Hello! World 前後編
- 4,367 JPY
仰木高耶は、少~しだけ不思議な力を持っている。ほんの少しなのだが、それを使って特殊な仕事を、相棒カゲトラ(黒猫)と共に営んでいた。 ある日以前客として知り合った男の紹介で、直江と名乗る男がやって来る。それは仕事の依頼であった。内容は、別段驚くものではなく、だが高耶は男が酷く胡散臭かった。結局依頼を受けてしまったが、それはそれは高耶にとって、人生を左右大きく変えてしまうものであった。 ちょい不思議・古来・伝承・陰謀 188ページ フルカラーオフセット 252ページ フルカラーオフセット 前後編2冊セット
古代と現代が交差する―――
最寄りの駅が懐かしい。そんな自分に笑ってしまいそうになりながら、高耶は駅前ロータリーに降り立った。 同じ都内でも、江戸川区まで来ると一気に長閑な空気が流れている。高層ビルの屋上で暮らしていた高耶には、この差が懐かしいのだ。何よりも、江戸川の方が心もち涼しい気がした。 江戸川って千葉だよね、と言っていたのは親友だ。まあ、否定はしない。 「みみッ」 「あ?ああ」 立ち止ったまま動かない高耶に、相棒が催促の声を上げた。慌てて高耶は歩き始める。それに満足したのか、キャリーバッグの中からは、何やら機嫌の良さそうな声が聞こえてきた。カゲトラもやはり、家に帰るのは嬉しいのだ。 「ふんふん」 何だか鼻歌を歌ってしまう高耶だが、そんな風に二人して機嫌良く歩く時間はだが、直ぐに終わってしまう事になってしまった。 慣れた通りを歩き始めて二分程経った頃、高耶は異変に気付いた。異変、と言う程大袈裟なものではないが、明らかな違和感である。 高耶が感じたのだ〝気の所為〟は有り得ない。 「……」 ゆっくりとした足取りで、懐かしの我が家への帰路を歩いていく。気温は高く、額には玉の汗が浮かんでいた。 「み……」 それを拭う事もなく無言で歩く高耶に、キャリーの中から声が上がる。 「うん、分かってるって」 分かってはいるが、さて、どうしたものか。 クソ野郎、もとい直江信綱から逃げ出してから二週間。その間無論、高耶は色々と考えていた。 あの化け物のような当主の容貌は、今思い出してもゾッとする。もっともあれは、物の怪と大差無い生き物だと高耶は分かっていた。そんな当主に、直江信綱は虐げられ生きてきたらしい。 「……」 頭の中に渦巻く問題に、段々と高耶の顔は険しいものとなっていく。 触れたのは一瞬だ。だがその一瞬は高耶、そして当主にとっては十分過ぎるものであった。 自分が〝直江〟と何らかの関連を持っていると、あの時知らされた。知りたくも無かった。 その事実は余りにも途方も無く、とてもまともとは思えぬもので。神経は麻痺し、驚愕さえも出来ぬものである。 〝直江〟と言えば太古から、悠久の時間の中延々、この国の真の中枢であり統治者、支配者であった。 近代になりその影響力は目に見えて衰退しているが、それでも〝アンタッチャブル〟な存在には変わりなかった。 そんな、文字通り歴史を作ってきた一族と関係しているなど、途方も無さ過ぎて驚く事も出来ない。だから高耶は開き直り、達観していた。 ま、今更オレには関係ねぇし―――である。 もしこの真実が発覚したのが高耶側だけであれば、その通り、関係無い、でそのまま生きていけばよかった。だが実際は、そうはいかない展開となってしまった。 当主も、あの物の怪もまた、何かしら気付いた筈だ。でなければあんなにも、気が触れたように動揺などしなかったであろうからだ。 「うーん」 面倒臭い。 高耶の気持ちを一番的確に表すとすれば、この言葉が一番合っていた。 あんな面倒な一族になぞ、付き合う気も関わり合うつもりも無い。正直、冗談では無かった。だがそれが通用するかどうかは、高耶の知らぬ所で決まってしまう。 二週間経った今、高耶は問題を楽観視していた。 こんな途方も無い事実を突き付けられたと言うのに、こんな風に思えるには当然理由がある。 もしもこの事で〝直江〟が動くとすれば、とうに高耶を取り囲む環境は変わっていただろう。何故なら〝直江〟であるからだ。 もしも〝直江〟が本気で動いていたとすれば、一応極一般的市民の高耶なぞ、抵抗も出来なかっただろう。 瞬時に潜伏場所は割れ、瞬く間に拉致されている。無論そんな犯罪行為は無きものとされ、記録も何も残る事は無い。全てが無かった事にされてしまうのだ。 〝直江〟が高耶一人消すなど、何でもない事なのだ。腹立たしいが、これが現実である。 そんな立ち位置にある高耶はだが、こうして街をのんびり歩いている。それは即ち〝直江〟が、どうする気も無い事を示していた。 だがここで、新たな問題が持ち上がる。 〝直江〟はいいとして、あの男、直江信綱は一体どう出るのか……それが高耶の中の引っ掛かりであった。そして今現在、地元を歩く高耶ははっきりとした、違和感の中に置かれていた。 「……」 違和感の先を振り返りたい欲求に駆られるが、それはグッと我慢だ。問題は、このまま自宅へ向かっていいのかどうかであった。 少しだけ考えた高耶は、 「いいや」 小さく呟き足を速める。 高耶の自宅など、とうに知られている筈なのだ。だからここで、ウダウダ歩き回り巻いたとしても何も意味も無い。ならばとっとと懐かしの我が家へ帰った方が、相棒も喜ぶだろう。 こんな風に呑気に〝違和感〟について考えているは、そこに殺意、悪意などの〝負〟の感覚が流れて来ないからであった。 駅から歩いて直ぐに感じたそれ(・・)は、真っ直ぐ高耶に向かっ て注がれている。だが何と言うか、何の温度も無いものなのだ。 キャリーバッグには、天井部分が開放出来るようになっている。駅から出て直ぐに、高耶は窓になっている部分を開けていた。そこからカゲトラが、顔を出せるようにである。同時に高耶も、相棒の様子を窺えるのだ。 「……」 そっとキャリーバッグの中を見下ろすと、真っ黒い塊が見える。カゲトラは大人しく、キャリーバッグの中で丸くなっていた。 「……」 それを見て高耶もホッとする。カゲトラも、今の状況に対し警戒していないようだ。 「うん」 ならば問題は無い。 脳内で決定すると、高耶の足は無意識に早くなる。喉が酷く乾いているからだ。 一旦意識すると、何だか猛烈に喉の渇きを感じる。そして今の場所から自宅まで、自販機の類が無い事も知っていた。コンビニも逆方向なので、冷たいものを飲むには自宅に帰るしかない。 飲み物について考えた高耶は直ぐに、自宅の冷蔵庫事情を思った。 「……」 野菜……その成れの果てとの対面を思い、溜息が止められない。 「は……」 京都からは、長くとも三日で戻ると計算していた。なので肉、魚は冷凍してあるもの以外は消化している。だがまだ余裕のあった野菜達は、常温、冷蔵とで保存してあった。 二週間……それは野菜達にとって、決して短い時間ではなかった筈だ。 「はぁあ……」 しおしおになってしまっているであろう野菜達に、何とも気分が重くなる。だが同時に、一刻も早く処分し、そして間に合った野菜を食べてしまわなければならない。食べ物は大切に!これは高耶の信条でもあるのだ。 「早く帰んねぇと」 「み」 決意を新たにする高耶をどう思ったのか、何時の間にかカゲトラが窓から顔を出している。 「ん?どうした?」 「みみッ」 「カゲトラ?」 「みみみーッ」 「カゲトラ……」 カゲトラの様子に、高耶の足が止まった。そして顔には、険しい色が広がっていく。 一旦キャリーバッグを地面に置くと、中から相棒を抱き上げる。そして脇に手を入れ鼻と鼻がくっつく距離で見詰め合った。 「……」 「……」 人間と黒猫が立ち尽くし、無言でじっと見つめ合う。そんな光景に、偶然通りかかった親子連れがチラチラと眺めていく。だがそんなものは、高耶とカゲトラの意識には入って来なかった。 「み」 「うん」 頷き高耶は、相棒をそっとキャリーバッグの中に戻す。そして今度はゆっくりと、慎重に自宅の前まで歩いて行ったのだった。 目の前の角を曲がれば、自宅を囲む塀が見える。そこまでやって来た高耶は、曲がる前に足を止めた。 「……」 一息吐くと、顔だけ覗かせそっと自宅の方を窺ってみる。するとそこには、 「げ」 見覚えのある車が停まっていたのだから、妙な声が出てしまっても無理は無い。だが驚くと同時に、納得もしていた。道理でカゲトラがピリピリする筈である。しかもmあったのは車だけではなかった。 「うげぇ」 親友曰く、外観も中身も○ザエさんちそのもの、らしい高耶の自宅だ。その年季の入った木の塀の前に、何とも似合わない高級車と日本人離れした男前が佇んでいる。違和感があり過ぎる光景に、眩暈がしてしまう。 慌てて顔を引っ込めると、高耶は呼吸を整えた。 「くそ……何であいつが……」 だが、あんな風に逃げて来たのだ、家を張られても不思議な事ではない。ないのだが、鬱陶しい事この上無かった。 「くそ……」 依頼は受けたが、そんなものはもうキャンセルだ。初めに嵌めたのはあの男の方なのだから、一方的なキャンセルであっても文句は言わせない。 「くっそぅ」 だが、キャンセルするにもひとまず、会う必要があった。だがそれは、高耶にとってひたすら面倒で避けたい事態なのだ。 もう、あの男には会いたくない。 「……」 目の前に自宅があると言うのに、こうして帰れないジレンマが腹立たしい。それもこれも、全てあの男、直江信綱の所為だ。全くもって、ろくでもない男である。 「くそー」 「みッ」 カゲトラも、大いに同意してくれた。 このまま飛び出しブン殴ってしまいたい欲求は強いが、今は我慢だ。 「うーむ」 さて、どうするか…… 少し考え高耶は、再び角からそっと顔を覗かせた。とっとと諦めて帰って欲しい、そんな呪いに似た願いを込めて。鳥が飛んできて大量の糞が、あの男の頭に降ってしまえばいいのに。 「ぷ」 想像すると酷く愉しい。だが、邪心は叶わないものらしい。何故なら、 「……」 「……」 そっと高耶が顔を出したと同時に、何故か男もこちらに顔を向けてしまったからだ。 「……」 「……」 あの男のこんな、呆けた、阿呆のような顔は爽快である。無論、こんな状況でなければだ。 「……」 「……」 時間にして二秒足らず。 二人してきょとん、と見詰め合いの時間は唐突に終わりを告げるのだ。 「げげッ」 先に我に返ったのは高耶であった。 「げげげーッ!」 後から考えれば、何故ここで逃げなければならなかったのか分からないし、逃げた自分に腹が立つ。だが結果的に、その選択は間違っていなかった。 「げげげげげーッ!」 だがこの時はもう、条件反射だったのだ。 「高耶さんッ!」 そんな声など知るものか。 完全にテンパってしまった高耶は、キャリーバッグを掴むと走り出した。無論目指していた筈の、自宅とは逆方向に向かって。 「待ってくださいッ!」 待て、と言われて待つ馬鹿はいない。 「けーッ」 「高耶さんッ!」 「ばっかじゃねえのッ」 気安く呼ぶんじゃねぇッ! そう言ってやりたい気持ちは山々だが、今は緊急事態だ。 大きなキャリーバッグを持ったままで逃げ切るのは難しい。だがここは高耶の地元で、裏道に精通している。そしてこの先に、細い入りくんだ裏路地がある事もしっかりと頭に入っていた。 「へへんッ」 だから、鼻で嗤う高耶は高を括っていたのだ、このまま余裕で逃げ切れると。 キャリーバッグの持ち手をしっかり持ち、高耶は全速力で走った。裏路地へ入る角までもう少し……だが、そうは簡単に行ってくれないのが高耶の高耶たる所以と言うか、 「げげーッ!」 こんなオチが、 「工事ーッ!」 待っているのだから。 そこは何と工事中で、がっちり通行止めとなっているではないか。 「みーッ」 カゲトラも怒っているが、怒られても困ってしまう。 「うっそだろ……」 暫し茫然としていた高耶はだが、ひやり、としたものを感じ背後を振り返った。背後でエンジン音がしたからだ。それは間違いなくあの男の車のもので。そして人間は、車より走るのが遅い。 「くそッ」 「みーッ」 がたがたと揺れるキャリーバッグの中で、カゲトラがシェイクされ抗議の声を上げる。だが今は聞かない振りだ。後でご機嫌を取るのが大変だ…… そんな風に荒い息の下、現実逃避していた高耶だが、 キキッ 「どわッ?!」 大きく仰け反りそのまま、尻もちを着きそうになってしまった。 「なッ」 何だこの車ッ! 焦りの後に、怒りが沸くのはもっともである。狭い通りを走っていた高耶の前に、突っ込むように飛び込んできたのだから。 「てめッ」 殺す気かッ! そう続く筈の言葉はだが、 「お乗りください」 「へ……?」 招くように開け放たれた助手席側のドアに、飲み込まれてしまった。 「お早く」 「……」 乗っていたのは男で、高耶の知らない顔だ。そしてこの男こそが、駅からぴったり張り付いていた違和感の正体だと悟る。 ***************************************************** 「高耶……」 男の腕の中にいる高耶は、まるで眠っているかのようだ。その胸全体が、赫に染まっていなければ。 「……」 高耶を腕に抱く直江は、綾子と小太郎の存在など目にも神経にも一切入っていない。ただ茫然と、動かなくなってしまった高耶を抱き締め髪を撫でている。 「退けッ!」 役に立たないと判断した綾子が直江を突き飛ばすと、小太郎はそっと高耶を抱き上げた。 「どうよ」 「……分からん」 「これ」 「抜けば危険だ」 「ち」 高耶の胸から腹にかけて、大きな刀が生えている。この柄の角度から見て、真っ直ぐではなく撫で斬りの角度で刺されていた。 「綾子」 「分かってる……」 苛々と綾子は、高耶の赫に染まる心臓の上に耳を当てる。 「……」 目を閉じ何か探っていた綾子は、暫くして顔を上げた。 「一応大丈夫……今はね」 大丈夫、と言っている割にその表情は険しい。この状態ではどっちに転ぶか分からない、と言った所か。そこへ、 「高耶さん」 突然顔の横から聞こえてきた声に、二人は虚を突かれた。 「え?」 「な」 男は放心し、役立たずになっていたと思っていた二人は隙を突かれた形になる。あ、と思った時には、 「ちょッ」 「くッ」 倒れ囲む大木まで拭き飛ばされていた。 「触るな」 言いながら直江は、横たわる高耶を抱き締める。刀の刺さる高耶の状況など、まるで見えていないかのように。 抱き締める直江の服も手も顔も、高耶の赫い血に染められていた。 「触るな……この人に触るな」 いかれた男を睨み、痛む頭を擦りながら綾子は躯を起こした。 「……何なのこいつ」 「直江信綱だ」 小太郎の答えに、綾子は鼻を鳴らした。 「だろうね」 ゆっくり躯を起こすと、警戒しつつ攻撃体制に入る。だがそれを止めたのは、仲間である小太郎であった。 「待て」 「はあ?」 「待て……私が行く」 「……」 何か言い掛けた綾子は、不満そうに溜息を吐く。だが反論する気は無いようだ。 「手を出すな……まだだ」 「あっそ」 拭き飛ばした直江の〝力〟を、小太郎は何処かで知っている気がした。それに今、男は普通の状態ではない。自分から高耶を奪う者は皆、見境なく攻撃してくるだろう。そんなタイムロスは、高耶にとって甚だ危険だ。 「直江」 「……」 「その人を助けたいか」 小太郎の問いに、直江は高耶を腕に抱いたまま、ギラギラとした血走った目で睨み付けてくる。そこにまともさは見当たらない、危険な光を湛えていた。 「……」 「助けたいのか」 「……助ける?」 直江の眸の色が、微妙に変わる。 「そうだ」 「この人を……」 「ああ」 「助けたいだろう」 「……助けたい」 直江の眸に、正常な光が戻るのを小太郎は確かに見た。 「ならば協力しろ」 「……」 「お前の協力が必要だ」 「……」 小太郎の言葉に、直江は腕の中の高耶を見下ろす。 「……この人を……彼をもう、失う訳にはいかない……一族 などどうでもいい……都になどやるものか……」 呟く直江の言葉に、小太郎は怪訝な顔になった。 「都?」 都、と確かに直江は言った。 都にやるものか―――? 「……」 「……」 顔を上げた直江と、小太郎はジッと見詰め合う。 確かに直江は先程とは違い、まともになっている。だが何かがおかしい。何か……歯車が合わない何かが…… 「……」 だが、小太郎はその違和感に目を瞑った。今は一刻を争う事態であるからだ。 「この人を」 「分かっている……綾子」 病院に搬送する為、小太郎は綾子を呼ぶ。そして異変が起こったのはその時であった。