鱗紋 (うろこ) 日本の実用家紋 ZIP (AI, PNG, PSD)
- A 15点 鱗ほかDigital700 JPY
- B 15点 三つ鱗ほかDigital700 JPY

計30点【A】【B】 【A】鱗、丸に鱗、六角鉄砲に鱗、亀甲に鱗、三つ鱗、丸に三つ鱗、細輪に三つ鱗、太輪に三つ鱗、陰輪に三つ鱗、雪輪に三つ鱗、外雪輪に三つ鱗、藤輪に三つ鱗、軸繋ぎ藤輪に三つ鱗、木瓜に三つ鱗、丸木瓜に三つ鱗 【B】五鐶に三つ鱗、五瓜に三つ鱗、丸五瓜に三つ鱗、六角に三つ鱗、亀甲に三つ鱗、八角に三つ鱗、平折敷に三つ鱗、白餅に三つ鱗、横長三つ鱗 (北条鱗)、軸繋ぎ藤輪に横長三つ鱗、陰一つ鱗、丸に陰一つ鱗、変わり三つ鱗、三つ鱗に一文字、二つ三つ鱗
サイズ1000px×1000px (余白あり) モノクロの透明背景。拡張子AI (ベクター線 CS2)、PNG (簡単そのまま使える)、PSD (ベクター線) の3種類。※1つのZIPフォルダに一点ずつ個別のデータファイルがあります。
【太輪に三つ鱗】(田原本) 男爵平野家は田原本藩主の一族として現在の奈良県田原本町の地を288年9代続けて治めていた。鎌倉幕府の執権北条家末裔の一家とされ、家紋はその名残である。大名嫡男の一族は基本的に子爵以上を与えられるが、平野家は自らの領地を保有していたものの大名としての期間が幕末の数年限りであることから (爵位4位) 子爵ではなく (爵位5位) 男爵を受爵した。東京都内の遺構より確認済。 【三つ鱗(北条鱗)】(河内狭山) 子爵北條家は河内狭山藩主の一族として270年以上大阪狭山の地を治めてきた。戦国北条家、伊勢北条家、後北条家などと称されている。鎌倉幕府の執権北条家と同じ家紋を使用している。 二代目氏綱の代に伊勢から「北條」と姓を改めるが、平氏同士という点以外で執権北条家との共通点は無かった。しかし三代目氏康からは正室に執権北条家の血脈を有する今川家の瑞渓院を迎い入れ、女系と男系が交互する形になるが正式に執権北条家との繋がりを有した。 家紋は神奈川県立歴史博物館の資料および富田林市の遺構より確認済。