桐紋 (きり) 日本の実用家紋 ZIP (AI, PNG, PSD)
- A 11点 五七桐Digital700 JPY
- B 16点 五三桐Digital700 JPY
- C 10点 五三桐ほかDigital700 JPY

計37点【A】【B】【C】 【A】五七桐、丸に五七桐、細輪に五七、雪輪に五七桐、亀甲に五七桐、折敷に五七桐、子持ち折敷に五七桐、鬼五七桐、丸に鬼五七桐、五三桐 (変わり)、鬼五三桐、陰五七桐、五七桐 (対馬宗) 【B】五三桐、丸に五三桐、雪輪に五三桐、外雪輪に五三桐、三つ松輪に五三桐、四角に五三桐、隅入り立ち角に五三桐、菱に五三桐、井形に五三桐、井桁に五三桐、木瓜に五三桐、五瓜に五三桐、亀甲に五三桐、折敷に五三桐、組み合い角に五三桐 【C】菊輪に五三桐、五三桐 (5本葉脈)、丸に五三桐 (5本葉脈)、五三桐 (上田松平)、五三桐 (脈なし)、五三鬼桐、花付き鬼桐 (高知山内)、花付き鬼桐 (喜連川足利)、五七桐に七葉根笹 (A)、五七桐に七葉根笹 (B) ━━━━━━ 【神紋+寺紋】※家紋としての使用実績が未確認の桐紋あり → https://kamon.booth.pm/items/5612902
サイズ1000px×1000px (余白あり) モノクロの透明背景。拡張子AI (ベクター線 CS2)、PNG (簡単そのまま使える)、PSD (ベクター線) の3種類。※1つのZIPフォルダに一点ずつ個別のデータファイルがあります。
桐には鳳凰が宿るといわれ、後醍醐天皇の頃より皇室の御紋章として使用された。日本国の象徴の天皇陛下のみ着用が許されている束帯装束 (和装) の「黄櫨染御袍」。時代により多少紋様が変化してるが、桐、竹、鳳凰、麒麟が描かれている。このことから分かるように桐紋は高貴な意味合いが強い紋様であった。 【五七桐】使用家 上中下流の公家、(対馬府中)伯爵宗家 ・「五七桐紋」雲上明覧など複数の文献を確認すると複数の公家の中で菊紋の使用実績が確認できる。明治期に入り皇室を表す菊紋の使用規制が入ると、当時宮家との関係が特に密接だった源氏の廣幡家(桂宮祭祀)を除く家々が挙って五七桐紋に変更した経緯がある。 ・長崎県対馬市の対馬府中藩主を務めた伯爵宗家の家紋である。都内の菩提寺および清光院 (宗義真養女継室・三條公富娘) より確認済み。替紋「丸に隅立て四つ目結」がある。 ・日本国政府を表す紋様として「五七桐」が使われている。 【五三桐(上田松平)】(信濃上田)長野県上田市の地を治めていた大名家。東京都内遺構より確認済み。 【陰五七桐】一関藩主子爵田村家の替紋の一つである。 【花付き鬼桐 (高知山内)】現在の高知県高知市の地を治めていた土佐高知藩主の侯爵山内家の替紋のひとつ。または華族新家であった土佐藩士族、伯爵板垣家の家紋。 【花付き鬼桐 (喜連川足利)】現在の栃木県立さくら市の地を治めていた喜連川藩主の子爵足利家の替紋のひとつ。 【豊臣家の桐紋】通称『太閤桐』と呼ばれているが、太閤桐という定められた一つの紋様が存在するわけではなく、秀吉が装飾品に用いた桐紋の総称である。装飾品によって紋様が異なり千差万別である。その中には現在一般的な形の五七桐と同型の紋様の使用実績もある。尚、関白豊臣家断絶の後に豊臣氏後継にあたる秀吉正妻の実家筋の子爵木下家が替紋の一つに桐紋を用いている。子爵木下家は江戸期に“豊臣氏木下家”を名乗ることを許された大名家である。