となりで、ただ生きてくれたらよかっただけ
- Digital500 JPY

このZINEは、 過去のわたしと、かつて若かったあの頃の夫婦。 そして── これから誰かと“家族をつくっていく”あなたへ向けた、 静かな手紙のような一冊です。 うまく言えなかったこと。 どう伝えたらいいかわからなかった気持ち。 そして、気づいてほしかったこと。 あの頃のわたしたちのように、 迷いながらも誰かを想おうとしている人たちに、 この言葉が、やさしく届きますように。
第1章 我慢してたのは私だけじゃなかった
──家族の中で父が“いなくなる”前に届けたいこと 「父親が家庭の蚊帳の外にいるのは、いつから当たり前になったんだろう?」 妊娠、出産、子育て ──“任せるよ”の一言で、気づかないうちに輪から外れていく人たち。 でも私は、ずっと思ってました。 あなたのこと、最初から“当事者”だと思ってたよ。 責めたいわけじゃなくて、信じてるからこそ伝えたい。 家族の輪に戻る道は、ちゃんとあるよ──って。 不思議といろんな家族の姿が思い浮かんできました。 自分のことだけじゃない、まわりの多くの人が「何かを飲み込んで」生きてる。 そしてその中には、 **「蚊帳の外に置かれていくお父さんたち」**の姿もありました。 飲み会の日、 パパが出かけると、子どもたちは「いえーい!」って手を振って見送る。 ママもニコニコして、「たまには楽しんできなよ」と明るく言う。 でも──パパだけが、少しだけ寂しそうな顔をしていた。 きっと本人も、理由は分かっていない。 でも、その一瞬に流れていた空気は、 「いない方が気楽」っていう、無言のメッセージだった。 家族の中で、父親が“いなくなる”現象 妊娠・出産・月経・育児。 どれも「母の世界」になってしまっている。 だからこそ、「手伝ってくれてありがとう」っていう言葉さえ、 時には“距離”になってしまう。 「任せるよ」の一言で、 お父さんたちは、無自覚に“部外者”になってしまう。 気づいたときには、 子どもとママの関係が主軸になっていて、 自分の居場所が見つけられなくなっていた。 私は、そういう家族をたくさん見てきた。 そして、自分自身もそこにいた。 ラブラブな家族は幻想?──いいえ、現実にある でも、ほんのわずか── 年を重ねてもラブラブで、子どもからも本気で尊敬されている家族も、確かに存在している。 その家族に共通していたのは、 お父さんが「父親になる」ための勇気を出したということ。 妊娠も、生理も、出産も。 「わからないから任せる」じゃなくて、 「わからないけど、知りたいから一緒にいさせて」っていう姿勢。 理解しきれなくても、孤独にしないことはできる。 そのまなざしが、時間をかけて家族の土台をつくっていく。 ……そんなことを考えていたとき、 ふとミキティこと藤本美貴さんの家族のことを思い出しました。 庄司さんが育児を「手伝う」のではなく「一緒にやる」のが当たり前。 それを“ありがたい”ではなく“当然”として受け止めるミキティ。 彼女が「任せられる人」としてパートナーを信頼しているから、 庄司さんも“父親”として自然に振る舞えている。 ラブラブな家族は、奇跡じゃなくて“選択”の積み重ね。 特別なことはしていない。ただ、「他人事にしなかった」だけ。 そうやって築かれた関係性は、10年後も20年後も続いている。 まだ遅くない──輪の中に戻る方法 もし今これを読んでるあなたが、 「自分はもう蚊帳の外かも」って思っているなら── まだ間に合います。 「何をすればいいかわからない」って、そのまま伝えてくれていい。 それが、家族との会話のはじまりになる。 妊娠出産は病気じゃないって言うのもうやめよう 妻の産後のことを聞いてみる 生理って、どうしんどいのかを教えてもらう 子どもに「お父さんと、もっとどう過ごしたい?」って聞いてみる 大切なのは、“答えを出す”ことじゃなくて、 「関わりたい」という気持ちを差し出すこと。 それだけで、家族の輪の中に戻る扉は、静かに開きます。 あなたのこと、最初から当事者だと思ってたよ これは、誰かを責めたいから書いた記事じゃありません。 ただ、私自身が「我慢する側」にいて、 「諦めたらラクかも」と思って後悔したから。 でも本当は、信じたいんです。 あなたも、最初から家族の輪の中にいたかったんだよね? あなたのこと、最初から“当事者”だと思ってたよ。
第2章 生理は血が出るだけじゃない
時代が変わったと思った・・・ この前、子どもの修学旅行の説明会で、ちょっとした驚きがありました。 男性の学年主任の先生が、保護者や生徒の前でごく自然にこう言ったんです。 「生理中でも川下りは安心して参加できます。ナプキンをつけたうえでウェットスーツを着るので大丈夫ですよ。」 私はその言葉に、静かに感動しました。 「ああ、ちゃんと時代が変わってきてるんだ」って。 だって、昔ならこんなふうに、 男性の先生が“生理”に触れるなんて考えられなかったから。 でも、まだ届いてない場所がある そんなふうに話せる大人が増えてきたのは本当に嬉しいこと。 でも一方で、 こんな会話や反応が、まだ学校でもSNSでも当たり前に見られるのも事実です。 「また見学? いいな〜ズルじゃん」 「あいつ最近ずっと不機嫌じゃね?」 「あー女子だけ集められてる、生理の話だろ」 「生理って休めてラッキーだよな」 たぶん、悪気はないんです。 でも、“知らない”って、それだけで誰かを傷つけることがある。 生理って、身体の中でこんなことが起きてる まず伝えたいのは、 生理=ただ血が出るだけじゃないってこと。 もっと正確に言うと── 赤ちゃんを迎える準備のために厚くなった子宮内膜(やわらかいベッドみたいなもの)が、必要なくなって剥がれ落ちてくる──それが生理の血です。 この“剥がれる”という変化が、 実は体の中でかなり大きな負担を生んでいます。 筋肉が縮んだり、血管が収縮したりして、 ・お腹の痛み(生理痛) ・頭痛や腰痛 ・吐き気、寒気、だるさ 人によって症状も強さも全然違うけど、 それでも**「ふつうに過ごすこと」を求められるのが、毎月の現実**です。 心も、ホルモンに支配される 生理のつらさは、体だけじゃない。 ホルモンの影響で、 ・意味もなくイライラしたり ・ささいなことで悲しくなったり ・自分で感情が制御できなくなることもあります。 本人だって「なんでこんなに不安定なんだろう」って苦しくなるくらい。 でも、それを外に出すと「面倒なやつ」って思われるのが怖くて、隠してる子も多い。 これは、 子どもの前で言葉に詰まった元夫と、 なにも言えなかった過去の自分に、 そっと渡したい手紙でもあります。 生理のこと。 痛みのこと。 説明のむずかしさと、言葉にする怖さ。 でも、これを“知っている大人”が増えたら、 きっと少しずつ、世界はやさしくなるって信じてます。 不機嫌な子がいたら、「そういう日なのかも」と想像できる。 ナプキンの話題でふざける子を見て、笑わない。 たったそれだけのことで、 「この人は信じていい人だ」って思われる。 「理解できないこと」を否定せずに、 「知らないけど、知ろうとする人」は、ものすごく信頼されます。 未来のあなたへ いつか、あなたが誰かのパートナーになったとき。 「妊娠がわかった」と言われたとき。 「出産がつらかった」と涙をこぼされたとき。 そのとき、 「何ができるかわからないけど、知りたいんだ」って言える人でいてください。 それだけで、 あなたは“最初から一緒にいられる人”になれます。
第3章 パートナーの心と体を理解しよう
「生理って、血が出るだけじゃないんだよ」 その“もう少し先”の話を届けたいと思います。 あなたが「未来のパパ」になるかもしれないなら。 もしかしたら、もっと大切な場面で“支える言葉”が必要になるから。 私の元夫は、いわゆる典型的な「昭和の男」でした。 真面目で、責任感があって、家族のために頑張っていた人。 だけど、その頑張りはどこかズレていて、気づけば、私たちはお互いの心が届かない距離にいました。 彼は“正解”を探していたのだと思います。 何が正しいのか、どうすれば妻が満足するのか。 でも私が欲しかったのは、正解ではなく、気持ちをわかってもらうことだった。 たとえば、子どもが熱性けいれんを起こして救急車で運ばれたとき。 私はこの上なく不安で怖かった。 それなのに彼は、「じゃあ、仕事行ってくるから」と言って出ていった。 その瞬間、私は“ひとり”になったと感じた。 小さなすれ違いに見えるかもしれないけど、実はそれまでにもたくさんの場面で「わかってもらえなかった」と感じることが積み重なっていた。その一言は、その積み重ねの中のひとつにすぎないけれど、限界を感じた瞬間でもあった。 我慢してきたけれど私はとうとう家を出た。 同じような男性を、今でもたくさん見かけます。 真剣に家族のことを考えているのに、報われない。 努力してるのに、「わかってない」と言われてしまう。 「俺だって辛い」「奴隷みたいに働いてきた」「男のほうが自殺率だって高い」 そんな声も聞こえてきます。 その気持ちも、もちろんわかります。 実際にそういう男性が多くいて、そして彼らの周囲もまた同じような環境にいるからこそ、「女のほうが楽だ」と思い込んでしまう。 でも、女性は女性で、生理やホルモン、出産や育児の渦中で「自分の体なのに自分の思い通りにいかない」時間を長く生きています。 だから私は、我慢強さというのは、強さというより「振り回されることに慣れてきただけ」なんじゃないかとも思うのです。 男の側ばかりが気遣わなきゃいけないという不満、女尊男卑という言葉が出るのもわかります。 でも、それは「どっちが苦しいか」を競うゲームではなく、「どうすれば一緒にいられるか」を探す対話であってほしいのです。未来の自分のために、考えてみてほしいなと思うのです。 未来のパパたちへ。 あなたは完璧でなくていいし、正解を言わなくてもいい。 でも、「どうしたら隣にいられるか」を考えることは、大事にしてほしい。 例えば、こんなふうに声をかけてみてください。 「今日はどんな感じだった?」 答えを求めなくてもいい。 ただ、その言葉を受け取ってもらえたら、相手の心は少しずつ開いていくから。自分事として感じてくれているなんて素敵!ってきっとパートナーも思うはず。 女性の体と心は、日々変化しています。 ホルモンの波、出産の後、育児の不安、社会からの圧力。 一人で抱えるには、重すぎる日もあります。 でも、あなたが「わかろう」としてくれたら、それだけで救われる瞬間があります。 未来のパパたちへ。 パートナーは、あなたに完璧を求めていないかもしれません。 ただ、一緒に歩く意思と、その歩幅を合わせようとする“目線”を求めているだけかもしれません。 その一歩が、家族をつなげる道になると私は信じています。 もうひとつだけ、伝えたいことがあります。 もし今、この記事を読んでいるあなたが 「自分もそうだったかもしれない」「何かできることはあるだろうか」 そう感じたとしたら、もうその時点で大丈夫です。 人は、変わろうとした瞬間から、すでに少し変わっています。 だから、怖がらずに、照れずに、少しずつ始めてみてください。 パートナーと向き合うことは、きっとあなた自身の人生にも温度を与えてくれます。
第4章 思わず泣いてしまった日のこと~妊娠初期~
「彼女が突然泣き出した」 もしかしたら、あなたのパートナーが突然泣き出したこと、ありませんか? 理由を聞いても「わからない」としか言わない。 優しくしたつもりなのに、なぜか泣かれてしまって戸惑う。 そんな夜、ありませんでしたか? 私も、かつてそうでした。 妊娠中、情緒が不安定になるのはよくあること―― そう聞いてはいても、目の前の涙にどう向き合えばいいのか、正直わからなかった。 でもあとになって気づいたんです。 彼女は、悲しかったんじゃない。 怖かったんです。 物凄く不安でたまらないのです。 妊娠初期。 外からは何も見えないのに、内側ではとんでもない変化が始まっています。 あの頃、私は毎日がジェットコースターみたいでした。 でも、それを“気づいてもらえない”のが、一番つらかった。 妊娠初期に、何がそんなに怖いのか? ・このまま無事に生まれてくれるのか ・お腹の中で何かあったらどうしよう ・身体の変化についてい ・情緒が乱れて、自分で自分をコントロールできない ・「ちゃんと母親になれるのかな?」という自信のなさ そんな思いが、毎日、波のように押し寄せてきます。 言葉にできないその“揺れ”が、ふとした時に涙になってあふれてしまうのです。 見た目じゃわからない、身体の中の大変化 妊娠初期は、見た目にはほとんど変化がないことも多いけれど、 実は彼女の身体の中では、細胞レベルで壮大な変化が起きているんです。 赤ちゃんのために血液の量が増え、ホルモンバランスは激しく変わり、 身体は24時間体制で“命を育てる準備”を始めています。 つまり、彼女は「自分の命+もう一つの命」を同時に生きているような状態。 疲れるのも、涙がこぼれるのも、ちゃんと理由があるんです。 あなたにできることは、正解を探すことじゃありません。 「そばにいるよ」って伝えること。 たとえ何もできないように感じたとしても、 その一言が、どれだけ彼女を救うかは、きっと想像以上です。 「泣いてもいいよ」 「不安なら一緒に考えよう」 そのやさしい声が、彼女にとっては“心の居場所”になります。
第5章 たれパンダな私と、ときめき力の話~妊娠中期~
妊娠中期。 つわりが落ち着き、笑顔が少し戻ってきたように見える頃。 周囲からは「安定期だね」と言われて、 あなたも少しホッとしているかもしれません。 でも実は、この時期こそ―― 心も身体も、密かに「グラグラ」してくる時期なのです。 胎動に感動。そして、ふと怖くなる。 お腹の中で、ポコッと動く小さな命。 最初は「え?今のなに?」って戸惑って、 やがて「あ、これが…」と気づいて、感動で涙が出そうになる。 でもその一方で、 「この命、ちゃんと守れるかな?」 「出産って、どれくらい痛いんだろう…?」 そんな不安が、夜になると、ふっと押し寄せる。 中期は、 「うれしい」と「こわい」が交互にやってくる、 まさにジェットコースターみたいな時期なんです。 お腹が少しずつ出てきて、服も入らなくなってきた。 鏡を見るたび、昔の自分じゃなくなっていく気がした。 「安定期」って言葉はあるけれど、心はちっとも安定してなかった。 それでも、私の変化に気づいてくれる人は、あまりいなかった。 この時期の私は、ただ大丈夫って言ってほしかっただけかもしれない。 だけど、それをちゃんと“受け取ってくれる”人がそばにいるかどうかで、心の安定度はぜんぜん違っていた。 でも、これってまだ「妊娠中期」のほんの一部の話。 本当は、もっといろんなことが起きていて―― からだの変化も、心の揺れも、言葉にできないほど複雑だった。 お腹はどんどん前に出てきて、 胸も張って、肌の質感も変わってきて、 何を着ても似合わない気がして、鏡の前で立ち尽くす。 そんなある日、ふと思うんです。 「あれ…私、たれパンダになってない?」 たれパンダ、知ってますか? 重力に完全に身をまかせた、あの脱力系の癒しキャラ。 見た目はかわいいけど、自分がああなってると気づいた瞬間―― ちょっと笑って、でも、結構ショックなんです。 「私ってもう、“女”じゃなくなってきてるのかな…」 そんな切なさが、ふと心を曇らせたりします。 だからこそ、あなたの言葉が魔法になる。 この時期の彼女にとって、 一番響くのは、あなたのさりげない一言です。 「なんか今日もかわいいね」 「そのワンピース、似合ってるよ」 ――こんな何気ない言葉が、心の奥にジンとしみる。 どんな高級クリームよりも効きます。これ、ほんとに。 触れること、目を見て笑うこと、 恥ずかしがらずに、あなたの“ときめき”をちゃんと伝えること。 それが、彼女の「自分らしさ」を取り戻す大きな支えになるんです。 なんでも一緒に、ね。 胎動を一緒に感じて、 「名前どうしようか?」なんて話してみてください。 エコー写真を見て、未来を想像してみてください。 「ママになる準備」も、「パパになる準備」も、 ひとりじゃなくて、ふたりで進めていけたら―― この不安定な時期も、ちょっとだけやさしく乗り越えられるかもしれません。 妊娠中期は、「安定期」と言われながらも、心はまだまだ揺れている。 だからこそ、あなたの“寄り添い力”と“ときめき力”が必要です。 たれパンダになっても、 それを笑ってくれるあなたがそばにいてくれたら、 彼女は、きっとまた笑顔になれます。
第6章 となりにいるだけで、救われることがある〜妊娠後期~
妊娠後期。 お腹も心も、だんだん重たくなってくるこの時期に、 わたしは「言えなかったこと」がたくさんありました。 パパががんばってくれてるのも、ちゃんとわかってる。 だけど、ちょっとだけ、さみしい日があるんです。 これは、そんな私から未来のパパへ送る、ささやかな手紙です。 ねぇ、パパ。 最近のあなた、ほんとうに頑張ってくれてるの、ちゃんと伝わってるよ。 夜遅くまで働いたあと、眠そうな顔で洗い物をしてくれたり。 「無理しないでね」と、何気なく声をかけてくれたり。 そのひとつひとつが、わたしにとっては、 とても大きな優しさだってこと、知っててほしい。 ありがとう。 ほんとうに、ありがとう。 ……でもね。 その優しさが、ちょっとだけ“遠く”に感じてしまう夜があるんだ。 たとえば、寝返りを打つたびに腰がつって、眠れない夜。 何度もトイレに起きて、布団に戻っても、息が苦しくて横になれない夜。 そんなとき、わたしはあなたを起こそうなんて思ってないの。 でもね、もし朝になって、 「昨日は眠れた?」って聞いてくれたら。 それだけで、「あぁ、わたしはひとりじゃなかったんだ」って 心がふっと軽くなるの。 「大丈夫?」って聞いてくれることも、もちろん嬉しい。 でもね、ママって不思議なもので、 “そう聞かれると、大丈夫って言わなきゃって思っちゃう”生き物なんだよ。 ほんとは、大丈夫じゃないこともたくさんあるのに。 泣きたい夜も、怖い日も、 自分でもわけがわからなくなるくらい情緒が揺れる日だってあるのに。 「大丈夫?」って聞かれた瞬間、 なんだか強がってしまう。 相手を困らせたくないって思ってしまう。 もしあなたが、 「本当は言いたかったけど言えなかった気持ち」や 「自分には何ができるんだろう」と感じたことがあるなら―― だからね、「大丈夫?」って聞くより、 ただとなりで背中をさすってくれたり、 「しんどいよね」ってつぶやいてくれるだけで、救われることがあるの。 言葉じゃなくても、 “感じてくれてる”っていう空気に、わたしは一番安心する。 なにかをしてくれることより、 ちゃんと気づいてくれることのほうが、何倍もうれしい。 気づいてくれる人って、ほんとうに尊敬できる人だと思う。 そして、最近ふと気づいたの。 「一緒に親になる」って、 育児書を読むことでも、完璧に準備を整えることでもないんだなって。 それは、 「わからないね」って言えること。 「怖いね」って、一緒に震えてくれること。 強くなることじゃなくて、 いっしょに“弱さを見せられる”こと。 その不安を共有して、 目の前の現実をふたりで見つめていくこと。 たぶんそれが、 親になるってことの、最初の一歩なんじゃないかなって思う。 この手紙を、ここまで読んでくれてありがとう。 忙しい毎日のなかで、 数分だけでも、わたしの気持ちに触れてくれたこと。 それが、もう充分すぎるくらい嬉しいんだ。
第7章 私の体が戦場だった日~妊娠後期~
「お産は病気じゃない」「誰でもできる」って、よく言われる。 でもわたしは、今でもあの瞬間を思い出すたびに、 身体が、心が、ざわざわする。 これは、出産を“感動の物語”で終わらせたくなかったわたしが書いた、 あなたへの手紙です。 ねぇパパ。 出産って、“奇跡”とか“感動”とかって言われるけど、 正直に言うね。 あれは、私にとって「戦場」だった。 よく言うよね。「お産は病気じゃない」とか、 「誰でもできる」「みんな経験してる」って。 でもさ。 実際は、全治1か月とも言われる傷を、ひとりで黙って受けて、 しかも「感謝すべき体験」だなんて言われて。 どうしたって、納得できない瞬間があるんだよ。 1人目のとき、微弱陣痛で25時間かかったの。 陣痛モニターで管理されて、当日は忙しい様ではじめの3時間くらい水ももらえず、 仰向けのまま、固いベッドの上で貼り付け状態―― 腰が砕けそうな痛みと恐怖に、ひとりきりで震えてた。 夫が仕事を抜けて、走ってきてくれたのはわかってる。 一晩中背中をさすってくれて、立ち会ってくれたこと、嬉しかったよ。 でもね、 2人目、3人目になるにつれて、“慣れ”みたいなのが出てきて、 最後は、ただ「ノートパソコンで仕事しながら痛がってる人を見てるだけ」になった。 だからわたし、3人目は、一人で産んだ。 それがどういう意味かわかる? 命をこの世に送り出す“あの瞬間”に、私は、たった一人だった。 産まれてから看護師さんに私たちの子供を手渡された瞬間、 あなたは目をハートにして、急に“パパ”になった。 ……わたしは、 その姿に、殺意が湧いた。 「今さっきまで、誰が泣いてたと思ってんの」 「誰が命削って、この子を引き受けてきたと思ってんの」 あの痛みを、誰かと分かち合えることなんてない。 でも、想像はしてほしかった。 「ありがとう」なんていらない。ただ、知っててほしいだけだったの。 あなたを責めてるんじゃないの。 だけど、産んだ人間にとって、“他人事感”って、ほんとうに幻滅する。 わたしはそれを、一生忘れないと思う。 出産って、ただ赤ちゃんが生まれる日じゃないんだよ。 わたしが女から母になって、 そして、あなたと家族になる覚悟を決めた日でもあるの。 ねぇパパ。 わたしは、あなたを恨んでるわけじゃない。 でも、想像してほしかったし忘れてほしくないの。 あの子が生まれた日、 わたしも、いちど命を渡したんだってこと。 ねぇパパ… きっと、怖かったと思う。 わたしは、あなたを責めたいんじゃないの。 ただ、一緒に覚えててほしいだけ。 もしその想いを、これから少しずつ分け合っていけたなら―― それだけで、わたしの心はずっと軽くなる気がするの。 そして、いま出産を迎えようとしている誰かが、 この言葉にたどりついてくれたなら。 「一人じゃない」って、思ってもらえたら。 それだけで、わたしの命の傷は、少しだけ意味を持つ気がするの。
第8章 幸せすぎてしんどかった~出産後~
やっと会えた。 小さくて、あたたかくて、 信じられないくらい、かわいかった。 「産んでよかった」 心からそう思ったよ。 でもね、 その2時間後には、ベッドの上で、泣きそうになってた。 これは、出産のあと始まった“わたしの物語”。 パパに知ってほしかったことを、やっと言葉にしました。 股が痛くて、座るのもひと苦労。 できるならずっと横になっていたかった。 でもすぐに、母子同室。 2日目からは母乳指導に、講習に、オムツ替えに。 出産=ゴールじゃなくて、出産=スタートだった。 身体はボロボロ。 でも、お母さんだから当たり前。 おっぱいはパンパンに張って、 乳腺を開通させるために、乳首をぐりぐり押される。 まるで牛みたい。 「おっぱい出た?」って、そればかり聞かれて。 ミキティがいつか言ってた「牛の気持ちがわかる」って、 ほんとそれだなんだよな。 痛くても眠くても、育児はもう始まってる。 やっぱりお母さんだから、当たり前。 ……でも、ちょっとだけ、切なかった。 この先は、 赤ちゃんとの“本当の夜”のこと、 ママが「かわいい」と感じる前に通った道… リラックスなんてできなかった。 快眠なんて夢のまた夢。 のんびり、なんて一度もなかった。 できたのは、 わが子におっぱいを飲んでもらうこと。 そのときの愛しさ、幸せ感は、たしかにあった。 匂いがね、まず幸せなの。おっぱいくわえたまま寝落ちした時の顔ったらたまらなく可愛い。 でもその一方で、 赤ちゃんってほとんど寝てるのに、 なんでわたしはこんなに寝られないんだろう?って思ってた。 頻回授乳で、うまくいっても1〜2時間でまた泣く。 ゆるゆるのうんちで泣くこともあるし、原因がわからない泣きも多い。 やっとウトウトしても、一瞬でたたき起こされる。 背中スイッチがあって、布団に置くと泣く。 だからずっと抱っこ。 軽いはずの赤ちゃんが、ずっと抱いてると、まるでこなきじじいになるんだよ。 ほんと、何度もそう思った。 泣き声に敏感になって、自分まですぐに目が覚める。 ずーっと抱っこしてるの、ほんとにしんどい。 パパは長時間抱っこしないし、筋力も違う。 だから「そんなに大変?」って思ってるかもしれない。 でも、あなたは“かわいいとこだけ”育児してる。 お風呂にも入れるだけ。 わたし1人きりのときは、 お風呂も、拭くのも、着替えも、泣き声のフォローも、 裸でびちょびちょのまんま、全部わたしがやってた。 でもそんなシーン、パパは見ない。 夜泣きいっぱいしてるときにも起きないし。お仕事でお疲れだろうけれど、羨ましかった。 そして何より、 あなたは24時間以上、赤ちゃんと二人きりで 過ごしたことが、きっとない。 想像したことない? 生まれたての赤ちゃんって、 はかなすぎて、責任重すぎて、まるで宇宙人だし。 それだけで疲れ果てる存在なんだよ。 仕事が大変なのも、よくわかる。 夜まで頑張ってるし、上司や納期に追われてるのも知ってる。 でも、それと比べてはいけない。 わたしは、比べられるような毎日じゃないところで、 生きのびてる。 ねぇパパ、 あなたがそばにいてくれたのはわかってる。 でも、わたしは「もうママだから頑張れる」とは思ってなかった。 まだ母になりきれてなかったし、 痛いし、眠いし、不安だった。 だから、「ママなんだから」じゃなくて、 「いま、母になろうとしてる人」って見てほしかった。 少しでも一緒に親になろうとしている存在になってほしかった。 産後のわたしは、 ずっと、 幸せで、しんどかったの。
番外編 男でいなきゃなんて、誰が決めたんだろう。〜“男らしさ”に縛られた社会で、私たちは何を失ったか
あの時代・・・ 出席番号、いつも男子が先。 生徒会長は男子、女子は副。 「男のくせに」「女々しい」は、学校でも日常語だった。 ずっと不自然だったのに、誰も止めなかった。 これは、そんな空気の中で生きた“私たち全員”の話。そして今、それに気づいた“誰か”の話でもあります。 小学校の頃、出席番号はいつも「男子が先」だった。 体育も、給食当番も、発表順も、いつだって男の子が先。 誰もおかしいとは言わなかった。先生も、親も、私たちも。 男子が学級委員長、生徒会長。女子は副。 やってみたい気持ちはあっても、「女子が出しゃばるな」って空気に従ってしまっていた。 そのうち気づいた。「男のほうが上じゃないと満足しない」って。 戦いごっこ。下ネタ。バカにするのが愛情表現。 女子が傷つこうが関係ない。 それが“男ってもんだ”とされる空気を、誰も止めなかった。 驚いたのは、女性が男子を叱るときに 「女々しい」「女の腐ったような」って平気で言ってたこと。 あれ、気持ち悪かった。今思えばあれこそ“文化の共犯”だった。 娘は今、女子高にいる。 立候補も自由。のびのびと自分の意志で動ける。 「女子高最高」って、目を輝かせて言う。 ああ、そうか。 女が縁の下の力持ちでいる限り、男はのびのび生きられたんだ。 でもそれは、女同士が、自分の首を絞め合った結果かもしれない。 あの人(元パートナー)は、いつも「男であること」に疲れてたんだと今になって思う。 威張るのも虚勢だったし、黙るのも逃げだった。 今の私はその後ろ姿に、社会の“刷り込み”を見ることができるようになたんだと思う。 男もまた、男の中で首を絞め合っていた。 「飲み会に来れないやつは出世しない」 「24時間働けますか?」なんて、今じゃ笑い話だけど、あれは本気だった。 夜中まで働いて、飲みに付き合って、 “家庭より職場”を優先できる男が「一人前」っていう空気。 「俺は家庭の犠牲になって働いてるんだ」って顔で、 育児に関わらないことを正当化しながら、 本当はただ、“帰る資格がない”って思ってたのかもしれない。 でも、それを口に出せる場はなかった。 男の集まりでは、そんな弱音は「負け犬の遠吠え」だ。 女の前では「男のくせに」と言われそうで怖い。 男もまた、自分で自分の感情を殺してきた。 そしてそれが“男社会”の条件だった。 男らしさに縛られたのは、あの人だけじゃなかった。 私たち全員が、同じ舞台の上で、 正しさを演じ続けていたのかもしれない。 だいぶ時代は変わったと思うけれど、まだまだですよね。。 こんなの、もう辞めませんか? 今までを経験してきた私の中にできた「小さな気づき」です。 誰かの言葉にならなかった気持ちを、 誰かの語りが救うことも、きっとある…
あとがき 読んでくれたあなたへ
これは、 かつて泣いていたわたしと、 いま誰かを想っているあなたを そっとつなぐために書いた本です。 妊娠・出産・産後って、 誰かと一緒にいるはずなのに、 どうしようもなく孤独になる瞬間がある。 そんなときに必要だったのは、 「がんばろう」でも、「正しく理解しよう」でもなくて。 ただ、となりにいてくれること。 ただ、同じ方向を見て共に生きていてくれることでした。 このZINEには、正解も処方箋もありません。 でも、どこかの誰かが救われるのなら、 それだけで、この本の役目は果たせる気がします。 そして、もしあなたが「伝えたいことがある」と思ったときは、 どうかあきらめずに言葉を探してほしい。 泣きながらでも、下手でも、うまく言えなくても大丈夫。 あなたの言葉には、きっと力があります。 最後まで読んでくれて、本当にありがとう。 あなたと、あなたの大切な人が、 少しでもあたたかい場所で生きていけますように Hana-nana