In fever, In crazy
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A6/36p(2022年5月発行) フィガロとオズが熱を出したり出されたりする話。 【サンプル】 「オズがまた熱を出した?」 屋敷に帰ってきたばかりのフィガロは、調達してきた生活用品を抱えたまま、スノウの言葉を繰り返した。オズが熱を出した──その言葉を聞くのはもう何度目だろうか。フィガロは小さく溜め息を吐きながらも、思わず笑みを溢した。 スノウとホワイトが拾ってきたオズという子供は、基本的に丈夫な子だった。否、正しくは体自体が丈夫なわけではないのだろう。彼の体はまだまだ未成熟な子供のもので、魔法に頼って生活しているフィガロですら、腕力だけでその肉体を破壊することはできそうだった。 単純にオズは病に強いのだ。無論、それはオズに限った話ではない。強い魔力を持つ魔法使いならば、大抵が持っている性質と言うべきか。本能的に生き残ろうという力が働くのか、本人も意図せず魔法が発動し、病からその身を守る──そういったことが起こるのだ。 ただ、例外はある。精神的なものからくる病だけは、魔法が防いでくれるものではない。魔法は心で使うもの。その心が不安定になると、魔法使いの生存本能も鈍りを見せるのだ。 近頃のオズは、フィガロが遠方に出掛けたときに限って、熱を出す。それは恐らく風邪などではなく、精神的なものからくる発熱だった。そして双子は口を揃えて、フィガロがいないから熱を出すのではないかと言ってきて。 そんなことがあるものか、というのがフィガロの素直な感想だった。正直、二人に揶揄われているのではないかと思ったほど。 確かにオズの日常的な世話はフィガロが引き受けていたから、彼と過ごす時間が比較的長いことは否定しない。だが、オズは基本的に独りを好んだし、フィガロに懐く気配など少しも見せたことはなく。 オズは、フィガロがいなくとも欠片も気にしないはずだった。寧ろ、フィガロと離れている間のオズは、鬱陶しい兄弟子から解放されてのびのびと過ごしているに違いない。そもそも、フィガロが留守にしている間はスノウかホワイトが必ず傍にいるようにしているのだから、仮に彼にそういう感情があるとしても寂しいということはないだろう。 それなのに、フィガロが長めの外出をすると、決まって熱を出すというのだ。 命に関わるほどの高熱ではなかったし、熱があると大人しくなるため、最初は双子も大して気にしていなかったと思う。ただ、何度か看病をしているうちに情が湧いてきたのか、口々に可哀想だと言うようになり。 (……俺のせいだって言われてもねえ) はっきり言って、まるで覚えのないフィガロにとっては言いがかりのようなものに近い。オズが熱を出すかもしれないからあまり遠出をするなと言われたとして、用が済み次第できるだけ早く帰ってくるということくらいしかできなかった。フィガロにはフィガロでやることもやりたいこともあるのだ。以前ならばふらふらと酒場に寄っていた時間を削っているだけありがたいと思って欲しい。 ただ、ここまで何度も同じことが続くと、本当にそうなのかもしれないという気はしなくもなかった。そして、そう思ったら途端に悪くはないと感じてしまうフィガロがいて。 勿論、実に面倒な子供だという気持ちは変わらずある。だが、それ以上にフィガロには愉快なことに思えたのだ。なにせ、いずれは双子でも手が付けられなくなるほどの怪物に育つだろう子供が、少しも懐こうとはしない小憎たらしい子供が、他でもない自分の行動に振り回されているのだから。 「じゃあ、ホワイト様と看病代わってきますね」 *** 「どうしてこういうところばっかり似るんだろうね」 フィガロはそう呟きながら、僅かに汗ばんだアーサーの額を優しく撫でた。少し遠出をするからアーサーを見ていてほしいとオズに頼まれたのが今朝方のこと。都合よく呼び出されることに思うところがないではなかったが、オズに頼られて悪い気はしなかったし、何よりアーサー自身がフィガロの来訪を熱烈に歓迎してくれたものだから、結局は快く留守番を引き受けて。 最初は、何も問題がなかったように思う。大はしゃぎで色々な遊びに誘ってくるアーサーの期待に応えて午前中はあっという間に時間が過ぎた。それから、オズが事前に用意しておいてくれた昼食を温めて食べ、少しの昼寝を挟んでから魔法の特訓に付き合って──。 それなのに、あと数時間もしたらオズも城に帰ってくるだろうという頃になって、アーサーが熱を出したのだ。 久々にフィガロと遊べたのが嬉しくて熱を出した、というのであればまだよかったかもしれない。けれど、フィガロには薄々彼の発熱の原因がわかっていた。毎度毎度熱を出されてはわからないわけもない。理由は驚くほど単純だった。オズがいないから、だ。 幼いアーサーにとって、世界はオズが全てに等しい。オズがいるのが当たり前になりすぎて、いないと心細くなってしまうのだろう。熱にうなされながらアーサーが譫言のように呟く名はいつだってオズのそれだった。甲斐甲斐しく看病しているのはフィガロであるにもかかわらず、だ。 オズの代わりにフィガロがいたところで、アーサーの心が埋まるわけではない。アーサーはどうしたって、オズがいいのだ。オズでなければいけないのだ。正直すぎる子供の心は、時として残酷である。 「アーサー、大丈夫だよ。オズはもうすぐ帰ってくるからね」 フィガロはそう優しく声をかけながら、自身の心が置いていかれそうになるのを感じていた。あまりにも熱烈にオズに好意を寄せるアーサーに、何度「俺にしとかない?」と言いそうになったことか。勿論、そんなことを口にすれば雷が落ちるのはわかりきっているから、言葉にするつもりはない。ただ、時々二人の関係がどうしようもなく羨ましくなることがあった。 あのオズですら、アーサーが待っているとなれば、大急ぎで用事を片付けて帰ってくるのだ。元々無駄を嫌い、効率的な動きを好むオズではあるが、それでもアーサーの待つ城へ帰ってきたときには如何にも超特急で帰ってきましたという様子を隠しきれずにいる。二千年近い付き合いの中で、彼が自分のペースを乱すところなどほとんど見たことがなかったものだから、フィガロも最初は面食らったものだ。 確かにアーサーは礼儀を弁えた利発な子供だったし、その身に宿している魔力も多く魔法使いとしても有望だと言えるだろう。だが、何か特別オズの目を引くようなところがあるかと言えば、そうではないとフィガロは思っていた。確かにその出自や北の国へ行き着いた経緯を思えば、特別と言えば特別なのかもしれない。だが、それはオズの心を動かすような要素ではなかった。 出会いとは不思議なものだと心底思う。たまたま、アーサーを拾ったのがオズだった。たまたま、オズを拾ったのがアーサーだった。その巡り合わせが、二人を強く強く結びつけた。 ほんの少し離れた程度で熱を出すほど恋い焦がれるような相手との出会いなんて、想像しただけでも痺れてしまう。本当は、フィガロだって自分が遠出をする度に熱を出すオズに、期待したことがないわけではないのだ。彼にとって自分は特別な存在なのではないか、と。 そう軽々しく思い込めるほど愚かであったなら、フィガロも生きやすかったかもしれない。だが、多くの出会いと別れを経験したフィガロは、そういう判断については酷く慎重だった。期待して裏切られるくらいなら、期待しない方がいい。裏切られる前に裏切ってしまう方がいい。 (オズの奴も結局、双子先生の屋敷に慣れてきたら、熱なんてすっかり出さなくなったしなあ) フィガロは昔のことを思い出しながら、小さく溜め息を吐いた。出会った頃と比べれば心を開きはしたが、それでも独りを好みフィガロたちの下を離れていったオズ。オズにとってフィガロは特別でも何でもなかったのだ。 彼には、フィガロに看病された記憶など、残っていないのだろう。恐らく、自分が何故頻繁に熱を出していたのか、知りもしないはずで。 実を言えば、過ぎ去った優越感をフィガロだけが覚えているのは不公平な気もして、何度か忘れようと思ったことがある。しかし、どれほど多くの子供の看病をしようと、熱を帯びたオズの小さな掌が自分の指を掴んだ感覚を上書きすることはできなかった。 「ごめんなさい、フィガロさま……せっかくフィガロさまが遊びにきてくれたのに」 こんな風に健気なアーサーが謝罪の言葉を口にしても、だ。 大丈夫大丈夫、と指先で髪をすいてやりながら、こういうところはまるで似ていないと苦笑する。子供が熱を出すのなんてよくあることなのに、毎度毎度こうして申し訳なさそうな顔をするのだ。それは、オズに対しても同じこと。いい子にして留守番していると言ったのに熱を出してしまった、と落ち込むアーサーを幾度慰めたことか。 オズなど、熱を出して弱っているときでも、フィガロが駆け付ければ「遅い」の一言だけだった。勿論それは双子を真似てのことなのだろうが、それにしたって可愛げがないにも程があるだろうと改めて思う。そのせいで、オズが熱を出すと謝るのはフィガロの方だった。 「フィガロ様、オズ様には内緒にしていてくださいね」 そう言ってすがるように服の裾を掴んできたアーサーの小さな手を握ってやりながら、この子の十分の一でもオズに可愛げがあればよかったのにと考えて、すぐにその思考を打ち消した。それはそれで怖いような気もしたからだ。愛想のないぶっきらぼうなオズに慣れてしまっているせいで、可愛げのあるオズなど想像するだけで気味が悪い。オズはあれでいいのだと思うことにして、アーサーがそのまま眠りに就くのを確認してから、フィガロはゆっくりと後ろを振り返った。 「だってさ、オズ」