潮騒が聴こえる
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8月17日インテックス大阪にて開催される「忍Fes.32」(六年生プチオンリー『学園の六徳』)にて頒布したものです。 8月22日(金)21時頃より通頒開始致します。 タイトル『潮騒が聴こえる』 文次郎中心小説 全年齢 構成 月齢……pixivにて連載しておりました『月齢』を書籍用に改稿、軍師を踏まえた内容を加筆しています 潮騒が聴こえる 前編……完全書下ろし。pixivにて連載しておりました「文次郎と50音のたまごたち」の文次郎視点です。各たまご視点とは異なり、文次郎の成長を学年ごとに記述しています。 潮騒が聴こえる 後編……pixivにて連載しておりました「文次郎と50音のたまごたち」の各たまご視点。こちらはWEBとほぼ同じ内容となります。
潮騒が聴こえる前編サンプル
序章 俺が産まれた村は、播磨の国の海岸沿いにある。漁もするが、どちらかといえば塩田のほうが主な食い扶持だ。俺の家はその村のあれこれを取り仕切る村頭みたいなもんだった。村はとある小さな領に所属していたが、一方ではでっかい寺の恩恵も受けていた。塩は胡椒ほどではないが貴重な品なので、複数からの恩恵を得ることができていたのだろうと今なら思う。その領主と寺の関係が悪くなかったこともあるだろう。そういう事情で、俺は比較的恵まれた子ども時代を過ごしていた。 とはいえ、自然相手の仕事は稼ぎにムラがある。いくら恵まれた村だからといって、そこら中で年がら年中勃発している戦の影響を受けないわけではない。塩を狙った破楽土から襲われることだってしょっちゅうだ。歳の離れた兄が親父殿と一緒に村を襲うヤツらに応戦したり、塩の売買をもっと効率的にできないかとか話し合っているのを見ると、自分ももっと役に立ちたいと思うようになった。塩づくりにも漁にも体力や筋力は必要だったから、身体を鍛えるのは当たり前だった。沖に出るのは許されなかったが、浅いところで捕まえた蛸を持って帰っては捌いて、親父殿やお袋に自慢げに見せたものだった。兄もいつも、文次郎はきっと立派な漁師になるなと頭を撫でてくれていた。その頃まで俺は、塩田を守る兄を助けながら、漁師になるのだと、それ以外の将来など考えたこともなかった。海と村と浜が俺の世界のすべてで、守るべきものだった。 俺が七つの頃、寺の一角に間借りをし始めた男がいた。寺は俺達子どもの遊び場でもあったし、寺で時々和尚様がありがたいお話をしてくださったりしていたから、気軽に出入りをしていた場所だった。男は新しい塩の精製方法を教えにきてくれたのだという。初めは胡散臭いと言っていた大人たちだったが、寺の和尚様の紹介でもあり試しにやってみたところ、圧倒的にそちらのほうが楽でたくさんの塩が採れるとわかってやにわに活気づいた。そんな男だったから、子どもの関心は当然向く。男も子どもが嫌いではなかったのだろう。時折御伽草子を読んでくれたり、それでは足りない子どもにはもう少し難しい話をしたりしてくれていた。 俺はその頃から知らないことや疑問に思ったことを突き詰めたい子どもで、ずっと疑問に思っていたことをその男に尋ねた。九つの時だ。 「どうして大人は戦をするの」 その問に男は黙って頭を撫でて言った。 「文次郎、その理由を知りたいと思うかい」 自分の疑問に答えてもらえないことを若干不満に思いながらも、大人とはそういうものだと知っていた俺は頷いた。 「うん。戦なんて、大人もみんな嫌だって言ってるのに、しなきゃいいじゃないか。なのにどうしてするの」 「それはね、すごく大切で、すごく難しい問だ。わたしはわたしなりの答えを持っているけれど、お前はお前なりの答えを見つけるほうが良い」 男の言っていることは難しくて、その時はわからなかった。それまでは、大人には何かを問いかければ明確な答えがもらえるか、もしくは、それはお前が知らなくても良いことだと切り捨てられるかのどちらかだったからだ。それが悪いとは今でも思っていない。むしろ男の考え方の方が異端なのだと学園を卒業するという今になっても思う。子どもは黙って親や村に従うべき、それが当たり前の世の中だ。勿論、俺の両親だってそうだっただろう。そもそも俺は次男で、長男である兄に何かあった時の予備だ。そのために育てられてきたし、食わされてきた。だから男が家を訪ねてきて言った台詞に絶句していた。 「潮江さん、文次郎君を学校に入れてはみませんか」 「学校ってなんだい」 男のおかげで村全体に余裕ができ、ある程度蓄えができたのも確かで、だからこそ両親は無下にできなかったのだろう。学校という聞きなれない単語に、一応聞く耳を持ったのだから。 ~中略~ 文次郎 十歳(一年生) 壱 心を驚かせて入学した忍術学園で、俺は早々に挫折というものを味わっていた。村の子どもたちが近所の寺で仏さまの教えを習ったり、簡単な読み書きを習う時、俺はいつだって一番だった。だから当然、忍術学園でも一番になれると思っていた。正直に言う。学園で初めて同室となった立花仙蔵のことは、なんだこのなよっちいやつ、と思っていた。恐らくそれがどこか態度にも出ていたのだろう。仙蔵の俺に対する第一印象は、威張り倒した脳筋、だそうだ。だが、毎日生活を共にしていくうちに、仙蔵は物凄く根性があるヤツだということがわかってきた。予習復習は当たり前だが、忍たまの友はもらって一週間ですべて読んでしまったという。 俺はまず、そこに書かれている意味や漢字を調べることから始まることが多かった。例えば喜車の術とある。説明には相手をおだてたり、楽しませることで機嫌を取り、その気にさせること、とある。ここでまず「おだてる」がわからない。字引を引いてみてわかれば良いが、載っていなかったり、字引の言葉がまたわからなかったりする。それを更に調べたり人に聞いたりする。時間がかかる。 仙蔵は武家で育ったためか、そのあたりは俺よりも随分と知識が多かった。余裕を持って勉強している者と余裕がない者。試験の結果がどうなるかは火を見るよりも明らかで、一年生最初の試験で俺は下から数えた方が早い順位だった。順位を気にするのではなく、昨日の自分に勝てるようにすれば良い、は当時座学を担当してくださった土井先生のお言葉だが、その頃の俺は素直にそれにハイとは答えられなかった。土井先生には、わからないところを夜中に聞きにいったりして、随分とご迷惑をかけたが、いつでも優しく教えてくださったのは本当にありがたかった。今でも頭は上がらない。 そんな感じだったから、仙蔵は変わらずに俺を脳筋だと思っていたが、俺は仙蔵に対する認識を改めていた。元々の知識量に差があったとしても、それを自分のものとし、応用ができるようにするには、並々ならぬ努力が必要なはずだった。最初になよっちい、と思ったように、仙蔵はさして体力がある方ではなかった。なのに布団の中にまで本を持ち込んでは勉強をしている姿を見れば、劣っている俺は仙蔵の何倍も努力をしなくてはならないと思うのは当然だった。 そんなある日のことだ。難路の心得についての試験が抜き打ちであった。難路の心得で学んだことは、俺が故郷で友達と遊ぶ時に意識していたこともいくつかあったし、それを利用して実際に自分が忍務を担うところを想像したりもしていたから、随分と勉強した。だから正直、その試験には自信があったのだ。だけど蓋を開けてみれば結果は一点差で仙蔵の勝ちだった。あんなに勉強したのに、と思ったとたんに喉の奥が狭まって息がしづらくなった。ひく、と痙攣する喉から鼻にかけてツウンと痛くなり、目にどんどん涙が溜まるのがわかった。どうした文次郎、大丈夫か、と当時はまだ何人もいた同級に声をかけられた途端に決壊する。 「あ、あぐっ」 飛び出たのは言葉にもならない喃語のような何か。それが嫌で恥ずかしくてどうもならなくて、ただ苦しいからしゃくりあげることしかできない。呼ばれた土井先生が俺を抱えてゆっくりと背中をさすってくれたのを良く覚えている。どれくらいそうしていたのかはわからないが、当時は随分と長い間だと感じた。だけど次の授業には間に合ったから、そうでもなかったのかもしれない。何せ土井先生によし、よし、と背中を撫でられて、やっと言葉を発せるようになった俺は悔しくて悔しくて、ぶちまけたのだ。 「あと、一点で、仙蔵に、勝て、勝てたの、にぃ」 「え、私?」 ~中略~
月齢サンプル
月齢サンプル 序章 ヒュッと矢が頬を擦り、途端に熱を持つ。それに顔をしかめながら、清八はただひたすらに馬を駆った。 清八は近江の国、加藤村の馬借である。戦でボロボロになった村の中で泣いていたところを当時親方であった先代が拾って育ててくれた。飢饉やら何やら、厳しかった時代だと思われるのに見も知らぬ子どもを育ててくれた親方家族と加藤村の人々には心底感謝をしているし、頭が上がらない。中でも最も清八が心を預けているのは、きっと自分が最も長く仕えることになるだろう齢十歳となる若旦那だった。 若旦那はこの春から忍者の学校に通っている。忍術学園に通うように若旦那に言ったのは現在の親方だ。馬借になるのと忍者になんの関係があるのかわからない、最初はそう言っていた若旦那はある日先代に呼ばれて遅くまで帰ってこなかった。戻ってきた若旦那の目は真っ赤で、清八はどうしたのですかと尋ねたがその時は教えてくれなかった。だけど若旦那はその日から学園に行くのを嫌だとは言わなくなった。苦手だった字の勉強もするようになった。若旦那の馬術の腕は今では加藤村でも敵う者は少ないほどなのに、清八はまだ納得がいかなかった。なんでわざわざ遠くの忍術学園で馬借とは関係ない勉強を若旦那がしなくてはならないのか、わからなかった。だから清八は聞いてしまったのだ。どうして学園に行かなくてはならないのですか、と。若旦那が明日から学園に行ってしまう、その前の日の夜のことだ。寂しくてそう尋ねた清八を若旦那は暫く見つめてからぎゅうと抱き着いてきた。たくさん勉強したら、皆のことをたくさん守れるようになるんだって。じいちゃんが若い頃にあったみたいな、一揆をしなくても良いようにするには、次に親方になる俺がたくさん勉強して、いろんな友達を作った方が良いんだって。だけど清八、俺は絶対に加藤村に戻ってくるから。約束するから、だから絶対に加藤村のこと、俺が帰ってくるまで守ってくれよな。約束だぞ。 そんな風に言っていた若旦那の様子が心配で、清八は忍術学園への配達を担当させてもらうように親方に頼んだ。最初こそ不安そうだった若旦那もどんどん学園に馴染んで、友達や先輩との絆を深めていって、清八はそれが少し寂しくて、でも異界妖号の足音を聞き分けて走ってくる若旦那の笑顔が嬉しくて、そうして清八も少しずつ忍術学園の人たちを好きになっていった。 若旦那が話してくれる学園の話は色々で、ほとんどが同じ一年は組の同級生の話だったけれど、だけど委員会の話もよくしてくれた。潮江先輩、という名前は頻繁に出て来ていて、秋休みには加藤村に来てもらったこともあった。潮江村産の蛸を加藤村の皆に振舞って、村の帳簿を見てくれた潮江さんのことを加藤村の人間はすぐに気に入った。信仰している宗派が同じだ、ということもあっただろう。加藤村は大きなとある宗派の膝元にある。 だから潮江、の名前に清八が反応し、思わず聞き耳を立てたのは当たり前と言えば当たり前のことだった。故郷のことを少し照れ臭そうに、だけど誇らしげに語る潮江さんの顔を思い出した。 風に乗って自分の血の匂いがする。身体が伝えてくる異変を全て無視して、清八は馬を駆る。 早く伝えなくてはいけない、ただその思いだけがその手を、その足を動かしていた。 口の中が痺れはじめ、先程の矢に毒が塗られていたと知る。大切な若旦那から得た知識だ。忍者の武器には、毒が塗られている事があるんだよ、清八。 通常のルートで進めば、右に曲がる。目の前の崖を降りれば、忍術学園は目の前だ。ブルル、と愛馬が鼻を鳴らし、選択を促された。ご主人、私は行けますよ、進みましょう。 「頼むぞ、相棒」 震える舌でそう告げると、上体を起こし、騎座をしっかりとつけ、足全体で馬の腹を押す。行け、の合図に、馬はそのまま崖を一直線に駆け下りた。 眠さのあまりフラフラしていた団蔵の頭が瞬時に起き上がる。その様子に他の会計委員の四人もつられて顔を上げた。どうした団蔵、と問うた四年生の田村三木ヱ門の声を遮るようにして勢いよく立ち上がった団蔵は、会計委員会室から駆け出した。 「蹄の音だ! 何か、おかしい!」 「何⁈ 聞こえないぞ!」 会計委員長の潮江文次郎は慌ててその後を追う。時刻は子の刻、いくら今日が上弦の夜と言っても、馬が走るには遅すぎる。本当に馬が来たのなら異常事態と言えた。 「間違いありません!」 駆けながら振り返る団蔵はそう言って正門を思い切り開ける。そこでやっと、文次郎の耳にも激しく駆けるその蹄の音が聞こえてきた。 「来ます!」 団蔵が叫んだ瞬間、鹿毛の馬が頭上から降ってきた。 「清八! 異界妖号!」 団蔵の声に、勢いがつきすぎてあらぬ方向に走り出していた馬が戻って来る。馬上には、ぐったりしながら、辛うじて手綱を握る清八がいた。 「清八!」 「清八さん、大丈夫ですか!」 団蔵と文次郎が駆け寄ると、清八が真っ青になった顔をあげる。脂汗が彼の身体の以上をはっきりと語っていた。すぐ医務室に、そう言いかけた文次郎の腕を掴んで苦痛の表情を浮かべた清八が言う。 「近く潮江村が、戦に巻き込まれます…………」