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2026年10月25日発行 164ページ・2段組/新書サイズ 金はないけど時間はある23歳の桜木花道が主人公です。 冬が始まりそうなある日の夕方、アパートの前で「さる」と呼んでくる見知らぬ6歳児・オースケと出会います。 放っておけずに部屋へ入れてご飯を食べさせ、家まで送り届けてやると、出てきた父親はまさかの流川楓。 翌朝から毎日アパートにやってくる「ちっこい流川」と「おっきい流川」。 止まっていた花道と流川の時間も少しずつ動き出していきます。 ーーーー *この本はサイトで連載して、途中で止まっていたお話に加筆修正をしたものになります。公開していた15話までは現在もWEBで読めます。今回は16話以降を書き下ろし、本にしました。 *期日は未定ですが、全編をWebでも公開します。 *流川に子どもがいるという設定です。気になる方はあらかじめサイトやサンプルで大丈夫そうか確認されてみてください。 *18禁とまでは思いませんが、性的な表現があります。ご自身で判断されてください。 *イベント前後は既刊をゼロにしています。他の本をあわせてご希望の場合は、イベント後在庫が戻った時にぜひお求め下さい。送料が1回で済みます。
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花咲く旅路 一. 薄い水色の空に、重そうな灰色の雲が浮かんでいる。 「あの雲、俺の気持ち」 パチンコの帰り道だった。しばらくはこれっきりと決めて臨んだが散々だった。軍資金は三千円。何日分の食費になっただろう……。 吐く息が白い。寒さで険しい顔をした人たちとすれ違う。目に入った本屋の時計は夕方五時を指していた。仕事帰りの時間だろうか、くたびれた顔もちらほら見える。すれ違いざまに俺を見てくるやつもいる。背の高い俺は人目につくんだろう、頭も赤いし。地毛なんだけどな。そんなに目立つと悪いことはできないね、と昔から言われて来た。母親の顔は知らない(どこかで生きてはいるようだ)、父親は俺が中学の時に病気で死んでしまった。色々と複雑な環境だったがなかなかまっとうな人間に育ったと思う。無職だけど。一昨日クビになったばかりだった。知り合いに紹介された清掃業で、仕事そのものは悪くなかった。ただ、たまに点検に現れる上司の物言いが気に食わなかった。わざと抜き打ちみたいにして現れるのが気に食わなかったし、いつもネチネチやられていた。見た目のこととか仕事の態度とか、椅子に座ってふんぞり返って、毎回毎回グチグチグチグチ。同じところをつねられるような感じだ。会えば会うほど気に食わなくなっていった。気に食わなくて気に食わなくて、気付いたら頭突きをくらわしていた。即クビだった。たまにしか現れないのだからうまいことやればいいのに、と言われた。一方で「胸がすっとした」「恩にきる」と感謝もされた。三週間くらいしかいなかったのに送別会まで開いてくれるそうだ。同僚たちには好かれていたと思う。最初は恐る恐るの様子で年上も同じ歳も敬語で関わって来たけど、すぐにタメ口になって打ち解けた。しまいには年下までもタメ口になった。 「明日からなーにしよっかなあ」 どう考えてもやるべきことは職探しだろうが、どうも俺は仕事が長続きしない。サボりも遅刻も欠勤もしない。働くこと自体は嫌いじゃない。ただもうとにかく指図されるのが我慢ならないのだ。あれしろこれしろ命令されるのが大嫌いなのだ。 唯一我慢できたのは高校時代。バスケが絡むと、どんなに命令されても納得した。反発したことは何度もあったが、その倍の熱量が返ってくるから俺は納得していた。あの頃は、バスケに夢中だったから、うまくなるためなら何でもやった。それに、なんだかんだで俺はバスケに関わるやつらが好きだった。「好きな人間の言うことなら素直に聞くことができんだよ」と言ったら、「それはみんなそうだ」と友人の洋平が言った。「ただ、好きじゃないヤツの命令だけが恐ろしく受け付けないんだ」と言うと、それだってみんなそうだと洋平は笑った。「みんなと同じなのになんで俺だけ違うんだ」と言うと、「お前は大物だからね」とやっぱり洋平は笑った。「無職でも大物ってのはありか」と聞くと、洋平は「ありだな」と頷いた。あいつは俺を甘やかす。 しかし実際、俺もそこまで心配はしていなかった。なんとかなると思っていた。ただ金がないのは、それはちょっと困った。多少の蓄えはあるが、家賃と電気・ガス・水道にとっておかないといけないので、自由に使える金などほとんどないに等しい。 「金はないけど時間があるよー」 歌うくらいしか娯楽のない日々が来そうだ。 *** アパートにつくと、階段脇に子どもが立っていた。髪が真っ黒で色の白い子どもだった。目はキッとあがったりりしい顔つきで、ちょっと目を奪われるような顔立ちだ。襟もとに動物の毛みたいなのがついたあったかそうな上着を着ていて、なんだか俺を見ている。じいっと見られている。 ……誰の子だろう、と考えを巡らせる。 この木造二階建てのアパートには俺を含め全部で十世帯が暮らしている。俺は生まれてからずっとこの家で、全員顔見知りだ。だが、こんな子どもは見たことがない。 親戚の子かなんかかな、首をひねりながら前を通り過ぎようとすると、「さる」と聞こえた。道ばたでサルと聞こえたら普通はなんとも思わないか、どこかにサルがいるのかと探すだろう。だが俺は、サルという悪口を言われていた経験を持つ。脛に傷を持つ俺は、サルと言われたら、悲しいかな自分の悪口を言われたと思うのだった。 「おい、お前、今、サルって言ったか」 子どもは頷いた。 「俺に言ったのか」 また頷いた。 「なんで俺がサルなんだよっ!」 子ども相手に思わず強く出てしまったが、子どもはびくともしなかった。俺みたいなでかい男にこんなに強く出られたら、普通は大人でもひるむ。けれど子どもはもう一度「さる」と言った。今度はちょっと頬を紅潮させて、まるで肝試しをしているようだった。 「なんてガキだ! 親の顔が見てえよ、全く!」 今のは我ながら大人っぽいセリフだった。子どもはまだ俺を見ていたが、これ以上相手にするのがイヤになった。二十三歳がこんな子ども相手にムキになるなんて恥ずかしいことだ。 「おまえ、知らない人間つかまえてサル呼ばわりなんて、そんなこと続けていたらいつかえらい目にあうぞ。相手が俺だから良かったものの……」 言ってて虚しくなるくらい、響いていない顔をしている。目はしっかり俺を見ているんだけど別のことを考えているような顔だ。 「じゃあな、言葉には気をつけるんだぞ、子どもよ……」 決まった。 カンカンと音を立てて階段を上っていると、後ろからタンタンタンと小さな足音が聞こえてきた。振り返るとさっきの子どもが付いてきていた。二階の住人の子どもかなんかだろうか。誰か越してきたのか。でも部屋って空いてたか? 誰か結婚したとか? 隣の朱美さん、再婚したんかな。不思議に思いながらドアに鍵を差し込む。子どもの様子が気になって視線をちらりとやると、すぐそばに立っていた。 わっ、と後ずさる。俺は不意打ちに弱いのだ。 「お前、えっ、なんだよ、ついてくんな」 「……はいりたい」 「え、俺の家に?」 「うん」 「なんでだよ、便所か?」 「ちがう」と首を振る。 「じゃあなんでだよ。知らない奴のうちにあがったらだめじゃないか。危ないぞ」 俺は危なくないけど、一般論だ。知らない大人の家に上がるとかだめだろ。 「……」 黙りこんでしまったのに不安になる。 「なあお前、親はどうした? 近くにいるのか?」 「いないよ」 「じゃあ誰か大人は? 知ってる大人はいるのか?」 「いない」 家出か! こんなに小さいのに? なんて世の中だ! 思わず天を仰ぐ。 子どもはまだ俺を見ていた。ふと、こいつ誰かに似てるなあと思った。遠い昔の、思い出したくもないアイツ。まさかまさか、と頭を振る。それに、そんなことは今はいい。今はこの子どもだ。誰に似ていようが関係ない。とにかくこんな子どもをこんな時間に放ったらかしにはできないだろ。 ピュッと冷たい風が吹いてぶるっと震える。目の前にいるのが急にとてつもなく小さいものに感じた。優しくしてやりたい気持ちになる。謎は山ほどあったが、そんなことは後回しだ。 「よし入れ。俺の家もたいしてあったかくはないけど、外よりはましだろ。お前、名前は?」 「おうすけ」 「オースケか、いい名前だな。俺は桜木花道。桜木お兄さんと呼んだらいい」 少しだけ照れながら言うと、「はなみち!」と言ってきた。あ、そっちで呼ぶんだな。しかも呼び捨て……。まあいい。とにかく俺は中に入れてやった。 二. あったかいかと思って通してはみたが、部屋の中も寒々としていた。暖房器具はコタツ。エアコンもストーブももったいないから使わない。オースケがもの珍しそうにコタツを眺めている。 「入っとけ」 そう言うと、こっくり頷いたが動かない。 「そこに入るんだ」 言われるとオースケは恐る恐るコタツ布団をめくった。腕を入れたりしている。本当に知らないようだ。 「足だ。足。足を突っ込んでみろ」 緊張の面持ちで、足をコタツに入れている。それを見ながら、腰をかがめて電源を入れてやる。 「じわじわあったかくなるからな」と言うと、また頷いた。 「お前、腹減ってるか?」 俺はもうペコペコだった。 「うん」 冷蔵庫を開けると、タマネギと卵がいくつかとわずかの鶏肉があったので、親子丼を作ることにした。貴重な食糧だが一人で食べるほど鬼ではない。台所から部屋を覗いてみると、オースケは垂直の姿勢でコタツに入って俺を見ていた。ドキッとした。この感じ、ずっと昔にもあったな。デジャブウってやつかな。ちょっとすると、あったまってきたんだろう、上着を脱ぎ始めた。紺色のふわふわした暖かそうなセーターを着ていた。なんて言うんだろうな、いいとこの子って感じがした。 「なあおまえ、こんなところで何してたんだよ。友だちの家が近いとかか? 迷子になったんか?」 「まいごじゃない」 これくらいの年の子どもは迷子扱いされるのをいやがるんだよな。ショッピングモールで警備の仕事をした時に、迷子に何度も会ったことがある。迷子かと尋ねると親が迷子だと言い張る子どもがいた。 「できた」 出来上がった親子丼と水の入ったグラスを目の前に置いてやると、俺を見たまま動かない。「食えよ冷めるぞ」と言うと「いただきます」と手を合わせて食べ始めた。 「おいしい!」 その言葉に、「そうだろう」と気を良くする。俺は料理がうまいのだ。 「お前、歳いくつだ?」 顔を上げた。詰め込みすぎてほっぺが膨らんでいる。 「七歳くらいか?」 首を振った。 「六歳か?」と尋ねると「うん」と頷いた。 「保育園とかにいってんのか?」と聞くと、「きりんぐみ」と言った。 「部屋にきりんがいるのか?」 「どあほー」 聞き覚えのある言葉に驚いた。それから再び思い出したくない人間の顔が浮かぶ。 「その言葉はいけねえぞ」 俺のセリフにオースケが目をぱちくりさせる。 「そんな言葉を使ったら、おまえ人間でいられなくなるぞ。その言葉を使い続けたが最後、キツネになった男を俺は知ってる」 オースケは固まったままだ。 「おまえキツネになりたいか?」 「なりたくない」 ふるふると首を振る。 「あと、サルっていうのも言ったらだめだぞ」 これはついでだった。 「おさるさん」 「さん付けしてもだめだ。分かったか? サルって呼ぶのもだめだからな」 人差し指をバッテンに交差させて告げると、オースケは「わかった」と神妙に頷いた。急に素直になった。何が良かったのか、家に入ったからか、腹が満たされたからか。何にしても、素直なのはいいことだ。 「それ食ったら家まで送っていってやる」 オースケがポカンという顔をした。 「帰るだろ?」 「まだいる」 「いやだめだろ」 「まだいる」 そう言って、コタツにぐーっとからだを入れた。 「送ってってやるから」 「いやだ」 「親が心配するだろ?」 「しないよ」 オースケの顔が曇る。それを見て、もしかしてひどい目に遭わされてんのかと考えた。見たところ怪我はなさそうだし、身なりだって、明らかに大人の手が加わってる感じだ。俺よりもよほど裕福そうに見える。でもなあ、見た目だけじゃ分かんねえからな。何があるかわからねえからな。見とかねえとな。 「俺がちゃんと家までついてって、話をつけてやるから」 「まだあそびたい」 なかなかの頑固者だ。 「そりゃ別にお前一人を泊めるのくらい、なんてことはないけど、勝手にそんなことしたらぜってーあとで怒られるからな。誰にも言わないでそんなことしたら、人さらいだとか誘拐だとか言われて、俺、へたしたら牢屋に入れられるかもしれねえ」 俺のセリフをオースケはコタツからちょこんと顔だけ出して聞いている。 「そんで牢屋でケンカに明け暮れてあっという間に牢屋の王様だ。なんせ俺はケンカの達人だからな、俺は強いんだ」 「つよいの?」 「ああ、強い。ケンカじゃ負けなしだ。すげえんだ。だから、あれよあれよという間に牢屋の中の総番長の大元締めになって、そしたら俺一生牢屋から出られなくなるかもしれねえ」 オースケの目が大きくなる。 「俺は一生この家に戻ってこれなくなるかもしれねえ」 まあでも牢屋の方が食いっぱぐれなくてすみそうだ、と頭の片隅でチラッと思った。 「ぼく、かえる」 「帰るか?」 「うん」と言ってコタツから出て、立ち上がった。一生牢屋が効いたようだった。 こいつは、いいやつだと思った。 「また来てもいいぞ」 「ほんと?」 「ああ、お前のこと気に入った。好きなときにうちに来ていい」 そう言うと、パーッと花が咲いたみたいに笑った。それは嬉しそうな顔だった。 「上着を忘れずに着ろよ。家までの道わかるか?」 「わかる」 えらく自信満々に頷いた。 「じゃあ送って行ってやろう」 そう言うと今度は「うん」と元気良く返事をした。 三. 途中まではオースケに先を歩かせて道案内をさせていたけど、角っこでスピードを出したばかなトラックにはねられそうになったし、タバコを手に持って歩くヤツの火がオースケの顔を掠めたりした。このヤロウ気をつけろ、と思わず説教をした。世の中はずい分子どもに危なく出来ているようだ。色々心配だったので、最終的に俺は肩車をすることにした。子どもと言えば肩車だろ。俺が親にしてもらった数少ない「ふれあい」のひとつだ。 「どうだ、俺の肩車は高いだろ」 「うん!」 「そうだろうそうだろう」 俺の親父はたいして背は高くなかったが、それでも子どもの自分に比べたらやはり大きく感じた。肩に乗った途端、世界がぐんと広がったのを覚えている。ああいうちょっとした思い出でも子どもってのは覚えてるもんだ。俺の頭の上で小さな手が動く。なんだか興奮しているようだ。 「おとうさんみたい!」 「お前のとーちゃん、でかいのか?」 「おおきいよ。いちばんおおきいよ」 「そりゃいいな」 ひどい目に遭わされてるんじゃないみたいだ。親父のことをこんな風に言えるくらいだ、慕っているんだろう。俺の心は軽やかになった。 「とーちゃんはどっちにいるんだ?」 「あっち!」と指差す方向に向かう。 それから、こっち、あっち、と向かわされた。コンビニのある角を曲がり、タバコ屋の前を通り過ぎて、郵便ポストをタッチし、緩やかな坂を上る。歩くにつれて俺の頭にはひとつの疑問が浮かびはじめていた。 「なあ、おまえ、ちゃんとした名前はなんて言うんだよ」 「さっきいったよ」 「ちがうちがう。名前ってのは長いだろ。俺は桜木花道だ。花道の前に名前があるんだよ。お前もなんとかオースケっていうんだろ?」 「……うん」 分かったような分かってないような返事が返ってくる。 「なんて言うんだ?」 「るかわ」 心臓がドクンっと音を立てた。 「……お、お前のとーちゃんはなんて名前なんだ」 「るかわかえで」 この辺にいる「るかわかえで」って言ったらもうアイツしかいねえだろ。日本中探したってアレしかいないんじゃねえのか。間違いない、るかわかえでは、俺の知ってるあの流川だ。チクショウ、こいつはアイツの子どもかよ。 「はなみち、あっち!」 オースケが無邪気に指示を出してくる。でももう俺はオースケの案内なしで行けた。行かなくなってずい分経つのに身体はしっかり覚えているもんだな。途中で何度も「ここでな」とオースケと別れたくなった。だけど余りに夜道が暗かった。街灯はあったがそんなのじゃ何の足しにもならないくらい暗く思えた。こんなところに置き去りにすることは、俺にはどうしてもできなかった。 「……お前何歳って言ったっけ」 「ろくさい」 頭が勝手に計算をする、十七か十八、そのあたりか。高校卒業とほぼ同時じゃねえか。心がずきずきと痛む。もしかしたらかぶってるんじゃないか。アイツに子どもができたなんて話、全然聞かなかったし聞かされてなかった。まあ高校卒業した後アイツがどうなったかなんて聞きもしなかったし。みんなも俺には何も言わなかった。 「ついた!」 オースケが叫んだのは、『流川』という表札の出た家の前だった。相変わらずでかい。アイツ、まだこの家に住んでいたんだな。 オースケをおろし、「じゃあな」と別れた。そのつもりだったが、ぐいっと服を引っ張ってきた。 「あそんでって」 「あそばねえよ」 「あそんで」 「あそばねえ! 俺はもう帰るんだっ!」 流川の子どもなんかと遊べるかっ! そう思った途端、オースケが顔を歪めた。やばい、と思ったのと同時に、わーんと声を出して泣いた。 「泣くんじゃねえ」と言っても泣き止まない。子どものあやし方なんかしらねえよ。困ったな。参ったな。しゃがんで頭を撫でたりしてみたが全然だめだった。うわんうわんと泣き続けた。こんなに子どもが泣いてるのに誰も外に出てこねえのか。家には明かりがついているのに誰もいねえのか? 俺が泣かしたのに可哀想で仕方ない。泣き顔見てると俺までつられて泣きたくなってきた。一体全体どうしたらいいか分からない。途方にくれていると「オースケッ」と背後から声がした。振り向くと、見覚えのある影が立っていた。 ついに現れたか。名前を呼ばれて、オースケが泣き止んだ。「おとうさん」と叫んで駆け出した。 四. 実に五年ぶりだった。 流川楓。 同じ高校で同じ部活に入っていた。色々な人間に出会ったが、あんなに思い通りにならなくて憎らしいヤツはいなかった。 「よお」 立ち上がって、一応あいさつをすると、「なんでいるんだ」と言ってきた。ずい分驚いた顔をしていて、それを見て「いい気味だ」と思った。 「そいつが俺の家の前にいたんだよ」 流川がオースケを見る。流川の足にオースケがなんかのぬいぐるみみたいに巻きついている。この懐きっぷり。本当に流川が父親なんだな。 「届けてやったんだ」 流川は何も言わずに俺を見つめ続けた。なんだろな、礼くらい言えねえのかよ。 ……まあそういうヤツだったよな。 流川の家をなんとなしに見てみると人影がちらりと見えた。誰かいるんだろうな。オースケの母親、流川の…… 「んじゃーな」 きびすを返して、来た道を戻ろうとすると、「あそんでって」とオースケの声が聞こえた。まだ言ってやがると少し笑った。 そして俺は振り向かずに走った。とにかく走った。 流川とは十五の時に会った。一目で気に入らないやつだと思った。アイツもだったと思う。俺たちは顔を見れば掴みかかって殴りあっていた。でもそれは強烈に惹かれているということでもあった。 俺たちはある時から二人きりで過ごすことが多くなった。体育館の裏で、部室で、俺の家で。アイツの家に行ったこともあった。俺が誘ったりアイツが目で誘ってきたり。二人きりになって、殴る以外のことをした。キスとか触りあったりとか、そういうのをした。誰にも言っていない、俺らだけの秘密だ。 二人で過ごすうちに嫌いってだけじゃない感情がわいてきた。俺は色んなことを話すようになった。アイツといると何か話したくなった。アイツの目がそうさせた。アイツは俺から色んなことを引き出した。バスケのこと、学校のこと、自分のこと。見たこと聞いたこと感じたもの。俺の身の上も話した。親がいないことや、天涯孤独の身であること。日によって変わる俺の気持ちをアイツはいつも、黙って聞いていた。 でもある日、急にそれはなくなった。三年になって冬の大会が終わった後、アイツが変わった。色んなことがぱったり止まったのだ。俺の家に来なくなった。一緒にいる時間がなくなった。流川が女といたって話をよく聞くようになった。そして俺も実際に見た。黒くて長い髪のすごい美人だった。 要は、心変わりをしたんだ。俺はそれについて特に聞いたりはしなかった。心変わりを責めることもしなかった。そういう立場じゃなかったから。 そう、俺はその時やっと自分たちが恋人じゃないってことに気付いたのだ。俺はそう思ってたけど、俺だけがそう思ってたんだと気付いた。後から知ったけどああいうのを「身体だけの関係」っていうんだ。アイツにとってはたぶん俺はそういうのだったのだ。悔しくて、裏切られたように思って、俺も流川と同じように思うようにした。身体だけの関係だ。 アイツが避けたように俺も避けた。アイツを見ないようにして、他の人間を見ることに専念した。そして卒業して、それ以来会っていなかった。 はあっと息を吐くと、自分が震えているのに気付いた。手も震えている。寒いんじゃなくて動揺してるんだ。 情けねえ、俺ばっかりだ。アイツはとっくに俺なんか忘れて生きていたんだ。分かってたことだけど、改めて思うとけっこうきつい。 子どもまでいた。 子ども! 流川に子どもとか、驚くの通り越して笑っちまう。……相変わらずの鉄仮面だったな。頬の肉が落ちて大人の男みたいになっていた。背も高くなっていたかもしれねえし、体が高校ン時よりもでかくなってた。まだバスケしてんのかもしれねえな。高校の時は着てなかったような大人っぽい服を着ていた。なんかこなれた感じだったな。髪は相変わらずだったか、いや、長さが少し変わっていた気がする。でも目だけは変わらなかった。まっすぐ射抜くような目だった。俺をじっと見てくる目は変わらなかった。 本当にわずかの間にこんなにも目に焼きついている。 なんてヤツだ。 はーっ。ため息をつくだけじゃ足りなくて、その場にしゃがみこんだ。最悪だ。本当に、最悪だ。アイツに会ったのも最悪だったし、アイツに会って動揺しまくっている自分が最悪だ。アイツの子どもをのこのこ家まで運んだってのも、間抜けで最悪だ。全部が最悪だ。 ちくしょう、オースケめ。なんだってアイツ、俺んちの前になんかいたんだよっ! 五. 翌朝、俺は夢を見ていた。目の前に突然現れたちっこい妖精が、「いらねえ」って言ってるのに延々木靴を作る夢だ。 トントントン うるせえなあ、いらねえよ、木の靴なんてはけるわけがねえだろ。 トントントン いらねえって! トントントン 「はなみち」 ハッと目が覚めた。今の声はあいつだ。あのチビすけ。流川ジュニア。 起き上がった途端、頭が痛かった。昨日はあの後、高宮の家に行って浴びるほど酒を飲んだ。「よろしくねえなあ」というアイツのセリフを最後に記憶がない。俺よく戻ってこれたな。立ち上がって、玄関まで行きドアノブをひねるとすぐ開いた。やっぱり鍵を閉めていなかったか。まあうちにはとられる物なんて何もねえや。俺の家で金目のものつったら俺くらいだ。 開けるとやっぱりオースケが立っていた。昨日と同じ上着を着たちっこいのだ。俺を見るなりパーッと嬉しそうな笑顔になる。昨日は俺に泣かされてあんな泣きべそかいてたくせに。子どもってすぐに忘れられるのか。 明るいところで見るとこいつは本当に流川によく似ていた。俺、よくあんなに気付かないでいられたよな。 「なんでまた来てんだよ」と言うと、きょとんとして「きてもいいっていった」と言った。そりゃまあ言ったけどよお、と頭を掻く。言ったのは流川の子どもだって分かる前だ。アイツの子どもだって分かってたら、絶対家にあげたりしなかった。 「お前はもう俺んち来たらだめなんだよ」 「なんで」 なんでって……。なんでだろうか。なんでだめなんだろうか。 「そりゃお前が流川の子どもだからだ」 なんかいやなセリフだな。オースケがじーっと見つめてくる。そうだよなあ、子どもは関係ないよなあ。 「今のはナシだ。っていうかお前、こんな朝っぱらからうちに来て大丈夫かよ」 「おひるだよっ!」と、オースケが破顔した。 「あ?」 「もうおひるだよ!」 「え、今何時だ?」 慌てて家の中の時計を見るととっくに十二時をまわっていた。俺そんなに寝てたのかよ。 「昼かー」 「うん」 さっきよりずい分近くで声がして、見ると足元に立っていた。 「おうちにいれて」 「だーから、だめだって」 「はいりたい」 全身でお願いされて、心がぐらっと揺れる。 「あそびたい」 「……………………ちょっとだけだぞ」 身体をよけると、「うん!」と言って、家の中に入っていった。結局入れている俺だった。 *** オースケは家の中に入った途端コタツに入った。コタツがすっかり気に入ったようだ。父親そっくりだ。アイツもうちに来ていたときは真っ先にコタツに入っていったもんだ。オースケのちんまりとした後ろ姿が哀愁を誘う。おかしいな、哀愁とか、まだこんな子どもなのに。 「家に誰もいねえのかよ」 「おばあちゃんがいるよ」 おばあちゃんってことは流川のお母さんかな。高校の時に何度か会ったことがある。綺麗な人だった。あんな人がお母さんだったらなあと会うたびに思ったもんだ。 「おばさんもいるよ」 「おばさん?」 「おとうさんのおねーさん」 そう言えばアイツは、姉ちゃんがいるって言ってたな。会ったことはねえけど、科学者だかなんだかの変わり者のねーちゃんがいるって聞いたことがある。 「……とーちゃんはいねえのかよ」 「いないよ」 「他には誰もいねえのか?」 ストレートに一番聞きたいことが聞けない俺だった。 「いないよ」と言ってコタツ布団をめくりながら、俺を振り返ってくる。ああ、電気入ってなかったな。しゃがんで電気を入れてやる。 「お前、ちゃんとここに行くって言ってきたのか?」 「うん」 「お前、ここまでよく来れたな」 近いと言っても大人でも歩いて十五分はかかるのに。 「おとうさんときたよ!」 「え?」 「おとうさんときたよ。でもぼくひとりでもこれるよ! はやいよ!」 自慢げに言っているところを「いやいやちょっとまて」と遮る。 「とーちゃん来たのか」 「うん!」 なんだよそれ、子どもだけ寄越して、自分はとんずらか。 「そのとーちゃんはどこ行ったんだよ」 「かいもの。でもあとでくるよ」 「来る?」 「うん」 「なんでだよ」 「あそびに」 「んなわけあるか!」 「ほんとだよ」 遊びに来るってのはオースケの勘違いとしても、来るってのは確かだろうなと思った。自分の子どもだ。迎えに来なけりゃならんだろう。うん。俺と顔を合わせることになっても、それが親の務めだろ。 それから俺は急いで身支度を整えた。アイツが来ると聞いた途端に体が勝手に動き出した。着替えて顔を洗い髭をそる。掃除もした。窓をぜんぶ開けて、コタツからオースケを追い出して一気に掃除機をかける。途中で喉が渇いたというオースケに水を出してやった。水を飲んだあとは俺の周りをちょこまかちょこまか嬉しそうに走り回っていた。掃除をする俺が面白いようで自分もやりたいと何度も言ってきた。あんまりやりたがるから雑巾を持たせると、床をせっせせっせと拭いて回っていた。何がそんなに楽しいのかずっと笑っていた。 しばらくするとカンカンカンと音が聞こえてきた。階段を上がる時のアイツの足音だ。全然変わってないんだな。高校の頃、いつも待っていた音だ。あの足音が聞こえてくると心臓が鳴り始めたもんだ。 コンコンとドアを叩く音がした。俺の家も俺の部屋も、覚えていたんだな。 立ち上がり、ドアを開けると流川が立っていた。一瞬、高校の頃に戻った気がした。流川が俺を見てきて、ぶわっと鳥肌が立った。やばい、なんかやばい。流川の唇が動きかけた時、「おとうさん!」とオースケが駆けて来た。オースケが流川の足に抱きついて、荷物がガサガサと音を立てる。助かった。俺、危なかった。なんか分からんけどやばかった。 「じゃーな」 別れを告げると、オースケがぴたっと固まる。 「いっしょにおひるごはんたべるよ」 「はあ? 食べねえよ」 「たべるよ!」 「たべねえよ」 そもそもうちには、なんもねえし。 「へやのそうじもした!」 う……、まあ、そうだけど、それは別に一緒にご飯を食べるためじゃねえし。 「俺は家を綺麗にするのが趣味なだけで」 「たべるよね」 オースケが必死の様子で流川に尋ねている。流川が頷いて、持っていた袋を持ち上げてみせた。 「昼飯買ってきた」 それ、昼飯だったんか。 「俺と食うのか」 「そー」 そー、じゃねえだろ。なに勝手に決めてんだ。 「冗談じゃねえ。誰がお前なんかと一緒に食べるか」 吐き捨てると、オースケの体がびくっとなった。おっと、やべえ。こいつけっこう繊細なんだった。 「オースケや。家帰ってとーちゃんと食べろ。な?」 オースケがぶんぶんと首を横に振る。解せぬ。なんでそんなに俺と食べたいんだ。 「お前もなんか言えよ」 お前の子どもだろうが、と流川を見ると、流川は「一緒に食べる」とオースケと寸分違わぬ様子で言ってきた。
