星の見守る物語
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マグカップ - 直径 8cm / 高さ 9.5cm月と星を分けた恋人たち 王宮の象牙色の回廊を、姫は不機嫌そうに歩いていた。 三日後には、隣国の王子との婚礼が決まっている。 「笑顔をお作りくださいませ」 侍女に言われるたび、姫はますます口をへの字にした。 今日は婚礼衣装の採寸だった。 王宮を出て、城下の一等地にある仕立て屋へ向かう。 店の前には、色鮮やかな布を積んだ露店が並んでいた。 その隅に、一人の男が座っていた。 片足が悪いらしい。 杖を脇に置き、古びた木箱の上に小さな銀細工や石の飾りを並べている。 姫が店へ入ろうとしたとき、その男が声をかけた。 「お嬢さん。ずいぶん立派な衣装をお召しになるんですな」 護衛が睨んだ。 「無礼だぞ」 しかし男は気にしない。 「その顔では、祝い事というより葬式ですな」 姫は思わず吹き出した。 「……あなた、失礼ね」 「これは失礼」 男は笑った。 「では、もっと失礼な話を一つ」 姫は仕立て屋に入る直前だったが、なぜか足を止めた。 男は小さなペンダントを取り出した。 古い金色の楕円形。 中央には三日月。 その下に白い真珠。 そして、その二つの間に小さな星があった。 「昔、二人の恋人がおりましてな」 男は語り始めた。 身分の違う二人だった。 男は旅人。 女は庭師の娘。 二人は互いを愛していたが、結ばれることはなかった。 男は遠い国へ旅立ち、女は故郷に残った。 別れの日、男は月の飾りを渡した。 女は自分の真珠を渡した。 「いつか、また会おう」 そう約束した。 だが、二人は二度と会わなかった。 それでも二人は、夜になるたび同じ月を見た。 「同じ月を見ているなら、離れていても一緒だ」 そう思って。 老人はペンダントを姫に見せた。 「ずいぶん悲しい話ね」 「ええ」 「じゃあ、これは二人の形見?」 「いいえ」 老人は首を振った。 「これは、二人が生きていた証です」 姫は黙った。 「死んだから美しいんじゃありません。結ばれなかったから美しいんでもない」 老人は月の部分を指で撫でた。 「二人とも、自分の人生を生きた。それが残ったんです」 姫はペンダントを見つめた。 そして、自分の着物を見下ろした。 三日後には、この衣装を着て、知らない男のもとへ行く。 自分の名前も。 自分の国も。 自分の未来も。 「……ねえ」 「はい」 「このペンダント、売っているの?」 老人はにやりと笑った。 「お嬢さんには、ちと高い」 「いくら?」 「金貨一枚」 「高すぎるわ」 「王女様なら安いくらいでしょう」 姫の目が丸くなった。 護衛も固まった。 老人は笑った。 「さあて。どうします?」 その夜。 王宮から一人の娘が消えた。 婚礼の衣装は仕立て屋に残されていた。 宝石も置いていった。 王女として持っていたものを、ほとんどすべて。 ただし、首にはあの古びたペンダントが下がっていた。 数日後。 国境近くの町で、男装した若い旅人が見つかった。 片足の悪い露店商と一緒だったという。 王宮は大騒ぎになった。 大臣たちは叫んだ。 「姫殿下を連れ戻さねば!」 「隣国との婚姻が!」 「国家の威信が!」 そんな中、玉座に座っていた王は、報告書を最後まで読んだ。 そして、 「そうか」 とだけ言った。 大臣が震えながら尋ねる。 「陛下……いかがなさいますか?」 王は窓の外を見た。 遠くに、娘が幼い頃から好きだった山が見える。 しばらく黙っていた王は、突然、大声で笑った。 「はははっ!」 皆が驚く。 「まったく、あいつは!」 王は椅子の背にもたれた。 「とうとう王女をやめて、賊になりおったわ」 大臣たちが凍りつく。 王は笑いながら続けた。 「我が娘ながら、ずいぶん立派な賊だ」 そして、ほんの少しだけ目を細めた。 「……好きなものを、自分で盗みに行きおった」 王は追っ手を出さなかった。 ただ一つだけ命じた。 「見つけても、連れ戻すな」 「しかし……!」 「父親が娘を盗賊にしてしまったと、隣国には伝えておけ」 王はまた笑った。 「はははっ。 我が国の姫は、王冠より自由を盗んで逃げたとな」 その頃、山道を歩く娘は、首元のペンダントを握っていた。 隣を歩く片足の悪い露店商が言った。 「後悔してませんかい?」 娘は少し考えた。 「してるわ」 「ほう」 「お父様には、ちゃんとさよならを言いたかった」 そして、空を見上げた。 「でも……戻らない」 夜空には月が出ていた。 そのすぐそばに、小さな星が一つ。 娘は笑った。 「ねえ、おじさん」 「なんです?」 「私、盗賊になるなら、もっと格好いい名前がいい」 老人は吹き出した。 「じゃあ、考えましょうか」 二人の影は、月明かりの道を遠ざかっていった。 そして古い伝承には、こう一行だけ付け加えられた。 「月と星を分けた恋人たちの物語は、 いつしか、一人の姫君が自分の人生を盗み返す物語になった。」 「……そういえば」 王はふと思い出したように言った。 「お前たちには、まだ話しておらなんだな」 大臣たちが顔を上げる。 「何を、でございますか?」 王は玉座の肘掛けを撫でながら、楽しそうに笑った。 「実はのう」 一同が息を呑む。 「王家の正統な血筋は、我が妻のほうだった」 「…………は?」 「つまり、この国の王家は、本来ならあの女の一族じゃ」 大臣たちの顔から血の気が引いた。 「では……陛下は……」 「うむ」 王は胸を張った。 「簒奪した」 「…………」 「王女も」 「…………」 「王権も」 「…………」 「このわしが、まとめて盗んだ」 「なぜそのようなことを、そんな晴れやかな顔で……!」 王は豪快に笑った。 「はははっ!」 そして、遠い昔を思い出すように窓の外を眺めた。 まだ自分が王ではなかった頃。 妻は王女だった。 美しく、聡明で、しかし王家の重みに押し潰されそうな娘だった。 先代の王は、政略のために娘を遠国へ嫁がせようとした。 彼女が泣いても。 嫌だと言っても。 国のためだ、と。 王は当時、ただの武人だった。 だから何も持っていなかった。 権力も。 王冠も。 血筋も。 ただ一つだけ、持っていた。 「絶対に、あの女を連れていかせぬ」 という意地だった。 王は仲間を集めた。 兵を集めた。 そして先代の王に向かって言った。 「王女を道具にするなら、そんな王座など要らぬ」 先代の王は笑った。 「貴様ごときが王座を奪えると思うか」 「思わん」 若き日の王は答えた。 「だから奪う」 そして、本当に奪った。 王女を。 王権を。 国そのものを。 「……つまり」 大臣が震える声で言った。 「陛下は、王女殿下を政略結婚から救うために、王になられた……?」 「そういうことじゃ」 王は何でもないことのように答えた。 「もちろん、途中で何人かに『反逆者!』と言われたが」 「当然でございます!」 「じゃが、妻は笑っておった」 王の声が少しだけ柔らかくなる。 「それで十分だった」 沈黙が落ちた。 やがて、若い大臣が恐る恐る尋ねる。 「では……姫殿下が今、王女という身分を捨てて逃げたことも……」 王はにやりとした。 「血は争えんのう」 「……まさか」 「我が娘も、王冠を盗みおった」 「いや、殿下は王冠を盗んではおりません!」 「何を言う」 王は大笑いした。 「父親から教わった一番大事なことを、あの娘はちゃんと覚えておったのじゃ」 大臣たちが黙る。 王は玉座から立ち上がった。 「王冠は、被るためにあるものではない」 そして、窓の外の月を見た。 「守りたいものがあるなら、王冠など捨ててもよい」 少し間を置いて。 「……まあ、わしの場合は盗んだがな」 「そこは捨てたのではなく盗んだのですね……」 「うむ」 王は満足そうに頷いた。 「だから娘よ」 誰もいない夜の王宮に向かって、王は呟いた。 「好きに生きろ」 そして、いつものように豪快に笑う。 「はははっ!」 「父娘そろって、王家から王冠を盗むとはのう!」 その頃、山道を進む娘は、くしゃみをした。 「……誰か私の噂してる?」 隣の露店商が笑う。 「たぶん、お父上でしょうな」 娘は呆れた顔をした。 「まったく。あの人、本当に王様なのかしら」 老人は杖をつきながら答えた。 「さてね」 「ただの、娘を逃がすのが得意な盗賊の親分かもしれませんな」 娘は吹き出した。 首元では、月と真珠と星のペンダントが揺れていた。
発送予定日
- マグカップ - 直径 8cm / 高さ 9.5cm(直径 8 cm / 高さ 9.5 cm - ストーンウェア)2026/11/05


