- 300 JPY
超秘密の裏稼業2019で発行した赤安の小説本です。赤井とつきあっている降谷さんがまだ色恋に不慣れで、赤井が降谷さんに振り回されるお話です。※R指定でなく直接的な描写はありませんが、ベッドシーンがあります
本文サンプル
赤井秀一は眠りの中で、床やドアの軋む音を聞く。 あれは誰かが部屋を歩き回る音だと思う。それは自分といっしょにベッドに入った彼が立てるものだと思う。そしてベッドにいるのは自分だけで、彼はここにはいないことに気がつく。 部屋は暗く、閉じたドアの下の隙間から細く明かりが漏れている。彼は隣にいるようだ。ごそごそ物音が聞こえる。とても小さく控えめに。まだ寝ているはずの赤井を起こさないようにしているのがうかがえる。 赤井はじっとしていた。もし彼がまたこちらの部屋を覗きにきてもいいように上掛けに潜り込んでいた。息を殺して……こんなのは昔を思いだす。今だって必要とあらばやるけど。あんな頃はしょっ中だった。相手に見つからないように、じっと動かず……寝たふり、とか。 やがて物音はまばらになって、いったん遠ざかるが、やはり戻ってきた。 彼は部屋の前にいる。自分と同じように息をひそめてドアの前にたたずんでいる。 赤井は真っ暗闇の中で、降谷零が、ドアを開いて中の様子を確かめようか、迷っているのを、彼の表情までありありと思い浮かべることができた。 だが、それきりだった。 彼の足音は玄関に向かってる。鍵をこっそり開けて。そして出ていった。静かに、ひそやかに。まるで人目を忍ぶ逢瀬の行き帰りのように。 彼は黙って出ていくのに、律儀に外から施錠し直していくのだ。これこそ合鍵を渡した甲斐があったというものだ。それはともかく。住人の赤井にだって、あんなふうに音をさせずに鍵の開け閉めなんてできるだろうか。さすがは黒の組織の一員だ。バーボンはまったく名人級の腕前だった。こんど会ったら褒めてやろう。 眠い目をこすって起き上がり、あらためて、自分しかいないベッドを見つめた。 寝室の窓を眺められる路上で、降谷が最後の確認をしている可能性を考え、赤井は外から明かりが見えないように注意しながら、煙草とライターを手繰り寄せ、とりあえず一服する。 あんなふうに、なにも言わずにベッドを抜け出して、理由も説明も、予告も書き置きも、何もなく家から出て行かれたら、もうなにもできない。 ふざけるな、とか、罵り言葉もない。ため息の真似をして口から煙を吐くぐらいがせいぜいだ。 悔しいから、ベッドに入る前や、入った直後の降谷がどうだったのか、しばらく記憶を呼び覚ましていた。 窓ガラスは暗く、凍えそうな色をしている。 次に会ったら、彼から、なにか話すだろうか。 自分からは、座って抱き寄せてキスしたときの話でもしてやろう。先に目を閉じたのはきみだったとか、耳朶を真っ赤にして震えていたのが可愛かったとか。 そして朝になっても、当然、いっしょにいられるものだと思っていたよ。だって、つきあっている恋人が夜中にベッドを抜け出して黙っていなくなるなんて、普通はあまり考えないからな。 そんなことをぶつけてやったら、降谷零がどんな顔をして、なんと言い返すのか赤井は想像がつくのだった。きっと、口の端をよく注意してなければわからない程度に歪めて「それはどうも」と言い、眉を片方だけわずかに跳ね上げ「すみませんでした」と、悪かったと思っているとは到底信じられない口調で付け加えるのだ。わずかばかり頭を下げるかもしれない。眼も声も、きっと氷のように冷たいにちがいない。 気がつくと、二本目の煙草を吸い終わっていた。機械的に三本目を取り出したが、止めた。 時計を見ると、まだ夜明けまでは遠かった。もう少し眠るかと寝床に潜り込む。 再び、眠りに落ちるまでのあいだに思った。降谷零から冷たくされるのは、べつにこれが初めてじゃない。だからといって良いわけではないが。彼を嫌いになったのでもなかった。「話し合おう」と赤井は言った。妄想の中の彼にではなく、ただの独り言だった。 風見裕也は、隣にいる上司の顔をこっそり盗み見た。 「晴れて良かったな」と、上司は言った。彼は朝からこの言葉をもう何回も口にしているのだ。 「良かったですね」 しかたなく風見も応じた。これも、もう三回か四回目になる。 「早く暖かくなるといいな」 と、やはり上司は、朝からまったく同じことを言う。 「雨だと、出かけるのも億劫になりますから」 風見は言った。この返しは、これまでになかったはずだ。ようやく一つちがうものを思いついた。 「なんだ、旅行の予定でもあるのか?」 と、これも初めての会話の流れである。 「ええ、まあ、こんどの休みに、日帰りで行ってきたいところがあって」 「そうか。予定どおり休みが取れるといいな」 上司の降谷は、風見には無情に聞こえることを言って窓の外へ目を向けた。 ついこのあいだまで湿っぽく身を切るような風が吹いていた。三月になったばかりでは、まだ春とはいえないけれども、朝晩の冷え込みはきつくなくなり、日も長くなりつつある。もう冬ではないのだ。 今がいちばん、中途半端な季節かもしれない。風見はそう思って、昼下がりの公安庁舎で、廊下の大きな窓から差し込む陽射しに目を細めた。確かに、上司の降谷零でなくても「良い天気だ」と、つぶやきたくなるようなまぶしさだった。 窓から見えるのは、隣の庁舎の建物に遠くのビル群といった、なんでもない景色だ。それを、降谷零はまるで思い焦がれるようなまなざしで眺めている。 彼は、朝から心ここにあらずだった。どうやらひどく気がかりな件があるみたいなのだが、仕事とは何も関係がないというぐらいしか、風見にはわからない。降谷は気がかりについて一言も喋らないが、顔つきが仕事のときとは別ものなのである。 黙り込んで、ぼうっと視線をさまよわせている。もちろん仕事で必要な場合を除く。口を開けば、お天気の話しかしない。がんばって風見が受け答えをするのを一応聞いてはいるらしい。 二人は廊下で、すぐそこの会議室が空くのを待っているのだ。次に自分たちが使うために。 前の会議が早く終わって欲しいと風見は願っていた。でないと、降谷は窓の外を熱心に眺めて、またあの目つきをしている。「良い天気だなぁ」と、また同じお天気の話をする目つきだ。 まあ、わからないでもない。話題が他に何も無いときには、とりあえず空模様のことでも話しておけと、昔、コミュニケーション研修で講師が語っていたからだ。 できれば、「良い天気だなぁ」と言われても応じる側にはそれほどバリエーションがないことも、わかってもらえればと思う。 会議室の閉じたドアの向こうから、話し声に混じってガタガタと椅子や机を動かす音が、二人のいる廊下まで聞こえ始めた。 降谷は、そちらに注意を向けるそぶりをしたものの、飽きずに窓の外の空へ目をやり、口を開きかける。 「晴れましたねえ」 と、風見は先手を打つ気もちで言った。 降谷がふり返り、おもしろくもなさそうな、淡々とした口調で言った。 「君は、さっきから天気の話ばかりだな。もっと他に、興味のあることはないのか?」 唖然とする風見を一瞥し、ちょうどドアが開いて中からぞろぞろと出てくる人たちを交わしながら、降谷零は部下をおいてさっさと会議室へ入っていった。 今日の午後は、週に一度の、FBIと公安の合同進捗会議である。 赤井は朝から何回も「中止になってないよな?」と他の出席メンバーへ確認してしまっていた。 「なあに? シュウ、そんなに会議が好きだった?」 ジョディ・スターリングが怪訝に眉をひそめる。 「会議が好きなわけないだろ。俺が好きなのは 」 「酒と煙草と、あとなんだったかしら。最近は始末書とはあまり仲良くしていないみたいね」 誰がいつ、始末書と友人になっていたと言い返す前にジョディは去ってしまった。 昨日までのどんよりしていた空模様は、今朝から晴天になり、なんだか上手くいきそうに感じられる。 深い意味もなく、オーケイ、と公安庁舎の廊下で赤井はつぶやいた。 降谷零は、会議が開催される限り必ず出席する。この合同捜査が始まった頃にそう聞いた。彼が公安側の議長だからだ。 ということは、赤井も出席すれば必ず彼に会えるというわけだ。これは元々の招集メンバーなのだからなんの問題もない。あとは不測の事態でも起こって、彼が急に出席を取り止めたということにならなければいいのだ。 果たして、いつもの議長席に、降谷は座っていた。それを見た赤井は思わず、自分にだけわかる程度に小さくガッツポーズをした。 会議室の入り口から見た感じでは、彼は普段のようにビシッとしたスーツ姿で一分の隙もない。赤井の視線を察して、ちらりとこちらへ目線を投げたが、まるで宙に漂うホコリを見つけたような顔をしている。 「赤井さん。お疲れ様です」 後ろから声をかけられた。立ったままの赤井が通路をふさいでしまっていたのだ。すぐに横へ退いた。声をかけたのは風見裕也警部補だった。 「お疲れ様です」 合同捜査をするうちに覚えた日本式の挨拶を返した。風見警部補は両手で書類の束を抱えている。 「あ、これは今日の配布資料なんですけど、準備し忘れていたので、慌てて取りにいってたんです」 額にうっすらと汗をかき、苦笑いして「忘れていたのは降谷さんなんですけど」と言った。 「ほう、降谷くんが」 「珍しく、朝からうっかりミスとか多くて。まあ、どうやら個人的な心配事があるみたいなんで、降谷さん、そういうのはなにもお話しされないんですが。私にわかるのは仕事がらみではないっていうことぐらいですね」 風見はなにやら、溜まっている文句でも吐き出すような勢いで一気に喋った。 「ふうん。悩みでもあるんですかね」 「さあ。とにかく仕事ぶりはいつもどおりですよ」 まるで、それさえちゃんとしていれば他は勝手にしろとでも言いたげな、苦々しい表情である。 「そうですか。ところで、今日は良い天気ですね」 会議室はまだ半分ほどしか埋まっておらず、FBIのメンバーも他に到着していなかったので、もうしばらく世間話をするつもりで赤井は言った。 「早く暖かくなると良いんですが」 すると、風見警部補の目が大きく見開かれ、みるみるうちに眉間にくっきりした皺が寄った。 「そうですか? 生憎と、私はお天気なんかには興味も関心もありませんので」 まるで、今一番、言われたくないことを赤井にズバリ言われたかのようにイライラとした口調になる。 「では、失礼します」 呆気にとられる赤井を残して、風見は足早に去ってしまった。