【フラット】恒久メソトロジィ
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■2019/11/30の【COMIC CITY SPARK14-day3】で頒布した、フラットくん中心のエルメロイ教室本です。 ■「恒久メソトロジィ」B6/52P ■Ⅱ世・グレイ・ライネス・スヴィン・カウレス・フラットの「夢」の話、ライネスちゃんとⅡ世の「箒」の話、フラット・スヴィン・Ⅱ世の「オーケストラに行く」話の計3話です。 ■サンプルは「オーケストラに行く話」です。
恒久メソトロジィ
ポーランドでは、セルニック。 ベイクド、スフレ、レアに大別。 行ってみたいさ、ニューヨーク。 紀元前から、こんにちは。 チーズケーキは、古代オリンピックでも、アスリートに振る舞われていたらしい。 俺はポーランドのポドハレ地方の出身ではない(モナコ出身だ)し、〈山の民〉と呼ばれる〈グラル人〉でもない。それでも、ベイクドチーズケーキの起源になる、〈トゥファルク〉を使用したチーズケーキ〈セルニック〉を作ってくれたスラヴ系の人達に感謝したい。美味しいもんね、と口をもぐもぐさせたら、すぐ横で青い瞳が嫌そうにした。ル・シアンくんの目は俺の手にしている二つの山をじろりと睨む。「食べる?」 ひょい、と右手を差し出したら、ふるふると前髪が震えた。エルメロイ教室の双璧と呼ばれる片方(もう片方は俺!)はがぶり、とブルーの塊にかぶりついた。俺とそっくりに口をもぐもぐと動かして、ごくりと飲み込む。「……いらない。お前はいつでもチーズケーキのアイスクリームだから、見てて、ちょっとうんざりした」わりと失敬というのか、それとも事実の指摘というのだか分からなかったけれど、細めた光彩は嘘をついていない。 そうだったかなあ、と適当にごまかしながら、味のしっかりしたレアチーズケーキみたいな塊を口にする。大人しくアプリコットアーモンドチーズケーキのアイスクリームを堪能していたら、「……はあ」とル・シアンくんは大仰に溜息だ。彼は呆れた風だけれど、俺は誓って主張してみよう。なぜって、ル・シアンくんはル・シアンくんで、いつもチョコレートミントとクリームソーダのアイスクリームだったから。 特に指摘はせずに、じっと彼の手元を見つめる。俺の視線の意味を合点したらしい彼は、バツの悪そうな顔をした。ふふふ、となんとはなしににやにやしてしまう。「青は気持ちが引き締まる」だなんて、おかしな言い訳をしなくてもいいのに。まあ、ル・シアンくんは青が好きみたいだけれど。「クールだから」との発言。でもちょっとだけ、いつしか真っ赤になりそうな〈獣性魔術〉への抵抗なのかなあ、とフラット・エスカルドスは考えていた。 俺の右手には、アプリコットアーモンドチーズケーキと、ストロベリーチーズケーキのダブルがワッフルコーンからはみ出しそう。ル・シアンくんの左手には、チョコレートミントとクリームソーダみたいな水色にバニラが渦を巻くダブル。「利き手は空けておけよ」といつだったか諭されたけれど、「俺は両利きだよ」とひらひらと手を上げて答えたら、今にも舌打ちしそうな口があった。いつでも武器を取れるようにだろうか、と首を傾げる。 ル・シアンくんは古風だね、ちょっと昔の西部劇みたい、と褒めたら、「エルメロイ教室の生徒として、現代魔術科の模範となれるよう」だの、「敵はいつ何時現れるか分からない」だのと台詞が続く。現代魔術科は時計塔における落ちこぼれの吹き溜まりだし、敵って誰? という感想は胸に仕舞った。〈落ちこぼれの吹き溜まり〉であっても、俺はエルメロイ教室が好きだったし、実際に教室の〈ニューエイジ〉はわりと優秀なんだ。 ル・シアンくんは真面目だね、とぽつり。どこにいるのだか、存在するのだかも不確かな(多分いない)敵を警戒していて疲れないのだろうか。「ル・シアンくんは昔から変わらないよね」呆れ半分感嘆半分で言葉にする。「は? 昔っていつだ」と問われたので、素直に返答した。「十歳ぐらいの時」む、と苦そうな顔は余計に苦そうになった。とんでもなく目を細めた光彩が青くて、手元のアイスクリームとそっくりだった。 ◇ 時計塔で、現代魔術科のエルメロイ教室に入れてもらったばかりの頃だから、あれは、俺もル・シアンくんも十歳ぐらいの時だったと思う。教授が唐突に「オーケストラコンサートに行く」と宣言した。情緒を育てねばこいつらはどうなるか分からん、とかなんとか、ぶつぶつと呪文を唱えるロード・エルメロイⅡ世。俺もル・シアンくんもぽかんとしたけれど、二つ返事で了解した。俺達は、教授と一緒にいるのが好きだったから。 「服装は、フラットは長いズボンを履け。後は二人とも普段通りでいい」 そう注意してくれる教授の情緒は、ゲームソフトで育てられているのかもしれない。ああでも、教授が俺達と同じくらいの歳だった頃は、〈ベルベット家〉ですくすくと育てられていたのかも。なぜって、教授は育ちがいいというかお坊ちゃんというか、〈大事に育てられた〉感じがするから。ロード・エルメロイⅡ世となった〈ヴェイバー・ベルベット〉は、どんな少年だったんだろう、とたまに想像してみる。 「わっかりました、教授!」 ばあっ、と右腕を天井に刺さりそうに上げる。にこにこして了承の返答をすると、教授はとてつもなく苦そうに溜息した。昔から、教授とル・シアンくんの苦そうな顔はとても似ていると思う。フラット・エスカルドスに対して苦笑や呆れた表情をする魔術師は数えられないほどいるけれど、心底うんざりした顔をするのはこの二人だった。もしや表情筋の使い方が似ているのかも、とじっくり観察していた時期もある。 「理解したのなら、それは重畳」 教授は比較的難しい言葉を使う時がある。それは相手の年齢とは無関係らしく、エルメロイ教室の十歳の新入りでも、時計塔で高齢に分類される重鎮でも変化はない。もちろん意味を問えば、教授は易しい言葉に変えてくれるけれど。〈チョージョー〉、〈チョージョー〉と俺は頭の中で教授の発した音を繰り返す。〈オッケー〉ということなんだろうけれど、よく分からないので後で調べよう。ふむふむ、と脳内のデータベースに仕舞っておく。 コンサートはどこに行くんだろう。バービカンセンター、ロイヤル・フェスティバル・ホール、ロイヤル・アルバート・ホール、カドガン・ホールあたりかなあ、と予想していたら、エルメロイ家が出資している小劇場だった。二階のボックス席にライネスちゃんの姿が見えたので、ぶんぶんと大きく手を振る。まあ落ち着きたまえ、と言わんばかりの目線とひらひらとした指先が返された。〈エルメロイ教室の姫様〉は今日もご機嫌そうだ。 「……おい、ズボンをロールアップにするな。長いのって言われただろう」 一階席の中央、ホールのちょうどまん真ん中あたりの席に座り、足元をくるくるとさせていたら、ル・シアンくんに睨まれた。「ちゃんと長いのを履いてきたよ。もう着席したから、ここにいる間は少し短くてもいいでしょ。皆気づかないと思う。帰りには元に戻すよ」ル・シアンくんはお決まりの苦い表情で隣にいる。「……そうじゃない。コンサートでの約束ごとも先生は教えてくれている。それを守れ、と言っている」 俺は右隣の教授をじっ、と見上げた。目を細めるダークグレーのスーツ姿はむっとしていて、無言で俺を見返してくる。教授の〈約束ごと〉の意図は分かる。ル・シアンくんの注意も分かる。でも、フラット・エスカルドスとしては。「あの、教授、俺きちっとした格好だと落ち着かなくて。席を立つ時には戻しますんで、この席にいる間だけ、この裾のままじゃあ、ダメですか?」ホールの座席と座席の前後は、わりとゆったりめで広いけれど。 「……私とスヴィンの間の席で、観客には見えんだろう。了解した」 う、と低い声で唸るル・シアンくんが、「先生はフラットに甘い……。いくら今日は襟のボタンをはめているからって……」とぶつぶつ言っている。「落ち着かないってなんだ。サイズが合ってないのか?」と不可解そう。「サイズは合ってる。なんていうか、足首を動かし辛いと、走り出せなさそうで、逃げ出せなさそう」「は?」怪訝そうな青い目が俺を凝視した。ル・シアンくんは多分、家で命からがら走ったことがないのかも。足速いもんね。 教授は俺が大人しく指定された席に座っていること自体が〈重畳〉(満足、という意味だった)と考えているのか、それ以上は口を挟まなかった。ロード・エルメロイⅡ世は口うるさいイメージがあるけれど、むしろ柔軟だ。一定のラインまでは自由にさせてくれるので、ルールに縛られるのが嬉しくない生徒(俺とか!)には好評だと思う。教授が叫び出すのは、線を大きく踏み越えた瞬間だから、そこだけ気をつけていたらいいんだ。 本当であれば、俺はこのホールのロビーにいたかった。ピカピカの飴色の床。ライトブラウンと柔らかいベージュの壁。濃い茶色のソファに埋もれてモーツァルトが流れたら、あっという間に熟睡してしまうかも。カフェレストランが併設されていて、ドリンクを注文できるのもいい。真夏であればシュワッとサイダー、真冬であればポカポカのミルクティーを。春と秋なら、どっちでもいいかなあ、なんて考える。 俺が指定席へと真っ直ぐにやってきたのは、チケットを用意してくれたのが教授だったから。エルメロイ家が出資しているコンサートだから、ひょっとしたら、ライネスちゃんあたりに融通してもらったかもしれない。そうでなくても、ネット予約で取ってくれたのかも。どちらにせよ、それに穴を開けるのは気が進まなかった。カフェレストランのソファを堪能するのはまた今度、とうんうんと頷いた。 美しく磨かれたライトブラウンの舞台では、飴色の楽器達が流麗に音を鳴らしている。もちろん演奏しているのはアーティスト達なのだけれど、半分くらいは楽器達が主役でもいいんじゃないのかなあ、と考える。一部と二部の休憩の時に、「今日の演奏家の人達はわりと効率がいいね」と感心していたら、ル・シアンくんが「は?」とさっきみたいな顔をしていた。合点がいかない、といった雰囲気だ。 「ほら、楽器と演奏のテクニックを〈音楽〉のパーツとして上手く使ってるでしょう。魔術だったら、回路がスムーズに廻っている感じかな」 ロビーに出て所感を述べる。ル・シアンくんは先刻と同じ表情のままに、教授を見やった。「先生……」「最初から効果が出るとも、速効性があるとも考えていない。まあ、こんなものだろう」どうして二人は軽い絶望と軽い諦めの顔をしているんだろうか。「いい演奏だっただろ……。なんで響かない……?」とル・シアンくんはひたすらに不可解そうだ。カフェレストランに並ぼうとしたら、すでにテーブルに座っていたライネスちゃんに手招きされた。 俺はというと、小劇場に面した舗道に出ているアイスクリームの店を見ていた。日除けの屋根はクリーム色と青。十種類のアイスクリームが並んでいるのが、遠目でも伺える。美味しそう、と小さく呟いたら、「時間ないぞ」と店の前の列数を見て言われた。どうぞ、と紙コップを差し出してくれるトリムマウちゃんからカフェラテを受け取る。喉を潤したら、ちょっとだけ気分が落ち着いた。目はずっと、アイスクリーム店の日除けを追ってしまったけれど。 第二部でも、演奏家達はわりと効率がいい。「ひょっとして魔術師?」とぽつりと洩らしたら、「そんな訳ないだろ」なんて返された。それもそうだった。魔術師は効率の悪い人が多いんだよね、と俺は思う。そうそう、だったら舞台の上のアーティスト達は魔術師じゃあない。魔術師でもぜんぜん構わないけれど、と目を閉じる。伏せたまぶたに映るのは、アイスクリームのフレーバーだった。コンサートが終わった時間でも買えるかなあ、と夢を見る。 ストロベリーにバニラ、オレンジシャーベットにチョコレート。モカやキャラメルの入ったのもいいよね、と考える。甘くてひんやりした味と食感を想像してはワクワクする。胸の中から期待が溢れて、こふこふと流れてしまいそうだ。かくん、と体が傾くのが分かる。バシッ、と左隣から平手が飛んできた気もするけれど、俺は幸せに眠かったから。すやすやと、すやすやと、効率のいい流れる音に身を任せた。 ◇ 「ああもう信じられないだろ! なんで寝てるんだお前は! 叩いても起きないし!」 「いやあ、気持ちよくなっちゃって……。あと昨夜、時計塔の法政科の会議をハッキングしてて眠かったから……」 「はあ!?」 ル・シアンくんは歩きながら目をとんでもなく三角にしている。呆れ声と怒号が混ざって、じわりと〈獣性魔術〉が浮かび上がりそう。教授は「ハッキング」のところで眉根をぴくりとさせたけれど、「安眠効果はある演奏だった、ということか……」と遠い目をした。安眠効果かあ、と首を傾げる。軽快なサウンドに乗って、カラフルなアイスクリームのフレーバーがぽんぽん飛び回る夢だった気がするんだけれど。 そうだ、アイスクリームだった、とロビーを走り出す。コンサートホールの入口に面する舗道は赤い煉瓦が敷き詰められて、その上に、店はちょこんと日除けを開いたままだ。ばっ、と歩幅を大きく踏み出したら、裾がロールアップのままなことに気づく。フラット・エスカルドスは〈約束ごと〉を守れなかった。ああ、ごめんなさい、教授。ごめん、ル・シアンくん。でも、俺がロールアップにしていてもいなくても、効率のいいオーケストラだったと思うよ。 「アイスクリームください! ダブルで!」 転げるように日除けの真下へと駆け込んで、大声で叫ぶ。ベージュとブルーの日除けはふるふると揺れた。どれにしようかなあ、と眼下のアイスクリームボックスを覗き込む。バニラに、ストロベリーに、チョコレートに、と端から美味の結晶みたいな冷菓にワクワクした。アプリコットアーモンドチーズケーキとストロベリーチーズケーキを選んで、にこにことワッフルコーンに収まるのを待つ。と、俺はパタパタと腰の辺りをはたいてしまった。 「ル・シアンくん、小銭貸して……」 財布を忘れてしまった。というか、俺は財布を持ち歩いていない。普段は紙幣をクリップで留めていて、コインと一緒にズボンのポケットに入れている。今日はあまり履かないズボンだったから、裾の長さばかり気にして、入れ替えるのを忘れてしまった。背後を振り向いて頼めば、うんざりした顔は思ったより近くでアイスクリームボックスを覗いていた。はああ、と溜息して、その手は俺のものではない財布に伸ばされる。その瞬間だった。 「……アイスクリームをダブルで二つ。スヴィンも選べ」 いくらなのだかよく分からなかったのか、低い声の持ち主は紙幣を渡していた。教授から〈アイスクリーム〉という言葉が発せられたのに驚いたのか、ル・シアンくんはぽかんとしている。数秒後にしきりに恐縮して礼を言い、「お前のせいだぞ」とこずかれる。俺は、なんだか効率のいいなにかを目にしている気分だった。じわりじわり、と胸の奥へと見知らぬものが広がっていく。喉を通って胃の中へと、ホットミルクティーが流れていくような。 どうしてだか心が高鳴る。さっきのオーケストラの演奏家達の奏でるメロディーが、効率的だと感じた時みたいに。ぱくり、とアプリコットアーモンドチーズケーキにかぶりつく。魂みたいな塊は甘くて、とても冷たい。だのに、俺のお腹の中にはポカポカとした熱が蓄積されていくみたいだ。魔術が掛かってる? とワッフルコーンを持ち上げたり、くるくると回して左右から覗いてみたりした。はてさて、と摩訶不思議はロンドンでは果てしない。 ル・シアンくんはチョコレートミントとクリームソーダを選んだ。赤い煉瓦を颯爽と進んでいく、ライネスちゃんが手を振る。馬車に乗り込んだ主人の後に従っていたトリムマウちゃんがふわりと華麗にカーテンシーして、二人を乗せた車輪は動き出す。目を細めて〈エルメロイ教室の姫様〉を見送った教授も歩き出した。「……行くぞ」すたすたと進んでいく背中を追って、俺もル・シアンくんも動き出す。右手と左手にアイスクリームを手にしたまま。 甘くて冷たい、魔法を一つ。 いただきます、と弟子なら二人。 空っぽの手も、振りながら。 お腹の中では、魔術が弾けた。 (オーケストラコンサートとアイスクリームで情緒は育てられる、と俺は知ったんだ)