沢瀉紋 (おもだか) 日本の実用家紋 ZIP (AI, PNG, PSD)
- A 立ち沢瀉 16点160 JPY
- B 葉沢瀉 16点160 JPY
- C 抱き沢瀉 (竜胆柄) ほか 14点160 JPY
- D 抱き沢瀉 (光琳梅柄) ほか 14点160 JPY
サイズ1000px×1000px (余白あり) モノクロの透明背景。拡張子AI (ベクター線 CS2)、PNG、PSD (ベクター線) の3種類。※1つのZIPフォルダに一点ずつ個別のデータファイルがあります。 計60点【A】【B】【C】【D】━━━━━━ 【A】 沢瀉、丸に沢瀉、陰輪に沢瀉、車輪に沢瀉、藤輪に沢瀉、軸付き藤輪に沢瀉、隅入り隅立て角に沢潟、木瓜輪に沢潟、井桁菱に沢潟、陰松皮菱に沢潟、五瓜に沢潟、亀甲に沢瀉、鞠挟に沢潟、子持ち八角に沢瀉、柊輪に沢潟、白餅に沢潟 【B】 沢瀉に水、沢瀉に水 (山形水野家)、向かい花沢瀉、抱き葉沢瀉、亀甲に抱き葉沢瀉、折敷に抱き葉沢瀉、抱き葉沢瀉に三つ柏、抱き葉沢瀉に五三桐、抱き葉沢瀉に釘抜き、抱き葉沢瀉に左三つ巴、抱き葉沢瀉に隅立て四つ目結い、抱き葉沢瀉に木瓜、丸に抱き沢瀉 (結城水野家)、抱き沢瀉 (木下家)、三つ重ね沢潟、沢瀉 (沼津水野家) 【C】 抱き沢瀉 (竜胆柄)、丸に抱き沢瀉 (竜胆柄)、雪輪に抱き沢瀉 (竜胆柄)、外雪輪に抱き沢瀉 (竜胆柄)、菱に抱き沢瀉 (竜胆柄)、亀甲に沢潟 (竜胆柄)、八角に抱き沢瀉 (竜胆柄)、折敷に抱き沢瀉 (竜胆柄)、白餅に抱き沢瀉 (竜胆柄)、丸に軸なし沢瀉、丸に花なし沢瀉 (A)、丸に重ね葉沢瀉 【D】 抱き沢瀉 (光琳梅柄)、丸に抱き沢瀉 (光琳梅柄)、雪輪に抱き沢瀉 (光琳梅柄)、外雪輪に抱き沢瀉 (光琳梅柄)、菱に抱き沢瀉 (光琳梅柄)、亀甲に沢潟 (光琳梅柄)、八角に抱き沢瀉 (光琳梅柄)、折敷に抱き沢 (光琳梅柄)、白餅に抱き沢瀉 (光琳梅柄)、沢潟 (丸なし)、丸に沢潟 (丸なし)、丸に花なし沢瀉 (B)
《2つの抱き沢瀉》抱き沢瀉は大きく2つに分類される。中心部に近い2つの花のくぼみがポイントである。 1. 花のくぼみを5本線で表した「竜胆柄」 2. 花のくぼみを1本線で表した「光琳梅柄」 古い時代、花のくぼみの表現は、より写実的にめしべ部分まで描かれていたものだったのだが徐々に簡略化され、主に竜胆紋に見られる特徴の、5本の線で花のくぼみを表した図柄に落ち着く。 しかしそこに一石を投じるように現れた図案が、江戸時代の絵師緒方光琳である。江戸時代にブームになった緒方光琳考案の紋様の一つ「光琳梅」。花柄のくぼみを1本の線で笑みを浮かべたような図案で縁起がいいとされ、ほかの家紋にまで派生することになる。明治時代に家紋の統一化を図るも2つの紋様が両立する形になり、現在に受け継がれることになった。 【丸に沢瀉】(駿河沼津)子爵水野家、(紀伊新宮)男爵水野家 ・現在の静岡県沼津市を治めていた沼津藩主の子爵水野家の家紋。東京都内の遺構より確認済み。 ・現在の和歌山県新宮市の地を治めていた一族の家紋。東京都内の旧菩提寺寺紋および関係者の証言で確認済み。 【沢瀉に水 (山形水野家)】使用家 (出羽山形)子爵水野家 現在の山形県山形市を治めていた山形藩主の子爵水野家の家紋。山形藩主水野家の家紋を注視すると下部の水部分が左右非対称になっている。しかし左右対称で家紋を紹介している媒体が多く存在するため紋鑑含め出典不明な家紋には注意が必要。東京都内の遺構より確認済み。 【白餅に沢瀉】(上総鶴牧)男爵水野家 現在の千葉県市原市の地を治めていた一族の家紋。旧幕時代の建築物の装飾物を含む実物から確認。24年9月に実物を接触確認。 【抱き沢瀉 (結城水野家)】(下総結城) 茨城県結城市を治めていた結城藩主の子爵水野家の家紋。東京都内遺構より確認済み。(執筆日 21/9/2022)