『ほん』になりたかった子ども
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サイズ:文庫(A6) ページ数:104 発行日:2026/3/8 ジャンル:日記、エッセイ ---------------------------------- あなたが子どもだった頃、なりたいものはあっただろうか。私はあの頃『ほん』になりたかった――。そんな振り返りから始まるエッセイ集。 子ども時代を振り返ったり、自分を10文字で表してみたり。そうして書き上げたエッセイたちは、まるで作者の自己紹介のよう。文字通り、名刺代わりの一冊である。 「『ほん』になりたい子どもだった」 「ドラッグストアという小さな遊園地」 「万里の長城大血栓」 「目指せ、親愛なるバカヤロー」 「書ける人になりたいのだ」 …etc ---------------------------------- (『ほん』になりたい子どもだった) あなたは『あい』という二文字を見たら、まず初めに何を思い出すんだろう。私はね、やっぱりあの、有名な言葉かな。「日本人が学校で最初に学ぶのは、あいの二文字。五十音の初めが『あ・い・う・え・お』だから~』という話。誰が言い出したのか知らないけれど、日本語の妙と、偶然の美しさが生んだもののようで、なんだか心に残っている。どんな子も最初に学ぶのが『あい』なんだって。その言葉自体が、なんかもう、愛そのものじゃないか。子どもに対する祈りだとか、慈愛だとかに満ちている。己が大人になった今でも、夢見るように、そうあれと胸の奥底で願っている。国語教育の根底に根ざしている概念だと思う。 そんな私が、初めて自分で選んだ二文字のことは、今でもよく覚えている。あれはまだ私が四、五歳の幼稚園児で。書初めをすることになったから、おそらく年が明けて間もない頃だろう。先生に、「自分の夢」を書きなさいと言われた。なんでもいいから自分で決めなさい、という言葉が重くて戸惑っていたけれど、誰も代わりに決めてくれない。幼い頃の私は、今以上に物事を決めるのが苦手だった。私はしばらく迷った挙句、真っ白な自分の習字紙に『ほん』と書くことを選んだ。そうと決まれば優柔不断が嘘みたいに開き直って、紙一面にでかでかと二文字を塗り付けた。習字の墨の甘い香りが教室一杯ひろがっていた。 次に先生は、順番に生徒達に聞いていく。「それじゃあ皆、どうしてその言葉を選んだのか教えて」それに私は……一体何と答えたのだっけ。上手く答えられたかどうかは記憶にない。けれど先生はおそらく勝手に納得したのだろう。なにせ私は物心がついた時から『ほん』のとりこだった。おともだちが庭で元気にかくれんぼや鬼ごっこをしている時も、朝の準備を終えた後も、お布団に入る前も、私はずーっと『ほん』と共に在り、『ほん』を見つめていた。もちろんそれ以外の全てが嫌いだったわけではない。誘われたらおともだちと、ままごとだってしりとりだってした。それでも、最も長くともに時間を過ごしたおともだちは『ほん』だった。だから自分の中でも何となくはまとまっていたのだ。私の夢は――『ほん』になることです。そこに違和感なんてひとつもなかった。おともだちが「ケーキやさん」「やきゅうせんしゅ」と好きなもの、なりたいものの名前を挙げるように、私は憧れの対象に『ほん』を選んだ。 それから、あの頃の何倍もの歳月を経て、現在。相変わらず私は“将来の夢”という問いにうまく答えられない。けれど最近になって、こう思うようになった。『ほん』って、やっぱり良い夢だったな、と。周りの出来事や、大切な人の表情や声をよく見て、考えて、感じて、そのすべてを自分の内側に静かに綴じておく。誰かが必要としてくれたとき、そっと“読まれる”存在でいられたらいい。暇つぶしでもいいし、ほんの少し心に触れるだけでもいい。そんなふうに誰かの役に立てるなんて、まるで夢のようだ。 さすがにもう、私が本物の『ほん』になることは難しいというのは理解している。それでも、こうして日々書き残している言葉たちが、巡り巡って誰かの手に届くのなら、それはきっと——幼い日の夢であった『ほん』に、わずかでも触れられた瞬間のような気がする。






