My boss, mein Meister 他(合計三冊セット)
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書棚の奥底に残っていた残部の、三冊セットでの頒布となります。 古い発行年月のものを含みますので、良くご確認をお願いします。 ◆ 『der Monolog』銀英伝(年代は問わず) サイズ:A5 ページ数:60 発行年月:2007年12月30日 銀英伝ジャンルの方々を何名かお誘いしてのアンソロジーというか、オムニバス形式での1冊を計画中。テーマは、心の中を吐露する内容であれば、ぶっちゃけなんでも……ゲスト執筆者3名様に加えて 猫屋は短編二編(内一編は、ロイエンタールとエルフリーデの、原作準拠シリアス版、他一編はホントに珍しいことにヤンの独白)。 ◆ 『赤鼻のルドルフ』銀英伝(宇宙暦794年/帝国暦485年) サイズ:A5 ページ数:44 発行年月:2009年2月22日 「クリスマス」の定番ソング「赤鼻のルドルフ」をテーマに、自由惑星と帝国でのこの歌の扱いについて語ったエピソード二編。自由惑星同盟側は、グレーチェン・ヘルクスハイム・シリーズでの外伝的エピソード。帝国側は例によってラインハルト&キルヒアイスの、幼年学校と第六次イゼルローン要塞攻防戦後でのエピソードとして。 ◆ 『My boss, Mein Meister』銀英伝(年代は問わず) サイズ:A5 ページ数:84 発行年月:2011年12月29日 我が上司、我が上官、あるいは我が主人をテーマに、同盟・帝国を問わず執筆者をお招きしてのゲスト本となる予定です。「わが上官」というテーマから、ラインハルトとキルヒアイスの話が並ぶかと思えばさにあらず。様々なMy BossあるいはMein Meisterの物語が繰り広げられます。ゲスト執筆者5名様に加えて、猫屋は珍しくオーベルシュタイン少年と犬のエピソード。
『回廊にて』(『der Monolog』より)
無数の打ち上げ花火が同時に炸裂したような、瞬き続ける光の粒が視界一杯を覆い尽くしている。超高速の個体の群れが豪雨となって降り注ぎ、無形の破壊力の波濤が正面からぶつかり合い、砕け散り、巨大な爆発となって空間を揺るがせる。 砕け散ったエネルギーの破片に一撃された戦艦が危険宙域へはじき出され、異様な重力場の顎<あぎと>にくわえ込まれる。将兵たちが恐怖の目を瞠る中、不幸な戦艦の艦体が歪み、崩れ、そして粉々に砕け散っていく。 何隻かの戦艦が八方向から集中する光の刃に切り刻まれ、燦然たる焔の中にその輪郭を沈め、不吉なほどに煌めく純白の火球から無数の破片を飛び散らせる。動力炉をぶち抜かれた巡洋艦が制動を失ってきりきり舞いし、艦首を宙雷にむしり取られた駆逐艦の放った主砲射撃が航宙母艦を串刺しにする。宙雷が誘爆し、動力伝導路にそって線形に焔が噴き上がる。炎に一閃された兵士が瞬時に燃え上がり、奇怪な死の舞踏を踊り狂ってフロアに倒れ伏す。衝撃波が通路を通り抜け、紙でも引きちぎるように隔壁を突き抜ける。熱しすぎた缶詰が破裂するように戦艦が内側から膨れ上がり、無数の亀裂から鮮血に似た爆発光を撒き散らしながら四散していく。 宇宙暦八〇〇年五月。 かつて人類を二分した勢力の狭間。両者をつなぐただ二つの回廊の裡の一。イゼルローン回廊は、人類の史上、最も激しい戦いのさなかにある。そう、かつて存在した銀河帝国と自由惑星同盟は、いずれもがその役目を終え、歴史の中の闇に姿を消しつつある。今やイゼルローン回廊の覇権を争うのは、『人類を二分した』と称するには差のありすぎる二つの勢力。皇帝<カイザー>ラインハルトの率いる新銀河帝国と、ヤン・ウェンリーをその軍事指導者に戴くエル・ファシル共和国。あるいはヤン不正規隊<イレギュラーズ>。 「そう、あくまで私は軍事面の指揮官であるべきなんだ。戦いは手段でしかない。それによって何らかの政治的な成果を引き出すためのね。目的と手段を取り違えてしまえば、戦いを止めることは永久にできなくなる。以前の同盟と帝国のように」 誰に向かって語った言葉だったのか、この時のヤンにはやや不分明だった。ユリアンだったと思うのだが、ひょっとしたらシェーンコップだったかも知れない。 ひっきりなしに怒号が飛び交い、ミサイルの炸裂と中和磁場に食い込むビームの放つ銀白色の閃光、管制中和装置ですら吸収しきれなくなった衝撃が『ヒューベリオン』の巨体を揺るがせる。 ムライ参謀長が振り返った。沈毅な表情に、この時ばかりは憔悴の色が濃い。 「閣下、部隊左翼・天底方向に新たな敵です。高速戦艦群、おそらくは黒色槍騎兵艦隊<シュワルツ・ランツェンレイター>と思われます」 「アッテンボローに連絡。無人艦隊を側面から突っ込ませると同時に、敵の右側面に回り込んで火力を集中。メルカッツ艦隊にも連絡、敵の進路が変わったら側面攻撃を」 即決で指示を与えてから、ヤンは視線を巡らした。 フロアを突き上げ、身体ごと持って行かれそうな左右の激震の中で、それでもヤンは指揮デスクの上に胡座をかいた姿勢を崩さなかった。津波を思わせる、激烈なまでの帝国軍の波状攻撃の中、次々に指示を飛ばし、反撃し、崩れかけた戦線を埋め、帝国の猛烈な攻勢を弾き返し続ける。飲み物を口に運ぶ暇もなく、物思いに心を巡らせる時間もありそうにない、その中で、ヤンの視線は数百万キロを隔てた虚空へ飛んでいる。 「皇帝ラインハルトと戦うのは手段であって、目的ではないんだ。皇帝<カイザー>ラインハルトが我々の主張に僅かでも耳を傾けてくれれば、それで目的の大半は達したことになる。 「それはまた、細やかな目的ですな」 応えた声の記憶が、話題を共にした人物を思い起こさせた。 「どうせなら、彼の華麗なる皇帝を打倒して、宇宙に覇を唱える、くらいの気概でいてくださらんと、兵の志気が上がりますまい」 シェーンコップが半ば以上本気であることをヤンは正確に察していた。 「あなただって、皇帝ラインハルトと正面から戦いたい。正面から戦って、用兵の優劣を競ってみたいと思われたのではないのですか?」 「そう思うくらいなら、二年前にバーミリオンでやっているよ。帝国と同盟、それからフェザーンを合わせた人口は全部で四〇〇億ほどだね。昔、地球はたった一つの惑星で一〇〇億近い人口を持っていたんだし、ゴールデンバウム王朝が始まったころには三〇〇〇億近くを数えたと言われている。四〇〇億ばかりの人間が一緒に住んでいくのに、この宇宙と言うところは決して狭くはない。その程度のことが分からないほど、皇帝ラインハルトは私との戦いに夢中にはなっていない……と期待したいね」 相手の鋭鋒を逸らしつつ、ヤンは韜晦する。韜晦せざるを得ないほどに、シェーンコップの、ヤンの心理への洞察が正鵠の半ばを射抜いていることを認めずにはいられなかったのだ。 「複数の政体が一つの宇宙に並立してあったっていい。それを分からないほど、皇帝が愚かであるとは、私は思いたくない」 皇帝ラインハルト。過去数百年に於いて、人類の持ち得た最も輝かしい個性。黄金の髪とオーラを全身に纏い付けた有翼獅子の化身。新たなる覇王。その覇王と戦い、『敗北』ではない何からしらを得ようと知嚢の限りを絞り尽くす時、確かに全身の細胞が昂揚し、躍り出していくような感覚を味わうことがある。しぶしぶながらにしても、それが充実感であり、ある意味での幸福であると認めざるを得ないヤンだった。 昂揚は、同時に底なしの恐怖をも併う。シェーンコップは無論のこと、ユリアンや、フレデリカにも語ったことのない虚無の感覚は、目的自体への根元的な疑問から生じている。 至近弾の炸裂が『ヒューベリオン』の艦体を軋ませ、金属的な破壊音と振動とが重なり合って轟き渡る。シャルチアン艦長の叫びと、それに応じる士官の声が交錯した。 ヤン不正規隊の名の下に艦艇二万数千隻、兵員三〇〇万弱。一五万隻を超える帝国軍に較べれば、蟷螂<とうろう>の斧というにも愚かなほどに細やかな、しかし、膨大すぎる生命。その大半を虚空に撒き散らして終わるかも知れないと考えれば、それはただ一人の個人の精神を支えるには巨大すぎる犠牲にほかならない。 『民主共和制とは、人民が自由意思によって自分たち自身の体制と精神を貶める政体のことか』 痛烈なまでのラインハルト……当時はローエングラム元帥……の言葉は、それが灼きつくほどの鋭さを孕んではいたが、逆に、ヤンにとっての唯一の希望を支えるものだった。 『正義は絶対ではなく、ひとつでさえないというのだな。それが卿の信念というわけか』 その言葉を口にした時、ラインハルトは明らかにヤンの主張に肯うべき一面を認めていた。ラインハルト・フォン・ローエングラムという人物が、複数の価値観の存在を認め、意を異にする存在を許容する視野の所有者であることを示す証左として。 微かな光と呼べるものがあるとすれば、それだったし、それしかなかった。 しかし――― 「ひょっとしたら、私は大きな間違いをしでかしているのかも知れない。皇帝ラインハルトは私と戦いたい。私を戦場で斃すまでは決して戦いを止めようとはしないのかも知れない。皇帝となった彼は、私がバーミリオンで会ったローエングラム元帥でもないのかも知れない―――と」 他者に聞かれるのを怖れるかのように、自身の聴覚ですら辛うじて捉えられるか捉えられないかぎりぎりの高さを保った声は、あるいは僅かな震えさえ帯びていたかも知れない。いや、そもそもそれは声にすらならず、ヤンの脳裏のほんの片隅で微かに響いている囁きでしかなかった。 にも関わらず、ささやきは背を泡立てさせる、冷たい恐怖を孕んでいる。 人は変わる。そうなのだ。人は良きようにも変われる。同時に同じ人と思えぬほどに深く、昏く堕ちることができる。 ゴールデンバウム王朝とは一部の特権階級にのみ極度の権力と資産とを集中させ、それを世襲によって維持させる、極端に不公平で不公正な仕組みを国家の体制として保証するものだった。しかし、そのゴールデンバウム王朝ですら、始祖ルドルフは人類に対するそれなりの義務感と正義感を抱いていたかも知れないのだ。 そのゴールデンバウム王朝を否定して起ったはずの自由惑星同盟が、建国二〇〇年にしてどのような体たらくに陥ったか。ヤン自身が身を以て味わってきたことでもある。 いや、同盟や帝国を引き合いに出すまでもない。 あるいは、自分たちの行為は、あるいは卵を岩に叩きつけるような無意味なものではないのか……ヤンが心の裡深くに潜めつつ、決して口にしない恐怖がそれだった。 ヤン自身、人が変わっていく様を嫌と言うほど見てきた。第一、自分自身が変わらないという保証すら、一体どこにあるというのだろう。まして、登極したラインハルトが無制限の権力を手にした時に、自らの権力を否定するような主張に耳を傾け得るだろうか。 いや、すでにその萌芽は見えているのではないか。 ガイエスブルグ移動要塞を使ってのイゼルローン攻略作戦がそうだ。あの作戦のどこが、従前のゴールデンバウム王朝による出兵と異なていたというのか。 同盟政府の視線をイゼルローンに吸い寄せ続けるという狙いはあったかも知れない。しかし、ガイエスブルグが攻め寄せてこなくとも、同盟政府の目がフェザーン回廊に向かうことなどなかった。神々の黄昏<ラグナロック>作戦では、他ならぬラインハルト自身がロイエンタールを派遣してヤンを牽制させたではないか。ガイエスブルグ要塞による牽制が無駄だったと、ラインハルト自身が認めているに等しい。一〇〇万を超える将兵は文字通りに無駄に使い捨てられたのだ。 その神々の黄昏<ラグナロック>作戦にしても、皇帝誘拐などというあざとい謀略は必要ではなかった……そう、ヤンにはラインハルトが皇帝誘拐に何らかの形で関わっていたことを確信していたのだ。ラインハルトが同盟との戦いを望むのであれば、たった一片の外交書簡で十分だった。和平を求めるそれの。 あの<傍点>トリューニヒト……その固有名詞が、ヤンの背に鳥肌を立たせた……が、帝国からの和平への呼びかけに応じたか。同盟には時間が必要だった。少なくともアスターテ以降の敗北の連鎖による軍事力の衰亡と、クーデターによる政治的な安定の喪失から立ち直るための。 一〇中八、九、トリューニヒトがなしたのは同盟にとって最悪の選択だったろう。すなわち礼を以て差し出された手に非礼でもって応え、ラインハルトに十分以上の名分を与えただろうことも、ヤンは疑っていない。 一度はラインハルトを追いつめるに至ったバーミリオンの戦いもまた、ラインハルトの為人の微妙な変調を示すものではなかったか。 あの戦い、ラインハルト自身が囮となったのはある意味ではやむを得ない。だが、兵力まで同等である必要があったか。必要以上に麾下の将兵を分散させる必要があったか。さらに極論すれば、ラインハルトの戦術的天才の精華とさえ称された『機動式縦深防禦』戦術にしてからが、自らの分力をもってヤンの全力に立ち向かわせ、ヤンの戦力を吸収すると同時に膨大な将兵の屍を宇宙に撒き散らすという流血の戦術ではなかったのか。 自ら囮となってヤンを引きつけるなら引きつけ続けるべきだった。ヤンが小惑星帯へ引きこもったなら、引きこもったまま放置しておけばよい。ラインハルトが採るべきだったのは時間稼ぎによる戦略的勝利であって、短期的な戦闘の結果としての戦術的勝利ではない。戦略の大綱(大戦略)を最も理解していなかったのが、それを樹てたラインハルト自身であることを自らの行動で示した。しかもその理由が、受け身の戦いへの不満であったとするならば…… そうして、この戦い。 ひっきりなしに明滅し、スクリーンのすべてを埋め尽くすかに見える膨大なエネルギーの乱流と破壊の饗宴に、ヤンは静かに視線を向けた。 共和制民主主義という政治体制が生命を賭けてまで守られるべきものであるとラインハルトに納得させるには、圧倒的に不利な状況でも敢えて戦いを挑む選択肢しかない。それがヤンの側の論理だった。 だが、ヤンは、ラインハルトの判断にある期待を持っていたことは否定できない。 ラインハルト側は、敵に数倍する兵力を集め、ヤンをイゼルローン回廊の両端から封じ込めを果たすという戦略的勝利をすでに手にしている。たとえ緒戦で黒色槍騎兵艦隊が敗れ、ファーレンハイトは戦死するという事態を生じていたとしてもだ。 その時、ラインハルトがヤンの主張をある程度まで受け入れ、和を求めてきていたら…… 何らかの形で我々の主張を容れるというのであったら、従っていた。イゼルローンの明け渡し、不正規隊の解散、そして……彼自身の生命すらも。 「まあ、生命は惜しいから、せめて帝国領での軟禁くらいにしてくれと頼み込んだだろうけれどね」 その段階でヤンが和に応じないとすれば、和に応じないことで彼らが正しく守るべきものに生命を賭していると判断するに十分だったはずというのが、あまりにご都合主義的な判断だっただろうか。それを敢えて戦いに踏み込んだのは、これまた皇帝としての矜持とヤンとの戦いへの嗜好ゆえであると断じるのは、ラインハルトに対して余りに酷だろうか。 だから怖い―――ヤンはそう思う。どれほど戦っても無駄ではないのか。皇帝が求めているのは戦いだけであって、共存なんて言う言葉は視野の中に入ってはいないんじゃないのか、と。 不吉極まる内容の叫びが、悲鳴じみた叫びと共にヤンの聴覚に達したのはその時だった。 「戦艦『シヴァ』通信途絶、応答ありません……撃沈……されたもよう」 「フィッシャー提督が……」 シャルチアン大佐の呻きがそれに重なり、ヤンもまた鉛にも似た重さを両肩に感じて大きく溜息をついた。黒色槍騎兵艦隊は甚大な損害を被って回廊から後退した。しかし、引き替えにヤン艦隊の歩く航宙図ともいうべきフィッシャー提督を奪い取ったのだ。一四万隻を数える帝国軍艦隊に対して、ヤン艦隊は僅かに二万弱。イゼルローン回廊の地形とヤンの作戦能力、そしてフィッシャー提督の艦隊運用能力。いずれを欠いても、一対一四以上の兵力差を埋めることは到底叶わない。 重さは、同時に絶望の重さでもあった。 帝国軍には膨大な損害を与えた。しかし、ヤンの艦隊もまた癒しがたい深手を負ってしまった。皇帝ラインハルトがさらなる戦いを挑んできた時、ヤンの手許に残された選択肢は、あくまで帝国軍と戦い、最後の一兵の生命までを虚空の深淵の中に投げ込みきってしまう……飾らずに言えば、『全滅』あるのみ。 歴史は言うだろう。『ヤン・ウェンリーとその一派は、イゼルローン回廊に立て籠もり、皇帝ラインハルトにあくまで抵抗して最後の一兵まで玉砕した』。皇帝へ抵抗した……ヤンたちの意図はただ一言で締めくくられ、ほんの一〇〇年も経ずして人々は民主共和制という政治形態があったことすら、記憶から消し去ってしまうことになる。 『降服されるおつもりですか?』 不意に聞こえてきた柔らかな声に、しかし、ヤンは驚かなかった。喧噪に満ちた『ヒューベリオン』のブリッジで、本来聞こえてくるはずのない、落ち着いた穏やかな、それでいて靱さを感じさせる声。 底深くに埋まっていた旧い記憶の破片がふわっと浮かび上がり、小さく泡のように開く。古い、と言ってもわずか三年余り前の記憶は、まだ掠れてもおらず、薄くもなっていない。 あり得ないことだったが、ヤンは胸郭の裡にかすかな懐かしさと、そして悔恨に似た苦さが漂うのを感じる。 燃えるような赤毛。鋼鉄のサーベルを思わせる強靱な長身。そして穏やかな青い光を湛えた双眸。ヤンの斜め右横に静かに佇んでいるその人物は、確かにそこにいたが、同時にそこにいるはずのない存在だった。 応えるヤンの声は、常に変わらぬ口調をわずかも崩していなかった。 「それが皇帝との何らかの妥協というか、僅かでも私たちが望むことの実現に繋るなら、それもあり得るでしょうね。でも……マル・アデッタでビュコック提督は皇帝に向かってこう言ったそうです。民主主義というのは友人を作るものであって、君主と臣下を作る制度ではないとね。私が降服したら、皇帝は私……たちを臣下には迎え入れるでしょうが、帝政と異なる政治の制度を許すとは思えない」 『ラインハルトさまが、ご自身への反抗としてではなくて、ラインハルトさまが為そうとなさっていることだけがたった一つの正解ではないと主張しているのだとお受け取りになる……それを期待された、と?』 「不正規隊<ザ・イレギュラーズ>に二〇〇万人以上が集まった時……と言うか、それだけの人間が何かを求めて集まったと知った時に、ひょっとして皇帝には察してもらえるのではないかと思ったんです」 首を振り、ヤンは疲れたように……実際に疲れ切っていたのだ……大きく肩を上下させて、全身を支配し始めた倦怠感を吐き出そうと試みた。無駄なのは察していたが。 「だが、そうはならなかった」 視線を上げ、佇立する若者に凝視を据える。ほんの数十センチ先に佇むかに見えて、赤毛の青年は蜃気楼のようにゆらゆらと曖昧な輪郭の中にある。 「あなたの知っている皇帝は、二年前までの皇帝。皇帝になる前の、あなたを喪う前のローエングラム元帥でしかないのですよ。人は変われけれど、同時に変わってしまう者なんです。それが私には怖い」 『人を信じられない。だからラインハルトさまも信じられないと、そう仰るのですね、ヤン・ウェンリー・提督?』 独特の抑揚をもった呼びかけは、ヤンに不快さを与えなかった。 「ある意味、私が信じるのは事実だけなのかも知れません。事実。つまり皇帝ラインハルト自らの言葉。あるいは妥協と許容を示す協約、条約とそこに記されたサイン。そのいずれも得られていない、得られる保証のない以上は、信じろと言われて信じられる、そういうものではないんです」 『いいえ、ラインハルトさまは変わってはおられない』 頑固に、しかし、あくまで笑顔を崩さずに青年は、あるいは青年の姿を借りた影は主張する。 『ラインハルトさまは昔のままのラインハルトさまでおられます。いつまでも人の生命を宇宙に撒き散らし、イゼルローン回廊に屍を敷き詰め続けるような戦いをお続けになるはずはないのです。私は知っています。ラインハルトさまはそんなに愚かな方ではありません』 「あなたは皇帝を信じると言われる。でも、私にはそこまで人を信じ切ることができない。皇帝ラインハルトほどの人物でも、こうして変わろうと、変わって行ってしまおうとしているのではないかという光景を目の当たりにしてしまうと」 『あなたは人を信じられないのですか?』 「あなたこそ、どうしてそこまで一人の人間を信じることができるのか、分からない」 そこにいるはずのない人。ただ一度会っただけの人物。存命なら、こうして戦場ではなく、あるいは外交のテーブルの上で同じ話題を、他ならぬ皇帝ラインハルト自身と語り合うための仲立ちをしてくれたかも知れない。 そう気づいて、ヤンはある記憶を掘り起こした。リップシュタット戦役に関する諜報報告だった。この若者が生命を失った経緯は、詳細こそ明らかにされはしなかったが、ヴェスターラント星域での事件に関してローエングラム元帥と意思の齟齬を来したことに由来する。帝国軍部内では公然の秘密だった。 「ヴェスターラントのようなことがあっても? それによってあなたのような人を失うことになってしまったとしても、それでも、あなたは皇帝ラインハルトを信じ得ると?」 「ヤン提督……帝国軍が退いていきます。この間に補給と休養を図りたいと考えますが」 「いいよ……」 ムライ参謀長に応えながら、ヤンは僅かに首を傾げ、それから場違いなほどの笑いの発作を辛うじて表情の下に抑え込んだ。ヤン艦隊の中枢、『ヒューベリオン』のブリッジに黒と銀の軍服姿が堂々と立っているというのに、ムライはまるで気づいていないようだった。 「参謀長の判断で頼む。それとメルカッツ提督、アッテンボロー、マリノ、各提督に『ヒューベリオン』まで来て貰ってくれないか。今後のことを相談したい」 「了解であります」 ちょっと視線が逸れていたのかも知れない。ムライの表情が怪訝そうに曇った。視線は明らかに、赤毛の若者の姿を捉えているはずなのに、もう一度首を傾げただけだった。
■ 『あの男』(『der Monolog』より)
地上車が止まったのは目を閉じていても直ぐに分かった。 「着いたわよ」 女の声に促されるまで目を開かなかったのは、時間が欲しかったからだ。ほんの僅か、せめて動悸が静まるまで、いえ、息が整うまで……そうじゃない、急に熱くなってきた頬がもとに戻るまで。 そう思って、思ったことに気づいた時、一瞬、目が眩んだ。 怒り―――そう、怒り。自分が、そんな時を必要としたことへの怒り。 「どうしたの? その気になれないのなら、ここから引き返してもいいのよ。お尋ね者が堂々と顔をさらして歩けるのは今だけだから」 「お尋ね者ですって!!」 冗談ではない。お尋ね者はあの男ではないか―――!? ☆☆☆ 成り上がり者の金髪の孺子の、あろうことかそのまた腰巾着を殺したなどと、ありもしない罪を問うて、大伯父リヒテンラーデ公爵の私邸に土足で踏み込んできたのはあの男だった。 流刑惑星への終身流刑に処されたわたしたちに、その宣告を伝えたのも、あの男。左右の瞳に異なる光を湛えた、あの男だった。 絶対に、絶対に、絶対に許さない。すべてを覆し、わたしたちから何もかもを奪い去った、あの男を。 こんな所では死なない。こんなところで一生を終わるつもりなんかない。わたしたちだけがこんなところで死に絶えて、あの男が栄爵の中でのうのうと生き延びているなんて、絶対に許せはしない。 「わたしを誰だと思っているの。帝都へ帰るわ、ここから出しなさい!!」 何度、そうやって刑務官たちのオフィスに怒鳴り込もうとしたことか。 大伯父の威光にへつらって、わたしの前では頭もろくに上げられなかった小役人たちが、皇帝陛下の代理人面でわたしを門前払いする。怒鳴っても脅しても、大伯父の名を出しても、彼らの顔に一度貼りついたせせら笑いは消えなかった。 「ローエングラム公の暗殺を企んだ一族の長の名前を振りかざされてもねぇ」 「ローエングラム公は厳しい方だからな。国事犯の一族に便宜を図るなんてできることじゃない。生命を助けてもらっただけでもめっけもんだと思いな。分かったら、さっさと帰った、帰った」 それが一年も続いた頃には、皇帝陛下の恩赦もなく、流刑惑星から脱出することの難しさが、わたしにも嫌と言うほどに分かってきた。 「ローエングラム公は公正な方だそうだから、その内に恩赦があってここから出られるかも知れないわよ」 そのころには、親族の多くがそう言うようになっていた。 「何を言っているのよ!?」 都度、わたしは反発した。ローエングラム公……あの金髪の孺子が公正? 恩赦ですって? 「金髪の孺子が公正なら、どうして大伯父様を殺したの? どうして、わたしたちをこんな所へ流したりしたというの? どうして、お父さまや、伯父様たちを皆殺しにできたって言うのよ。そんな奴がわたしたちのことなんて覚えているなんて、どうして思えるの!! とっくの昔に忘れてしまっているわよ」 金髪の孺子、金髪の孺子、金髪の孺子。きっと報いをくれてやるわ、きっと大伯父様やみんなの仇をとってやる!! 叫び続けるわたしを、最初の内、みんなはとにかく黙らせようとした。金髪の孺子、ラインハルト・フォン・ローエングラムをそう罵るだけでもさらに罪に問われかねない―――そう恐れてのことだったけれど、そうやって止められるたびに、彼らの顔に浮かんだ表情がわたしを更に激昂させた。まるで奴隷、皇帝陛下の藩屏たる大貴族の誇りの影もない。ひたすらにあの孺子を恐れるだけの、卑屈で希望のかけらも残っていない、その卑屈さがたまらなく嫌だった。 「黙らないわ。わたしは何も罪を犯していない。罪を犯したのは、あの孺子だもの、あの孺子とあの男なのだから!!」 あの男―――そう、金髪の孺子と罵る時、わたしの視野に浮かんでくるのは金髪の、この世の者とも思われないほどに整った美貌ではなかった。代わりに脳裏一杯に浮かび上がってくるのは青い灼熱と凍てついた黒。あざ笑う青と、刺し貫く黒の輝きだった。 「そうよ、あいつよ、あいつがすべてをひっくり返した。すべてを壊したのだわ」 今にして思う。わたしは金髪の孺子を直に見たことがなかった。眼前に現れ、わたしに破滅を告げたのがあの男だったからだ。 だが、そんなことはどうでもよかった。いずれにしてもあの男は金髪の孺子の部下。それも、最初に孺子に付いた、皇帝陛下への裏切り者なのだから。 二年近くが過ぎたある日のことだった。 いつものように『金髪の孺子!!』と怒鳴った瞬間だった。 わたしはいきなり殴り倒された。 頭が叩き割られるほどの容赦のない一撃。地面に叩き付けられたわたしの背に、衛兵のつま先が食い込んだ。食事とも言えないほどに貧しい食事を収めたばかりの胃の腑がひっくり返り、嘔吐が口を衝いて迸り出た。 「黙れ、大逆の罪に問われたいか!?」 居丈高な怒声が落ちてきた。 「大逆ですって!?」 「そうだ。その罵声を以て、畏れ多くも皇帝陛下を罵り奉るようなことが二度あれば、死を以て報いられるだろう。よく覚えておけ」 「皇帝陛下? 皇帝陛下とは誰のことよ。わたしはリヒテンラーデ公爵の一族よ。リヒテンラーデ公爵の一族ともあろう者が皇帝陛下を罵ったりするわけがないわ」 「では、その口を閉じていろ。身のためだ。陛下を二度とそんな言葉で呼んだら、すぐに撃ち殺す」 「わたしが呼んだのは、あの下賤な、成り上がり者のことよ。皇帝陛下のことじゃ……」 言いかけて察した。そうなのだ。あの下賤な、成り上がり者の野心家はとうとう本性を剥き出したのだ。皇帝陛下を玉座から逐い奉り、わたしたち一族の血で汚れた手で帝冠を自ら戴いたのだということに。 「許さない」 そうなのだ。大伯父様が本当にあの孺子を殺そうとされたかどうかなんて、もう問題じゃない。あの孺子こそが大逆の犯罪者なのだから。大逆の罪人を除くのは貴族にとっての神聖で崇高な義務。それを罪に問うた時、金髪の孺子はすでに簒奪者の本性を顕していたのだから。 「絶対に許すものか!!」 だけれど、この時でさえ、わたしが憎悪の対象として心の中一杯に思い浮かべていたその面影は……鋭く野心に輝く青い光と、何もかもも冷ややかに見下すかのような漆黒の闇だった。わたしにとって、その男の名はローエングラム王朝への憎悪そのものへの代名詞となっていたのだ。 「ローエングラム公が即位された以上、きっと恩赦があるよ」 ラインハルト・フォン・ローエングラム戴冠のニュースが伝わると直ぐ、みんなはさっそく空しい希望を囁きに変え始めた。 あるわけがない。 あの男はただ玉座、皇帝の地位だけが目当ての獣(けだもの)。わたしたちはその獣(けだもの)に食い殺された獲物なのだ。獣(けだもの)が獲物を覚えているはずもないし、まして情けなどかけるような心をもっているはずもない。 そして、わたしは正しかった。 わたしが思っていたとおり、『恩赦』などという声はどこからも聞こえてこなかった。 希望が諦めに変わって、そうして絶望に陥ったころから、年長の婦人たちも次々に倒れ、帰らぬ人となる数も増え始めていた。同年代の娘たちの中には刑務官に情を通じたり、彼らのつてで流刑地と定められたエリアから忍び出て、街とも言えない街で春を販(ひさ)ぐ者が増えていた。 過酷な流刑惑星の気象、乏しい食事と貧しい医療、不十分な住環境。彼女たちにとっては恩赦で首都星に帰ることだけが唯一の望みだったのだろうから、生きる意思をなくしたり、明日より今日しか考えられなくなっても仕方がないのかも知れない。 けれど、わたしには彼女たちが歯がゆかった。 わたしたちをこの境遇に落としたのはあいつだ。あの男なのだ。どうして、あいつへの復讐を考えないで、ただ絶望だけしていられるのだろうか。 もちろん、事情はわたしだって同じだった。恩赦もなく、流刑地を抜ける手だてもなく、このまま一〇年が過ぎ、二〇年がすぎて、いつかわたしたちがいたということさえ、誰も覚えていなくなる。 「きっと、きっと、きっと、復讐してやる。絶対に仇を取ってやる。覚えているがいい」 寒々とした居住区の中で、そう呟いて唇を噛むことだけが、あのころわたしに許された、あの男への憎しみを忘れない唯一の手段だった。 ☆☆☆ 帝都星へ戻った日のことを、わたしは昨日のこと……いえ、ついさっきの出来事のように覚えている。 わたしの脚はごく自然に帝都郊外の一角に向かっていた。そこに、あの男の邸宅があることは、通りすがりの警官に一言尋ねるだけで知ることができた……わたしが尋ねたと言うよりも、向こうが親切に教えてくれたのだ。身分証の提示も要求されなかったし、名を聞かれることもなかった。 ナイフを握りしめ、門の陰に身を潜めていた時、わたしは高揚していた。 何をするつもりかははっきりと分かっていた。 復讐だ。 失敗するなどとかけらも思っていなかった。 大伯父を無実の罪で捕らえた上に、皇帝陛下を逐い奉り、座る資格のない玉座に簒奪者の身を沈めている、その身の程知らずの罪に報いをくれてやるのだ。簒奪者は金髪の孺子だが、そんなことはどうでもいい。あの男。左右に異なる光を帯びさせた、わたしたちに破滅をもたらした裏切り者。 夢にも忘れなかったその姿、長身の、艶やかなダーク・ブラウンの髪を戴いた端正な男の姿を視野にいれた時、わたしの胸は高鳴った。高鳴りの意味は、分からなかった。分かりたくなかった。 まるで、会いたくて、会いたくて、恋いこがれていたその相手にやっと出会えたかのうような……いや、違う。絶対に違う、絶対に、絶対に違う!! わたしはこの男に復讐に来たのだ、殺しに来たのだから。会いに来たのではない。 男が門をくぐり、わたしに向けた背は完全に無防備だった。 「大伯父様の仇、覚悟ぉっ!」 何と叫んだのか、もう覚えていない。
■ 『Sie sind nicht mein Meister』(『My boss, mein Meister』より
子供は天使のように無邪気だ。彼らには何の罪もない――大人たちはしばしば、ありもしない理想や願望を一方的に子供達の姿に重ね合わせようとする。しかるべき教育やしつけや教育を与えられなければ、彼らの行動を支配するのは猿と祖を同じくする野獣と何も変わない。ただ本能のみだ。 いや、もっと悪いのは本能を助長するような中途半端な教育を与えられた子供だ。 「おい、何とか言えよ。お前は、存在をゆるされない、劣等な人間なんだって教えてやってるんだぞ」 その最悪な、人の形をした小さな獣<けもの>が、憎々しげに歯を剥き出しに罵声を浴びせてくる光景が、パウルにはまるで3DTV<ソリヴィジョン>の映像のように奇妙に現実感を欠いて見えた。 パウル・フォン・オーベルシュタイン。爵位こそ持たぬものの、帝国の官僚界ではそれと知られた貴族の一門だった。家系は旧くルドルフ大帝の時代にまで遡ると、オーベルシュタイン家の当主は主張するが、これは定かではない。はっきりとオーベルシュタインの名が帝国軍、あるいは帝国の官界に刻まれるようになったのは、ここ一〇〇年余りの間であるらしかった。 「おい、何黙ってンだよ!」 また声が飛んでくる。 「返事できないんだよな、お前、恐れ多くもレアツクイデンシハイジョホウに違反しているんだからな」 口調の憎々しさにくらべて奇妙にたどたどしいアクセントと発音が、彼らが『劣悪遺伝子排除法』の本当の意味など知ってはいないことを語って余りある。彼らは単に、いじめの相手を『一方的に殴りつけることのできる棒』としてレツアクイデンシハイジョホウというものがあると知っているだけのことなのだ。 「おい、レツアクインデシハイジョホウってなんだっけ?」 「ルドルフ大帝陛下がお定めになったテーコクノホソウだよ。違反したら生きてられないんだ」 「こいつ、大帝陛下のテーコクノホーソウに違反しているくせに、帝国の人間でございますって顔でいやがるのさ」 「どこ、違反してんだっけ?」 「目だよ、こいつ、目が無いんだ。生まれつき目がないくせに、機械の、偽物の目でごまかしてやがるんだ」 瞼の辺りをつつこうとして複数の手が伸びてくるのを、パウルは素早くバックステップして避ける。急激な身体の動きが、視野を不安定に震わせ、吐き気を伴って足許をふらつかせるのを辛うじて耐えた。 パウル自身は義眼に嫌忌の気分は欠片ほどもない。本来、一生を視野を閉ざされた中で過ごさねばならなかった自分が、常人同様の視力を得られているのも義眼のおかげだった。 ただ、今日は時期が悪い。 身体の成長に合わせる必要があるため、一定の年齢に達するまでは義眼と視神経の嵌合手術を定期的に受けなければならない。数日前に受けたのがその処置だった。術後数日は義眼と視神経が馴染まない……両者の信号レベルに微妙な違いがあって、フィードバックを受けた義眼がレベルを調整する時間が必要だった。その間、義眼の映す映像と、肉体……正確には脳だ……が認識する映像にぶれが生じて、めまいや吐き気となって現れることが多い。今が、丁度その時期だった。 いつもなら、この連中に絡まれる前に道を変えるか、逃げ足の速さにものを言わせるか……見かけによらず、脚には自信がある……、あるいは……。だが、今日は目の具合の理由で、肉体にいつもの反応速度を期待することはできなかった。この少年達もそうした事情を見透かして、待ち伏せをかけていたに違いない。 「おい、逃げるな!」 「そうだ。俺たちはお前をキュダウンしてるんだぞ。恐れ多くもテーコクノソウホであるレツアクイデンシハジョイホウに反して、偽物の目をつけてごまかすなんて、許されないハギャンクコウイなんだってな」 『劣悪遺伝子排除法』や『帝国の祖法』と同じく、『糾弾』も『反逆行為』も単なる音として発音しているに過ぎない。知識をひけらかすつもりでことごとく発音を誤っているのが笑止だった。自分を取り囲んだ数人の同年代の少年たち。犯罪者を糾弾しているにしてはいかにも楽しそうに、歯茎まで剥き出しのにやにや笑いを浮かべた彼らの表情は、すでにパウルにとって珍しくも、ましては恐ろしいものでもない。 「ぼくに何を要求しているんだ、君たちは?」 「けっ、目無しのくせに『ぼく』だってよ!」 「いっちょまえに言葉しゃべってやがんの」 少年達がひとしきり、数百年、あるいは数千年も前から連綿と受け継がれてきたステレオタイプな野次を吐き散らすのをバックに、リーダー格らしい妙にどす黒い顔色の少年が一歩踏み出した。 「だ~か~ら~、お前はハクギャンコウイをおしている、悪い奴なんだってことさ」 「悪い奴?」 「そうさ、悪いやつさ。悪い奴は……」 リーダー格の少年がパウルの奥襟を掴む。いつもならそんなに簡単に襟を掴まれることはないのだが、今日は反応がどうしても一瞬遅れる。 「ほうら、こうやって、俺たちにごめんなさいって謝るんだよっ!」 そのまま馬鹿力で地面に向かって引き倒されそうになる。少年の意図は明らかだった。パウルを地面に押さえつけ、義眼の少年を足許に跪かせようというのだ。学校では彼らが足許にも寄れない優等生……学業ばかりではない、スポーツに於いてもパウルの遥か後塵を拝し続ける屈辱を、彼らは味わわされてきた。 「一人では勝てないから五人がかりとは恐れ入るな」 無理矢理引き倒されそうになりつつも、パウルの舌鋒は言葉の形をした氷の矢を放ちつづけた。 「君たちの栄光ある門閥貴族の誇りとやらは、言葉でも腕でも太刀打ちできない相手を、複数の人間で袋だたきにすることなのかい?」 「何を――!」 「劣悪遺伝子排除法のみの理由による出生者の無条件処刑は、帝国暦三四八年一一月のマクシミリアン・ヨーゼフ二世陛下の勅語によって実施を無期限に凍結されている。確かに劣悪遺伝子排除法は、大帝ルドルフ陛下のお定めになった帝国の祖法だが、マクシミリアン・ヨーゼフ二世陛下のご決定もそれに劣るものじゃない」 いきなり自分たちの知識も理解も超える言葉を叩きつけられて、少年達の表情が一瞬空白になる。無論、パウルは口から出任せを言ったわけではない。マクシミリアン・ヨーゼフ二世が悪名高いルドルフの遺法の有名無実化に力を尽くしたことは、帝国史に少しでも関心と知識のある者にとっては自明以前の事実だ。自らの身体的条件からして、パウルもまたそうした一人だった。 次の瞬間、パウルが繰り出した右膝が、見事にリーダー格の少年の鳩尾に埋まった。悲鳴とも呻きともつかない奇怪な叫びと共に、少年は掴んでいた奥襟から両手を離す。そのまま、折りたたみナイフのように身体を二つに折ると、路面に転がってのたうち回る。 手加減は余計だった。暴力は性に合わないが、言葉で言い負かされれば、前に増した暴力で応じてくる。それが、この少年達。帝国の支配者層であるはずの、門閥貴族の子弟たちであり、一三歳のパウル・フォン・オーベルシュタイン少年の、敬愛すべき同級生たちだった。 身体が自由になると、少年達の包囲網が手薄な右側へダッシュすると見せかけ、彼らの身体が動いたと見るや左へステップする。その間に拾い上げておいた砂利を、目の前の少年目がけて思いっきり投げつける。 「……!」 複数の礫が顔面を強打する音と悲鳴と叫びと入り乱れた足音が響くが、もう後を見ている暇はない。駆け出しかけた先に、しかし、複数の人影が差した。 「――しまった……」 まだ、仲間がいたらしい。敵の兵力を見誤るとは何という失敗だろう。敵の過小評価はそのまま決定的な敗北という対価を要求される。つまりは肉体への集中的な暴力という形での代償だ。