【オルタナティヴ/ザ/ワールド】進撃の巨人
- Ships within 7 daysOut of StockPhysical (direct)1,400 JPY

進撃の巨人 リヴァイ×エレン A5オフ小説 R18 140P 1400円 傾向:近未来パラレル/エレンとLという記号を持つ青年の話 断絶した世界に二人きり、空虚な心と心が交錯した――。 道端に落ちていたやたらと眼つきの悪い青年を拾ったエレンは、彼との共同生活を始める。 二人で紡ぐ日々は穏やかに時間が流れ、空気は暖かく、通り過ぎる感情は柔らかくて、世界が滲んで見えるくらいに酷く居心地が好い時間だった。 けれども互いを大切に思うようになるにつれ、二人の間は擦れ違い出し、相手のことがわからなくなる。 そして、突然エレンの前に現れた或る男に因って、二人の生活はぶつり――と終わりを告げた。 ――もう一度、貴方に会いたい。 その願いの為に、この身で為せることの全てを―…。 http://www.pixiv.net/novel/member.php ※先着でイベント限定コピー本をおつけします。
SAMPLE
〈 序章 〉 崩壊或いは命二つ、交差した日 〈第一章〉憂慮、或いは晴れの日々 〈 間章 〉懸念、或いは砕いて撒いた日々への喝采 〈 第二章 〉 憂慮、或いは正しく滑落する過程 〈 間章 〉追憶、或いは記録と記憶の融ける日々 〈 第三章 〉 憂慮、或いは振り下ろした短剣の先 〈 終章 〉 崩壊、或いは交錯する想い [newpage] 〈 序章 〉 崩壊或いは命二つ、交差した日 それは指先が悴(かじか)み、冷たさが地から這い上がっては爪先を凍らせる、そんな凍(こご)える季節が最後の爪痕を残す時節だった。霧雨が舞う様に散っては視界を阻み、人通りの無い道を歩いていると、あらゆるものから遮断されたかの様に、世界はシン――と、どこまでも冷々たる酷薄さで静まり返っていた。 その隔絶がいっそ、心地好かった。 酷薄さと非情さを罅割れた薄氷で覆い隠し、白々しくも迎合されるより、余程清々しく、明朗たる世界の在り方に思えた。 すっかり白くなり感覚を失った、指先。そこから更に体温を奪い去っていく、自然と世界の容赦の無さに、薄く笑む。 ふらり、ふらり……とした覚束ない頼りない足取りで、同じく頼りないばかりの細く華奢な身体を、何となく道らしきものに沿って、先へ先へと進めていく。 行き先は、はじめから未定。 そこに至る道は、前後すら、疾っくに不明。 戯れに舞い変調を謡(うた)う霧雨が創り出す、白色(はくしょく)の世界。 世界で最も明るく最も無色であることを誇る、白の世界。 肌に纏わり付く微細な水滴が、この身を溶かして消失させる酸であったならよかったのにと、トランス状態な思考のグランドトータルボタンが愚にもつかない答えを弾く。 そうしたらきっと、跡形も残らない。 けれどそんな夢想は容易く、現実(レアレテ)を前に砕け散る。 先へ先へと只管に進む、道。 その前方に黒い塊を見つけて、他者(ひと)から常に大き過ぎると評される眼の、その眼球だけを微かに動かした。 やけに大きい、と思った。 怪しい、と思った。 だがその程度のことで、頼りなく進むその足取りは止まらない。 進む理由(わけ)は特に無かったが、止まらなければならない理由(わけ)もまた、無かった。 ――ゆら、り。 黒い塊が僅かに動いた気がした。 それに微かに眼を見張る。 その大きな眼にはじめて、感情らしきものが浮かんだ。 こんな冷たい日のこと。 生き物達は皆、息を潜め、塊になって、互いに暖を取り合う。 だからてっきり誰かが無断で放棄した粗大ゴミか何かだと認識していたのに、一応それは動くものだったらしい。 なんとなく興を惹かれて、その前に立ち止まった。 そして視線を落としたら、見上げてくる眼と、眼が遭った。 時間が、世界が、止まった瞬間。 トクリ――と確かに鼓動が高鳴った。心が、動いた。そのことに驚いた。でもそれは当然の理(ことわり)だと思った。 硬く凝り無感動さで凪いだ心すらも容赦無く切り裂いてしまう程に、それは残酷に厳格に徹底的に美しいものだった――無垢で純真で幼気(いたいけ)で眩く、儚さの天秤につりあう――尊い生命(モノ)だった。 何故、そう感じたのかなんて、わからない。 唯(ただ)、寄越された明度の高い眼差しの、その敢然たる透徹さに、圧倒された。 それは澄み切って冴えわたる空さえ、傾(なだ)れ落としてしまう様な。 眼差しを、逸らせなかった。 眼差しが、逸らされなかった。 一人きりの世界が、二人きりになった。 世界を支配し続ける戯れの霧雨の白すらも、二人の間を隔絶することは出来なかった。 「……なにしてんの?」 喉が痛んで、落ちた声が掠れた。 だが音になって伝われば、それでいい。 「……さあな」 投げやりな応えが、寄越された。 そんなぞんざいさ等はお構いなしに、その声には艶やかな光沢感があった。たったひとこと。けれどもそれだけで十分に伝わる。低いテノールの、謹厳さを含んだ粛然たる、彼方まで響く好い声だった。 「そんなとこで丸まってたら、死ぬよ」 ずっとこのままでいたら凍死出来る様な気はするのだが、そんな簡単に人が死ねるのかどうかを知らないし、現に似たような有様(ありさま)の自分は今、まだ生きているし呼吸(いき)もしているし、特に死ぬ気配は無い。 それでも――この生命(イキモノ)に酷い言葉をぶつけて、冒(おか)し貶めたいという欲求が、心の底から湧いた。 この世界に、気高くも赫赫と美しく感じるモノが在るのだと、己の心臓(ココロ)を動かすモノが在るのだと――そんなことを認めたく、無い。 それは、そんな幼稚で希薄でどこまでも自分勝手な衝動だった。 そんなものが、他者(ひと)を傷つけてよい理由になる訳が無い。 「それも、いいかもな」 平然とした、応え。 突きつけた刃はその切っ先すら、その生命(イキモノ)に届きはしなかった。 「……なにそれ」 「名も無く、目的も無く、心臓が動いている。それだけが事実だ」 それは酷く淡々とした、言葉だった。 そしてその言葉は、どこまでも耳に心地好く響く、ざらつきのない、滑らかな声で紡がれるのだった。 だがここは演劇場(テアトル)では無い。 今の状況に、あまりにも、ソグワナイ。 自然と、眉間に皺が寄る。 「―…それで?」 「―…それだけだが?」 どんな答えを、期待したのか。 けれどそれが違うことだけは確かだった。 「だったらさ。……さっさと生きるの、止(や)めちゃえれば?」 だから苛立ち混じりにそう言って、爪先で地面を蹴った。 「死んじゃえば」と言い捨てようとしたのに、それは何故だか喉に痞えて凝ってしまったから、だから喉を通せる違う言葉を捜した。そうしたらそれは、薄皮一枚分のやさしさの押し売りになった。偽善と欺瞞に満ちた俗悪な言葉は、あまりにもこの美しい生命(イキモノ)と掛け離れ過ぎていて、通じ合わない異国語の様だった。 「一つの記号と、生きなければならない」 訥々と、言葉が紡がれる。 それに深々と、耳を傾ける。 「俺が理解しているのは、それだけだ」 霧雨など、疾っくに視界から消えている。 綺麗な綺麗な眼に灯った、生命(イキモノ)が持つ意志という名の炎の鱗片を確かに見つけた。それはその綺麗な眼をより美しく、輝かせた。 それに感動している、自分がいた。 それに戸惑う、自分がいた。 心が化学変化を起こしたみたいに、チカチカと瞬いた。 「……ふうん」 呟いて、思案する。 「お前こそ、こんなところで何をしている」 「散歩」 「濡れているが」 「お互い様」 平然と平坦に答えてみせたが、この生命(イキモノ)との会話を紡ぐ為に息を吸い込んだら、ひゅッと小さく喉が鳴った。 由来は、――緊張。 まさか、と思う。 柄にも無い。 そんな精彩で変転とする感情など、色褪せて薄らいで、忘却の彼方へと消えたと思っていた。 ――あの日から、時間は止まったまま。 ――心も、硬く凝らせたまま。 けれど今、その硬く凝り無感動さで凪いでいる筈の心が揺らいでいるのは、紛れも無い事実だった。 この生命(イキモノ)の言葉を、ひとつひとつ、思い出す。 違えていないか、確認する。 「―…もしも。もしもあんたが今、自分に存在価値を見出せないって言うんなら、」 水滴で濡れている筈の唇を幾度も舐めて湿らせて、もっと適切な言葉をと捜したけれど、結局稚拙な言葉しか、出て来ない。 そしてこれから自身の為(な)そうとしていることに、それを容易く己に許したことに、戸惑いながらも、それでもその為に紡ぐ言葉を止(と)めようとは思わなかった。 そしてそれが承諾されることを信じて疑わなかった。 綺麗な綺麗な眼(まなこ)が、不思議そうに瞬いた。 仏頂面の表情(かお)はちっとも色を変えない癖に、その鋭利な刃物の切っ先の様な眼だけは、やけに雄弁にこの生命(イキモノ)の感情を語る。 自分よりも余程、コレはちゃんと生きている生命(モノ)だ。 「あんたの命、言い値で俺が買うよ」 札束で頬を張る、行為。 人道にも、悖る。 だがこれから始める関係なら、きっとそれくらいが丁度良い。 「それは、どういう…?」 綺麗な綺麗な眼が、幾度も瞬く。 それを見詰めていると、楽しいと面白いと、そんな変転する感情の切れ端が、遠いところでチラリと掠める。 まだ死に切れていなかった感情があった。 わかって、よかった。 ――さっさと全て、死滅してしまえ。 この生命(イキモノ)の疑念など些細なことと捻り潰して、好き勝手に奔放に、続きのストーリを紡いでいく。 「ついでにあんたの唯一の持ち物とやらと、オレの生命(イノチ)を交換しないか?」 紡いだ音が調べになって、流れて端から消えていく。 理解など、求めていない。 欲しいのは「イエス」、その答えだけだ。 「……お前は自殺志願者、なのか」 他者(ひと)に命を預けることの意味を、正しく知る生命(モノ)だった。 その命令ひとつでハイスピードの車の前に、身を投げられるか。 「――さあ?」 愉快だ、と心の何処かが告げていた。その煩わしいだけの雑音(ノイズ)が、折角のこの生命(イキモノ)の声をハイジャックし続ける。 「そんなに、死にたいのか」 生きるか、死ぬか。 それともその二択の狭間を彷徨(さまよ)うか、否か。 「あんたがそう、望むのなら」 今すぐこの場で殺されても構わないと本気で思っていた。何なら自分で自分を殺すのだって構わない。 この生命(イキモノ)と引き換えにするというのなら、こんな俗っぽい生命(イノチ)ひとつでは随分と安上がり。 幾度も交錯する、視線。瞬いては見詰め合うことの繰り返し。 そうして眼差しだけで互いを測る、互いに量られる。 戯れに舞う霧雨が隔絶した二人だけの、白の世界。 もしもここに時計があったなら、その秒針はきっと不憫にも音を立てることに怯み、進むこと無く停滞し、沈黙し続けていることだろう。 どれだけの時間を使っただろうか。 生命(イキモノ)の眼差しがふと、やわらいだ。 「――L」 それは唐突に寄越された、望んだ対価。 まず耳が纏うのは、艶やかで滑(すべ)らかな光沢感。そして謹厳さを含んだ粛然たる声音で発せられた、果敢無き――一音だった。 「……エ、ル?」 粗略に寄越されたその音を、そっと繰り返した。 大事に口に含んで、飴玉の様に転がして、味わった。 己の生命(イノチ)の対価の、音。 「俺の知る記号だ」 ――記号。確かに、それは正しい言い方だった。「名」と称するにはあまりにも、それは無機質。 けれどこの音に大事に息吹を吹き込んでいけば、やがてそれは価値のある音へと化学変化を起こす審判の日(ジャッジメントディ)が来る。 この生命(イキモノ)はそれに、気が付いているだろうか。 如何にも聡明そうで如何にも愚昧そうな、この生命(イキモノ)は。 「エル。オレは―――だ」 「―――、」 この生命(イキモノ)はお返しにと渡した使い古した陋劣(ろうれつ)な単語を、さも大事そうに抱え込んでみせた。 まるでそれだけしか灯(ひ)を持たぬ、寄る辺無き者の様に。 この生命(イキモノ)は自分の一体何処に、その対価となる価値を見出したのだろう。いつかその色の無い表情(かお)を割って、聞き出してやろうと心に決める。 そうしたら、その分だけなら、今の自分に価値を与えてもいい。 それはとても簡単に、ストン――と、心に落ちた。 不思議な心地、だった。 ずっと粗末に扱ってきた、この生命(イノチ)だというのに。 でも、悪くない。 「交渉成立」 唇を、三日月の形に釣り上げる。 それは精巧に緻密に造られた美しい西洋人形(ビスク・ドール)が、陶磁器で出来た決して動く筈の無いその口許を無理矢理歪めたかの如き無様な呈ではあったが、それでも久方ぶりに浮かべた、紛い物では無い、笑みだった。 眼前の生命(イキモノ)の眉間の皺が、数本、増えた。 それは、折角小奇麗に整っている男前な顔付きを、ますます台無しにした。 けれどもそれが、僅かに眉間を寄せた無表情に近しい顰め面を貫く、それこそ本物の人形の様な生命(イキモノ)が初めて見せた表情らしきものだった。 [newpage] 〈第一章〉憂慮、或いは晴れの日々 芳醇な香(か)が薄く開いた扉の隙間から、ふうわりと漂ってきた。 それに鼻腔を擽られたエレンはベッドで布団に包まったまま、うん――と伸びをした。すっかり馴染んだこの香りが、今ではエレンの目覚まし代わりだった。 眠たいと訴える頭を強引に起こし、いつもの如く重たく感じられる身体を引き摺りつつ、何とかベッドから降りることに成功すると、ぺたぺたと裸足でフローリングの床を歩いてゆく。スリッパは何処かに出張中だ。わざわざ探しに行って遣ったりはしない性質(たち)だ。 僅かに開いているベッドルームの扉を、人ひとりがやっと通れる幅の分だけ開け、猫の様にその隙間を擦り抜けると、リヴィングルームへ。香りが一層強くなり、エレンの中に沈殿している眠気を追いやっていく。 レースのカーテン越しにも朝陽の眩しい、天気の好い日だった。その隙間から覗くガラス越しの空は、綺麗な青。 エレンのふわふわと遊ぶ茶褐色の髪の先に陽光の粒が纏わりついて、それは滴る朝露の様に眩くキラめいた。 働き者の彼のお陰で、近頃すっかり規則正しい生活が身についてしまった。少し前までの自堕落は、何処へ行った。朝陽を浴びる生活をしていると胸に切なく思い出すのが、遠い昔に当たり前だった――日常という名の、平穏。 過去を懐かしむ代わりに表情(かお)に浮かべた微苦笑には、本人は気が付くことの無い、仄かな柔らかさ。 「おはよ」 エレンはカウンター越しに、キッチンを覗き込む。 そこにはこの香りを漂わせている、張本人が居る。 漆黒の艶やかな髪を項で軽くひとつに括って背中に流し、黒いエプロンをした小柄なその姿。 彼はエレンのすっかり凪いでしまっている心を、微かだけれども確かに波立たせる存在だった。 今は俯いているからわからないが、表情を削ぎ落としているか、僅かに眉間に皺を寄せた不機嫌そうな顰め面以外の表情(かお)を滅多に作らないその貌立ちは、肌理細(きめこま)やかに整っている。その彫像の様な顔つきは、女顔とからかわれることの多いエレンとはまったく種類の異なる、内から精悍さの滲み出る、実に男らしい惚れ惚れとする美しさ。 ――正直、羨ましい。 たが現在、その美醜はさて置き、その表情に些か問題を感じないでも無い。折角窓から差し込む朝陽がキッチンにまで到達し、まったく容赦の無い光で支配しているというのに、それすらも手にした包丁では無く、眼差しひとつで切り刻んでしまえそうな程、彼の眼つきはとてつもなく悪いのだった。 決して不機嫌だから、という訳では無い。気に入らない何かを睨み付けているわけでも無い。只管に通常運転で、徹底的に眼つきが悪い。 最早これは、トレードマークとさえ言えた。 こんな野性味溢れる特徴的な個性を持つ人間とは、滅多にお目にかかることは無い様に思われる。 思われる……のだが。 だがしかし、エレンは時折、彼に対して不可思議な既視感(デジャヴ)を覚えることがあった。……見覚えがある気がする。会った事がある気がする。共に笑い合う日々があった気がする。それはとても不思議な感覚だった。 エレンの肌にさらりと馴染んでしまった、彼という存在。 だがエレンは彼のことを、何も知らない。 その生い立ちの一欠けらすら、彼が語ることは無い。 どうにもオカシな話、だった。 エレンはぼんやりと、前髪が陰を作る彼の頬の綺麗なラインを眺め遣った。 「整った貌立ち」とは世界中の人間の顔の平均値に過ぎないという、そんな俗説は本当だろうか。徹底的な個性の排除こそが誰もが羨む個性を生むという矛盾の塊で出来た論理(ロジック)は、けれども実に彼に誂え向きの、出来の悪い冗談の様だった。 エレンの脳裏に、一人の少女の貌が浮かぶ。 それは星屑を散りばめた夜空を閉じ込めた様な、漆黒の艶やかな眼が印象的な美しい少女だった。彼女は常に、その深い眼差しに滾る熱情を孕ませながらも、一切の表情を削ぎ落とした無感動さが生み出す冷徹さを兼ね備えた、どこまでも玲瓏たる美しさを湛えていた。 例えば彼女と彼との間には何の関係性も無い筈なのに、エレンにはその容貌と個性が随分と似通っている様に思えるのだった。 彼は、彼女に似ている。 ……二人の共通項を論っていたら、何だか不貞腐れた心地になってきた。 それは自分でもよくわからないまま湧いた、衝動的な感情だった。けれどもそれらは彼方の出来事で、その感触すら、掴めない。 だがしかし、何だか気に喰わない。 今度その話の真偽について徹底的に考察してやると、エレンは頭の隅にメモをした。偶にはそんな冗談で課題を茶化してみせるのも、面白いかもしれない。買うのは興か、不興か。どちらでもよい。自分の不可解な感情を、そんな風に無理矢理、ただの興味へと、日常へと、落とし込んでしまう。 ――自分の為の感情は、いらない。 旋毛を見詰めていた彼が、漸く手を止めて、顔を上げた。 「相変わらずの、寝坊だな」 確かに香りに釣られて漸うとではあるが、一応自主的に起き出して来たというのに、この言い草だ。 エレンは肩を竦めて、彼の変わらぬ無表情を見遣る。 そうやっていつだって自身の感情を露わにしてみせない癖に、エレンの眼に映る彼はどこか晴れやかな面持ちで、それは彼の機嫌の好さを表していた。 変わらぬ表情に映り込む、感情。 一体どういう構造になっているのか、いつか暴いてやるのだとエレンは常々思っている。だが常々思ってはいるが、思っているだけだった。 ――彼はそういう個性を持つ人間だ。 そう言い切り、多少なりとも謎めいているくらいがいっそ魅力的という、一足飛びの感情論で出来た結論のラベル。 その感性が一般的か否かについては、興味が無い。 エレンの執拗な分析癖を以てしても、彼を本気で暴く気になれないまま、今に至っている。 だがそれは単に、今起きているこの現象に起因することに下手に触れたくないという、眼を逸らせたままで忌避しておきたい¬¬という、軟弱ながらも密かに根強い思いが、エレンの知りたがり癖(ぐせ)に勝(まさ)っているだけかもしれない。 「お前が起きるのが、早過ぎるんだって」 ちゃんと起きた。 だから、寝坊のレッテルを張られるのは、心外。 「人間の身体は、太陽と共に起きて眠る」 「……ウソツキ」 エレンは紅い唇を尖らせた。 彼はさりげなく事実に嘘を織り込んで、さもそれらの全てが事実であるかの様に話すから、油断が出来ない。 「嘘、ではないだろう? 現に俺は起きている」 「……まあ、そうだけど」 「日課もこなしだ」 「だろうねっ!」 それは彼の立場だから、出来ることだ。 彼の日課は、太陽が昇るのと同時に起き出しては身体を鍛えるというものだった。小一時間程ランニングコースと定めた道筋を走った後にきちんと組み立てられた過酷な筋トレをこなし、存分に掻いた汗を熱いシャワーで流す。それを雨の日も風の日も台風の日ですらも、彼はまるでそれが己に課せられた義務であるかのように、淡々とこなし続けるのだった。 エレンには到底出来ない真似だ。 いや、彼の惚れ惚れとする筋肉質な身体に憧れて、見様見真似の真似事で毎日筋トレを少しばかりやってみてはいるのだが、やはり程度問題だろうか、それとも体質だろうか、どうにも腹は薄くぺらぺらなままで綺麗に割れる様子は全く無い。 彼はそうして日課をこなした後に、二人分の朝食を作る。 そんな彼と生活していると、こっちが普通だと自分に言い聞かせながらも、自身が酷く自堕落な存在であることを痛感せざるを得なくなり、次第に生活基準を自分と彼の中間に定める様になり、今に至る。 「卵はどうする?」 「んー、L様特製スクランブルエッグ」 「了解した」 カウンターに接するように置かれた、磨かれた飴色の、アンティークなダイニングテーブル。 その椅子の、一つ。 エレンが自分の指定席に腰掛けると、すかさず香りの根源である紅茶を注いだマグカップと牛乳パックが寄越される。 エレンは今日の気分のまま、適当に牛乳を流し込む。水色に白が溶けて、乳白色になる。 朝の紅茶には牛乳を。 そしてその紅茶をこくりとまずは一口だけ、口に含む。喉を通る緩やかに温かい温度の、香り好い液体。 それは朝の、儀式。 ささやかなしあわせに浸る、一瞬。 ――文句無く、おいしい。 これはもう、エレンの中では彼の香りと味だ。 紅茶などという、明らかに高尚且つ質面倒臭そうなモノに愛着を抱く日が来るとは。 ささやかなしあわせを堪能すると、エレンはダイニングテーブルの上に置いてあるトースターに食パンを二枚押し込んでスイッチを入れた。 「―…ほらよ」 トースターがジリジリと音を立てている間に、テーブルの上には湯気を立てる黄金色のスクランブルエッグと焦げ目のついたソーセージ、そして生野菜を合わせて盛った、彩も美しい真っ白いプレートが魔法の様に並べられる。 彼がエプロンを外すと、エレンの対面へと座った。 「頂きます」 「頂きます」 二人の声が微妙にずれながら、唱和する。 トースターが一拍遅れて、チンと音を立てた。 エレンはフォークでトマトを一切れ刺すと、Lの皿へと移した。 「こら」 「半分は、食べるから」 「……仕方ねぇな」 「ふふふ」 これもまた、よく見られる朝の光景だった。 エレンは別にトマトが嫌いなわけではない。 ただ彼に叱られたいという、我ながらよくわからない欲求が胸の内に潜んでいて、その欲求を満たしたいが為に、罪の無いトマトに犠牲を強いているのだった。 一応これでも自己分析を試みたところ、仕方ないと言っては微笑っている様に見える彼の、その無表情が醸し出す柔らかな気配が気に入っているのだという、如何ともしがたい結論に達した。 だからエレンはその状況を堪能しつつも、彼のものとは種類も意図も違う恣意的な綺麗な笑顔(ポーカーフェイス)を作っては、自分の体内で起きている化学変化については素知らぬ顔をする。 「今日は、学校は」 ――学校。 時代が進むにつれ、教育は早期化の一途を辿り、基礎の上に実践と応用が積み重なる形式へと変わっていった。だからエレンの年齢(とし)ならば疾っくに義務教育を終え、職業訓練も終えている計算になり、何某かの職を得ている者が大半だ。そんなご時世にあって、エレンは未だに学生という優雅な響きの身分の保持者だった。 エレンは職業訓練を素っ飛ばして、ラボに通う学生だ。 「二限から」 だからもっと寝ていてもよい日なのだ、と暗に文句を潜ませる。 ラボの講義は完全選択式。且つ、家とラボのシステム間には専用のラインが繋がっていて、わざわざ研究施設(ラボ)に足を運ぶ必要が無いことも多い。 「遅いんだな」 だが彼に一蹴された。 彼にはラボについて、何も話をしていない。 けれども彼だから、特に不思議に思うことも無い。 「別に、遅くはないだろ」 「だがそれならばそれなりに、時間は有効に使うべきだ」 エレンの抗弁を、彼は何処に吹く風、淡々と切り返す。 「教わるのだけが勉強ではない筈だ」 「Lに言われると、何も言い返せないや」 エレンの苦い笑みがほろりと溶けて、柔らかいものへと変化する。 「――だろう?」 彼の眉間に皺の寄った顰め面が、何だか楽しげに見えた。 エレンを言い負かしたのが、そんなに嬉しいのだろうか。 だがしかし、本当に反論の余地が無い。 エレンと彼がここに一緒に住み始めた時、彼は掃除スキル以外、何も持たなかった。それこそ料理など、サラダひとつ作れなかったのだ。それが今ではリクエストひとつで、この黄金色に艶めくスクランブルエッグが登場するまでになった。そしていつの間にやら家事全般、何でもこなせるようになっていた。 エレンが何となくラボに通っている間に、どうやらテレヴィを見て覚えたらしい。幾ら大抵のことが機械化されているとはいえ、エレンは何ひとつ、教えていない。彼のその努力と才気を流石というべきか否か。いや、言うべきなのだろう。 だがしかし、彼が家事を全てこなしてしまうものだから、エレンはこれまで何年もお願いしていたハウスキーパーとの契約を打ち切ることになった。ピカピカに磨き上げられた塵一つ落ちていない部屋のどこを掃除して貰えばよいのか、エレンにはわからなかったのだ。十分な謝礼はしたものの、職を奪ってしまったことに一抹の罪悪感のようなものを覚えた気がしないでもない。 誤って飲み込んだ小石を喉に詰まらせたかのような、違和感。 余計な詮索をしない、けれどもただ冷たいわけではない、そんな程良い距離感を保つ彼女を、割合、気に入っていたのだけれど。 だがそれは、彼との日常の中にあっという間に溶けて消えてしまうだけの、小さな小さな小石の欠片に過ぎなかった様で、エレンは彼の用意する食事の味、掃除する部屋の潔癖なまでの綺麗さにあっさりと慣れてしまった。薄情なものだ。 「今日は何すんの?」 「今週はまだ、風呂掃除に力を入れていなかった」 彼が、それがさも重大な問題であるかの様に、実に重々しい口調で言った。 「そう」 エレンは殊勝にも、おとなしく頷いておいた。 「ピカピカにしておくからな」 今すぐ風呂場を見に行ってじっくりと検分したって、水垢ひとつ見つけられないくらいに綺麗な筈だ。 だが彼にとっては、不満らしい。 彼の頭の中には、見えないカビ菌と己が戦う構図でも出来上がっているのかもしれない。そう例えば、テレヴィのコマーシャルでやっているようなヤツだ。 だがこの辺りは、若干の価値観の相違でしかない。 彼に若干潔癖症の気があり、尚且つ掃除をするのが趣味だからといって、エレンは別段困らない。 そもそも厳しかった母親に躾けられて育った為、エレンには物を散らかすという習慣が無い。今まで着ていた服もすぐにハンガーにかけて空干ししておくレベルだ。ハウスキーパーだって片付けに煩わされることなく、掃除に勤しんでいたことだろう。 それでも掃除をするという彼が喜ぶ言葉をエレンは知っている。 「じゃあ、今日はゆっくりと湯船に浸れるな」 「ああ、そうしろ」 彼がどこか満足げな気配で頷いた。 彼の家事スキルはどこまで上がっていくのか。 そのうち掃除スキル以外でも、エレンが気に入っていた、あの辣腕ハウスキーパーを超えてしまう気がする。 二人でゆったりと雑談をするという優雅な時間を過ごした代償に、時間は彼の提言通りに正しく有効活用されること無く終わり、エレンの出掛ける時間が迫る。 エレンは広いウォークインクローゼットで暫し立ち尽くした後、いくつか服を選び出し、手早く着替えると、鏡の前でそれを着た自分をチェックして、ひとつ頷いた。 別にナルチシズムな性癖があるわけではない。 ただエレンは自分の見目の良さを理解していて、それを更に引き出す方法もまた、幼い頃から散々教え込まれた所為で知っているから、それをそのまま実践しているだけだ。 母親譲りの女顔は、テレヴィに移るその他大勢のアイドルなど蹴散らす勢いの美貌を誇る。昔はそんな自分の容姿が大嫌いだったが、最近はフル活用すると決めている。人間、変われば変わるものだ。 ウォークインクローゼットを出ると、その前で、Lがエレンの荷物を持って待っていた。それを、礼を言って受け取る。 そしていつも通り、尋ねる。 「なぁ、L、如何?」 「相変わらず、見栄えがするな」 顰め面に乗せられる、その言葉。 まったくもって、真実味が無い。 だがエレンはその言葉に満足げに頷いた。 「じゃあ、また夜に」 玄関に向かうエレンに、彼が追従する。 「今日はパエリアに挑戦しようと思う」 「どんどん腕を上げてくね」 「お前に下手なものを食べさせられない」 エレンはこういう殺し文句的な言葉を真顔で言われた場合の、適切かつスマートな対処法を、今だに思いつけずにいる。 「最初は酷かったものな」 混ぜ返すくらいのことしか、出来ない。 どうにかして、その顰め面を動かしてみたいと思うのだが。 「人間は進歩する生き物だよ」 やはりそれは硬くなに崩れない。ただそこはかとなく誇らしげな気配だけが漂ってくる。 Lは顰め面ばかりをしているが、それは感情表現が乏しいだけで、たぶん今のエレンよりずっと感情豊かだ。その感情を、そのまま表情に乗せればずっといいと思うのだ。それを見たいと思う。だが自分(エレン)がそれを言う訳にはいかない。 「その過程をまざまざと見せつけられたよ」 エレンが少し身を屈めると、彼の手が伸びてきてエレンの頭を引き寄せた。エレンの方が彼より少しだけ背が高い。 軽く触れあうだけの、キス。 朝は名残惜しいくらいが丁度良い。 「行ってきます」 幾度も繰り返しているうちに、少しずつ、いつの間にか、唇に馴染んだ単語。 「ああ」 閉めた扉の向こうに、無表情が消えた。 エレンは唇の端を吊り上げると、しっとりとした感触の、足音のまったく立たない絨毯の敷き詰められている廊下を、軽快な足取りで歩き出す。 ダークブラウンとホワイトで統一された空間は、エレンの洒脱な容姿を以てしても、彼をその光景に溶け込ませないだけの重厚さを醸し出している。 エレンとL。 二人の奇妙で気儘な生活は、三ヵ月が過ぎようとしていた。 ・ ・ ・