【明治ロマンとはかくあるべし】
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しばらく続きます、ぜねこ様シリーズ! 今回は映写機時代のような写真絵図をブログにUPされていたがために餌食となってしまいました。最後の最後をお楽しみに! 時代背景的には鹿鳴館とか、武士が貴族階級に、洋物かぶれ時代のパロです。伯爵家の孫・ミツバと総悟に、貧乏カメラマン土方との出会い。二人は身分の差をどう乗り越えるのか!? という話ではありません。初心な二人をお楽しみください💛 《参考データ》 ・本文データは「pdf」 ・原稿用紙:6,773文字=約16枚強 ・スマホ版:25文字×25行=16頁 ・掲載時期:2015年11月
【明治ロマンとはかくあるべし】
明治維新により鎖国から解き放たれた日本を代表するものとして、武士階級がなくなり貴族階級の誕生、そしてその流れを支えるかのように、洋装、夜会、ダンスに洋酒の普及、またそういった「社交場」に欠かせないものの一つに、それらを記録するため道具として取り込まれていたキャメラは、大手出版社であれば会社に一台くらいはなんとか抱え込んでいるか、またそれ専用に技術を積んだ人間で「写眞屋」なるものを生業にしたような連中を別とし、個人で所有しそれを自由に使いまくれる人間なんて数限られていて。 沖田家はそうした「数限られた」人種の一家だった。なにせ華族様々なのだから。 江戸時代は武家だったので通常なら士族となるところ、息子の嫁がいわゆる徳川御三家から嫁いでこられた娘を持つ経緯から、強かな父親は公爵ないしせめて侯爵の身分を提唱したというのだから、そこまでいくと素晴らしいとしか言い様がない。もっともけっきょくのところ、石高の関係もあり、伯爵として華族に加わるに落ち着いたのだが。 そんな遣り手の父親の影響力が大きく、沖田家は伯爵階級の中でもかなり幅を利かせていて、本来なら当主が勤めるべき選抜貴族院議員には、「自分はもう老体だから」などと言う理由で議会には自身の息子を放り込んでいたくらいだ、どれだけわがまま勝手な人物か想像に難くないと言うもの。 おかげで息子は若さを買われ、新政府安定のために東奔西走しまくっているとの噂だった。そして「自慢の嫁」とやらは、あまり体が強くないとのことから、静養地に引きこもりっ放しで、人前にはほぼ出てこないとの専らの話だった。 ゆえに沖田伯爵家がパーティを開いたり、招かれたりする際、伯爵の両手に花を添えるのは、彼の孫娘と孫息子だった。