落日の弔歌
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サイズ:A5、 ページ数:140ページ 内容:銀○伝の二次創作小説です。原作を読了されている方で、原作野望編での悲劇に納得できていない方に向けた内容です。 『落日の弔歌』は原作黎明編を舞台として、「原作に描かれなかった」歴史の裏面を再構築する一種の『稗史』となっています。前半はアムリッツア会戦まで、後半は原作ではほんの数ページで語られた皇帝フリードリヒ四世急死にまつわる陰謀について語ります。 本作以降、原作落日編までを背景に、「IF……たら」の銀○伝二次創作シリーズが続きます。
第一部 落日 (一) 再会
長い戦いの中で斃<たお>れていった兵士たちを丁重に葬るのを偽善だという人がいるが、彼はそうは思わない。非難されなければならないのは漫然と犠牲者を出し続ける側であって、戦いの犠牲となった人々ではないと思うのだ。 帝国暦四八五年二月末日、ジークフリード・キルヒアイスの姿は、帝都郊外の一角を占める戦没者墓地にあった。 キルヒアイス自身はまだ近親者を戦いの中で亡くした経験がない。父親も出征はしたが、数百万もの戦死者を出すような大会戦に参加することもなく、無事に二年の兵役期限を終えて帰還している。遠い縁戚の中には何人かの戦死者がいると聞いていたが、顔も知らない間柄だったから、それで衝撃を受けると言うこともなかった。 彼が年に一度、戦没者墓地を訪れるようになったのには二つの理由があった。一つは、彼の唯一の上官である人物が指揮を受ける側から指揮を執る側に立つようになったこと。 そして今ひとつは、戦いの中で家族を喪う重さを突きつけられたことだった。 帝国では、戦死した兵士の家族が指揮官を直接に非難することは許されていない。多かれ少なかれ指揮官は貴族の出身であり、彼らの指揮権は皇帝から委譲されたものとされる。それゆえ、指揮官への非難誹謗はそのまま皇帝への反逆と見做されるからだ。 この時点よりもずっと時代が下って、同盟軍の高名な高級指揮官が、戦死者の家族からの手紙すべてを読み、かつ保存していたとの評伝が伝えられる。これがきっかけとなって、帝国でも拙劣な指揮を示した高級軍人への批判が当然と考えられる時代が到来する。ただし、それは長きにわたった銀河帝国と自由惑星同盟との戦いが過去のものとして語られるようになってからのことである。 それゆえ、彼と彼の上官であるラインハルト・フォン・ミューゼルのもとへ、彼らを非難攻撃するような便りが届くことはなかった。が、それでもキルヒアイスは年に一度の墓参を止めるつもりはなかった。 ラインハルトは、後年『その為人、戦いを嗜む』と称された程に好戦的な人物と見られているが、戦いの陰に斃れた無数の犠牲者に気づかぬほどに鈍磨した精神の所有者ではない。ただ、他者を犠牲にするからと言って自らを犠牲の祭壇に差し出してよしとする心情とも無縁な人物であることも確かだった。ラインハルトがキルヒアイスの墓参を止めないのは、彼も喪われた生命への悼みをキルヒアイスと共有するところがあるからに違いない。 キルヒアイスがその人物に気づいたのは、もともと人影が極くまばらだったためだった。年に一度、皇帝の臨席を得て開かれる慰霊祭は盛大だが、それ以外では訪れる遺族の姿も多くはない。戦死者の出身は一〇〇〇を超える有人惑星のすべてに散らばり、そのほとんどが帝都星<オーディン>からは遠い。そして、戦死した下級兵士の遺族に、帝国政府の施策は手厚いとは言い難かった。 「リーフェンシュタール少将?」 「おう」 キルヒアイスの存在を知っていたらしい。 「久しぶりだな、キルヒアイス…大尉」 「こちらこそ…」 キルヒアイスの口調が固いのは、この人物から必ずしも好意だけを受ける理由を見いだせないからだった。 帝国軍士官としては標準的な上背に、収まりのいいとは言いかねる黒髪に三方から囲まれた顔立ちは、軍服よりも華やかな夜会服が似合いに見える。ヴィンフリート・フォン・リーフェンシュタール子爵。帝国最大の門閥貴族ブラウンシュヴァイク公の一門に連なるリーフェンシュタール伯爵家の三男で、帝国軍における地位は少将。つい数ヶ月前に帝都に帰還するまでは、叛徒…自由惑星同盟…領ヴァンフリート宙域の前線基地を三年あまりにわたって維持し、貴重な戦略情報を送り続けたことで知られる。 基地の所在が探知されてからも半年余りを持ちこたえ、他ならぬラインハルト・フォン・ミューゼル大佐率いる救援部隊によってヴァンフリート宙域からの脱出に成功した。まだ三〇歳をいくつも越えていない若さと、柔弱にさえ見えかねない外見にもかかわらず歴戦の勇士であり、たった五〇〇〇人の兵士しかいない前線基地で、同盟軍の制式一個艦隊を手玉に取った、まず第一流の用兵家と呼ばれるだけの実績を持つ人物だった。 敵地のただ中から救出したことでは、キルヒアイス達は彼の恩人としての立場を主張できる。が、キルヒアイスが彼への態度を留保せざるを得ないのは、ブラウンシュヴァイク公の一門という出自と、今一つ、キルヒアイスがヴィンフリート・リーフェンシュタールにとって親友の仇という立場になるからだった。 救出作戦で行を共にした巡航艦艦長の一人が、彼とラインハルトへの暗殺を企て、キルヒアイスは間一髪の際どさで件の艦長を射殺した。その艦長の親友が、他ならぬヴィンフリート・フォン・リーフェンシュタールだったのだ。さらにその艦長には妹が一人おり、彼女がヴィンフリートの婚約者であるという複雑な関係がある。 「ヴァンフリートでは世話になった。その後、息災か?」 「ええ。少将閣下もお元気そうでなによりです」 いきがかりはいきがかりとして、キルヒアイスはこの人物が嫌いではない。門地を誇って良い生まれにもかかわらず、特権階級に生まれ育った者にありがちな驕慢さの影がまったくないのが、キルヒアイスが好意を抱くところだった。同時に歴戦の、ラインハルトでさえ手腕を高く評価する軍人である。実際、ラインハルトと彼が作成した、未来のミューゼル元帥府幕僚リストのトップ五の一人として、ヴィンフリート・フォン・リーフェンシュタールの名が入っているほどだ。そうであるのに、風貌はやや下がり気味の目尻は絶えず微笑を浮かべているように見え、いかにも育ちのいい貴族の若様以外の何かを見いだすのが難しい。 一方、ヴィンフリートもラインハルト達に隔意を抱くところは、今のところはないようだった。 「少将閣下というのは堅苦しくていかんなぁ…ヴィンフリートでいい」 「では…ヴィンフリート卿、でよろしいですか」 「ああ、いいよ。ええと、卿はキルヒアイス大尉でいいよな」 「ええ、構いません…墓参でいらっしゃいますか、シュミットバウアー提督の?」 ヴィンフリートの親友…ラインハルトを狙い、自らの手で射殺した人物の名をキルヒアイスは上げた。 頷き、ヴィンフリートは手に提げたワインの瓶を見せた。 「そうだ。どうもあいつは堅物でな。任務中は酒の一滴も飲まなかった。だから、これは嫌がらせというか、せっかくヴァルハラへ行ったんだからちったあ酒でも飲んで休んでろって言ってやろうと思ってな…で、どうだ、そっちはやっぱりまた宇宙<そら>へ出てるのか?」 「え、ええ、そうですね。年が明けたらすぐに出兵があると聞いています」 自然な成り行きで肩を並べていた二人の足が止まる。『身を挺し、叛徒に痛撃を与え、帝国の名誉を守る。ヨハン・クレメンツ・フォン・シュミットバウアーは紛れもなく、シュミットバウアー男爵家の栄誉を伝えた一人だった』…フリードリヒ四世自らから下賜されたという墓碑銘に薄く雪が積もっている。 その上に、ヴィンフリートの手元からワインが降り注いだ。よく冷えていた澄明な流れは雪を浮かべたまま墓石を流れ落ち、キルヒアイスの足下まで細やかなせせらぎを作った。 「ヴィンフリート卿は参加なさらないのですか」 次回の戦場はヴァンフリート宙域らしいとの噂が飛んでいた。事実なら、同宙域に三年もとどまっていたヴィンフリートに幕僚としての参戦が求められぬのは不自然を通り越して、戦略上の犯罪行為とさえ言える。 だがヴィンフリートは肯定の意を示さなかった。 「征きたいのは山々なんだがね。周囲の事情がそれを許してくれんのさ」 「周囲の事情…ですか?」 戦場での功績を踏み台にヴィンフリートを栄達させ、宮廷での勢力伸張にこそ意を払う。本人の意思にかかわらず、戦場の英雄となった彼を、あのブラウンシュヴァイク公の一族が危険きわまりない前線へ送り出すはずはないではないか。 「俺が親父や兄貴や、ブラウンシュヴァイクのおっさんに邪魔されて、宇宙へ出られないと思ってるだろ、キルヒアイス大尉?」 虚を突かれた。 「違うのですか?」 「違うね」 三分の一ほど残したワインを行儀悪くラッパ飲みに咽喉へ流し込んで、ヴィンフリートは片頬を歪める。育ちのいい坊ちゃんの表情がいっぺんに崩れ、戦場で鍛え上げられた強かな将の表情が現れた。 「目の離せない病人を抱えてちゃ、いくら俺でもさっさと宇宙<そら>へ舞い上がるわけにはいかないってわけさ」 「病人?」 「ゲルタさ」 「ゲルタ…フロイライン・シュミットバウアー?」 「覚えていてくれたな…と言うか、他人の許嫁の愛称をしっかり覚えてるたぁ、大人しそうな顔をして卿もなかなかやるな。惚れたのか」 とんでもない言いがかりにキルヒアイスは目を白黒させるしかない。 「惚れるのは許す。ゲルタがそれだけいい女だという証だからな。だが、卿には渡さん」 「何を誤解しておられるんですか、ヴィンフリート卿」 「冗談だ」 あっさり言い切られ、キルヒアイスは唖然とする。視線の先で、ヴィンフリートの表情から笑いが消えていた。 「どこがお悪いのですか?」 ヴィンフリートの右手が頭を指さした。 「要するに心が壊れかけちまったってことさ。あれから一ヶ月ばかりが修羅場だったな。しゃべらなくなったのはともかく、ものを食べなくなっちまった。ほっときゃ、ずっと居間に腰を下ろしたままじっとしてるんだ。何も飲まないし、何も食べない。泡食って病院へ担ぎ込んだ時には栄養失調死寸前だったよ」 「……」 「いやなもんだぞ。一生の内でこいつしかいないって思いこんだ女が、目の前で骨と皮ばかりに痩せこけて、まるで骸骨見てるみたいな姿になっちまって、それでいて、俺にできることが何にもねぇと来た日にはな」 「それはやはり、私たちの責任だとお思いですか…」 彼女の兄を彼女の目の前で射殺したのはキルヒアイス自身だった。かつ、その後、兄の復仇に狂いかけた彼女を、自ら傷つきながら止めてくれたのは、ヴィンフリートに他ならない。 「卿たちは、ある意味で俺たちによく似ているような気がする」 ヴィンフリートの言葉は予想の範囲を大きくはみ出していたから、キルヒアイスは一瞬、相手が何を言っているのか理解できなかった。 「誰がですか?」 「卿とミューゼル准将も幼なじみと言ったな?」 「ええ」 「ミューゼル准将の姉が、グリューネワルト伯爵夫人だ…と?」 「ええ、その通りです」 脳裏で警戒色の警報が点滅している。話題が危険な方向へ向き始めているのを直感して、キルヒアイスはさりげなく一歩を退いた。 「そんなに警戒するな、キルヒアイス大尉。何も、卿がグリューネワルト伯爵夫人に惚れていた、あるいは惚れている、などというつもりはない」 「―――!」 ヴィンフリートの口調は、自分の言葉が事実、もしくは事実の真横を突き刺したとは毛筋ほども思っていないことを示していたが、キルヒアイスにしてみれば冗談ではなかった。ヴィンフリートの口調からして、彼がそれを冗談で口にしたのは確かなようだった。しかし、キルヒアイス自身、ヴィンフリートの言葉が胸をまともに突き貫いたような衝撃を与えた理由を理解するまでに、時計の長針が一周するほどの時間が必要だったのだ。 理解は同時に顔面への過大なほどの血流となって現れ、気温の低さを、キルヒアイスは天象に感謝せねばならなくなった。 ―――アンネローゼさまのことを…自分が…? そうだったのかという気持ちと、やはりそうだったのだとの納得が同時に生じて、まさか、と否定する意識はまるで起きなかった。 「…それは措くとして―――」 ヴィンフリートはキルヒアイスの顔色には気づかなかったようだった。 「三人が揃っていて初めて自分たちが完全な状態なんだという感じを、卿たちも持っていたんではないのか? どうもそんな気がしてならんのさ。俺たちがそうだったからな。ヨハン・クレメンツが居て、ゲルタがいて、そうして俺が居る場所がそこにある。それで十分だったし、それ以上、何も望まなかった。皇帝陛下がゲルタを後宮に望まれるかも知れない、と知ったときは、はっきり言ってパニックだった。俺も、だし、多分、ヨハン・クレメンツも、当のゲルタもさ。一人でも引き離されたら、もう二度と俺たちは今の時を完全だと感じられるようにはならない…と」 「伯爵夫人が後宮に入られたとき、ミューゼル准将も私もまだ一〇歳の子供でした」 あなたは一〇歳の無力な子供ではなかったはずだ。あなた方三人の世界を守るために、門閥貴族の一員としての経済力も権力も使えたはずだ。それなのにあなたは何もせず、ただ嵐が頭の上を通り過ぎるのを待っていた。こともあろうに、アンネローゼその人を結果的には風よけにする形で。 キルヒアイスが言外に込めた非難を察したのだろう。ヴィンフリートは軍帽を取り、収まりのよくない黒い髪をかき回した。 「済まん…ただ、言いたかったのは、俺たちは一人を永久に喪った。卿なら、その意味が分かるだろうということさ。つまり、ゲルタがどんな状態になったかも、だ」 つまり、自分がラインハルトなりアンネローゼを永久に失ったらどうなるか…考えたくはないが、可能性が皆無とは言えず、しかも、そうなった時の喪失感と絶望感は想像するに余りある。絶望が虚脱につながり、食すら忘れてしまったとしても不思議ではない。 その意味で自分たちはまだマシだったのではないか。思ってから、キルヒアイスは否定する。アンネローゼを失ったわけではない。彼女は亡くなったわけではなく、皇帝の寵姫として新<ノイエ・>無憂宮<サンスーシ>の西<ヴェスト・>苑<ガルテン>にある。だが、それは『上を見ればきりがない、下にはまだ下がいるのだから』とする、政治業者と結託した道徳量販業者の言と軌を一にする考え方に過ぎない。ラインハルトのみならずキルヒアイスにとっても歯牙にすらかける価値のない言説でしかないのだ。 「ええ、分かります」 静かな水は、見かけ通りにその内側に何の動きもない故にそう見えるのではない。穏やか極まるキルヒアイスの応答に、ヴィンフリートはあるいはその言葉を思い起こしていたかも知れない。 「それで。まだ?」 「いや、実は昨日退院したんだ。どうやら最悪の時期は過ぎたらしい。あとはしばらく静養して、身体の方が回復するのを待てばいい。今日は、その報告というか、詫びに来たのさ」 軽く顎をしゃくり、墓碑を指し示す。 「俺の用は済んだが、卿は?」 「私はあちらです」 無名戦士の墓碑。戦死者たちの名がマイクロチップに記録され、納められることになっている黒大理石の巨大な碑に花束を一房捧げるのが、墓参の時の習慣だった。戦死者を使い捨ての資源としてしか見ていないかような銀河帝国政府も、さすがにその名を記憶にとどめる努力すら放擲するまでに戦死者への礼を失ってはいない。 「誰が知り人でも亡くなったのか?」 「一緒に戦った人たちはすべて知り人だとは思われませんか」 キルヒアイスの反問に、ヴィンフリートは一瞬驚いた表情になり、それから小さくうなずいた。 「きついことを言ってくれる」 「ヴィンフリート卿は部下を亡くされたことは?」 「閣下と呼ばれる身になって、部下を死なせていないやつはいないだろう。多かれ少なかれな…」 空になったワインの瓶を、ヴィンフリートはちょっと悔やむような目で見た。 「次は二本持ってくることにしよう」 さして時間のかかることもなかった。祭壇に花束を置き、数瞬の黙祷を捧げる。その間、キルヒアイスの胸の裡に言葉はない。彼自身は神に類するものを信じていない。過去の犠牲者に許しを請うつもりも、これからも彼らの征く道に斃れていくだろう死者たちに詫びる意思もなかった。ただ、自分は彼らを忘れない。自分に忘れさせないために、彼はこの場に足を運ぶ。 長くはない、しかし、真摯な祈りの時間を終えた後、キルヒアイスは空から舞い落ちてくるものに気がついた。 「雪が…」 「また、降ってきたな…おい、何をしている?」 碑から少し離れ、空の一点を仰ぎ見ているようなキルヒアイスに、ヴィンフリートの声が怪訝さを増した。 「こうすると空を飛べるんですよ、ヴィンフリート卿」 「なんだって?」 「こうやって、空だけ見えるようにして、雪が落ちてくるのを見ていると、自分の身体がどんどん空に向かって上っていくような、そんな気分になるんです」 ほの白い空を背景に、雪片が薄い影の色合いを帯びて舞い落ちてくる光景だけが視界一杯を占めるとき、キルヒアイスは自分の身体が地表を離れて、はるかの高処<たかみ>へ向かって飛び上がっていくのを確かな感覚として感じる。 ―――何をしているの、ジーク? ―――こうしてると、空を飛べるんです。 ―――…本当ね、身体が空に舞い上がって行くみたい… アンネローゼと二人で、そんな風に雪の空を見上げたことが本当にあったのかどうか。彼とラインハルト、そしてアンネローゼの三人にとっての『完全な時』は僅か半年余りでしかなかったのだから。 その『時』を取り戻すために、ただそれだけのために自分たちは戦っている。最初は夢物語に思われたかも知れなかったが、すでに夢は夢の領域を離れ、現実の視野の中に入ってきているかに見える。 「…ゲルタにも教えてやろう。良いことを教えてくれたな、キルヒアイス大尉」 ヴィンフリートが、凝然として空に据えていた視線を地表へ引き戻した。 「いずれ俺も宇宙<そら>へ戻る。その時まで息災でな」 「ええ、ご武運を、ヴィンフリート卿」 ヴィンフリートが宇宙<そら>へ戻った時、彼はラインハルトを味方と呼ぶのか、敵と見なすのか…ふと、そんなことを考え、キルヒアイスは頭<かぶり>を振る。今の大貴族たちに敵と呼びたくない人はほとんどいない。例外があるとすれば、ヴィンフリートは間違いなくその中に入る一人だったのだ。武運を祈る言葉は儀礼ではなかった。 ヴィンフリートは笑い、手を差し出す。見かけに拠らず、がっちりした固い掌の感触だった。 「卿も、それとミューゼル准将もな。再会を楽しみにしている」
第一部 (二)老主従
長い戦いの中で斃<たお>れていった兵士たちを丁重に葬るのを偽善だという人がいるが、彼はそうは思わない。非難されなければならないのは漫然と犠牲者を出し続ける側であって、戦いの犠牲となった人々ではないと思うのだ。 帝国暦四八五年二月末日、ジークフリード・キルヒアイスの姿は、帝都郊外の一角を占める戦没者墓地にあった。 キルヒアイス自身はまだ近親者を戦いの中で亡くした経験がない。父親も出征はしたが、数百万もの戦死者を出すような大会戦に参加することもなく、無事に二年の兵役期限を終えて帰還している。遠い縁戚の中には何人かの戦死者がいると聞いていたが、顔も知らない間柄だったから、それで衝撃を受けると言うこともなかった。 彼が年に一度、戦没者墓地を訪れるようになったのには二つの理由があった。一つは、彼の唯一の上官である人物が指揮を受ける側から指揮を執る側に立つようになったこと。 そして今ひとつは、戦いの中で家族を喪う重さを突きつけられたことだった。 帝国では、戦死した兵士の家族が指揮官を直接に非難することは許されていない。多かれ少なかれ指揮官は貴族の出身であり、彼らの指揮権は皇帝から委譲されたものとされる。それゆえ、指揮官への非難誹謗はそのまま皇帝への反逆と見做されるからだ。 この時点よりもずっと時代が下って、同盟軍の高名な高級指揮官が、戦死者の家族からの手紙すべてを読み、かつ保存していたとの評伝が伝えられる。これがきっかけとなって、帝国でも拙劣な指揮を示した高級軍人への批判が当然と考えられる時代が到来する。ただし、それは長きにわたった銀河帝国と自由惑星同盟との戦いが過去のものとして語られるようになってからのことである。 それゆえ、彼と彼の上官であるラインハルト・フォン・ミューゼルのもとへ、彼らを非難攻撃するような便りが届くことはなかった。が、それでもキルヒアイスは年に一度の墓参を止めるつもりはなかった。 ラインハルトは、後年『その為人、戦いを嗜む』と称された程に好戦的な人物と見られているが、戦いの陰に斃れた無数の犠牲者に気づかぬほどに鈍磨した精神の所有者ではない。ただ、他者を犠牲にするからと言って自らを犠牲の祭壇に差し出してよしとする心情とも無縁な人物であることも確かだった。ラインハルトがキルヒアイスの墓参を止めないのは、彼も喪われた生命への悼みをキルヒアイスと共有するところがあるからに違いない。 キルヒアイスがその人物に気づいたのは、もともと人影が極くまばらだったためだった。年に一度、皇帝の臨席を得て開かれる慰霊祭は盛大だが、それ以外では訪れる遺族の姿も多くはない。戦死者の出身は一〇〇〇を超える有人惑星のすべてに散らばり、そのほとんどが帝都星<オーディン>からは遠い。そして、戦死した下級兵士の遺族に、帝国政府の施策は手厚いとは言い難かった。 <<後略>>
第一部 (三) 虚無の帝王
リヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン子爵がフリードリヒ四世のもとへ伺候したのは、一一月二五日の昼下がりのことである。七五歳のこの老貴族は軍においては中将の階級を持つものの、それは宮廷では子爵として門閥貴族の末端に連なる身分と、『灰色の大公』時代からのフリードリヒ四世の遊蕩仲間としての経歴に与えられた名誉職と見做されている。が、この年、一八個を数える帝国軍制式艦隊の内の一つが、この老貴族の麾下に委ねられることが決まっており、この日の伺候はその『お礼』言上のためと説明されている。 「…ところで、陛下、来年早々に出征の儀を承っておりますが、いずこへ参るのでございましょうかな」 とは言え、年齢を合計すれば一三〇歳を軽く超えるこの主従の会話は、皇帝とその臣下の武官との会話というには緊張感を欠くこと甚だしい。 この時代、平均寿命は一〇〇歳を超える。その意味で、彼らはすでに人生の七割弱を歩み終えてはいた。ただ、医学とならんで発達した不老学は『老い』の抑制にも一定の成功を収めていた。事実、宇宙暦時代よりも老化が人々を訪れる時期が平均して二〇年近く遅くなったとさえ言われていた。宇宙が手の届かぬ天としてのみ、人類の頭上に在った時代に平均寿命の七割を刻み終えた人間よりも、彼らははるかに若々しくあってもよかったのである。 にもかかわらず、彼らを包む、その周囲では時すらもその流れを緩めるかに見える『気』は腐朽とさえ言いたいほどの『老い』にほかならなかった。 「ヴァンフリートじゃ…とシュタインホフがの、言上してきおった。そちは、ヴァンフリートを知っておるか?」 「はて…聞いたような、聞かぬような」 グリンメルスハウゼンは眠そうに目蓋を動かして、右手でこめかみを掻いた。 「いずれ、叛徒ども猖獗の地でございましょうなぁ」 「…アンネローゼの弟がの、些か手柄を立ててきおった。リーフェンシュタール家のヴィンフリート、存じておるか?」 「ヴィンフリート…?」 再びグリンメルスハウゼン子爵がこめかみを掻き、しばらく沈黙に陥る。そのまま眠ってしまったかのように反応が消えたが、皇帝の方も返答をせかせるでもなく、玉座横のテーブルから水のグラスを口に運ぶ。グラスをテーブルに戻した皇帝が、そのまま玉座の上で船を漕ぎ始めたかに見えた時、ようやくグリンメルスハウゼンが軽く掌を打ち合わせる仕草をした。 「おお、思い出してございます。なかなかのやんちゃ坊主のようで…もう、任官しておりましたか」 「准将…いや、少将じゃったかな。うむ、いや、今度、少将にしてやった。将官になれば、爵位を頂くなどと申しておったゆえ、遅うはなったが、そちと同じ子爵をな、名乗らせてやることにした」 「それは、それは…目出度うございます」 「エアハルトの息子のことは…まあ、措け」 もう一度、緩慢極まる動作で皇帝はグラスを口に運ぶ。それからどう切り出したらよいか迷うかのように無鬚の顎をつまぐるのに、今度はグリンメルスハウゼン子爵の方が声をかけた。 「―――もしや、グリューネワルト伯爵夫人の弟御のことでございますかな?」 「あの者は准将にしてやることにした」 フリードリヒ四世の口調は、子供に菓子をくれてやったというに等しかった。 「一七で准将は若すぎる、などとブラウンシュヴァイクの…誰じゃったかな…孫じゃったかな、ねじ込んで来おったが、複数の艦を初めて指揮してのけたにしては、なかなか鮮やかなほどの用兵ぶりじゃったそうな」 「陛下―――」 およそ、相手の言うことを聞いているのか聞いていないのか、皇帝が話している間に割り込むなどという許し難い不敬を、グリンメルスハウゼン子爵は平気で冒した。もっとも、皇帝の方も、遊蕩時代からの旧友に不敬を問うなどということはあり得ないのだが。 「ブラウンシュヴァイク公には孫はおりませんぞ」 「そうじゃったかな…まあ、よい。アンネローゼの弟を准将にしてやった。いずれ、近いうちに爵位を嗣がせようかと思う」 「結構なことで、ございますな」 「そちもそう思うか」 「爵位に相応しからぬ者であれば、その重みに耐えきれずに自ら滅びの道を往くでありましょうし、相応しい者であれば負う物が重ければ重いだけ、自らに力をつけていきましょう。いずれにしても結構なことと、臣めは存じます」 「そうか、そう思うか」 フリードリヒ四世は頷いた。 「見てみぬか、アンネローゼが弟を?」 「は…グリューネワルト伯爵夫人を、でございますか?」 「そちなどにアンネローゼを会わせるものか」 『ふぁふぁふぁ』としか音の当てようのない笑いが、老皇帝の咽喉から漏れだした。老皇帝―――まだ六〇歳であり、この時代では老人と称されるべき年齢からはほど遠いにもかかわらず。 「弟の方じゃ。来年の出征に、そちの麾下につけるよう、シュタインホフとミュッケンベルガーに申しつけておこう」 「それは、また…」 「使いこなせるか?」 「なかなかをもちまして、そのような…」 自分がごときに使いこなせるような若者ではございますまい―――それがグリンメルスハウゼン子爵に応答だった。自分などが使いこなせるようなら、一七で准将の地位にまで駆け上がってくることなど不可能に違いない、と。 どこかうつろな表情と共に、フリードリヒ四世は旧友たる老子爵の言葉を肯った。 「あの者を麾下に置いた、ただそれだけのことでそちの名も後世に残る…ということもありえようからの。さて、そろそろ薔薇の世話をする時間じゃ。久方ぶりにそちと話ができて楽しかった。今少し、繁く伺候せぬか」 「なかなかもちまして、こう見えましても帝国軍において中将を拝命する身。まして、これよりは制式の艦隊まで指揮に置かせて頂く身であってみれば」 「つまらぬの…ならば、艦隊司令官などと言う地位は解任し、予が側付きの身にしてやろうかの?」 「―――そればかりはなにとぞご容赦のほどを…」 グリンメルスハウゼン子爵は叩頭するが、どこまでが本気でどこからが冗談なのか、他者にはうかがい知れない。フリードリヒ四世は微笑い、顔を上げた子爵もまた半ばは笑顔である。 立ち上がり、退出の礼をしかけてから、しかし、グリンメルスハウゼンは大仰に顔をしかめた。 「陛下…」 「まだ、なにかあるか、グリンメルスハウゼン?」 「本日は、陛下より、ご相談の儀あって伺候致したしだいと存じます。陛下のご用はお済みでありましょうかな?」 「そうじゃったかな?」 真顔でフリードリヒ四世は首をかしげる。グリンメルスハウゼン子爵も、そんな皇帝には慣れきっており、与えられた座に身を沈めたままゆるゆると上体を揺らし続けている。フリードリヒ四世が回答への長い回廊を辿り終えるまでは、何時間かかろうとそのままで待つつもりに見えた。 が、子爵が何時間も待つ必要はなかった。 「そうじゃ、そちに頼もうと思い立ってな」 「光栄至極に存じますぞ、陛下。この老骨にして、なお陛下の御為の働きができますとは、望外の幸せと言うばかりにて…」 「アンネローゼがことじゃ」 <<後略>>