装飾紋 (そうしょく) ◎日本の実用紋 ZIP (AI, PNG, PSD)
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計6点 A【2番目:耕書堂店章より】山形に鬼蔦〈蔦紋〉、山形に陰鬼蔦〈蔦紋〉、山形に陰蔦〈蔦紋〉 A【3番目:水天宮前駅より】 鍵筒〈鍵紋〉、大鋸〈鋸紋〉、丸に鋏〈鋏紋〉
※家紋としての使用実績は未確認の紋様。施設の装飾に使われている紋です。 サイズ1000px×1000px (余白あり) モノクロの透明背景。拡張子AI (ベクター線 CS2)、PNG (簡単そのまま使える)、PSD (ベクター線) の3種類。※1つのZIPフォルダに一点ずつ個別のデータファイルがあります。
耕書堂 蔦屋重三郎関連 〈店章〉 以下、耕書堂の店章は主に3種類確認されている。 ・山形に鬼蔦「世諺口紺屋雛形 3巻」寛政11年 (1799年) より ・山形に陰鬼蔦「画本東都遊 3巻」享和2年 (1802年) より ・山形に陰蔦「花之笑七福参詣」寛政5年 (1793年) より 〈余談〉 令和7年 NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」は蔦屋重三郎 (本名 喜多川柯理) の物語。 江戸期に日本橋大伝馬町 (旧 日本橋通油町) に耕書堂という地本問屋を構えていた。店章は蔦紋。 余談にはなるが町名表記に関して、耕書堂の所在地は出版物によって表記が異なる。 通油町南側中程「絵本江戸桜」寛政年間 常磐橋御門ヨリ本町筋下八町目通油町「泉貨分量考」寛政6年 (1794年) 江戸通油町南側「美人合自筆鏡」天明4年 (1784年) 江戸本町筋通油町南側「狂歌初心抄」寛政2年 (1790年) 御江戸通油町「千代の秋勝川春潮」不明 御江戸本町筋北エ八町目通油町「潮干のつと」寛政年間 御江戸常磐橋御門本町筋北エ八町目通油町「武将略伝」寛政2年 (1790年) 東都本町筋北エ八町目通油町「古今狂歌袋」天明7年 (1787年) ━━━━━━ 地下鉄 駅ホームデザイン関連 〈紋の駅〉 東京都内の3駅を紹介。 【職業紋|水天宮前駅】東京地下鉄半蔵門線 水天宮前駅 駅のホームに東京日本橋、下町職人の街をイメージして「扇」「鍵桐」「鍵筒」「丸に鋏」「大鋸」5点が散りばめられている。その中で家紋として実用が確認されている紋は、扇と鍵桐のみである。 【扇紋】※家紋として使用実績あり → https://kamon.booth.pm/items/4184318 【鍵紋】※家紋として使用実績あり → https://kamon.booth.pm/items/4184828 水天宮前駅の出口上空には、“日本の渋滞は箱崎町に通づる”で有名な箱崎ジャンクションがあり、古今日本橋地域が交通の要所であることが伺えます。しかしその箱崎ジャンクションは構造上の欠陥があり、現在計画されている高速道路がすべて開通したとしても渋滞がなくならない場所だと言われています。 【芸能紋|田原町駅】東京地下鉄銀座線 田原町駅 駅のホームに歌舞伎一門の芸能紋がデザインされており、かつては、同じく銀座線の改修前の浅草駅のホームにも芸能紋がデザインされていた時期がある。歌舞伎の家の中には芸能紋と実際の家の紋は必ずしも同じではない。瀧乃屋市川家の家紋は芸能紋と同じ「四つ紅葉」である。 【大名家紋|新御徒町駅】つくばエクスプレス 新御徒町駅 駅のホームに現在の駅所在地周辺に屋敷を置いた大名家の家紋が掲げられている。しかし残念なことに江戸の古地図を参考にしたのだろうか、以下のような家紋の正確さにかける図柄を採用している。 1. 烏山藩主大久保家の家紋を誤って別の大久保家の家紋を使用。 2. 対馬藩主宗家は五七桐が正解だが誤って五三桐を使用。 3. 柳澤家の定紋は1つ花菱の方だが、(誤りではないが)あえてマイナーな紋を使用。 ━━━━━━ 〈校章〉 こちらはすべて実物から作成した紋章。校旗、かつての校舎に飾られていたもの、制服の金属装飾ボタンなどから採取。 ━━━━━━ 家紋の豆知識 〈紋から家紋と呼ばれるまでの工程〉 衣服や建造物、婚礼品、一族の遺構に紋を装飾して初めて“家紋”と呼びます。一部の公家大名家が用いた“当主紋”の例外を除けば、家族の中でいち個人に限定して使用する紋を家紋とは呼びません。 同じ図柄でも用途によって名称が変化します。 「家紋」一族を示す。紋付衣装、紋付瓦、墓石、額飾り等。 ・「当主紋」世帯主のみ使用を許された紋。 ・「女紋」女子のみ使用を許された紋。または女系伝来の紋。 ・「定紋・表紋」家紋を複数有する中で主要な紋。 ・「替紋・裏紋」家紋を複数有する中で副次的な紋。 ・「一族紋」各自の家紋とは別に一族全体を指し示す紋。 ・「合印」一族共通の家紋とは別に一つの家を判別するための紋。 「神紋」宗教施設神社。 「寺紋・山紋・宗紋」寺院や宗派。 「徽章・社章・店章」屋号や会社のコーポレートロゴ。 〈家紋と似て非なる紋〉 デザイナーの中には家紋をかじり、「オリジナルの家紋を創作した」と説明するクリエイターが大変多いのですが、そもそも家紋として使われたことを確認または返答を貰うまでは“紋”、“和紋”と呼びます。 同じ料理人でも西洋料理と和食で全く異なるように、数十年の実務経験がある一流のパッケージ・ロゴデザイナーであっても、家紋の知識に関しては素人です。家紋特有の紋様の丸みや線の曲がり具合は、商業デザインにはない特徴で西洋の紋章とも異なります。万が一新たに家紋の創作を依頼する場合は、地元の紋章上絵師に依頼、または高度な知識を有した研究者に助言を貰うことを強く勧めます。 〈家紋を新設する行為は極力避ける〉 家紋とは“自らと関わりが強ければ強いほど”価値があります。家紋が分からない場合は、戸籍を辿り本家筋に確認をとるのが一番です。一度もお会いしたことがない遠縁であっても気にすることはありません。多忙ではない時期や改めて再度訪れるとよいでしょう。名字が異なる家の家紋を採用する場合、名字を継いでいない親元の家、名字違いのいとこ、はとこの家でも問題ありません。親密な関係を築いている名字違いの親戚であっても一度許可を得ることが大事です。家として家紋がなく、氏子の神社の神紋や菩提寺の寺紋を参考に紋を授かる選択もあります。家紋を新たに創造するのはこの工程を踏んだ後です。 〈家紋新設|神紋や寺紋を参考にする場合〉 上記で述べたように、自らと関わりが強ければ強いほど価値があると説明しました。古くから土地と結びつきが強い氏子の神社や菩提寺の紋を参考に家紋として取り入れることはいいことです。しかし注意すべき点が一つ。神紋・寺紋が古い権力者と同じ家紋の場合は、同じ紋の種類の中から大衆向けの紋に変えて使用する配力が非常に大事です。皇室の菊紋・桐紋や公家・大名家の家紋をそのまま使用していしまう行為は大変無礼で世間知らずであると見られてしまいます。例を挙げると十六菊の場合は、花の数を減らして十二菊や八菊。公家に多い牡丹や藤紋の場合は大衆向けのシンプルな紋を採用します。“自らと関わりが強い場所で権力者にも配慮した経緯”を他人に遠慮なく話すことができます。 〈家紋新設|合体紋は厳禁〉 昨今、夫婦2つのルーツの紋の要素を盛り込んだ合体紋なるものが存在しますが、避けるべき行為です。避けるべき理由は家紋から家を辿ることが困難になるからです。親が合体紋を思いつく家の子供はDNAから親と同じことを思いつく可能性が他の人よりも高いため、次世代では別の家と合体紋をつくります。さらに末裔の時代にも合体紋をつくります。そうなってしまうと元々の先祖を辿れなくなり、“あなたはどこの一族の人”なのか?判別できなくなります。婚姻で父系母系の名字を合体した新たな名字を作れないことと同じで、必ず父方か母方、養子先いずれか3種の名字の内のひとつです。家紋に余程のこだわりがある家々の婚姻で一つ選べない場合は、定紋や替紋として複数有する。または家紋を左右に併記する手もあります。