ツキノ精神科パロ3
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今回の主役は新葵と郁涙と恋駆です。 陽夜は過去編とほのぼの。 年長さんの出番少なめです。次回は年長さんメインになります。 【序章】 「ほんとに、いいのかな?」 木製のテーブルに置かれた一枚の紙。列車が線路を軋ませる音もすっかりしなくなった深夜。部屋には疲労感と取り込まれたまま畳まれない洗濯物が横たわっていた。 インクが擦れないことを売りにしたボールペンを持つ手がどうしても震える。空欄に署名して住所を書くだけ。わかっていてもあと一歩が踏み出せない。 「……」 「ごめん。今更聞くようなことじゃないよね」 「んーん。……お前が迷う気持ちも、わかるよ」 「……うん、ありがと」 まだ何もしていないのにすっかり喉がカラカラだ。一口お茶を飲んでから、筆を取り直そう。そう思ってボールペンから指を離すと、向かいに座って大人しくイチゴ牛乳を飲んでいた手がひょいとこちらに伸びた。あっ、と思う間に彼の手に渡ったボールペンと紙。 呆気に取られていると、彼は俺の目を一瞬見てから、視線を紙に落とした。 「俺は準備できてるし覚悟も決めた。俺は一生お前と生きてくし、それを恥ずかしいとは思わない」 サラサラと、彼特有の力強くユニークな筆使いで署名欄の片方が埋められていく。 「こんな紙切れ1枚で何かが変わるとか、そんなこと期待しちゃいない。でも、これは俺なりにお前と2人で幸せになるための決意表明みたいなもんだから」 そう言って、普段あまり仕事をしない表情筋で笑顔を作る彼を見て、俺の覚悟は決まった。一度目を閉じて深呼吸をする。目の前には走馬灯のように彼との思い出が浮かんでは消えた。その、どんな時だって、彼の隣にいる俺は幸せそうな顔をしている。そうだ、世間がなんだ。一般的な幸せがなんだ。 今度は俺がボールペンを握った。グッと力を込めて、いつもより大胆に、でも極力丁寧に署名する。完成したそれは、ただの紙切れとは言え、なかなか堂々とした佇まいに見えた。 「ありがとう。新。やっぱり、新は格好いいね」 「ふふん、葵くんこそ。覚悟を決めたら、やっぱり男前だ」 そして、俺たちはロマンス映画のようにテーブル越しに指を絡めて、一度だけキスをした。格好いい彼の唇は、可愛らしいイチゴ牛乳の味。胸がぎゅとなって、目頭が熱くなった。幸せだと思った。 ◇ ◇ ◇ 【第1話】そう、秋ですね。 Side夜 残暑も和らぎ始め、蝉時雨の代わりに鈴虫が鳴き始めた。ああ、もう秋が来たんだなあ、と思いながら俺はボウルの中身をへらでかき混ぜていた。 「よーる、何作ってんの?」 「芋餅だよ」 炊飯器で蒸したサツマイモを潰し、片栗粉と少量の牛乳を加えて練り上げる。ジャガイモで作るのが一般的だけど、収穫期を迎えたサツマイモが段ボールで届いたから、作ってみることにしたのだ。ボウルの中はきれいな黄金色で、それを見ているだけで心がホカホカしてくる。 「へ~。って、もしかして、この芋」 「うん。じいちゃんが送ってくれたんだ」 じいちゃんは西瓜農家が本業だけど、他の農作物も作っている。サツマイモもそのうちの一つというわけだ。 「ウゲっ、やっぱりあのじーさんか。予知夢って本当にあるんだな」 「え?それはどういう」 「さっき夢に出てきたんだよ。そのみっともない髪を切れーって、ハサミを持って追い掛け回されてさ。逃げても逃げても追ってくんの。あんまりにもペースを落とさずについてくるから、なーんかおかしいなと思って振り返ったところで、目が覚めた」 かき混ぜる手を止めて振り返ると、寝起きのパジャマ姿の陽が、本当にうんざりしたという顔でこっちを見ているから思わず笑ってしまう。 「あっはは!だから、そんなに汗だくなんだね。髪もいつになくボサボサだ」 なんだかツボに入ってしまい、笑いが止まらずにいると、陽がむっとしたように言った。 「お前、笑いずぎだっつーの。今日の夜、覚えてろよ」 (略) 【第三話】時には昔の話を。 4年前 老年看護学の枠で音楽療法士の講師が来る、ということで、俺たちは大講義室に集まっていた。教授の後に着いてきた講師は思っていたよりも若く、自分たちとそう変わらない年齢に見えた。 「こんにちはー!俺は、音楽療法士をしている、藤村衛と言います!今日は短い時間ですがよろしくお願いします!」 朗らかで人懐こい笑顔、男性にしてはやや高いほうに分類されそうな声だった。同級生たちは「……ねがいしまーす」と、若干の警戒と共に挨拶をした。着席を促されて座る。 「まず、突然なんですけど、今日の天気は〜晴れで〜す!では、ここから皆さんに手を挙げてもらいます!皆さんの『心の天気』は、晴れ、曇り、雨・嵐どれですか?」 にわかに教室がざわめいた。 「晴れな人ー?……あれっ?10人もいないの?!じゃあ、曇りの人ー?」 俺はここで手を挙げた。 「あ〜だいぶ増えたね。それじゃあ雨嵐の人!」 陽含め、その他大勢が「はーい」と手を挙げる。 「わ〜、晴れの人より多いいや!ちなみに君はどうして?」 俺たちは割と前の方の席に座っていたから、陽が近づいてきた衛先生に話しかけられた。 「レポートが4つと課題が3、4つあって、バイトで疲れてるからっすけど……」 「あちゃ〜、それは大変だ……。看護師さんになるのって大変だって聞いたけど、実習以外にも課題がたくさんあるんだね」 先生はうんうん、と頷いてみせた。 「ちなみに、俺が働いてる病院だとおじいちゃんおばあちゃんも9割以上日晴れです!」 病気のおじいちゃんおばあちゃんよりも荒んでる俺たち……と若干遠い目になる。 「さてと、それじゃあ、歌を歌っていきたいと思うんですけど、皆さんの心の天気に合わせて歌ってください!」 衛は教壇から移動すると、その下にあったオルガンに腰かけた。いつも置物のようにおいてあるそれに掃除以外で触れる人を見るのは、初めてだった。 (略) 「ここまではみんなに色々と体験してもらったけど、そろそろ俺が最近受け持っている事例を紹介したいと思います。」 座るように促され学生たちが座るとスライドが切り替わった。 「個別のベッドサイド対応になるんだけど、みなさんはいくつですか?19?20?これから発表する彼……昴輝くんは21歳です。19歳の時まで普通に大学生でした。それがある時発作が起きてそれからずーーっと、この状態です」 スライドに映ったのは真っ白なベッドに寝かされた、少し長い金髪の眩しい美青年だった。しかし、身体中に付けられたチューブは痛々しく、その先はベッド周囲を取り囲む医療用機械に繋がれておりまるで檻に閉じ込められた天使のようだと思った。彼は自分の力では指先一つ動かせず1日のほとんどを傾眠状態で過ごしているそうだ。 【最終話】ハッピー・ウェディング・デイ (前略) ゲスト入場開始とともに最初に入って来たのは卯月家、皐月家のご両親と新のお姉さん、葵のお兄さんだった。最初はパートナーになることを多少反対されたこともある、と葵たちから聞いていたから、実は少し身構えていた。 でも、両家仲良く穏やかにおしゃべりしていて、表情も柔らかかった。なんだかそれだけで少しホッとして、肩の力が抜けた。こんなふうに受け入れてくれる新と葵の家族のみんなは素敵だし、頑張って説得した新と葵はかっこいいなと改めて思った。 開演5分前に俺たちの任は解かれ、式は定刻で開始された。急変があったという隼さんだけが間に合わなかったけれど。 「卯月新様、皐月葵様、ご入場です」 BGMが切り替わり、扉が開く。 眩しい光の中、その光を反射するような真っ白なタキシードでその2人は現れた。自然と拍手と歓声が湧き起こる。俺も周囲と同じように、いや、一層気合を入れて拍手を送り始めた。 ところが、拍手の音はだんだん小さくなっていき、ざわめきが漣(さざなみ)のように大きくなる。それもそのはず。 「……はぁ?」 陽の低く唸るような声。 ほーりーのパートは、里津花 が退院した後の秋の病院や日常を中心に、新と葵の結婚パーティーに向けて夜の視点でお話が進んでいきます。結婚式、夜に起こったサプライズとは……!?