現代語訳 難太平記(附論 今川家の赤鳥の謎を解く)【新装版】
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今川了俊の『難太平記』の現代語訳です。今川了俊は足利一門の武将で、南北朝時代に九州探題として活躍しましたが、足利義満に対する反乱に連座して失脚。失意のうちに晩年に綴ったのが『難太平記』です。応永九年(1402)の成立。文字を通して、600年以上前に生きていた人物の生(なま)の声が聞けるのが魅力です。内容を理解する時の助けになるように、関連系図、背景の解説、史跡写真も入れてあります。 現代語訳のあとに、難太平記に関連した二つの小論を付けてあります。
附論1 今川家の赤鳥の謎を解く
『難太平記』には、今川家が笠印(味方の目印)として使った赤鳥(あかとり)というものが出てきます。赤鳥の実体が何であるかについては江戸時代から議論が行われていて、いくつかの説が出されてきました。しかし、どの説が正しいのかは、今に至るまで明確な結論が出ていない状態でした。 この小論では、江戸時代の文書群で赤鳥に関する議論のあとを追い、さらに考古学的な資料を援用することで、赤鳥の実体について明確な結論を出すことに成功しています。240年以上にわたる赤鳥論争に終止符を打つものになっています。
附論2 群書類従本『難太平記』の伝来について
群書類従に収録されている難太平記は、瀬名貞如という人物が持っていた伝本が元になっています。この人が何者なのかは、意外なことに、いまだに信頼できる説が無い状態でした。この人物について調べるうちに、今川了俊の嫡流の子孫である瀬名貞雄・貞如(さだゆき)父子と、群書類従の編纂グループとの間の親密な交流が浮かび上がってきました。 この小論では、群書類従に収録されている難太平記の特徴からこの伝本の伝来過程を推測するとともに、それが群書類従に収録されるに至った背景を解き明かしています。 (B6、並製、167ページ。2025年1月に文学フリマ京都で頒布したものをソフトカバー、モノクロにした新装版です。)