真田一族缶ミラー
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缶ミラー - 56mm古くから信濃国小県郡に勢力を持っていた豪族滋野氏を祖とする海野氏は、甲斐の武田信虎と信濃の村上義清、諏訪頼重らに海野平の合戦で敗れ関東に逃れますが、その直後、武田の嫡男晴信(信玄)が信虎を追放。しばらくして海野家を継いだ人物が武田晴信に仕えて小県郡に領地を貰い、真田の地に本拠を構え真田氏を称します。これが真田家の家祖真田幸隆で、武田信玄の信濃攻略などで活躍し真田の攻め弾正と呼ばれるほどの重臣となります。長男信綱、次男昌輝は信玄配下の武将として武勇で知られ、三男昌幸は武田家の名族武藤家を継いで武藤喜兵衛を名乗ります。真田幸隆、信綱、昌輝、武藤喜兵衛は後世、武田信玄の名臣とされる武田二十四将に親子四人で名が挙がる活躍をします。しかし武田勝頼の代に長篠の合戦で信綱、昌輝が戦死し、昌幸が武藤家から真田家に戻って後を継ぎます。武田家が滅亡すると昌幸は大名として独立し、上杉、北条、徳川といった大勢力を相手に生き残りを図りますが、やがて豊臣政権が出来ると豊臣秀吉に臣従します。関ヶ原の合戦では西軍に付き、次男幸村(信繁)と共に信濃の上田城で籠城し、徳川軍別動隊を釘付けにする活躍を見せますが、西軍の敗北で紀州九度山に配流となります。昌幸の死後、大坂の陣が起きると幸村は九度山を出て大坂城に入り、冬の陣では真田丸を築いて徳川方を撃退、夏の陣では徳川家康の本陣を崩すほどの猛攻の後戦死し「真田日本一の兵」と称賛されるほどの活躍をします。一方で長男の信之は徳川四天王の一人本多忠勝の娘を正室としたことから一貫して徳川家康に従って江戸時代を迎え、真田家を存続させました。信之は信州松代10万石真田家の藩祖として隠居後に起きた御家騒動を解決するなどしながら徳川四代将軍家綱の時代まで生き、戦国大名から近世大名として生き残った真田家が幕末まで続く礎を築くことになります。多くのエピソードが語り継がれた真田一族が掲げた、黒地に白抜きの六文銭の旗印をベースに、真田幸村が大坂の陣で着用した赤備えの色を加えたデザインの缶ミラーを作ってみました。
発送予定日
- 缶ミラー - 56mm(56mm - ブリキ)2026-08-24


