葵紋 (あおい) 日本の実用家紋 ZIP (AI, PNG, PSD)
- A 三つ葉葵 16点160 JPY
- B 三つ葉葵ほか 9点160 JPY
- C 立ち葵 15点160 JPY
- D 六葉葵ほか 15点160 JPY
サイズ1000px×1000px (余白あり) モノクロの透明背景。拡張子AI (ベクター線 CS2)、PNG、PSD (ベクター線) の3種類。※1つのZIPフォルダに一点ずつ個別のデータファイルがあります。 計55点【A】【B】【C】【D】━━━━━━ 【A】 三つ葉葵 (蕊13本)、丸の内に三つ葉葵 (蕊13本)、平折敷に三つ葉葵 (蕊13本)、菊輪に三つ葉葵 (蕊13本)、子持ち丸に三つ葉葵 (蕊13本)、藤輪に三つ葉葵 (蕊13本)、五瓜に三つ葉葵 (蕊13本)、六角に三つ葉葵 (蕊13本)、平折敷鉄砲に三つ葉葵 (蕊13本)、平折敷に三つ葉葵 (蕊13本)、三つ葉葵 (蕊15本A)、丸の内に三つ葉葵 (蕊15本A)、菊輪に三つ葉葵 (蕊15本A)、三つ葉葵 (蕊15本B)、八角に三つ葉葵 (蕊21本A)、八角に三つ葉葵 (蕊21本B) 【B】 三つ葉葵 (蕊23本)、八角に三つ葉葵 (蕊23本)、三つ葉葵 (蕊29本)、丸の内に三つ葉葵 (蕊29本)、三つ葉葵 (蕊9本)、三つ葉葵 (蕊43本)、三つ葉葵 (岩代会津)、三つ葉葵 (蕊3本)、丸に一つ葵 【C】 丸に立ち葵 (蕊11本左)、立ち葵 (蕊11本左)、三つ松輪に立ち葵 (蕊11本左)、亀甲に立ち葵 (蕊11本左)、平折敷に立ち葵 (蕊11本左)、丸に立ち葵 (蕊11本右)、立ち葵 (蕊11本右)、外雪輪に立ち葵 (蕊11本右)、亀甲に立ち葵 (蕊11本右)、折敷に立ち葵 (蕊11本右)、立ち葵水 (蕊11本)、丸に立ち葵水 (蕊11本)、丸に立ち葵 (蕊9本)、丸に立ち葵 (蕊15本)、丸に立ち葵 (蕊19本) 【D】 六葉葵車、丸に六葉葵車、六葉葵に六葉裏葵、六葉葵に六葉裏葵、丸に六葉葵に六葉裏葵、丸に違い葵、丸に立ち二葉葵、丸に三つ葵、蔓葵、丸に蔓葵、剣三つ葵、丸に剣三つ葵、丁子三つ葵、環酢漿草に三つ葵、実あり四葉葵
江戸時代、一種の流行りのように多くの大名や公家の間で家紋を代替わりの際にアレンジが加えることがあった。その代表格例が德川将軍家である。他にも京都近衞家、佐賀藩鍋島家、柳川藩立花家、彦根藩井伊家、高田藩榊原家でも確認。特に将軍家は3代将軍家光以降、概ね代替わりの度に家紋が変化。その為、葵紋はバリエーションに富んでいる。大まかに徳川松平氏葵紋<水戸葵紋<会津葵紋<尾張葵紋の順番に蕊の数が多い。 三つ葉葵は江戸期の徳川政権時代に使用が固く禁じられていた。大名家や旗本に下った松平姓の中で使用が確認されている位である。 上記以外の家で葵紋を使用している場合は、3パターン考えられる。 ・女系等で苗字を継がないが徳川松平一族由来の家。 ・葵紋を使用した社寺の社家や檀家。または明治以降に氏子や檀家の家が社寺に肖って使い始める。 ・一切無関係の一族。 【三つ葉葵 (蕊11本)】 ・使用家 德川将軍家、三卿德川家、三家德川家ほか大名家多数 ・三つ葉葵を製図するにあたり私が参考にした図案は、各華族の家紋が固定化した近代のもので、御三卿を含め徳川松平一族の大半が使用している家紋。徳川家関連の書物や所縁の物品を元に、現代的な形式にブラッシュアップして作製された。 ・各三卿の田安家、一橋家、清水家の各家紋でも、美術品や遺構の刻まれた家紋の年代により葵紋の蕊の数が異なる。遺構より確認済み。 【平折敷に三つ葉葵 (蕊11本)】(伊予西条)愛媛県西条市の地を治めていた松平家の家紋である。地元の美術品より確認済み。 【三つ葉葵 (蕊15本)】使用家 三卿德川家、大名德川家、松平家複数 【菊輪に三つ葉葵 (蕊15本A)】(美濃高須) 岐阜県海津市の地を治めていた一族。東京都内の遺構より確認済み。 【三つ葉葵 (蕊19本)】使用家 大名松平家複数 【八角に三つ葉葵 (蕊21本)】使用家 (磐城守山)子爵松平家 【三つ葉葵 (蕊23本)】(常陸宍戸) 茨城県笠間市の地を治めていた一族。東京都内の遺構より確認済み。 【八角に三つ葉葵 (蕊23本)】(常陸府中) 茨城県石岡市の地を治めていた一族。地元の遺構より確認済み。 【三つ葉葵 (蕊29本)】(尾張名古屋) 愛知県名古屋市の地を治めていた徳川御三家に数えられる一族。近代に入り城主時代の美術品を離散させた華族が多い中、尾張徳川家は美術品を守り抜き現在に伝承し続けている。蕊29本の紋様は徳川美術館使用の紋を元に他の三つ葉葵紋と整合性が取れる形に仕上げた。尾張徳川家の家紋は蕊29本のほかに蕊15本や蕊11本の家紋の使用実績も確認。 【三つ葉葵 (岩代会津)】(岩代会津若松) 福島県会津地方の地を治めていた松平家の家紋。全会津の魂の具現化である。遺構・装飾品の実物から紋を作成。 【丸に立ち葵 (蕊11本左)】徳川四天王の本多忠勝の名で広く知られている大名家の家紋。 三河岡崎、磐城泉、近江膳所、神戸、三河西端、飯山、駿河田中、安房長尾、越前府中といった各藩主を務めた一族である。三河岡崎藩主の本多家は江戸中期には(福島市)福島藩主として、江戸後期には(愛知県)岡崎藩主として土地を治めてきた。遺構より確認済み。 【丸に立ち葵 (蕊9本)】(三河西端) 愛知県碧南市の地を治めていた大名家。地元遺構より確認済み。 【丸に立ち葵 (蕊15本)】使用家 大名本多家複数 【丸に立ち葵 (蕊19本)】(三河岡崎) 現在の愛知県岡崎市の地を治めていた大名家。蕊11本の立ち葵の使用実績もあり。東京都内の遺構より確認済み。 【丸に一つ葵】(尾張西尾) 西尾市の地を治めていた尾張西尾藩主の松平家、またの名を大給松平家ともいう。地元西尾市および東京都内の遺構より確認済み。 【丸に六葉葵に六葉裏葵】上賀茂神社宮司家の北大路家の家紋。北大路魯山人の遺構より確認済み。 【三つ葉葵 (蕊1本)】久能山東照宮 神廟に掘られている德川将軍家の家紋の一種である (執筆日 18/9/2022)