ニカちゃんの恋
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初版:2019年3月3日発行 B6サイズ/60ページ、2段組 第2版:2026年5月4日発行 B6サイズ/76ページ、2段組 ーーーバケモノ、ブサイク、キモい。 化粧品メーカーに勤める二階堂は、学生時代から容姿を揶揄され続けてきた。 社会人になってもそれは変わらず。ドン底まで落ち込んで会社を辞めようと決意した時、通りかかった先輩の八神に声を掛けられて、踏みとどまる。 それから5年後。 八神は二階堂から熱烈に、でもどこか冗談めいた様子で「恋人になって」と求愛されるようになっていた。 その思いに応えるつもりはないけれど、礼儀正しくユーモラスな二階堂を八神は可愛く思っていた。 ある日二人で泊りがけの出張が決まる。 旅行気分で楽しもうとする八神に、二階堂はとても素っ気なくて・・・・・・ コンプレックスのかたまりのジェントルマンな後輩 ✕ ちょっとずれているけど懐の深い先輩 のオフィスラブのBL小説 *年齢制限はありませんが、性的なシーンはあります。自身でご判断ください。
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(五年前) 「これができなかったら、二階堂に抱きついて来ることにしない?」 「それきつい!」 甲高い笑い声が心に突き刺さって、マグカップを持ったまま給湯室の前から立ち去った。新製品の広告ポスターが並ぶ長い廊下を足早に進み、突き当たりの休憩スペースで立ち止まる。はあっとため息が自然に漏れた。あの二人はさっきまで話をしていた。会話が弾んで楽しかったと思っていたが、それは自分だけだったようだ。 罰ゲーム役にされることは慣れている。 それでもこんな時は堪える。 見た目が見た目だ。自分でも思う。こんな容姿の人間、そりゃあ放っておけないだろうな、と。顔色は悪く、顔のパーツが小さくて配置のバランスも良くない。でもなんと言っても骨格だ。頬骨と顎の主張がすごすぎる。初めて会った人間は必ず自分を凝視する。もしくは目を逸らす。それくらい特異なのだ。バケモノ、不細工、ブス、ありとあらゆる好ましくない表現で呼ばれてきた。 「子どもは残酷だから。でも大人になったらそういうことは言わなくなるよ。大人の世界に早くおいで」 中学二年の時、担任がそう言っていた。 先生、それ間違っていますよ、大人でもやっぱり言いますよ。先生、元気かな……。 さっきの陰口で通算百回目。入社して五か月。入る前に、半年で百回陰口を言われたら辞めようと決めていた。そんなことをちまちまカウントしているなんて、と笑われるかもしれない。でも、どうしても数えてしまっていた。百回言われたら辞めよう、違う道に進もう、そう決めていた。そして本当に百回目が来てしまった。予定していたよりも早く来てしまった。 「辞めよう」 声に出すとずしっと来た。この会社は悪くなかった。『大手化粧品メーカー』勤務。この肩書きを手に入れるために努力した。自分のような人間がそういうものを手に入れたら何か変わるかもしれないと思ったのだ。姉にも言われた。「浩二みたいなのが化粧品会社ってのはなかなか面白いことだと思うよ」と。家族はいつも自分を励ましてくれた。彼らの存在に支えられた。そして就職活動に成功した。人生で初めて華やかな経歴を手に入れた。会社に入ってみると、思っていたよりもずっと仕事は面白かった。もちろん最初は大変だった。会社に馴染むために休日返上で猛勉強したし、売上や数字について厳しい指導も受けた。その分やりがいがあった。自分の提案や考えが活かされた時は嬉しかった。頑張ってよかったと心から思った。尊敬できる人間にも会えた。先輩や上司は熱意を持って教えてくれたと思う。叱られたこともあるが、褒められたことだって多い。熱のこもった指導はもっと頑張ろうと前向きになれた。自分は仕事が楽しかった。 だからこそ、今こんなにも悲しい。どんなに成果を出しても容姿のことを言われる。この容姿は呪いだ。この呪われた外見は生涯自分を苦しめる。 「何やってんだ、こんなすみっこで」 振り向くと、同じ課の八神先輩が立っていた。 「え、お前、こんなところで茶を飲んでるのか?」と、自分が持ったマグカップを見て驚いている。八神先輩は、好きな先輩の一人だ。見た目が良い上に性格も良く仕事もできる。生まれるならこうありたかったと誰もが思うような恵まれた人間だ。いつも人に囲まれて、太陽みたいに笑い、場を明るくする。上にも下にも好かれる。裏表のない人間で、自分にも態度を変えず接してくれた。食事や飲みにも何度も連れて行ってもらった。 「こんなところでヌボーッと立っていると、怪物感が増すからやめとけよ」と笑う。 「……ひゃくいっかいめ」 「あ?」 「先輩ので百一回目です」 これまで先輩の軽口は数には入れてこなかったが、もう入れることにした。どうせ辞めるのだ。カウントの細かいルールなんてどうでもいい。 「何の話だ?」 「いいんです。僕、トイレ行ってから戻るんで」 踵を返しかけたところで、「待て待て待て待て」と腕を引いてきた。 「なんかおかしいぞ、叱られたのか?」 「そんなことでおかしくなったりしません」 「だよなあ。お前たくましいもんな。じゃあどうした?」と眉間に皺を寄せる。 「俺に話してみろ」 「言っても先輩にはわかりません」 「……まさか会社辞めたりしないだろうな」 優秀な人間に共通していることの一つに勘の良さがあると思う。先輩は勘が良く、察しが良い。 返事をしない自分を見て、掴んでくる手の力が強くなった。 「絶対ダメだぞ。辞めたらダメだ。お前みたいな見た目の奴が化粧品会社にいるなんて最高に面白いことなのに」 「僕自身は全然面白くないです」 「おもしろがれよ。お前という人材をこれ以上活かせる場所はない。しがみつけよ」 「もうっ、耐えられないんです!」 こらえていた涙がついに溢れだした。滝のように流れ出て、止めようとしても止まらない。拭っても拭っても熱い涙が溢れてくる。涙で視界が歪む。先輩が自分の手からマグカップを抜き取った。 「なんで笑われて、耐えないといけないんですか。嫌な事を言われて、それでも笑って耐えないといけないんですか」 「何かされたのか」 低くて優しい声だった。首を横に振るが、「誰に言われた?」と重ねて聞かれた。 「言いたくないです」 どんなに悲しくても告げ口は嫌だ。そんなことをしたらもっと惨めになる。 しゃくり上げる自分の腕を、先輩が、ぽん、ぽん、と叩いてきた。 「なんて言われたんだ」 「キツイって」 「そんなのいつも言われてるじゃないか」 「いつも言われててもイヤなものはイヤです」 そうだよな、と先輩が言った。穏やかなその声は、自分の震える心を落ち着かせる力があった。 「俺もお前のことをすごい顔だなと思う時もあるけど、でも、可愛いなあって思うこともあるんだぞ」 「そんなわけないです」 可愛いなんて、家族以外に言われたことがない。息子の名前を同じ漢字で挟むようなズレた親だけど、心から愛してくれている。彼らのおかげで今日までやってこれた。彼らがいなかったらとっくに人生を捨てていた。 「ほんとだって。お前ってなんかかわいいよ。そのちっこい目も鼻も、飛び出した顎も」 「けなしてる」 「でも俺はそれでも可愛いと思うんだよ。どんなにイジられても気にしないところも……ってまあ、それは違うって事がわかったわけだけど。なあ、悪かったな」 「先輩のは気にしてませんでした」 「でも俺がお前に百一回目の嫌なことを言ってしまったんだろ?」 この人は、案外人の話を聞いているのだ。あんな些細な、思わず口からこぼれ落ちた言葉をちゃんと拾ってくれる。 「お前は明るいし、素直に人の言うことを聞くし、人を傷つけるようなことを言わねえし、自分は傷つけられているのにな……お前みたいなできた奴はなかなかいねえよ。尊敬すらしてるよ」 涙が止まった。こんなことを他人から言われるのは初めてだったから、本当に驚いた。 「本当ですか?」 「本当だよ。お前がいなくなったらつまんなくなるよ。俺はお前の見た目込みでお前のこと可愛いなあって思ってるんだから」 「僕のこと、口説いてるんですか?」 先輩が笑いながら、「あほ」と額をペチッと叩いてきた。 「俺たちにくだらねえこと言われたくらいで辞めるんじゃねえよ。もったいねえ。どうせくだらねえ奴らなんだから」 「先輩はくだらなくないです」 「俺だってもれなく、くだらない人間だよ」 「そんなことないです」ともう一度言うと先輩は「ありがとな」と静かに言った。 「先輩がたまに可愛いって言ってくれたら、頑張れる気がします」 先輩が「え!」と目を丸くした。 「お前、そんなので頑張れるのか?」 「先輩が言ってくれたら、頑張れます」 「ああそう……そんじゃまあ、言おうかなあ」 「ほんとですか?」 「辞めないか?」 「はい」 頷くと、先輩は「よしっ」と言って、見とれるほどあったかい笑顔を見せた。きっとあの時に、好きになったのだ。 1. 八月ある日の午後。廊下の突き当たりにある休憩スペースのソファで、俺、八神圭介は缶コーヒー片手にまったりと過ごしていた。長い廊下の端ということもあって、ここはめったに人が来ない。気に入っている場所だ。窓からはちょうど駐車場が見える。アスファルトからゆらゆらと熱気が立ち上がっている。今日も暑そうだなあとぼんやり眺めていると、持っていたスマホが震えた。彼女からメッセージが一通来ていた。今夜会う予定だったが、『やっぱりナシにして』、そして、『もう会えないゴメン』とあった。俺たちの間には別れ話が持ち上がっていたが、これで決定だ。 別れると決まったのに何の感情もわかない。付き合い始めの頃はあんなに好きだったのに。とにかく外見が好みだった。顔も体もタイプど真ん中。相手もそうだと言っていた。お似合いだと皆に言われて、三十四歳という自分の年齢から結婚も意識していた。でも、だんだんと、面倒になっていた。一緒にいると疲れるようになっていた。距離が生まれて、会う回数が減っていくうちに、相手に別の男ができた。浮気か本気か、どちらかを確かめるのも面倒で、その時にはもう気持ちは冷めていた。 『わかった。元気でね』 送信した。これで伝わるだろう。送った途端、解放された、と思った。 『今日飲みに行かない?』 直後に友人の中田からメッセージが来た。中田は同じ化粧品業界に身を置く男だ。大学が同じで、気を使わないで話せる飲み仲間の一人だ。 『オッケー』 即答してスマホをスーツのポケットにしまった。 廊下の向こう側から、よく知った顔がやって来た。五期後輩の二階堂浩二だ。 「先輩、お疲れ様です」 出先から戻ってきたようで、うっすらと額に汗をかいているが、清潔さは保たれている。 「お前、今戻ったの?」 「そうです」 そう言えば、今日初めて顔を見る気がする。初めて見たときはこの特異な風貌に心底驚いたが、五年も経てばすっかり慣れた。 「樋口さん知りませんか? 四時からミーティングなんですけど、課長が作った資料のフォルダが行方不明で」 二階堂が探す樋口裕也は、俺の同期で二階堂の直属の上司にあたる。柔らかな笑顔と物腰の男で、社で一番の人気者だ。陰口すら「ホトケ」という恐ろしい人格者でもある。 「さっきまで一緒にいたけどなあ」 軽口を交えながらオンラインショッピングのシステムについて話していた。同期なので気心が知れて話しやすい。 「そうなんですか? 探してるんですけど、どこ行ったのかな」と言いながら俺の隣に腰掛けた。 「先輩、スーツが汚れてますよ」 二階堂が俺のスラックスを素早く手で払う。 「あれ? なんですかこの汚れ。とれない」 「昼にソースこぼした」 「うわぁ」と二階堂が顔をしかめる。 「クリーニング出さないと」 「いいって。そのうち薄れるよ」 「そんな、大切なスーツなのに」 「お前のと違って、俺のは、そんなたいしたモンじゃねえよ」 二階堂はいつも良いスーツを着ている。今日は濃紺に薄い水色の線が入った落ち着いた光沢を放つ生地だ。職種もあって小綺麗な男が多い会社ではあるが、その中でも二階堂は着ているもののセンスの良さに定評がある。女性社員が二階堂の服のブランドを言うのを耳にする事がある。たまに二階堂もそこに加わって、キャッキャキャッキャと楽しそうにはしゃいでいる。二階堂は女性社員に受けが良い。 「そうだ、今日の夜、飲みに行くぞ」 「え、今日ですか?」と顔を曇らせる。手を頬に当てながら「あらあ」とか言っている。少し前から顔色がすこぶる良くなった。社が春前に出したメンズの基礎化粧品のシリーズを使い始めてから、確実に顔が明るくなっている。他の人間も使っているが、二階堂は桁違いに効果がある。 「中田と、他にも来るかも」 「中田さんですね、なるほどね。あのですね、行きたいんですけど、僕ちょっと今日は用があるんですよ」 思案気に顎を手でなぞる。 「何の用?」 「……ちょっとした用です」 はっきりと明かさない。たまに二階堂はこういう秘密めいたところを見せる。 「後からでも来れば?」 「……でも九時過ぎると思うんですけど」 それくらいならまだ飲んでいる。 「余裕だ。来いよ」 考えるように少し遠くを見た後に、「それじゃあ行きます」と二階堂は言った。 「あ、樋口さん出てきた」 二階堂の視線をたどると、樋口が同期の小倉と会議室から出てくるところだった。 「あんなところにいたんだ。それじゃ先輩また後で」 二階堂はペコッとお辞儀をして、樋口の方に駆けて行った。 *** 「え、圭介、別れたの?」 向かいで中田が素っ頓狂な声をあげた。会社からの帰り道にある馴染みの居酒屋に来ていた。創作料理のうまい店で、週に三日はここで夕飯を食べて、酒を飲んでいる。和と洋の混じった料理は俺の舌に合う。明るすぎない照明に、落ち着いた木目調の内装。店内はこぢんまりとしていて、客の出入りも激しくないので、落ち着いて話せる。 「やっぱ、別れちゃいましたかあ」 中田の隣に座る後輩の山本が持っていたジョッキを置いて、俺を見てきた。二人の顔に「聞かせろ」という字が広がっていった。人のこういう話が大好物な男達なのだ。 「なんで? 仲良かったじゃん」 中田も山本もこの話題を掘る気満々なようで、すっかり前のめりの姿勢になっている。 「フられた」 正直に告白すると「いつもそれねお前」と中田が首を振った。 「ってことはあ、八神さん独り身になったんすか?」と山本が目をキラキラさせている。はっきりした顔立ちに長い手足、髪も服もトレンドを押さえているであろう山本は、モデルだと言われても誰も疑わない。隣に大きくて分厚い中田がいるから、より目立つ。 「そういうことだ」 答えると、山本が「よっしゃ」と拳を握った。 「人が振られて、よっしゃって奴があるかよ」テーブルにあったおしぼりを投げつけるフリをすると、「そうじゃなくてそうじゃなくて」と手でガードしながら笑う。 「お前、なんだかんだで結婚しないよなあ。大学の時から一番早いだろうって言われてたの、お前なのにね。なんでも器用なお前が」 そう言う中田は、夜になると指輪を外して既婚者であることを隠すという、ろくでもないことをしている。 「イケメンですしねえ」とイケメンの山本が相槌を打っている。 確かに俺はそういうことをよく言われてきた。通りがかったバイトのまみちゃんに、ビールのおかわりと串の盛り合わせを頼む。 「だから、そうじゃないってことだろな」 「そうって?」 「俺は器用じゃないってこと」 中田が眉を寄せて笑う。こういう顔をするときの中田は大学の時みたいで良い。この業界に入ってどんどん垢抜けていった。靴や時計など値の張るものを身につけ始めて別人のように感じることもあるが、こういう顔をしている時は昔のままで安心する。 「これからどうすんだよ」 「どうもしないけど」 運ばれてきたおかわりを受け取って口をつける。時計を見ると九時を過ぎていた。二階堂はそろそろ来るだろうか。 「その歳で結婚してないとかやばいだろ」 「って、言われるんだけどさ、結婚しないのかもなあ」 少し、酔いが回ってきた。二階堂、早く来ないかな。あいつの鉄板話を聞きたい。二階堂は色んな面白話を持っているのだ。 「ちょっと出てくる」と中田がスマホを持って席を外した。俺もスマホを取り出してメールの確認をしていると、山本が俺の隣に移動してきた。 「八神さん、この前言ってた店連れて行ってくださいよ」 妙に距離が近い。 「え? どこのこと?」 「ほら、生ハムがうまいって言ってた」 「ああ、あそこな。あそこはうまいぞ、お前」 「ほらーそこそこ! そこに連れて行ってくださいよ」 「今度な」 「やったあ」 山本が抱きついてくる。他社の人間だが、初めて会った時からこんな調子で、なんとも人懐っこい奴だ。「はいはい」と言っていると、中田が戻ってきた。 「あーもー、お前また圭介にくっついて。ほら、帰るぞ」と山本の腕を引っ張る。 「えー、僕は八神さんとまだいたい」 「だーめだって、お前。明日の朝、早いんだ。お前は遅刻が多すぎる」 中田が先輩らしいことを言っている。 「でも僕が帰ったら八神さん一人になりますよ」 「いや、二階堂が来る」 多分来るはずだ。来ないときは必ず連絡を寄越す奴だから。 「ニカさん来るんですか?」 「多分な」 「二階堂君、最近すごいね、噂になってるよ、すごいアカウントを持ってるって?」 二階堂は一年前に自分の顔を出してアカウントを開設した。化粧品会社の顔に二階堂が使われることは、かなり議論を呼んだが、課長が強行した。結果は大当たり。二階堂は課長の期待に応えるべく昼夜励み、今ではフォロワー数は四万人という驚異の数字になっていて、業界でも話題のアカウントになった。 「俺はよく知らないんだけどな。なかなかみたいだよな」 表情こそ変えなかったが、内心はかなり嬉しい。可愛い後輩の偉業だ。 「ほら帰るぞ」 中田がもう一度山本の肩を叩くと、今度は渋々といったていで俺から離れた。 「八神さん、今度連れて行ってくださいね」 「わーったよ」と手を振って二人を送り出した。 二人が出て少し経ってから、「ニカちゃん、いらっしゃいませー」という、まみちゃんの声がした。スマホから顔を上げると、二階堂が俺の向かいの椅子をひいていた。 「おっそい、お前」 抗議すると、「だから言ったじゃないですか~」と二階堂も怒った声を出す。 「今、片付けますねー」とまみちゃんがテーブルの上を片付けに来てくれた。 「ありがとう~」と二階堂が礼を言っている。 「外で中田さん達に会いましたよ」 「あ、そう?」 「ニカちゃん、何飲みますか? いつもの?」 まみちゃんが尋ねると「うん、マスター、いつもの」と二階堂が返す。 「はーい、カシスオレンジ」 「お前はいっつも女子みたいなのを頼んで。ビール飲め!」 「うるですっ」と指を差してきた。 「うるですってなんだよ」 また何か変なことを言ってきた。 「うるさい、のことですよ」 おしぼりで手を拭きながら、「先輩、考えてくれました?」と唐突に聞いてきた。 「え、何を?」 二階堂の目が呆れたように半目になる。 「僕、恋人になってくださいって言いましたよね?」 「あれ本気だったんか?」 一か月前に、二階堂は俺の事が好きだと告げてきたのだ。忘れてはいないが、本気にしていなかった。 「ちょっともー!」 怒る二階堂に、「だってお前、酔ってたじゃないか、あの時」と弁解すると「酔ってたのは先輩です!」と返してくる。家のトイレで吐く俺の背中をさすってくれながら「今、言うのもなんですが」と告白してきたのだ。 「あんな場面で言われて誰が真に受けるんだよ」 「吐いている先輩の姿を見ながら、こんなに無様な姿を見ても愛おしいと思うってことは、僕の気持ちは本物だなって思ったんです」 「あの時は世話になったな」 二階堂は部屋の掃除までしていってくれたのだ。 「いいえ~。あの時に先輩への僕の恋心は誠のものだと思ったんです。それに相手の吐き姿を見たカップルって大体末永く結ばれるんですよ、二階堂調べ」 「お前ってほんとすごいね。付き合うことはできないけど尊敬はしてるぞ俺は」 二階堂がうふふと両肩を上げて笑う。 「先輩のそういうところが好きなんですよね。僕のこの個性的な見た目の次のステージを見てくれるっていうか」 「だってお前、面白いもん」 「ね、そうやって僕の面白さに気づいてくれてるじゃないですか」 「うちの人間はみんな気づいてると思うぞ」 課長も部長も。でなきゃこいつを営業に配属したりしないだろう。 「そうですけど、皆さん僕の魅力に気づいてくれていますけど、でもやっぱりビジュアル勝ち、ビジュアルありき、なんですよ。でも先輩は違う。先輩はビジュアルの僕だけじゃない」 「それは買いかぶり過ぎ。俺もお前のビジュアルありき」 「いいえ! 謙遜しすぎですよ。先輩は僕の魅力を最大限に引き出せる力を持っています」 そう断言して、皿に残っていた砂肝の串を手にとり食らいついた。 「お前って砂肝好きだよね」 「ほらっ! 僕の砂肝好きも先輩は気づいてくれてる!」 「それくらいは普通、気づくだろ」 しょっちゅう一緒に飲みに出かけているのだ。 「いいえ気づきませんって! 先輩だけですよ。みんな僕の顔面にばかり夢中になって、僕が何を食べているかなんてことにまで注意を払ってくれないんです」 「そうなの?」 「そうです!」 そうかなあ、と首を傾げる。まみちゃんが二階堂のカシスオレンジを持ってきて、二階堂が「ありがとうございますぅ」と受け取っている。 「この前、この先僕の人生はどうなるんだろう、って部屋の窓から見える入道雲を眺めながら考えていたんです。人生で一回くらい、本当に好きな人に好かれてみたいって、思ったんです」 じっと見つめられて思わず心臓がはねる。その好きな人が俺という事なんだろうか。 「先輩と樋口さんと迷ったんですけどね」 「口説いている分際で、なに人を天秤にかけてるんだよ」 「樋口さんめっちゃ僕に優しいし。先輩なんて比べ物にならないくらい僕に優しくしてくれるんです。悪口も言わないし、意地悪もしないし、仕事できるし教えてくれるし」 他の人間を褒めだした。 「優しい。とにかく優しい。あと顔もいい」 ずい分褒めるじゃねえか、と少し面白くない。咄嗟に沸いた自分の気持ちが意外で、誤魔化すようにグラスに口をつける。 「でもそれって僕にだけじゃないんですよね」 「……」 「樋口さんは皆に優しいから、恋愛関係に陥ったら苦しみそうだなって思って。想像だけでもきつくって。その点先輩は、好き嫌いはっきりしてるし、まあ先輩も人気者で僕だけってことは全然ないですけど。でも僕のことをちょっとくらい気に入ってくれてるんじゃないかなあって。だったらいいなーって」 上目遣いで見てきた。 「可愛いなと思ってるよ」 定期的に言わされるセリフだった。 「よかったあ!」 両手をパチッと胸の前であわせて笑う。二階堂は笑うと可愛いのだ。 「だからやっぱり僕は先輩が良いって思ったんです。先輩を口説きにかかるぞ、って決意したんです」 「決意されてもなあ、俺は、男は無理だ」 「そんなこと、いいんですよ。僕が男ってことを忘れてください」 「あっほ、忘れられるかよ」 「先輩は僕の性別よりも、僕のこの容姿を受け入れることに心血を注いでください」 それはもうとっくにできている気がするんだけどなあ。 「性別なんて、後からどうにでもなりますから」 「お前、酔ってる?」 「全然」と首を振る。 「俺はとにかく無理だから。お前と俺が恋人同士なんて本当に無理。想像しただけで笑いが出る」 「嫌悪じゃないなら何とかなります」 思わず「すごいなあ、お前」と口をついて出た。 「ね、先輩。考えてみてくださいよ。僕と付き合うことについて」 「無理無理。本当に無理だって。笑えて仕方ない」 「お願いです」 「無理」 「後生ですから」 「無理」 もう一度強めに言うと、二階堂がハーッと深いため息をついた。諦めたかなと思いきや「マスターおかわり」と空いた皿を取りに来たまみちゃんにまた声をかける。ちなみにマスターなんてものはこの店にはいない。いるのは大将だ。「ニカちゃんて、ほんっとおもしろいですよね」とまみちゃんが俺に言ってきて、苦笑しながら俺も頷く。 平日の夜というのもあって、客はもうほとんど残っていなかった。まみちゃんはすぐにおかわりを持って来てくれた。「ありがとう」と受け取る二階堂を見ながら、見た目がこんなに特徴的じゃなかったら二階堂は確実にモテているだろうなと思った。女性に対して柔らかくて、乱暴な口調もなれなれしい仕草も見たことがない。根っからの紳士だ。 「お前の姿が、ほんとどこでもいいから、あと三センチ違っていたら、絶対人生が変わっていたよな」 俺の物言いに、気を悪くした様子も見せず、うんうん頷きながら「クレオパトラな僕ね」と言って、おかわりのカシスオレンジに口をつけた。
