【2026.3.20新刊】the music.
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【新刊】「the music.」 文庫版/118p/全年齢/1200円 富田&稲葉、五月雨&村雲、桑名&松井、豊前&篭手切の4ペアそれぞれが挑む現代遠征任務短編集です。音楽に纏わる謎を軸に進みます。審神者は登場なし・CP要素はありません。 以下サンプルは富田&稲葉ペア、五月雨&村雲ペア、豊前&篭手切ペアです。 ─────────────────────── 【富田&稲葉】 ふと、歌が聞こえた。 細く開いた窓から冷えた夜風が吹き込み、絹糸の如き髪を揺らす。窓辺に立つ富田の横顔はしんと冷えて、それでも口元だけは笑っていた。稲葉は嘆息する。 「……窓を閉めろ。冷えてかなわん」 「ああ。すまなかったね」 あんまり星が綺麗だったものだから、と富田は笑う。その手が窓を閉めるのを確かめて、稲葉は手元の資料に目を落とした。 短期の、現代遠征任務である。 言い渡されたのは一昨夜のことだった。呼び出されたのは稲葉と富田の二名のみ。それは任務の容易さというよりも、隠密性の高さを示してのことだった。 「自殺の阻止、か」 穏やかに微笑したままで富田が呟く。黒のスキニーパンツに白いニット、というラフな服装は篭手切が選んだものだ。常は上下とも真っ白い衣装ばかり身につけている男であるから、このような出で立ちは稲葉の目にも見慣れない。 そういう己も、時代に即した衣装を着ている。まったく不便なことだが、任務の特性上、認識阻害の術がごく限定的にしか使えないのだから仕方がない。 此度の任務は、とある人物の自殺の阻止、である。 対象者は女性。二十八歳。──作詞家、であるという。 「接触は明日だ。早く寝ろ」 「風呂は? お前が先に入る?」 「資料を読む。貴様が先に行け」 そう、と頷いて、富田は従順に服を脱ぎだした。都心の狭いツインルームには脱衣所がない。本丸とは異なる様式に、稲葉は今一つ慣れることができずにいる。 「お先に」 「ああ」 デバイスに目を落とす。見た目はほぼスマートフォンと変わらないが、有事の際には一瞬で塵灰になる機能を備えた代物だ。資料はすべてこの中に入っている。 画面を操る。文字の狭間に、一枚の画像がある。 真正面を向いた女の写真だ。化粧気のない白い顔に、顎のあたりでふっつりと切り揃えた黒い髪、黒い服。全体的に線の細い顔立ちの中で、黒目がちの大きな目が印象的だった。 ──死のうとしている、か。 自殺の阻止ということは、そういうことだ。稲葉はかすかに眉根を寄せる。背後でシャワーの水音がする。 資料には、自殺企図の理由は載っていない。知る必要がないのか、調査ができなかったのかは定かではない。 浴室から低く鼻歌が聞こえる。馴染みのない歌だった。調子からしてこの時代の歌謡だ。この女の作詞の歌かもしれないし、案外、どこぞで耳が拾った歌を適当に流しているのかもしれない。 さらに画面を繰る。 資料には、この女が今日まで辿ってきた人生が簡略に記されていた。 とある海辺の街で生まれ、三歳の時に東京へ転居。以降はずっと都内から動いていない。七歳で両親が離縁。父親に引き取られ、高校卒業と同時に親元を離れた。 作詞家として歩みはじめる前は、自身で作詞・作曲した歌を街角で歌っていたのだという。それがたまたま音楽関係者の目に留まり、あるアイドル歌手の作詞者として抜擢、一躍脚光を浴びた。その後もヒット作をいくつか生み出し、数作はドラマの主題歌にも採用されたが、ここ二年ほど新作を発表していない。 「なぜ」 なぜ、この女の自死を止めねばならないのか。それを稲葉は知らない。 「あがったよ」 富田が髪を拭きながら稲葉の手元を覗き込む。それを、ちゃんと拭け、といなしながら、稲葉はデバイスを置いた。 稲葉のような体格の者が使うことを考慮に入れて設計していないのか、と言いたくなるようなユニットバスで湯を使ってから部屋に戻ると、富田はベッドに腰掛けてアイスをかじっていた。 「……何をしている」 「お前のもあるよ。マスカット」 「そういうことではない」 一層しかない冷蔵庫には本当にアイスが入っていた。仕方がないので、稲葉は髪を乾かしながらそれを舐める。冷たい甘味は風呂上がりの身体に心地よいが、断固としてそれを認めるわけにはいかぬような気がした。 「わざわざ買いに出たのか」 「バニラもおいしいよ。一口どう?」 「いらん」 そう? と笑って、富田は小首を傾げた。 「ずっと資料を見ていたの」 「ああ」 富田は微笑する。 稲葉は溜息をついてドライヤーを切った。今呑気に氷菓子など舐めているこの男も、資料の内容は完全に頭に入っていることを稲葉は知っている。 「期限は二日か」 富田はふうわりと空に視線を泳がせた。 「それまでに片をつけないとね」 「無論だ」 ということは、あの女はあと二日で死ぬということだ。 脳裏に黒い瞳が浮かぶ。稲葉はつかの間目を閉じて、再び流れ出した低い歌声を耳の端で辿った。 翌朝。 身支度を調えた富田は、稲葉の先に立ってホテルを出ると、その足で意気揚々とチェーンのコーヒーショップに向かった。無論そんなもの指示にはない。 「おい」 ニットの背中がいかにも楽しげに寒風を切る。黒のキャップからこぼれた髪が冬の陽光に煌めく。稲葉はその腕を掴もうとして躱され、結局コーヒーショップに足を踏み入れてしまう。 「おい!」 ─────────────────────── 【五月雨&村雲】 ふと、歌が聞こえた。 隣を歩く五月雨が、小さく音を口遊む。歌詞はない。甘くかすれたハミングが夜風に乗ってクリスマスの街を流れていく。 「季語ですね」 「うん」 街路樹を飾るシャンパンゴールドの電飾。コートを着た人の群れ。街角の大きなクリスマスツリーと、車列のヘッドライトを映して輝くガラスオーナメント。幸せとは、たぶんこういう光景を言う。 「綺麗だね」 村雲は呟く。五月雨が微笑む。 「幸せそうですね。皆」 村雲はまた頷く。支給されたペールピンクのマフラーに顎先をうずめながら。 「……任務」 失敗したんだよね、と言うと、五月雨ははあ、と白い息を吐いた。 「はい。そう聞いています」 別本丸の男士で編成された先行部隊は、任務に失敗した。 とある人物を狙う時間遡行軍と戦闘の末敗北、よって歴史改変は既に成されている。今回の二人の任務は、その歴史の先をそれでも守るための、事後策だ。 「作曲家、だっけ」 「はい」 狙われた人物は作曲家と、その妻だった。作曲家は一風変わった着想で知られた気鋭の人物で、まだ三十代の若さだった。 「まだ、打つ手はあります」 五月雨は真っ直ぐに前を見たまま言う。 「先行部隊は、妻を守り抜きました。私たちが救わなければならないのは、彼らの、子どもです」 まだ生まれていない、命。 「遡行軍は、妻が既に妊娠していることを掴んでいなかった。まだ希望はあります」 「じゃあ」 村雲は夜空に視線を投げる。 「守らなきゃ」 歴史を。人を。五月雨は頷く。 「はい。必ず」 接触は翌朝だった。 透明に晴れ渡った青空の下、いくつかの電車を乗り継いで、二人は郊外の街を目指す。やがて降り立ったそこは穏やかな住宅街で、歩く道にはゆったりとした庭付きの家々が並んでいた。 「緊張してお腹痛くなってきたぁ」 身体を丸める村雲に、五月雨は「冷えているのではないですか」と自分のマフラーを外してぐるぐる巻きにする。 「あったかい……」 「わん」 「わんわんっ」 五月雨は満足そうに頷き、ふと顔を顔を上げた。 「ここです」 見上げた家は、瀟洒な一戸建てだった。 白い外壁とチョコレート色のドア、洒落たレタリングの表札。きっと一つ一つ二人でこだわって選んだのだろう、と思うと、村雲の腹はきりきりと痛む。 「行きましょうか」 五月雨は何の躊躇いもなくインターフォンに歩み寄ると、村雲が止めるよりも一瞬早くそのボタンを押してしまった。 「ちょっと!?」 ─────────────────────── 【豊前&篭手切】 ふと、歌が聞こえた。 隣に座る豊前が、小さく歌を口遊んでいる。いつかレッスンで使った曲のAメロだった。まだ二人きりで踊っていた頃の曲。篭手切は我知らず微笑む。 「懐かしいですね」 豊前が振り返って笑う。その向こうを、新幹線の車窓風景が飛び去っていく。 此度の任務は、とある人物の護衛である。その人物が目的地へ辿り着くまで、守り切ること。 舞踊家、であるという。数年前に解散した、爆発的人気を誇ったパフォーマンス集団の元メンバーで、四十代の女性であった。 なぜ今篭手切と豊前が新幹線に乗っているかというと、二人が現世の指定地点に降り立った時には、護衛対象が既に移動していたからである。 「どこで降りるんだっけ?」 「ええと、大阪……ですね」 対象はそこにいます、と篭手切はデバイスを覗き込む。 「今度は合流できるといいんですが……」 「俺がひとっ走りできたらよかったんだけどな」 豊前は苦笑しながら窓際に肘をつく。 「さすがにな。にしても、なんでそいつは移動してるんだ?」 「わかりません」 審神者に指定された地点から動いているということは、既に歴史改変がはじまっているということだ。こんな風に、遡行軍が絡まずとも歴史が変わってしまうことはままあることではある。 それにしても。 「大阪、とは」 彼女の出身はもっと西のほうだし、親類や友人といった縁のある者がいるわけでもなさそうだった。彼女はなぜ大阪に向かったのだろう。 豊前は鷹揚に言う。 「案外、たこ焼き目当てなんじゃねーか? 串カツとかも旨いらしいし」 「そんなはずは……」 篭手切は頭を抱える。風景が高速で背後へと行き過ぎていく。 ところが、その通りだった。 夕暮れの大阪の人混みの中、見つけた彼女は地元のたこ焼き屋に吸い込まれていくところだった。 すかっと短い髪の後ろ姿がビニールカーテンの向こうに消えていく。二人は慌ててそれを追った。飛び込んだ先はほとんど満員で、当然ながら客とみなされた二人は威勢のいい声に押し込まれるようにしてカウンター席に座らされてしまう。 その隣に、彼女がいた。 「……まあ、しょうがねーだろ」 豊前がライダースジャケットを脱いだ。篭手切はそれを受け取って壁面のハンガーにかけながら、座って飲み物を待つ彼女を見る。 ベリーショートの短い髪と、鋭角的な顎の線。切れ長の瞳。長い手足。綺麗な人だと思った。何というか、その横顔に物語がある。 「なあ」 ふと、豊前が彼女の方を向いた。 「あんた、何で大阪に来たんだ?」 「ちょっとりいだあ!?」

