牡丹紋 (ぼたん) 日本の実用家紋 ZIP (AI, PNG, PSD)
- A 11点 大割り牡丹などDigital1,000 JPY
- Z 2点 本願寺抱き牡丹※Digital100,000 JPY

計13点【A】【Z】 【A】七葉抱き牡丹 (伯爵津軽家)、丸に七葉抱き牡丹、五葉抱き牡丹 (子爵津軽家)、丸に抱き牡丹 (子爵吉井家)、島津牡丹、大割牡丹、丸に大割牡丹、落ち牡丹、丸に落ち牡丹、丸に三つ割り陰牡丹 (A)、丸に三つ割り陰牡丹 (B) 【Z】※参考画像のみ黒塗り盗用防止処理あり。販売品に黒塗り処理はありません。本願寺抱き牡丹 (浄土真宗 興正寺派宗紋のひとつ)、本願寺抱き牡丹 (浄土真宗 真宗大谷派宗紋)
サイズ1000px×1000px (余白あり) モノクロの透明背景。拡張子AI (ベクター線 CS2)、PNG (簡単そのまま使える)、PSD (ベクター線) の3種類。※1つのZIPフォルダに一点ずつ個別のデータファイルがあります。
百花の王として高貴な物の象徴として扱われている花が牡丹。その牡丹紋は上流公家を表す家紋として使用されてきた。 伯爵津軽家の定紋、公爵島津家や伯爵伊達家の替紋の一つとして牡丹紋が伝わっているが、これは全て近衞家との猶子の契りを結んだ証に与えられたものである。 【大名家抱き牡丹】 共に現在の青森県津軽地方の大名家の家紋。「七葉抱き牡丹」の弘前藩主伯爵津軽家と「五葉抱き牡丹」の黒石藩主子爵津軽家の家紋共に、上流公家の近衞家より授かった家紋である。弘前藩主津軽家の場合、近衞牡丹紋の類似紋を併用している。美術品や建造物の装飾より確認。 【丸に抱き牡丹 (子爵吉井家)】 公家鷹司牡丹紋の派生であり、群馬県高崎市の地を治めていた吉井藩吉井家の家紋である。牡丹紋を替紋または定紋としている大名家の多くが絶対的格上の上級公家から牡丹紋を渡されて使用していることがほとんどですが、大名吉井家は事情が異なります。吉井家は公家鷹司家の直接の分家であり、かつては鷹司の姓を名乗っていた一族。当然牡丹紋も最初から自分の家紋であった。吉井家のほかに上流公家から武家になった一族には巴紋の伊予西園寺家、藤紋の土佐一條家、連翹紋を持つ三條家分家の大名戸田家(松本城主等)が挙げられる。 【島津牡丹 (公爵島津家)】 上流公家の近衞家より授かった家紋から形を変えて替紋のひとつとして使用している。近衞牡丹紋をそのまま使用した例もある。実用品から家紋を作成。 ━━━━━━ 【興正寺派 抱き牡丹】 興正寺が使用している牡丹に、左右がつぼみの紋と葉っぱのみの二種類を確認。今回は家紋としても使用実績を確認しているつぼみの紋を作成。公家家紋と同一形状。作成の経緯や無償提供の詳細は“真宗大谷派 抱き牡丹”の項。 【真宗大谷派 抱き牡丹】使用家 男爵大谷家 抱き牡丹の家紋作成に多数の文献と裏付けの証言を元に数年をかけて、より家紋らしい形状で図形化に成功しました。通常購入は可能ですが、無償の配布条件の相談可 (トップページ参照)。 「本願寺抱き牡丹」は、日本最大の仏教徒を有する浄土真宗の中の真宗大谷派の宗紋である。藤原一族の家格上の宗家にあたる近衞家より家紋を授かり、ひとアレンジを加え宗紋として取り入れた。男爵大谷家をはじめ大谷派寺院の門主一家と思われる家の家紋としても使用が確認できる。本願寺牡丹とその元になった近衞家の牡丹の違いが分からない人が本当に多く、誤って近衞牡丹を付けた紋入りの仏具が売られていたり大谷派寺院の寺紋として使われていたりすると京都・東本願寺住職兼研究の方が苦言を呈していた。京都でお東さんとして知られている真宗本廟こと東本願寺。さらに京都東山には大谷派の方なら一生に一度は参拝する必要がある聖地とまで言われている大谷祖廟がございます。東本願寺は時代劇の撮影場所として長年にわたり協力していることから特に知名度が高く、宗派の教徒さまや時代劇ファンの方々に限らず一度は訪れたい寺院です。(執筆日 12/10/2022)