【ダウンロード版】『リフレイン』Vol.2「特集: 失われた『ゲーム世界』」
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ゼロ年代研究会では「長いゼロ年代(1995~2011年)」を再考するというテーマのもと、90年代から現在に至るまでの社会・文化について研究するサークルです。普段は京大周辺、大阪・東京などで活動しています。会誌第二号では「失われた『ゲーム世界』」をテーマにしています。 ゲームは、固有の設定や世界観、操作性などをプレイヤーに与えることで、われわれの「今ここ」の現実とは異なる「ゲーム世界」を作り出してきました。日本においては、神話などを引用元とする「ファンタジー」の世界観が80~00年代頃のゲーム文化において花開いたように思われます。 そして、00年前後には特異的と言ってよいほどに、PCによる美少女ゲーム(いわゆるエロゲー)の文化が隆盛を極めました。昨今も(美少女ゲームを題材にした漫画『神のみぞ知るセカイ』で有名な)若木民喜の『16bitセンセーション』がアニメ化し、「美少女ゲームに特権的な地位が与えられていた2000年前後への憧憬」というテーマそのものにも市民権が与えられているようです。 しかし主に2010年代以降、スマホの台頭もあってお手軽な「ソシャゲ」が流行し、もはやそれまでのゲーム世界が持っていた「没入」感を失わせてしまったように思われます。一見「ファンタジー」の要素を継承している昨今の流行ジャンルである「異世界転生もの」も、もはやファンタジーの設定をある種の予定調和として組み込んでしまい、「ワクワクするもの」ではなくなってしまったのではないでしょうか。 そこにあるのは「チート」をすることで「俺TUEEE」がしたいといったような、葛藤なき動物的な欲求であるようにも思われます。 「今ここ」を超えるゲーム世界があったからこそ、われわれの想像=創造の力は喚起され、オルタナティブなものへの好奇心や、豊かな自己内対話といったものが促進されていたはずでした。 ゆっくりと失われていった「ゲーム世界」はいかなるものだったのでしょうか。現代においてその世界を取り戻すことは可能なのでしょうか、不可能なのでしょうか。そういったことを探求の俎上に載せたいがために、今回「失われた『ゲーム世界』」を特集する運びになりました。 【収録内容】 ・ちろきしん「調査報告「検証――葉鍵世代」コミュニティ編」 ・ワニウエイブ「美少女ゲーム・ワズ・デッド」 ・田原夕「「ぼくは、いま、痛い」――『車輪の国、向日葵の少女』と苦痛の瞬間」 ・箱部ルリ「美少女ソーシャルゲーム史試論2011-23―「統合型コンテンツ」の誕生―」 ・ゼロ研編集部企画「『ソード・アート・オンライン』「マザーズ・ロザリオ」編座談会」 ・ホリィ・セン「ファンタジー=メディア空間がもたらす〈救済〉→〈二世界問題〉からSound Horizonを読み解く」 ・入江遜考「東方くら寿司論」 ・馬場息吹「神と暴力の「批評」――大澤信亮論」