- 逢瀬あらば【前編】PDF300 JPY
- 逢瀬あらば【後編】PDF300 JPY
- 逢瀬あらば【前編】700 JPY
- 逢瀬あらば【後編】700 JPY
発行日 : 〔前編〕2008.10.12 〔後編〕2015.10.04 書籍版 : A6サイズ /ページ数〔前編〕132P 〔後編〕142P PDF版 : 標準プリントアウト時 A6 / 〔前編〕2.8MB〔後編〕2.4MB ●トルーパーとは関係ありません。完全にパラレル設定です。 ●2006年の「伊達征士生誕祭」「羽柴当麻生誕祭」で発表した作品およびその続きです。 ●「年の差」「輪廻」というリクエストのもとに書きました。作品の特性上、前編には「征士」「当麻」の名前は出てきません。後編からようやく征士と当麻になりますので、その旨ご了承ください。 ●紙版と電子版がありますので、お間違えのないようご注意ください。 ※現在、一時的に紙版の受付を停止しております。2024年1月頃再開の予定です。どうぞご了承ください。
〔本文見本 前編〕
薄く葛粉を溶いた湯を口に含む。そうしてゆっくりと、腕の中の男に喉を開くよう顎を上げさせる。口移しの湯が男の喉を通っていくのを右の掌で感じてから、澄月はまた次の湯を自らの口に運ぶ。 『そなたがこれほど面倒見のよい者とは知らなんだ』 背後からの声にちらりと意識を向けるが、別段返す言葉もなく澄月は男へと目を戻す。 はっきりと覚醒してはいないものの、口を塞ぐ瞬間に僅かに眉根を寄せる男の顔を、目の端に捉えながら少しずつ口中の液体を与えていく。 「私もこうされたことがあるだけだ」 もっと幼い頃に、母に。 そこまでは告げずに男の様子を確かめる。彼はもう三日、荒い息を吐き続けている。初日に比べれば下がっている筈だが、それでも男の体温は平熱には遠い。左の膝と腕とで支えて栄養を摂らせれば、澄月のほうまで汗ばむ。慣れぬ作業ゆえ余計だろうとは本人も思うところだ。 妖魔たちとの戦いは、最終的には体力と精神力の勝負になる。ろくに水も飲めぬままでは勝てるはずがない。一族の者ですらそうなのだ。耐性のないこの男には自分が助勢するしかないではないか。 半ば言い訳のように考えつつ、横たえた男の額に澄月は左手で触れる。斑模様の浮き出たままの額は熱い汗でじっとりと濡れている。そこへ、するりと白蛇が近づいた。 『苦しそうよの、息の根止めてやるが親切よ』 「いい加減にせぬか」 左腕に巻き付いた蛇へ、溜め息混じりに澄月は声を落とす。 『わらわはそなたをこそ気遣うておる』 しかし答える蛇の声音はいつにもまして硬い。それだけの危険を冒しているということだ。謂れもなく異を唱える相手ではないことをわきまえ、澄月はそっと蛇の背を撫でた。 「気遣い感謝する。だが、この者ここへ来たには必ず何か意味がある。それを解くもまたわが務め。ここで捨ててはならぬ」 物事の因果を軽んじることは自身の力を削ぐことへも繋がる。また、丁寧に解きほぐせば自身の味方となることもある。澄月は常にそう教えられて育ち、身をもって学んできたのだ。 蛇は何かを推し量るよう少しのあいだ澄月を見上げていたが、 『その者の名を取るがよい、せめてそれぐらいは早いうちにしておけ』 と低く言うと、これ以上の議論は無駄と判断したのかするりと床へ下りて姿を消した。 会話が消えた室内で、また男の息が荒く続く。おそらくこれから新月へ向かううちに、体内に残された妖の気も薄れていくだろう。妖力は月の満ち欠けと等しく増減する。月の細いうちに全て消えてくれれば問題ないが、経験上それは望み難い。一つの魔物でひと月と見ておくのがならいだ。この男ならば六月は下るまい。 確かにこのままでは無理か、と澄月も思う。月が細くなるにつれて衰えるのは澄月の霊力にしても同じことだ。決して絶やさぬ火も腰の短刀も、それを補うためのものだった。 「名、か…」 相手の名を使い、呪〔しゅ〕をかけよ。蛇が言ったのはそういうことだ。 澄月の霊力も体力も限界になる前に、男が澄月の手足となって動くことができるようにあらかじめ術をかけておくのだ。澄月がそれを好まぬことも、霊力を著しく消耗させることも承知した上で、尚且つ、このままひたすらに世話を続けるより勝算があると踏んだのだろう。 致し方ないか、と溜め息を押し殺し、澄月は炉の端に溜まった冷えた灰を右の人差し指と中指の先に僅かに付けた。 「おぬしの名を申せ。私に、おぬしの名を預けよ。必ずや守ってみせよう」 男を真上から見下ろし、額に指をそっと当てて言う。だが、額から眉間へ、鼻筋から口へと持っていきかけた手を、澄月はふと止めて指先を握り込んだ。 ──せめてもう一晩待ってみるか。 無理やりに聞き出したくはない。可能なら、当人の口から聞きたい。意識のない者に対し無理強いの術などかけるべきではないとやはり思うのだ。 男の枕元に置いた桶から掌に水をすくい、炉の隅で右手に掛けて灰を洗い落とす。その手で、男の額から取ったままにしていた布を水に浸して絞り、男の首筋と胸とに浮かんだ汗を拭いた。 その時、ふうっと男が目を開けた。 「…くう、や」 澄月は驚いて男を見下ろす。 「おぬしの名か?」 頷く代わりに瞬きが一つ。どこから聞いていたのか、どこまで意識しての行動なのか、澄月は量りつつも尋ねる。 「どのような字を書く?」 「我、は…そら…なり…」 それだけで男はまた口と瞼を閉ざした。 澄月がごく薄く笑う。自分の名を主張したな、この男。 そら、なり、は『空也』か? 一つ深呼吸をする。それから再度指先に灰を付け、男の額へその名を細く書き付けた。瞬く間にぼうっと暗い朱に変わり、そして文字は肌に吸い込まれるようにして消えた。正しい名である証だった。 もう迷うことなく、澄月は左の掌を文字の消えたばかりの額に当てる。その上から自身の額も押し当てて、低く幾つかの言葉を呟いた。掌が熱くなる。 「空也」 額を離し、口同士を近づける。名を告げて、口づける。熱い空也の息を奪うように息を吸い、深く飲み込んだ。見る間に男の呼吸が和らぐ。 「……」 続けて、聞き取れぬほどの声で澄月は己の名を囁く。その息を、今度はふっと勢いよく空也の口へと吹き入れ、馴染ませるかのように長く深く口づけた。 「空也──その名、預かった」 やがて静かに告げると、その表情に疲労を滲ませて澄月は空也の横で眠り込んだ。
〔本文見本 後編〕
その姿を見送りながら、征士の想いはふた月ほど前の弓道場へと向かう。わずかに感じた髪の青さ、緩やかな弧を描く軌跡、浮かぶと同時に儚く消えた記憶らしきもの―― 「羽柴、当麻…」 知らない名だ。彼がその人かどうかもまだわからない。けれど、胸が震えて仕方がない。 遠くを見る目で佇む征士に、伸は軽く首を傾げた。 『やっぱり何か知ってるのかな』 以前、同じような話をしたときのことを伸も思い出す。相手に心当たりがありそうな様子だった。遼の言う羽柴当麻がその人であればいいと密かに思う。 ほどなく、ほぼ時間どおりに試合が始まる。秀と当麻はまだ姿を見せない。フィールドがよく見えるよう小高く盛られた芝地の中程に座り込んで、伸と征士はややスローペースな試合運びに目を向けている。観客は各選手の家族がほとんどなのだろう、子どもの声が応援の大勢を占めていた。 「こういう時に携帯電話って持ってると便利だろうなって思うんだよね」 ゴールが逸れたざわめきの中で、腕時計を見ながら伸が言う。 「秀と…当麻…は、持っているのか?」 自身は考えたこともなかった征士が、どこか言いにくそうに尋ね返す。 「秀は持ってるみたいだよ。結構、新し物好きなんだって。当麻はどうなんだろう」 そこまでは伸も知らない。自宅に電話があるんだからいらないでしょ、というのが伸の家族の言い分で、それはそうだと彼も納得している。そんな事情は征士の家でも同様で、征士などはむしろいつでもどこへでも電話やメールに追いかけられるなど御免蒙りたいと思っているくらいだ。 「遼はあまりそういうものを持ちそうには見えないが」 征士の見立てに伸も笑う。 「見えないよね。実際に持ってないし。家か学校かサッカーしてるかだから、必要ないんじゃないかな」 確かに競技中に電話は受けられないだろう。自分も家か学校か剣道をしているかが生活の大半なのだと、改めて思って征士も苦笑した。苦笑ついでに、伸の時計を横から覗き込む。試合開始から二十五分。そろそろ来てもいいのではないかと思ったところで、本当に伸がそれらしき声を上げた。 「秀!」 右手を挙げて秀を呼ぶ。反射的に伸の視線の先へ目を向けた征士は、捉えた人の姿に咄嗟に腰を浮かした。時を同じくして、見開かれた眼が瞬き、確かに視線が合った。 青い髪が揺れた。さっと当麻が踵を返す。 征士が立ち上がる。言葉もないまま走り出す。 「わっ、なんだ?!」 「ちょっと、征士っ!」 逃げ出した当麻と追いかける征士に、秀と伸がそれぞれ驚きの声を上げた。観客がわっと湧いたのを気にしてフィールドへと目を向ける間に、駆ける二人の姿は遠ざかる。 当麻は自分でも訳がわからなかった。完全に無意識の動きで、気づいたときにはこのとおりだ。そして今さら止まろうとも思えない。 『なんで征士がいるんだ』