特集:ゆるせる人って、いい人?(布教しない仏教マガジン『 i 』2021_秋号)
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*こちらはダウンロード商品です。 布教しない仏教マガジン『 i 』vol.12 特集『ゆるせる人って、いい人?』 テーマ 最近「ゆるせない」という言葉をよく見かけるようになった。政府の新型コロナウイルスへの対応の不備や、東京オリンピック関連のいざこざに対してもそうだ。SNSを開けばいつだって誰かが誰かを非難し、「ゆるせない」と怒りの声を上げているように思う。では、もう少し身近な場所ではどうだろう。私たちの暮らしの中にも「ゆるせない」という感情は潜んでいる。理解しがたい友人の言動に眉をひそめたり、家族に言われた何気ない一言が心の奥底でずっと引っかかっている人も少なくないだろう。私たちは、そうしたわだかまりを抱えながら生きているのだ。 ときに、「そんな小さなことで怒らなくてもいいじゃないか」と思うことがある。しかし、ある人にとってはゆるせることでも、別の誰かにとってはゆるせない。そうした考え方の違いが、さらなる火種を生むことだってある。なぜこうしたすれ違いが起こるのだろう。 そんなことを考えていたとき「ゆるすという言葉をどの漢字で表記するかによって、その意味は全然違うのでは」と思い至った。考えてみると、「許す」と「赦す」の意味の違いを日常的に意識することはそうない。 例えば、先の東京オリンピック・パラリンピックの開会式で、その演出を担当していた人物の過去の差別的な言動に注目が集まり、世間の非難を浴びた。むろん人権侵害や差別は「ゆるされない」ことである。しかし、非難の声の中には、「昔のことなんだし、ゆるしてやってもいいんじゃないか」とか「今とは時代も違うんだし」と、彼を擁護するような声も聞かれた。両者は一見すると対立しているようにも見えるが、実は「ゆるす」という言葉の捉え方やその対象が共有されていないことが問題なのかもしれない。 そこで、私たちにとって身近であり、目につきやすい「ゆるせない」という感情を冷静に観察し、その言葉がどのような心情を指しているのかを今一度考えてみたいと思うようになった。本号では、「ゆるす」という言葉の周辺にある「ゆるす / ゆるさない/ ゆるせない / ゆるしたい / ゆるされたい」などの感情に焦点を当て、こうした状態とうまく付き合っていくヒントを考えたい。 (目次) ▶︎寄稿 人を「ゆるす」とはどういうことか(臨床心理士・公認心理師:髙田菜美) 独特な謝罪様式のワケ ~日本と世界でどう違う?~(編集部:私道かぴ) ゆるしたい。でも、ゆるせない。(編集部:小西慶信) ▶︎鼎談 プロテスタント×仏教 〜私は人を赦せるのか〜(朔 × 編集部) ▶︎連載 私道かぴの日々人其々 ▶︎企画 ゆるしにまつわるものがたり 読書日和