終わりの始まり
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銀英伝(帝国暦490~491年) グレーチェン。ヘルクスハイム・シリーズの続編 (『伝説の時代の終わり』シリーズ(1)) サイズ:A5 ページ数:124 ラインハルト、ヤン・ウェンリー、キルヒアイス、帝国の双璧など登場人物、銀河帝国と自由惑星同盟、そしてフェザーンという舞台設定。すべて銀英伝。しかし、キルヒアイスが生きてそこにある。 その事実が、原作後半の中心となった様々の策謀の様相をがらりと変えてしまい、現れてくるのはもはや原作からは完全に離れてしまった、別の物語となるのかも知れない。二次創作として、そのようなやり方が本当に許されて良いのか、判断がつかないままに、この物語も『伝説の時代』の終わりの始まりを迎える。物語の行き着く先に何があるのか、書いている本人にもまだ分かっていないままの出発は、バーラトの和約からラインハルトの戴冠まで、『バーミリオン、遙かなり』でグレーチェン・ヘルクスハイム・シリーズが一端幕を閉じて後、『原作二〇ページの間の物語』。物語後半を支配する『巨大な陰謀の地下茎』が、その姿の一端を見せ始めるエピソード。
会談
ヤン・ウェンリーが帝国軍総旗艦『ブリュンヒルト』艦内に足を踏み入れたのは、足かけ一二日間に渡って戦われたバーミリオン会戦が終結した翌日、宇宙暦七九九年一一月二一日のことである。戦いに生き残った同盟軍艦艇一万数千隻は、約四万隻余りの帝国軍艦隊の十重(とえ)二十重(はたえ)の重囲下に置かれていた。武装解除こそ為されていなかったが、僅かの抵抗のそぶりが、帝国軍による激烈な砲火による鏖殺を招くことは自明だった。 無論、会戦の生き残りの同盟軍艦隊からはすでに、戦艦『ユリシーズ』を初めとする六〇隻が姿を消し、メルカッツ提督を初めとする一万一八二〇人の将兵が姿を消している。ヤンのいわゆる『動くシャーウッドの森』。その存在が、今後の銀河の歴史にどのような揺らぎを与えることになるのか、それはこの時点でのヤンの予想の視野を越えているのだが。 「お久しぶりです、ヤン・ウェンリー・提督」 出迎えた、赤い髪の長身の士官に、ヤンは、連戦の疲労でやや肉が落ち、窶れ気味にすら見える表情をはっきりと緩めた。 「我が帝国軍総旗艦に、同盟軍最高の智将たるヤン元帥をお迎えできたことを光栄に思います」 ジークフリード・キルヒアイスは姿勢を正し、上級者に対する礼を示した。 本来、帝国は同盟軍を『叛乱軍』と規定し、その階級などを認めていなかったが、一五〇年にもわたる戦いの中、前線の将兵の間にはこうした儀礼が一種の慣習として定着して久しかった。『戦いは戦場で起きているんだ、会議室で起きているんじゃない』――帝国軍と同盟軍がともに、その起源を主張するに至る、勇戦の果てに降伏を余儀なくされた敵将に施した礼を、祖国の政府高官に咎められた兵の一人の言葉である。咎めておいて、さも自らの度量を示す証左であるかのように伝える。伝えられるのは、為政者の度量ではなく頽廃であり、さらに救いがたいのは他者の誇るべき事跡を、強弁して我が物と主張する、第三者の目からすれば滑稽を通り過ぎて、愚劣の域に達してしまうことにすら意識の及ばぬ、客観性の欠如ではないか。ヤンにとっては皮肉極まる感想を呼ぶエピソードではある。 「あ……お出迎え頂き、痛み入ります」 キルヒアイスの鮮やかな敬礼に対して、『いつまで経っても新任の少尉みたいだ』と同盟軍の将兵たちが囁く通り、ヤンの答礼はいつものようにぎごちなかった。このどう見ても『同盟軍最高の智将』なる英雄には見えない青年を前に、謹直たるべきローエングラム元帥の親衛隊士官達までが慌ただしく視線を走らせずにはいられないようだった。 「あれが、ヤン・ウェンリーなのか?」 囁きは、ヤンの空耳ではなかった。 キルヒアイスに続いて、彼ほどの長身ではないが砂色の髪と同色の瞳の士官が歩み出て敬礼を施した。 「小官はナイトハルト・ミュラーと申します。お会いできて光栄です」 ウランフの必死の抵抗の前に、ミュラーが戦場に達したときには会戦の最も決定的な段階はすでに過去形で語られるものとなっていた。それでもラインハルトは、キルヒアイスと並んでミュラーにヤンの出迎えを命じたのだ。 「とんでもない、こちらこそ……ミュラー提督」 芸のない応答だった……と何人かが後に書き残している。もっとも、このような場面での芸のある応答の模範例については記録者のすべてが沈黙を守っているのも事実ではある。 この時、ヤンはたった一人であり、副官のグリーンヒル少佐も、護衛役のシェーンコップ少将も帯同してはいなかった。ラインハルトは随行者を認めたが、単身での『ブリュンヒルト』訪問を選んだのはヤン自身だった。 ヤンを案内するキルヒアイスとミュラーの二人が足を止めたのは、この巨大で優美な戦艦の深奥部。おそらくは居住区と戦闘区画の境界にほど近い辺りと思われた。トパーズ色の瞳の士官が佇立して三人を迎え、扉を開いて彼らを室内へ招じ入れた。 ヤンの視野に映ったラインハルトの姿は『正史』に詳しい。敢えて引用するならば、『楽の音が聴こえなかったのが不思議に感じられたほどだった。生きた神話、歴史と美神の寵愛を独占する若者の姿を、ヤンは手に届く距離に見たのである』――ということになる。 「キルヒアイス……」 ラインハルトがソファを立ってヤンを迎え入れ、敬礼が交わされた後。退出しようとするキルヒアイスの背をラインハルトの声が追った。 「はい――?」 「お前は残ってくれ」 「はい……しかし……」 キルヒアイスの視線が一瞬ミュラーの背に走るのに、ラインハルトは小さく頷いた。 「済まぬ、ミュラー。卿は外してくれぬか」 「御意」 一瞬の遅滞も逡巡もなく敬礼が返り、それでも立ち去る背が微妙に名残惜しげだった。帝国と同盟、両国を代表する名将二人。彼らの対面の場に立ち会い、歴史の証人たりたい。ミュラーにしてもその思いは小さなものではなかったが、遂に共に戦場に立ち得なかった自分が立ち会うべき資格を主張するわけには行かない。ミュラーはそう自身を納得させた。キルヒアイスはローエングラム元帥の腹心であり、そうでなかったとしても戦場で直にヤン・ウェンリーの鋭鋒を受け止める立場にあったのだから――と。 この会見でラインハルトがヤンの臣従を求め、ヤンが謝絶の意思を示したことから、二人の間で帝政と民主政に関する議論が交わされたことは広く知られている。 「卿の愛して止まぬ――ことと思うが――自由惑星同盟をわたしの手に売り渡したのは、同盟の国民の多数が自らの意思で選出した同盟の元首だ。民主共和政とは、人民が自由意思によって自分達自身の制度と精神を貶(おとし)める政体のことか」 「失礼ですが、閣下の仰りようは、火事を起こすからと言う理由で火そのものを否定なさるもののように思われます」 ヤンの反論に対して、ラインハルトがルドルフの例を引いて、民主政が専制政治を生み出す苗床となったことと、さらにはヨブ・トリューニヒトによる『裏切り』がバーミリオン会戦の帰趨を決することになったこと。専制政治によって、強力な指導性を持った政治が行われ得ることなどを上げてさらに反問している。 ――楽しんでいらっしゃるようだ。 まるで影そのものとなったかのように侍していたキルヒアイスの目には、その時のラインハルトはそう映った。自らの意見に異議を唱えられた独裁者と言うより、知的に同等なレベルの対手との間で持てた僅かの時間を惜しむかのようだった。 この時のヤンの反論もまた広く知られている。 市民を害する権利は市民にしかない。ルドルフを選んだのは市民自らであって、すべてをルドルフの罪に帰するのは誤りである、と。 キルヒアイスの記憶に残ったのは、ヤンが『政治の害悪を他人のせいにできるという点です』と言ったのに引き続いて、『ちょうど、子供のしつけにも似ているかと思います』と付け加えたことだった。 「卿は独身だと聞いているが、その卿が子供の躾を語るとは、意外だな」 苦笑交じりになったラインハルトに、さすがにヤンは焦った様子で掌で何度も顔を拭った。 「いえ、その、これは一般論、とも言えますが……専制に於いては専制者の恣意によってすべてが定まります。火の例に戻りますが、子供が火遊びをした時のことをお考え下さい」 「それは困るな。わたしも昔、姉に叱られたことがある」 ラインハルトの応答がさすがに笑いを含んだ。 「そうです。そうして子供を叱っておいて、今度は親自身が、例えば火の付いたパイプを放置して居眠りなどをしてしまったのを、子供に指摘されたとき、『親のやることに口出しするな』と逆に叱り返したとしたらどうなるでしょう? いえ、叱るだけでなく『大人のすることに口出しするなど生意気だ』と体罰を以て応じたとしたら」 「……それは、そうだな。子供は混乱する。いや、体罰まで受けては二度と何も言わなくなる……だろうな」 「そうです」 ヤンは頷き、明らかにしぶしぶな様子でコーヒー・カップを口に運んだ。 「繰り返されれば、子供は叱られないことだけを考えて、親の顔色をうかがうようになり、いかに火を正しく使うべきかなどは考えなくなるでしょう。それが、専制における臣民であり、一方、火をいかに正しく使うべきかに思いを致す機会を与えられる、それが民主共和政における市民のあり方となります。機会を与えられつつ、機会を生かさなかった、その罪は市民にのみ帰せられる、そういうことなのです」 自らの手でルドルフに帝冠を授けた以上、ルドルフによる弾圧は、旧銀河連邦市民によって甘受せざるを得ない結果とも言える……ヤンのこの発言は、後世、彼を民主共和政体の偶像として理想化する傾向が強まっていく中で多くの史家、特に同盟側に足場を置く人々によって故意に無視されることになる。 「……まして閣下、あなたのような聡明な君主の出現が稀なことであること、それにどのような聡明な君主でも長い治政の間、継続して聡明であり得ることが非常な困難を伴うことも歴史に照らせば明らかです」 ほとんどの王朝の歴史は、一代の興隆に引き続く一〇数代に渡る没落の物語である。いや、一〇数代もの系譜を刻む王朝こそ稀であり、ただの一代で興隆と衰亡を同じくした例も少なくはない。 「専制とはただ一人の人間が全てに責任を負い続けるという政治システムです。どんな英雄でも、そんな途方もない責任を永遠に負い続けることは不可能です。少なくとも、私はご免です。もし、万一にも私のような人間が君主になったとすれば、周囲が心配して私が責任を負えないような仕組みを作ってしまうでしょうけれど、まさにそれこそが専制の害毒ではないか、私にはそう思えてならないのです」 多くの王朝が代を追うごとに衰弱への道を転げ落ちていくもう一つの理由がそれではないか、とヤンは言う。玉座に相応しからぬ君主と、その君主を政治的な責任から切り離そうとする周囲。それらの相乗作用が、数十年の内に専制政体を滅亡へのレールの上に載せてしまう。 さすがにラインハルトは苦笑して応じた。 「卿の主張は大胆であり、斬新でもあるが、極端な気もするな。それで、卿はわたしの説得を試みているわけなのか。後継者のことにまでわたしの力が及び続けるとは思えぬ。卿の信奉する民主政にしても、卿の勇戦を無視して、我が身の安泰と引き替えにわたしへの無条件降伏を申し入れてきた卿らの元首もまた、アルレ・ハイネーゼンとやらの後継者ではないのか。その意味で、卿の議論がそれほどに説得力を持つとは、わたしには思えぬな」 「……いいえ、そういうわけではなく……あなたの主張に対してアンチ・テーゼを提示してみているだけなのです」 この議論は、数回のやりとりの後、二人のいずれもが相手の論旨に対しては決定的な肯定も否定も示すには至らず、言ってみれば相互の個人的なレベルの理解を深めた、という段階で終止符を打つ。この時代を代表する傑出した二人の用兵者の階段としてははなはだ得るところのない会話として終わったとも言えた。 ただ、この時、ラインハルトの傍らにキルヒアイスが侍していたことが、その後の時の流れに微妙な影響を与えることになる。 キルヒアイスを顧み、ラインハルトは微笑を浮かべて言葉を継いだ。 「わたしには親友(とも)がいる。このキルヒアイスだ。わたしたちは誓ったのだ。共に宇宙を手に入れよう……と。同時に、こうも誓った。卑劣な大貴族どもの真似はすまい、必ず陣頭に立って戦い、勝利を得ようと……あの戦いで卿に敗れてヴァルハラの門を潜っていたとしても、わたしは後悔はしなかっただろう。キルヒアイスとともに、卿と直に戦うことができたのだからな」 微かな自嘲に似た響きがそれに続いた。 「勝てこそしなかったが」 「私が勝っていたなら、私がこうして『ブリュンヒルト』であなたと対面しているということはなかったでしょう。『ヒューベリオン』にお招きし、宇宙で最高の紅茶でおもてなしできたでしょうに……残念なことです」 「今更に勝敗を論じても仕方がないことだったな」 ヤンの言葉の意とするところをラインハルトは正確に理解した。 「卿の言葉に従えば、わたしは勝利を得、宇宙を手にした。誓いは果たされた……そうだな」 最後の一言の向かった先が自分でないことを察し、ヤンは穏やかな視線をキルヒアイスに向けた。 キルヒアイスはその『感じの良い』微笑に頬を緩めさせ、この歴史的な会談での彼の唯一の発言で、ラインハルトの言葉に応じた。 「はい、元帥閣下」 会談の最後、ラインハルトは『卿を自由の身にしたら、卿は今後どうするのだ』と問い、ヤンは明快に退役の意思を示している。ラインハルトは一瞬だけ、彼にとってこれまで最大の障壁となり続けた、この黒髪の青年を見詰め、なぜか納得したように頷いて、会談の終了を告げた。