1/700 大阪商船 貨物船「新興丸」 1隻
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- 特設砲艦(昭和19年時)Ships within 7 daysOut of StockShips by Anshin-BOOTH-PackPhysical (direct)4,650 JPY

「新興丸」は、大阪商船が浦賀船渠に発注した貨物船で、「新京丸」の同型船のうちの1隻とされており、船体主要寸法などは近似値でしたが、煙突の形状や、船橋部の構造など細部が異なっています。1939年(昭和14年)に竣工した本船ですが、日中戦争の影響下もあり様々な船会社によって運航されていた日本・中国沿岸部航路を逓信省主体で統合するかたちで生まれた東亜海運に現物出資という形で移籍し、移籍後に着工した「瑞興丸」もほぼ同型船だったとされています。 太平洋戦争開戦直前の1941年には海軍へ徴用されて特設砲艦(兼敷設艦)として改造運用され主に大湊などの北方の作戦に従事していました。この際、先に徴用された新興商船の「新興丸(6480総トン)」と区別するため「第二号新興丸」と改名されました。終戦を無事迎えた本船でしたが、終戦後に樺太からの疎開者を緊急輸送中に国籍不明(後にソ連と推定)潜水艦の攻撃を受け多数の被害を出した「三船殉難事件」の1隻として雷撃を受け大破しながらも浮上砲撃してきた潜水艦と砲撃戦を行ったとも伝わっており、多数の死傷者を出しながらもなんとか生還したものの留萌港で着底。浮揚修理の際に原名の「新興丸」に戻り、関西汽船に購入され再び政府からの要請で樺太からの復員輸送に従事し、戦後も長く運用されましたが幾度か船名と船主を変え1966年には日本を離れパナマ船籍となり、1987年のロイドに記載されたのを最後に足跡は途絶えていますが、一説によれば1992年(平成4年)に解体されたとも言われております。 ◆各バリエーションの特徴 ・戦前民間船時 竣工した時点の「新興丸」を再現することを念頭にしたキットです。煙突は別パーツにて、竣工時の大阪商船時と、その後移籍した東亜海運時の2種類のファンネルマークと、ファンネルマークなしの合計3種類を用意しており、多様な姿で製作していただけます。 ・特設砲艦時 二次大戦中の「第二号新興丸」を再現することを念頭にしたキットです。昭和19年時(主砲3門)を想定したキットですので三船殉難事件時は主砲が2門とされていますので改造が必要です。 また、本船と一般的に同型船ないし近縁船とされている船のキットを以下のURLにて販売中です。 新京丸 https://dairin-model.booth.pm/items/5764680 洛東丸 https://dairin-model.booth.pm/items/4968507 3D光造形プリンター製で自宅造形となりますので、品質にばらつきがある可能性がございます。また、積層跡があり、未塗装のパーツセットとなります。また、部品切り出しにニッパーなどが必要です。接着は、瞬間接着剤+硬化促進剤を想定しております。 完成時全長:13.6cm データ製作者:まったり造船課長 発売開始日 戦前民間船時:2024年9月15日 特設砲艦時:2024年9月22日