星紋 (ほし) 日本の実用家紋 ZIP (AI, PNG, PSD)
- A 16点 三曜Digital700 JPY
- B 16点 三曜などDigital700 JPY
- C 16点 六曜ほかDigital700 JPY
- D 16点 九曜Digital700 JPY
- E 11点 十曜ほかDigital700 JPY

計75点【A】【B】【C】【D】【E】 【A】三曜、丸に三曜、子持ち輪に三曜、陰輪に三曜、雪輪に三曜、月輪に三曜、藤輪に三曜、軸付き藤輪に三曜、井筒に三曜、井桁に三曜、五鐶に三曜、五瓜に三曜、子持ち六角に三曜、折敷に三曜、子持ち折敷に三曜、柊輪に三曜 【B】白餅に三曜、丸に三曜水、丸に三つ星一文字 (丸に渡辺星)、三つ星一文字 (渡辺星)、陰輪に三つ星一文字、雪輪に三つ星一文字、藤輪に三つ星一文字、立ち隅入り角に三つ星一文字、丸七宝に三つ星一文字、五鐶に三つ星一文字、五瓜に三つ星一文字、六角に三つ星一文字 亀甲に三つ星一文字、折敷に三つ星一文字、丸に剣三つ星、丸に三つ星に三枚笹 【C】六曜、丸に六曜、雪輪に六曜、車輪に六曜、片藤輪に六曜、折敷に六曜、七曜、丸に七曜、陰輪に七曜、雪輪に七曜、藤輪に七曜、六角に七曜、亀甲に七曜、子持ち六角に七曜、丸に五曜、離れ五曜 【D】八曜、九曜、丸に九曜、細輪に九曜、雪輪に九曜、車輪に九曜、六角に九曜、井桁に九曜、亀甲に九曜、平折敷に九曜、折敷に九曜、菊輪に九曜、白餅に九曜、離れ九曜 (侯爵細川家)、並び九曜、丸に並び九曜 【E】九曜菱、四曜、井筒に一つ星、立ち井筒に一つ星、井桁に一つ星、十曜、十三曜、変わり七曜、四角並び八曜、三つ盛六角に七曜、三つ盛亀甲に七曜
サイズ1000px×1000px (余白あり) モノクロの透明背景。拡張子AI (ベクター線 CS2)、PNG (簡単そのまま使える)、PSD (ベクター線) の3種類。※1つのZIPフォルダに一点ずつ個別のデータファイルがあります。
日頃より、家紋の伝承ミスが起こらないためにも、祖先からの伝えや紋付の備品、墓石を写真でしっかりと残しておくことが大切です。その中でも間違われやすい家紋のひとつが「六曜 (六星)」と梅紋の一種「星梅鉢」。 丸が合計六つ、中心の円を囲むように五つの丸が配置された家紋があります。ポイントは“丸の大きさ”で、注視して確認してもらいたい。 ■ 六曜 → 中心丸 ≧ 外側の五星 ■ 星梅鉢 → 中心丸 < 外側の五星 【子爵渡邉家 (和泉伯太)】 「丸に三つ星一文字(丸に渡辺星)」現在の大阪府和泉市の和泉伯太藩主を務めていた大名家で、全国の渡邉家・渡邊家・渡辺家の中の代表格にあたる家である。余談になるが渡邉の正字体の表記は文献や石碑によって邉以外にも少数ながら邊の表記も見られる。漢字表記がバラバラな件に関して、筆記者や彫師への誤伝によるものなのか、時の当主の勘違いによるものなのか興味深い。今回地元史料および現存する遺構を元に家紋を作成。 【子爵戸田家 (信濃松本)】 「六曜」は、松本藩主松平戸田家の家紋である。戸田姓の宗家であり、近代に入り松本藩主としてのお勤めを終えた後も松本市と深く関わりを持ち、末裔の一人は松本市名誉市民に選ばれている。家紋は現存する遺構より確認済み。 【子爵田沼家 (遠江相良)】 「七曜」は、江戸後期に現在の福島市佐倉下の陸奥下村藩主や静岡県牧之原市相良の相良藩主を務めた一族。家紋は現存する遺構より確認済み。 【侯爵細川家 (肥後熊本)】 「九曜(侯爵細川家)」熊本藩主の細川家の家紋である。江戸中期までは一般的な九曜紋を使用してきたが、当時の福島藩主板倉家の当主に一族の九曜巴を無許可で使用していると誤解を受け、江戸城内で細川家当主が斬り付けられる事件が発生。その事件以降、細川家の家紋は一族専用の九曜紋に変更。 現在細川家は数ある大名家の中でも多くの美術品をそのまま現代に残しており一般向けに美術館を交えて公開。さらに自ら美術家として作品を生み出している一族。 九曜紋使用家:石田三成家末裔家紋 【大名家の家紋は藩領の象徴】 「侯爵細川家 (肥後熊本)」の項で記した「家紋が原因で当主が斬りつけられた事件」でわかる家紋の大切さについて。領地を収めている有力公家や大名一族の家紋は現在の国旗と同位に尊いもので、当主一族だけではなく藩領の民全てを表す象徴として大切に扱われている。現在社会でも大名家の家紋が信仰の対象として崇められていたり、市章として採用している自治体も存在する。