新快/A5/P60/全年齢/¥900 夏の夜に読みたい、ちょっと不思議なお話の二本立て。 (本文より) 【三日月の杜】日月きぃろ 忘れて良い記憶というのは沢山ある。例えば、昨日やった小テストの点数とか、授業中に先生が何回語尾に「ね」をつけて話していたかとか。 そして、反対に忘れちゃいけない記憶もある。自分のこととか、大切に思っているものとか。 週末の最終電車。 平日と比べて人が少ないそれから同じ駅に降りたのは片手の指で足りる人数だった。 趣きのある錆びた支柱に屋根の意味があるのだろうか。と思ってしまうような大きな穴のあいたトタン屋根。中央に仕切りの役割みたいに置かれた三人がけのベンチが二つ、向きを逆にして並べられている。ホームの反対側の端が出入り口らしく、周囲の景観に不釣り合いな自動改札機が異空間への扉のように待ち構えていた。 なんとなく。 なんとなくなのだけれど、すぐに改札へは向かわずベンチに座った。 電子掲示板も自動販売機もないその駅は、気持ちばかりの蛍光灯がほんのりホームを照らすだけで、文字通り何も無い駅だった。 ベンチに座って胸の内ポケットから、一通の手紙を出す。真っ白い封筒に真っ白い洋紙。そこに万年筆で書かれたと思われるインク文字。お洒落な筆記具が使われているのに、どこか幼さの見える達筆とは言えない、だけど読みやすい整った文字で「星が満天の 月の無い夜に 最終電車で」と書かれている。この不思議な手紙と、ここまでの切符が届いたのは、今朝のことだ。 ネットニュースが主流になっている現代で、毎朝起きたら新聞を配達受けまで取りに行く習慣があるのは珍しいことだろうに、受け取ったその手紙は朝刊に紛れてリビングのテーブルの上で姿を見せた。 紙はその辺にあるような安くて薄い紙ではなく、カードとまではいかないものの厚みのある上品な白い洋紙で、封筒には滑るようなインク文字で本文と同じ書き癖のある宛名だけが書いてある。 謎にも見えるそれは、切符によって謎では無いことを伝え「ただ、その時間に来い」と言っているのだとわかった。 怪しいとも、不快とも思わないそれに、興味を持ったオレは、最終電車が何時なのかを調べるついでに駅のある町について簡単に調べ、念の為に小さい頃から世話になっている隣人に声をかけてから此処まで来た。最終電車ということは少なからず始発まで帰れなくなるということだから、隣人が車で送ると申し出てくれたけれど「切符があるのだから、これにも意味があるかもしれない」と言って断った理由は、好奇心に負けた自分の行動の邪魔をされたくなかっただけに他ならない。 星が満天の 月の無い夜。 ベンチに座って見上げた空は、破れたトタン屋根の歪な額縁の向こう側に、満天の星を輝かせている。今日は月齢二十八だか二十九だかで月が姿を見せるのは、もう少しだけ後だと調べたサイトに載っていた。 まさに「月の無い夜」だった。 異空間への扉にも見えた現代的な自動改札機は、近づいて見れば蔦が下の方に巻きついていて、おまけに人が触らぬ場所にはうっすら苔まで生えていた。周囲の雰囲気を考えれば、こちらの方が、この駅らしくて良いと思う。 「あのぅ、工藤新一様でお間違いないですか?」 遠慮がちに声をかけられて慌てて振り向けば、初老の男性が夜に紛れ込みそうな黒いスーツに身を包み、姿勢正しく立っていた。後ろにこれまた、黒の車が止まっていて迎えがあったのだと知る。 「はい。あ、すみません。あまりに星が綺麗でしたので、のんびり見てしまっていました。あの、手紙を送ってくれた方ですか?」 身なりから手紙と同じ上品さが覗えた。返事をしつつ話かければ、初老の男性は柔らかい笑みを見せて首を横に振った。 「いいえ。私ではありません。私は、その手紙の主に頼まれて、工藤様をお迎えにあがりました。どうぞ」 言いながら、静かに車の後部座席の扉を開く。普通なら警戒の一つでもするはずなのだけれど、開かれたドアの向こうに白い鳩がちょこんと座席に座っているのを見てしまって肩の力が抜けた。 【Kの箱庭】紅月ことら(迦月にあ) じわじわ、じわじわ、 蝉の鳴く声が耳に五月蠅い。 じりじり、じりじり、 差す太陽は容赦なく、東都の夏はいつも通りに暑い。この店は通りに面した側が一面ガラス張りなのも手伝って、こうして冷房の効いた室内にいてさえバーベキューにされそうな心持ちだ。 もう、七月も終わりが近い。一歩外に出れば、それだけで額に珠の汗が浮くに違いなかった。 (ガキの頃は、もうちょっと涼しかった気がするんだけどなぁ) 小学生くらいの頃の夏休みといえば、帽子も被らずTシャツと短パンで外に出て、朝から晩まではしゃぎまわっていたものだが。 (別に、今が嫌だって言ってるわけじゃないぜ?) ただ、あの頃とは、夏の景色が随分と変わった気がするのだ。 誰にともなく言い訳をして、お冷やのグラスをテーブルに置く。 それだけでキャアキャアとはしゃいだ声をあげるのは、少し年下の少女達だ。高校生くらいだろうか。初めて見る顔である。 (まぁ、これも役得ってヤツ!) ふふふん、ご機嫌に鼻歌など歌っているのがバレたら新一に怒られるのは目に見えているが、そこはそれ。新一は毛利探偵事務所にいるし、よっぽど急な事件が持ち込まれない限り、どうせしばらく降りてはこない。 ちなみに――だが、快斗が米花大学を受験したのは、新一と同じ大学に進むためというわけではない。それどころか、高校三年の受験生だった頃には、二人はまだ付き合ってもいなかった。 あのシンガポールでの一件以来、怪盗キッドの正体がこの黒羽快斗であることは新一に――当時は江戸川コナンの姿だったけれど――はっきりと知られてしまっていたものだから、キャンパスで初めて――偶然――顔を合わせた時には、咄嗟に言葉が出なかったくらいだ。 とはいえ、あちらだって、世間に公表されてはまずい秘密を快斗に握られている。 (まあ、だから――…) 引き攣った愛想笑いを浮かべるしかなくなったのはお互い様だ。 二人の距離が縮まったのは、その年の夏。きっかけとなったのは、白馬探の存在だった。高校生の頃、快斗を――怪盗キッドを――追い回していた白皙の探偵が、同じ学科の工藤新一と親しくなるのに大袈裟な理由はいらないだろう。 かつて高校生探偵として世間を賑わせた二人である。同じ事件に関わったことも一度や二度ではないらしく、彼らは互いの存在を最初から認知していた。そのうえ、二人ともが極度のホームズフリークだ。放っておいたら三日三晩でも語り明かせるレベルの。 そんなわけで、快斗と新一はこの白馬を介して知り合い、『お近づき』になった――ということになっている。まあ一応、外向きは。 紆余曲折を経て二人が交際に至ったのにはそれなりに長い話があるのだが、今のところは伏せておくことにする。 ともかくこの話は、黒羽快斗と工藤新一が共に大学二年生だった、その夏のことである――ということだけを言っておこう。 (一部抜粋)
もっと見る