処刑人 処刑人 過去
- Ships within 7 daysPhysical (direct)2,175 JPY

幼い頃、アイルランドからボストンへ渡ってきた兄弟直江と高耶。2人は敬虔なカトリック信者である。 常に主への忠誠を抱いている。ある日2人は留置場で神の啓示を受けるのだ。それは主の赦しを得て、悪しき者達を処刑していく……処刑人である。 次々と悪人を殺し、世間は2人を『聖者』として支持していく。そんな2人を追うのは、FBIのアヤコだ。 そして2人の前に、予測もしない人間が現れる。2人の運命はどうなるのか? ボストン・アイルランド移民・犯罪・暗殺・処刑 映画「処刑人」のパロ 表紙・cannna様 188ページ フルカラーオフセット 30ページ コピー本(番外編)
『天におられるわが主のために守らん―――主の御力と赦しを得て、主の命を実行せん―――川は主の下に流れ、我ら魂は一つにならん―――父と子と聖霊の―― み名において』
サウスボストン・現在―――聖パトリックの祝日――― ガタンッ 転がるグラスに、呆れた声が上がった。 「おいおい」 「あーあー、飲み過ぎなんだよ」 ゲラゲラと笑い声が上がる。 横に座っていた男に軽く頭を叩かれ、鬱陶しそうに上げた顔は完全に酔っ払いのそれだ。耳まで赫い顔は、周りの笑いを誘った。 「うっせぇなぁ」 覚束ない手がグラスを倒してしまった。割れはしないが、中に入っていた茶色の液体がカウンターに小さな池を作っていく。 「あーあ……」 安いが美味いスコッチが空になってしまい、倒した当人は唇を尖らせグラスを前に押した。 「おかわり」 「まだ飲むのか?」 小さいパブは歴史があり、歴史があると何時も自慢してくるのはカウンターの中の老人だ。そしてその横に立ちグラスを磨いているのは、老人の孫であった。 「止めておけ」 止めた老人に、グラスを倒した酔っ払いはムッとした顔になる。 「飲む」 まだ若く地元の大学に通っている優秀な孫は、祖父である老人に運良く似る事のない端正な顔立ちをしている。明るいブラウンの髪を後ろで縛り、シンプルな眼鏡の奥でチラリと呆れた視線を酔っ払いに送ってきた。 「だからおかわり」 「ばぁか、止めとけ」 そして今度は孫が止めてみるが、 「うっせぇぞチアキ」 返ってきたのは悪態であった。これに対し孫は、馬鹿にしたように鼻で嗤う。 「黙れクソガキ。弱いくせにガバガバ飲むんじゃねぇよ。お前には10年早ぇんだよ」 店主の孫であるチアキの言葉に、グラスを倒した酔っ払いはキリリと眦を引き上げた。 「何だとぉッ」 だが酔っ払いのクダ巻きに、チアキはにやりと口端を引き上げる。 「ほら、これでも飲んどけ」 トン、と目の前に置かれたのは、グラスに入った白いミルクだった。 「ばっはっはッ」 「ぶっはっはッ」 「ミルクじゃねえかそれッ!」 「いいぞチアキッ」 途端に仲間から、大笑いの声が上がる。 「なにこれ……」 「ガキの飲むもんだ」 「んだとぉ?」 完全に馬鹿にされ、酔っ払いはムッとして唇を尖らせた。だが怒った顔はまるで子供が拗ねているようで、益々老人や周りから笑いが飛ぶ。 「タカヤぁ、ガキはもう帰って寝る時間だぞ?」 「そうそう」 「チアキの言う通りだな。お前にはまだミルクの方が似合ってるよ」 「何だとぉッ」 ガタンッ 皆の揶揄いに酔っ払い―――高耶が勢いよく立ち上がると、足の長い椅子が音を立てて背後に倒れてしまった。そして同時に高耶の躯が斜めに傾ぐ。その瞬間、 「おっと」 細い背中に腕が回るのだ。 「高耶」 低く穏やかな声は、高耶の耳に一番馴染んでいる音であった。そのまま力を抜き、腕の主を見上げる。 「んー」 据わった目で睨まれ、危うく転倒する所を支えた男は苦笑してしまう。 「危ない、飲み過ぎですよ」 現れた男を睨みつつも、高耶はその腕に完全に躯を預けていた。 「……んなこたぁねぇ……」 カウンターに横並びになり一緒に飲んでいた仲間が倒した椅子を直すと、男は高耶をそこに再度座らせる。 「ほら、ちゃんと座って」 「んー」 眠そうにしながら高耶は、言われた通り椅子に腰を下ろすのだ。そして誰が言うともなく、皆一つずつ椅子を移動し、高耶の横の椅子を空ける。そこにやはり、当たり前の顔で男は腰を下ろした。 「もう止めておきなさい」 男が高耶を窘めると、周りから声が飛んでくる。 「そうだぞ、全くしょうがねぇ弟だな」 「ナオエ、お前は相変わらず弟に甘いなあ」 「そんな事はない」 シレっとした顔で高耶の横に腰を下ろした男、直江は仲間の揶揄に澄ました顔で薄く笑った。 薄汚れたパブのカウンターに、横並びに座っている6人の男達は皆、気心の知れた者達だ。こうしてこのカウンターに並び、酒を飲むのは何時もの事であった。 「ほら」 「ああ」 チアキの手が伸び、直江の前にスコッチが置かれる。それは男が何時も飲んでいるもので、無論氷など、面倒なものは入っていない。 「あ」 横に座った兄がスコッチを一気に飲む様を見て、弟である高耶もミルクの入ったグラスを脇に押しやった。 「いいだろお?今日は祝日なんだからさあ」 「……」 甘えるような声に、チアキは高耶の兄をちらりと見る。そして首を横に振ったのを見て、にやり、と嗤った。その嗤いを見て直江は顔を顰める。 「そうだな、セントパトリックディだしな」 「おい」 兄の抗議の声は綺麗に無視し、チアキは高耶の前に待望のスコッチの入ったグラスを置いてやった。そんな様子を、周りはにやにやしながら見ているだけだ。 「……」 にこにこしながら手を伸ばした高耶だが、 「あ」 触れない内に取り上げられ、犯人である兄を睨んだ。 「んだよ」 「ダメです」 「お祝いだろ?祝日くらいいいじゃねぇか」 「そんな事を言って、翌日死ぬ思いをするのは自分ですよ」 「……」 言われたくない言葉に、高耶は兄からグラスを乱暴に取り上げると、止める間もなく一気に呷ってしまった。 「高耶ッ」 「くあー」 直江の制止と同時に、高耶の満足そうな声が上がる。くらりとくるが、やっぱり美味い。 「美味いなあ、やっぱ」 美味い美味い、と言う弟だが本当の所、酒よりペプシ。ペプシよりクランンベリージュウスが好きな事を、兄直江はよく知っていた。 「全く……」 「これ位で、二日酔いなんかになるかよ」 「……」 溜息を吐く兄に、弟は得意顔だ。 確かに、兄の直江と違って高耶は余り酒が強くない。周りのアイルランド男達は、馬鹿みたいに酒が強いと言うのに自分はそうななれない。 日系である高耶と周りの男達では、体質が違うと分かっている。それでも同じ日系である兄が、そうではない事実が腹立たしかった。何時までも自分だけ、子供のような気がしてしまうのだ。 「……」 横に座り渋い顔をしている兄に、高耶はへらりと笑って見せる。 「平気だって、これ位さあ」 「……知りませんよ」 そこで仲間から声が上がった。 「じゃあナオエも来た事だし、乾杯しようぜ」 「おい、何回目の乾杯だよ」 「いいんだよ、何回やってもよお」 「よし、チアキ」 連中がわいわい騒ぐのは何時もの事だ。チアキも慣れた風にグラスに酒を注いだ。 **************************************************** 兄弟は市警を出たその足で、とある場所へ向かう。そこは決して看板など出ていない、アンダーグラウンドの店舗である。 薄暗い地下の部屋に兄弟はいた。 〝接客〟用なのか、場にそぐわない綺麗なテーブルとソファセットが置かれていた。 黒いテーブルは光沢があり、高耶と直江が置いたベレッタ92FSが綺麗に映っている。 「……」 「……」 テーブル越しに2人と向き合っている〝店〟の店主は20代後半と若く、ハンチング帽を被り2人の様子を黙って眺めていた。 店主の前で、2人は銃の上にぽんぽんと、様々は物を放り置いていく。 時計や貴金属、アイフォンに4、5千ドル紙幣は無論、元はロシアン・アフィアのものである。 「……」 テーブルの上に積まれたものを眺めた後、店主は何を思ったか2人に、大きな黒いスポーツバッグを放り投げた。そして、 「好きなの持っていけ」 と言うや否や、背後のスイッチを入れる。まるで兄弟が〝何者〟であるのか、知っているかのように。 パチン 音と共に店主は顎で自分の正面を示した。 「……」 「……」 店主の視線を追い、2人は背後を振り返った。 そこには獰猛な肉食獣を閉じ込めるような鉄の柵があり、奥には小さな部屋がある。 店主のスイッチにより、小部屋の電気が灯された。 「……」 「……」 パァ、と明るくなり小部屋の全貌が兄弟の目に飛び込んでくると、思わず2人は腰を上げていた。 立ち上がった兄弟が柵の扉の前に立つと、それは自動的に開き高耶と直江と招き入れる。 一歩足を踏み入れた高耶は、口をぽかん、と開けてしまった。 「すげぇ……」 無意識に零れた高耶の言葉が、全てを物語っている。 そこは小さな部屋ながら、武器の展示場さながらの光景が広がっていた。 「す、げぇ」 ライフル、マシンガン、ランチャー、大小の銃、その他もろもろ。 綺麗に壁に掛けられびっしり並ぶ武器達は、まるで芸術品のようにも見えるのが不思議だ。 小部屋の奥の壁には、アイルランド国旗が大きく描かれていて、その前には声明を録画する為のビデオカメラが備え付けられていた。 「……」 「……」 思わず顔を合わせ、そして兄弟はにやり、と笑い合う。そして玩具を見付けた子供のようにはしゃぎながら、武器を物色していった。 気に入ったものをぽんぽん黒いスポーツバッグに放り込んで行く2人だったが、ふと直江の動きが止まる。 「ロープを忘れていた」 難しい顔で、そんな事を言う。 「ロープ?そんなもん使わねぇだろう?」 呆れ顔の高耶にだが、直江は強く主張した。 「チャールズ・ブロンソンだって何時も使っていただろう。絶対必要です」 「……」 銃をバッグに放りながら、高耶が顔を顰めた。 「アホか直江」 「俺は本気ですよ」 「一体ロープなんて、何に使うんだよ」 高耶は手を休めず適当に流しているのだが、珍しく直江はムキになっている。 「何かに必要になる、ロープは絶対です」 「映画の見過ぎだって」 「……」 「おお、すげぇナイフ」 大きなスポーツバッグの中は、大小銃器、弾でいっぱいだ。 「ランボーですね」 映画、の言葉に拗ねたように言う直江に、高耶は顎をしゃくってロープの方を指す。 「ロープ、取ってこいよ」 高耶の言葉に直江は不敵に嗤うと、壁に掛けられていたロープの束をバッグに押し込んだ。 意外な程に、ホテルに入るのは容易であった。一流ホテルであっても、数か所ある裏口など皆この程度なのかもしれない。 「……」 「……」 従業員用のエレベーターに乗り込んだ兄弟は無言であった。 直江が停止ボタンを押すと、箱はガタン、と揺れ上昇を止めた。 「……」 硬い表情の高耶の顔を、直江は覗き込む。 「緊張してますか?」 「……してるかも」 「俺もしてますよ」 「直江も?」 「ええ」 決して乱暴でも、気が短い訳でもない。寧ろ真逆な直江はその雰囲気から、周りから気安く声を掛けられるタイプではない。 口数が少なく、余り動かない表情。そこに際立った容姿が付け加えられると、敬遠、とは違う、別の意味で遠巻きにされる事が多かった。 そんな直江が唯一〝素〟を見せる、心を明け渡す相手は兄弟であり相棒である高耶だけである。 高耶は、自分だけに見せる兄の、柔らかい笑みが好きだった。今もだから、当たり前のように向けられて、緊張していた心が和らいでゆくのを感じる。 「うん、大丈夫だ」 「そうか?」 「ああ、直江は?」 「まあ、何とかなるでしょう」 「何だよそれ」 軽い調子で笑う弟の様子を確認し、行動を始めたのだった。