辺縁 バンドアニメ特集
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文学フリマ東京41で頒布した『辺縁 バンドアニメ特集』の電子版です。 【目次】 バンドアニメ一話 クロスレビュー 06 はじめに・評者紹介 12 クロスレビュー 20 振り返り座談会まとめ コラム 24 コピーバンドと高校生 ― 『ふつうの軽音部』をまじめに読む 新萬 30 編集後記 ― レイアウト、クロスレビュー、批評同人誌 【まえがき】 「辺縁」という語には、辞書的には「へり・周辺」という意味があります。字面からすれば「周辺の縁」といったところでしょうか。この単語の一般的な用法は、脳神経科学の用語である「大脳辺縁系」のみのようです。大脳辺縁系は、巨大な神経ネットワークである脳のうち、大脳の周辺のある部分を指します。人間の不安や恐怖を生じさせる扁桃体がこの部位に位置することからもわかるように、人間の無意識の感情活動を司っている器官です。 ところで、雑誌というのは従来、本や新聞と並んで、出来事や議論、思想を可視化することで、市民社会に必須の「共通の文脈」を成り立たせるために不可欠なメディアです。新聞が時事的な内容を扱う短期のメディアなら、本はより整理された議論を展開する長期のメディアです。一方で、雑誌は、新聞ほどに速報性はないけれども、本よりも整理されてはいない、中期の、一見すると中途半端なメディアと言えるでしょう。 雑誌の意義はどこにあるのか。私には、ある一定の期間を決めて「集める」ことにあるように思われます。というのも、雑誌は、例えば年刊誌であれば、コンセプトにある程度従って、様々な人間の一年間の思索が、必ずしも明確な文脈を共有せずに、文章の一覧化という形で「物理的に」交わる場です。そこには、はっきりとはしないが、ぼんやりともしないようなやり方で、その一年の様相が浮かび上がり、アーカイブされます。一年や一季、一月といった「中期間」の単位は、人間が時代を捉える上でちょうどいい長さであり、後世からも参照しやすい。 日本には岩波書店の発行する『世界』という雑誌があります。あるいはフランスで最も権威ある雑誌の一つに『Le Monde』というのがあります。これも「世界」という意味です。雑誌によって世界が見渡せるなら便利そうですが、このような発想は近代の百科全書主義的な理想と言わざるを得ず、実現可能ではないでしょう。ましてや、ポストモダンと言われて久しい現代において、世界を見渡すことなどおろか、夢想することさえ困難です。さらに、近年では、SNSの個人最適化が、ますます世界の全体像を見えにくくしています。というよりも、個人間で世界観があまりに分断されすぎていて、世界に関する文脈や感性を共有するのが困難になっていると言った方がよいかもしれません。 文脈や感性が共有されなければ、私たちは連帯して何かをやるということができません。コミュニケーションが深いレベルで噛み合わないのだから当然です。私たちが力強く、創造的に生きるためには、連帯が不可欠です。人間は群れの生き物ですから。そのためにまずは、世界は無理でも、せめて世界のある周辺について、同じものを見て、響き合える場を作ることが重要だと思います。「辺縁」の語に込めたのはそういう理念です。 まずは最初の実践として、今回は私にとって最も身近な熊野寮の友人たちと、関心と流行りの最大公約数をとって、バンドアニメをテーマに小冊子を作ってみました。新旧のバンドアニメを観ることを通じて、分析的・全体論的な議論を多角的に提示することに努めています。叩き台としてそれなりに意味のあるものになっているはずです。また、最後にコラムとして評者の一人による『ふつうの軽音部』論を掲載しています。日本の高校生とは何か、という一見どうでもよさそうで、実はとても重要な問いに切り込んでいるのではないかと思います。


