パンク日和
Physical (worldwide shipping)
- Ships within 2 daysPhysical (direct)1,500 JPY
Physical (ship to Japan)
- Ships within 2 daysPhysical (direct)1,500 JPY






ニューヨーク・パンクからサイバー・パンク、フーダニット・パンク(新本格)、英一蝶の元禄パンクから、北斎、国芳、鶴屋南北の文化文政パンク、亜欧堂田善の幕末パンクに、芳年、清親の明治パンク、ジャクレーの新版画パンクに、花組芝居、斜線堂有紀、酉島伝法などの現代パンクから、SWAの新作落語パンク、BiSH、櫻坂46のアイドル・パンク、さらにはボールペンやトースターのパンクまで、裏路地にそっと花咲く個人と街のエンターテインメントを横断したコラムの断片集。画像で目次を公開しています。 「パンク日和」 A Fine Day To Go Punk! B6版 128ページ。
パンク日和 1 サイバーパンクは、何故「パンク」だったのか
SFマガジンの1986年11月号「特集サイバーパンク!」は、多分、日本では最初期の、大々的に「サイバーパンク」を紹介した雑誌になると思う。その前号にはブルース・スターリングがSFマガジンのために書き下ろした短編小説「江戸の花」が掲載されている。ウィリアム・ギブスン「ニューロマンサー」がアメリカで刊行されたのが84年、ハヤカワ文庫で黒丸尚翻訳の日本語版が出たのが86年7月だから、正に、「サイバーパンク」が日本にやってきた、そのリアルタイムの記録だったりする。もちろん目玉はギブスンの新作短編「記憶屋ジョニー」の収録だったと思うけれど、改めて読み返した時、ちょっと驚いたのが、ルーディ・ラッカーによる「サイバー・パンクってなんだろう?」というエッセイだ。 「ひとことでいえば、サイバーパンクとは、ウィリアム・ギブスンの小説を表すために、ガードナー・ドゾアが造りだした造語である」 冒頭に書かれているこれが、まず文学史上の〝サイバーパンク〟という言葉の正しい語意だろう。それは、キング・クリムゾンの『クリムゾンキングの宮殿』を評するためにプログレッシヴ・ロックという言葉が生まれたり、綾辻行人『十角館の殺人』を売り出すために講談社の宇山日出臣によって新本格という言葉が作られたのと同じようなものだ。ただ、それらの言葉が、どれも、当初の思惑を超えてムーヴメント(というには「新本格」は小さかったりもするけど)になり、言葉が独立して別の意味を持ってしまうというのは、ありがちではある。 でも、「サイバーパンク」は「パンク」だったはずなのだ。新本格を法月綸太郎が「フーダニット・パンク」と言い直したように、重要なのは、言葉のイメージではなく、登場した時に、それぞれの作家が志した「パンク」の部分だ。だから、プログレッシヴ・ロックはのちにパンク・ロックに否定されることになる(その上で、ニュー・ウェイヴと融合したりもする)。 「パンクのほんとうの魅力は、南部の無教育な白人労働者だけでなく、ばかなヒッピーからもきらわれる、というところにある。(中略)パンクのいいところは、ぼくらみんなに、手前勝手な仮定と態度を問い返すところにある。」 と、ラッカーは書く。「サイバーパンク」とは何か? を問う文章の中で、サイバーより、まずパンクとは? を問う。そして、サイバーは、「サイバネティックス」、ノーバート・ウィナーの著書のタイトルなのだと続ける。つまりは、情報の量と速さだと。それは、パンク・ロック・ムーヴメントを経験した作家たちには当たり前の感覚だったと思う。だって、パンク・ロックはとにかく1曲が短く、性急だったから。ワイヤーの『ピンク・フラッグ』が何故、あんなに衝撃的だったかというと、アルバム一枚に21曲が詰め込まれていたからだ。 初期のサイバー・パンクSFに短編小説の名作が多いのも、そういう事情なのではないかと思う。このサイバーパンク特集のSFマガジンには、ブルース・スターリングと共にサイバーパンクをムーヴメントへと押し上げ、のちにそこから離れて、ロックSFの金字塔『グリンプス』を書くことになるルイス・シャイナーの短編「ジェフ・ベック」が収録されている。ジェフ・ベックのようにギターを弾きたいと願った男が、彼のようにギターを弾けるようになってしまう物語。まさに「サイバネティックス」なストーリーなのだけど、ここに現在のイメージとしての「サイバー感」は無い。でも、これが始まりの頃の「サイバー・パンク」の本流なのだ。ブルース・スターリングも、この頃、ギブスン『ニューロマンサー』と、グレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』をサイバーパンクの両端と表現している。つまり、『ブラッド・ミュージック』もまた、サイバーパンクの代表なのだが、今、サイバーパンクと言った時、この作品を挙げるのはガチめのSFファンだけだったり。 でも、『ブラッド・ミュージック』も『ニューロマンサー』も、それこそ「ジェフ・ベック」も「江戸の花」も、間違いなくそれ以前のSFとは違う共通するモノがある。それは、どれも「個」の物語であり、街の物語だということ。サイバーパンクのイメージを誤った方向に固定化させてしまった、映画「ブレードランナー」と、その原作のディック『電気羊はアンドロイドの夢を見るか』にしても、実は、そのSFSFしたイメージの裏側に、個人と街の物語があって、そこに最新技術や未来の技術が絡んでくる。『ニューロマンサー』が意識的にハードボイルド・ミステリの体裁で書かれたのも、ベアがサイバーパンクを「ニューロマンティック」と言い換えたのも、それが、巨大化したSFという物語を、「個人と街」に取り戻そうとしたからではないかと思うのだ。だからこそ、そこに「パンク」という言葉がくっついた。街と個人を繋ぐのは表通りじゃないから、ぼくたちは裏路地で踊る。






