囲碁の白黒
- Digital200 JPY

どこかの鎮守府、どこかの国、どこかの二人。 おとなしい扶桑と、どこかで一線を引く日向。ただただすれ違い続ける。 A6サイズ、106P どうぞお手軽にお手にお取りください
第一章
【日向】 彼女は、綺麗だった。豊かな黒髪が揺れるたびに、私の胸もぎくりっとするのがわかった。痛みではない。何かをとがめられたような後ろめたさにも似た、そんな感情が沸き立った。 私はその感情を抑えるように、柔剣道などの武道に明け暮れた。ごまかすように。 そう、ごまかさなくてはならない。この感情を、あの黒髪を――。 【扶桑】 私の名前の扶桑、というのは日本の別名なのだそうだ。なんだか面はゆい話ではあるが、光栄なのだろう。だというのに、私ときたらその光栄な名前にまったくそぐわないような艦娘だった。身体つきは大人並みになったし、外見は普通なのだが全くの病弱。張子の虎も良いところだった。何とも情けない話ではあるが、仕方のないことだと飲み込むしかない。どうしようもないのだ。生まれつきは。 生まれついての病弱を呪っていた私は、初めてそこで力強さというものを見た。すっくと背筋を伸ばし、自分より大きな相手を投げ飛ばす彼女は、私のあこがれだった。 【日向】 海軍に入って、五年たった。すなわち彼女と知り合って、五年だ。色々な事があった。私はとある前線基地の艦隊旗艦を勤めていた。第出世と言っていい。体躯ばかり大きく育った私には、似合いの任務だと言えた。 私の憧れた、黒髪の持ち主である扶桑は、艦娘であるにもかかわらず参謀として作戦立案の責任者となっていた。厳めしい名前を読みほどくと、基地のトップである提督の、秘書官という事になる。 素晴らしい事だ。素直にそう思う。私のような馬鹿には、こうした信頼に値する参謀がいてくれることが、何より嬉しいことだった。 その立案した作戦が大当たりし、相応の戦果を持ち帰った私は、上機嫌だった。提督のいる執務室をノックして、私は中に入る。 「失礼する。第一艦隊旗艦日向、只今をもって作戦を終了した。線か確認資料はこれだ」 鉄仮面と言われる私の顔も、少しはほころんでいることだろう。それほどの戦果だったが、秘書官として、執務机で書類仕事をしている扶桑は、こちらをちらりと覗いて、また書類と向き合ってしまった。 静かな執務室では、誰も話さない。基地司令である瀬戸大尉は、私の戦果報告をゆっくりと読んだ後、顔を上げた。 「ご苦労。しっかり休め」 瀬戸は、低い声で言った。彼女と私は、どこか似ている。顔の造形はやや彼女の目が大きいかというようなところだが、年齢は私と10近く離れている。人生の半分を海軍という社会で生きてきた彼女の目は、酷く鋭くて、たまに私も怖くなる。 「扶桑、休憩をやる。たまには日向と飯でも行ってこい」 そう言うと、彼女は胸のポケットから煙草を取り出した。 隣を歩く彼女の顔は、いつものように浮かなかった。赤い瞳がうろうろと動いている。 「扶桑、どうしたんだ」 心配な事があるなら、聞いてやりたいのだが――あいにく上手い言葉が浮かんでこなかった。私はこうしたとき、何かを癒してやるという事がひどく苦手な性質なのだ。 声をかけて、少し待つ。ああ、これが伊勢ならばな、と姉の朗らかな笑顔が浮かんだ。私のような無表情ではなく、百面相のように表情を変化させ、人を楽しませることに長けている彼女なら、私とは違って扶桑の浮かない顔を変えられるかもしれない。 「なんでもないわ」 不安そうな目をこちらに向けて、何か後ろめたい事を隠すように、彼女は私にそう言う。 「そうか」 傷付けずに、彼女の不安を取り除いてやることなど、私には出来ない。そんなに器用じゃない。 食堂に着くと、昼時を少し過ぎたあたりの時間だったからか、席はそれなりに空いていた。私はその中の一つに座り、注文をしにいく。 「君は?扶桑」 「ハンバーグ定食で」 「分かった」 彼女は憂うような表情を崩さなかった。