亀甲貞宗と盛岡南部家の話
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現在では国宝となった亀甲貞宗がどのような来歴を辿って、現所蔵館である東京国立博物館までたどり着いたのか調べているうちに、尾張徳川家が将軍綱吉に献上した時点以前については資料によって詳細が曖昧で様々な説があることが分かったので、現時点で分かっていることを整理してみることにした。なお、参考にした資料は全て書籍やインターネットで既に公開されているものなので、多くのインターネットサイト等で書かれている内容と重複するものばかりである。 (本文より) 1. はじめに 2. 名物帳における亀甲貞宗の来歴 2-1. 松平出羽守 2-2. 陸奥窪田藩土方家の受領名と年代について 3. 『内史略』に書かれた南部家と亀甲貞宗 3-1. 南部家に渡るまでの話が書かれた「とぞ草紙」 3-2. 亀甲貞宗が盛岡南部家から尾張徳川家に渡る時の話が書かれた『内史略』 4. 亀甲貞宗のやり取りに関わった本阿弥家と南部家当主について 4-1. 本阿弥家から南部家へ 4-2. 南部家から尾張徳川家へ 5. 記録と火災 5-1. 南部家の刀剣等に関する記録と火災 5-2. 本阿弥家の折紙台帳と関東大震災 6. 終わりに 参考文献