されてない参勤交代にもとづいて町割を計画するなど、史実とは認めがたい巷説であった。 江戸軍学の各派は例外なく、都市戦では放火せよと述べていた。そして世界の都市の歴史をつぶさに調べて浮かび上がったのは「都市戦とは放火するもの/されるもの」であり、碁盤目都市こそ火災に強い設計であった。 ではなぜ、近世大名の手掛けた城下町は、ほどほどに京都のような碁盤目でありながら、あちらこちらに丁字路やクランク十字路が存在するのか。そこには地形・経済・利水・資源・防衛といった様々な要因があったのであり、ひとことで解説できるようなものではなかったのである。 本書は徹底的に「近世大名は城下を迷路化なんてしなかった」の証拠を挙げた上で、都市はなぜ碁盤目を目指すのか? 近世城下町が碁盤目を目指しつつも徹底しきれていないのはなぜなのか? を豊富な資料に基づき、明らかにした。 圧倒的な[独自研究]である。
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