「世界の終わり」系の音楽には、構造的な問題がある(壮大さは、それ単体では日常と接続できない——聴いている間は圧倒されるが、終わった後に残るものが少ない。壮大さが「特別な時間」として日常から切り離されているからだ)。
ブレヒトの「異化効果」という概念がある(親しみのあるものをあえて奇妙に見せることで、批判的な距離を作る手法だ)。今回は逆をやった。奇妙なものを、親しみのあるものの隣に置いた。壮大な崩壊の前景に、玩具楽器の温かさを置いた。玩具は崩壊を知らない。崩壊は玩具を知らない。その無知が、両方を変えた。
知らないもの同士が同じ部屋にいるとき、壮大さは日常になり、日常は壮大になる。