直江といた夏
- 523 JPY
幽霊直江 小学校四年生高耶 隣のクラスの嘉田が木造校舎で幽霊を見たと言う。そこで何故か高耶が1人で確かめに行く羽目になってしまった。そこで出会ったのは幽霊直江。 初めは怖がっていた高耶だが、優しい目をした直江を直ぐに好きになる。そして家を抜け出し何度も夜、直江に会いに行くのだ。直江には心残りがあった。 若くして病死してしまった直江は、大切な人の行く末を見る事が適わなかったのだ。その大切な人の面影を、高耶の中に見てしまう。 56ページ コピー本
少年高耶のひと夏の出会いと別れ
「帰ろ……」 だが、音楽室から視線を逸らし、再び廊下を戻ろうとした高耶の耳に再び、 ポーン 「ひぅッ!」 今度は本当に近い背後からの音だった。 もう、ほんとうは音なんかしなかった、なんて絶対言えないはっきりした音で。 「……」 がくがくと足が震えてくる。だけど逃げないとゆうれいに殺されてしまう。 高耶は胸に楽譜を抱き締めたままで、ダッシュで廊下を走りだした。 こわいよこわいよこわいよ!嘉田が言ってたゆうれいはやっぱりいたんだ!譲はいないって言ったけど、美弥はいるって言ったもん! ぐるぐるぐるぐる 頭の中はぐるぐるしながら、高耶は懸命に走った。 にげないと!ころされちゃう! ゆうれいは人間を見て「あの世」に連れていく。 見付かったら高耶は、ゆうれいに殺されてしまうのだ。 「はぁはぁはぁ」 息が切れても走り続けた。体育の授業でマラソンをやった時よりも、もっと苦しい。 でも止まったらゆうれいに殺されてしまう。 だから高耶は走った。 走って走って走って、 「うわあ!」 可哀想な子供は、足をもたつかせてしまった。 ドタンッ 「痛ッ!」 薄暗い廊下で派手に転ぶと、拍子にしっかり持っていた楽譜が宙に舞う。 「はぁはぁはぁはぁ」 懸命に走っていたので、息が荒く喉も痛い。打った膝も手も痛い。痛くて起きられない。 「は……」 顔だけ何とか動かすと、廊下に点々と楽譜が散らばっているのが見えた。 せっかく音楽室から持ってきたのに…… 何だかとても哀しくなった高耶は、涙が出てくるのを堪えられなかった。 「う」 一旦涙が出てくると、もう止まらなくなってしまう。 「う……う、え……う、っく……」 もうだめだ、オレころされちゃうんだ。 「うえ……うわーんッ」 桃のような頬に、後から後から涙が流れ、高耶はとうとう廊下に伏せってしまった。 「うわーんッ、うえーん!」 ころされちゃう、ゆうれいにころされちゃうよ! 「うわーん」 もう直ぐ殺されてしまうと分かっているまだ子供の高耶は、哀しくて哀しくて怖くて、わんわん泣き続けた。 このままずっと、泣き続けてそのまま殺される、そう思った高耶の耳に、 「あの……大丈夫ですか?」 「!」 それは優しい声だった。 だがいっぱいいっぱいの高耶には、そんな所まで判断する余裕なんかない。 「怪我は?」 「ひぅ!」 ゆうれいの声だ! 「う……うぇ……」 もうだめだ、そう思いながらぽろぽろ涙を流した。 涙で廊下は濡れ、古い木製の床の色を変えていく。 「あの?」 「ッ……うわーんッ!」 声は廊下に倒れる高耶の直ぐ横からした。 ゆうれいが直ぐ側にいると分かると、高耶の鳴き声は一層大きくなる。 「うわーん!うえーん!」 わんわんわんわん、高耶は泣き続ける。 だって怖くて仕方がないのだ、泣く事しか出来ない。 「……」 高耶の横に膝を着いた「それ」は、酷く困惑した。 こんな風に子供が転んで泣いている。 どうにかしてやりたいが、どうしたらいいのか分からない。 「……」 少し考えた末、そっと楽譜を一枚拾うと、手を泣く子供の背中を扇いでやった。 「!」 すると途端に小さな背中が大きく震える。扇ぐ手を止めようと思ったが「それ」はそのまま扇ぎ続けた。 すると、 「ぅ……ひぃっく……ぅ……っく……」 子供の泣き声は段々と小さくなり、やがて止んだ。 それでも優しい手は、子供の背中を扇ぎ続けた。 「……」 覚悟を決めたのは暑い中、その風がとても優しかったからかもしれない。 高耶はゆっくり体を起こし、そのまま顔を上げた。 「……あれ?」 ゆうれいだと思った、ゆうれいにきまってる。でも顔を上げて見たのは、 「だれ……?」 見た事のない、男の人だった。 「おじさんだれ?」 涙でびしょびしょの子供の問いに「それ」は困ったように微笑む。 それを見て高耶は、本格的に安心した。 やっぱりゆうれいなんていないんだ。 さっきのピアノはこのおじさんが弾いたん だよね。 「おじさん、ここ勝手に入ったらだめなんだよ。怒られるから」 「そうですね」 「オレと一緒に帰ろうよ」 「……」 「どうしたの?」 「いえ……ああ、怪我は?痛むところはありますか?」 転んで泣いていたのだ、心配になってしまう。 「ううん平気」 泣いたのが恥ずかしいしまだ少し痛いけど、楽譜もあるし仲間もいたし。 もう怖くなくなった高耶は機嫌が良い。 「それは良かった」 「……」 にっこり微笑み立ち上がった「おじさん」は、よく見るととても変な格好をしていた。 「なんでそんなの着てんの?」 あまり着物を見た事のない高耶は、きょとん、と「おじさん」を見上げた。 上は白いシャツなのに、下は着物なのだ。 そんな格好の人はいままで見た事がない。 白いシャツは襟の立ったスタンドカラーで、下は袴を穿いているスタイルは、高耶は知らないが、昔の「書生」のそれだった。 「ねえおじさん」 「いえ……それは……それよりもう立てますか?」 「うん」 そこで「おじさん」は無意識に、子供に向かって手を差し伸べた。 その手に子供も極自然に、手を伸ばし…… 「……………………あれ?」 目の前に手がある、あるのに触ってない? 「あ」れ? 首を傾げた高耶だが、見る見るその顔には悲壮感と絶望が浮かび上がった。 何と、高耶の伸ばした手は、掴もうとした「おじさん」の手をすり抜けてしまったのだから。 「―――!!!」 声にならない子供の悲鳴は、確かに「おじさん」は聞いた……気がしたのだった。