銀河系大戦史・饗宴の前夜
- Digital100 JPY

★★ 銀英伝ジャンルに入る前に書いていたオリジナル小説の電子化版です。銀英伝二次創作ではありませんのでご注意下さい ★★ ページ数:496ページ ※ 新書の二段組であれば170ページ前後に相当します サイズ:A5版一段組、スマホ/タブレットでの表示向け書式 ※ 印刷はできますが、500ページ近くになりますのでご注意下さい 一九九五年にUSF広報室として同人活動を始めたときには、銀英伝に似た世界でのオリジナルの仮想宇宙戦史を書いていました。人類の末裔である二つの星間国家の全面戦争『銀河系大戦』を描いた物語なのですが、これはその時の外伝、というかほぼオープニングに近い、戦争のそもそものきっかけを描いた物語になります。紙の同人誌としても1998年~200年にかけてコミケ・コミティア等で頒布していました。 何しろ、もう二〇年前の原稿であり、今更何を解説するのかという思いもありますので、くだくだと解説を付けるのは止めておきます。抜本的なストーリーの見直しはなく、地名や人名に若干の修正を入れたことと、通貨単位に改めて名前をつけたことくらいが変化点でしょうか。 ヒロインというか、主人公役のコーティことコーティリアの名の由来は、SFファンなら、「ああ、あの……」と思いつく方も多いかも知れません。猫屋の物語にしばしば出てくる、陽気で、窮地に落ち込んでもひたすら前向き、自立心旺盛な女性キャラクター(と言うか、女の子と言う方がいいでしょうか)。銀英伝二次創作系で言えば、グレーチェン・ヘルクスハイムがそうですし、ウジー・ザーネヘルシュテラーは、コーティのキャラをそのまま流用したタイプと言ってもいいでしょう。
第一章 戦勝国の一隅にて(1)
「そんなに飲んじゃ、すぐに死んじゃうわ。いい加減にしたら、パパ?」 ハイ・スクールから帰ってきたコーティリアの声が、呆れ果てた調子を含んでリビングとは名ばかりの殺風景な室内に響いた。 スプリングのすり減ったカウチに沈み込んでいた男が顔を上げ、焦点の余り定まっていない視線を声の主に向ける。 「……コーティか」 声とともに襲ってきた濃いアルコール臭に、コーティリアは眉をぎゅっと寄せる。日焼けしてやや濃いめの小麦色になった肌の上でも、はっきりと自らの存在を主張している眉の下で、よく動く黒い目が非難を含んでカウチと、カウチの前の卓に視線を往復させた。卓の上には、安ウィスキーの徳用ボトルが大きな顔で座り込んでいる。 「信じらんない……また、新しいボトル開けてる!」 小柄でちょっと猫背、緩いウェーブのかかった黒い髪を無造作に肩まで伸ばした一四歳のコーティリアは、父譲りの通った鼻筋、濃い眉毛と、きかん気に目尻のちょっとつり上がり気味の黒い目が少年めいた印象を与える一方で、女の子らしい服装をすればしたで奇妙なほどに似合う。よく見れば端正と言っていい顔立ちなのに、決して美少女という印象を与えない。愛称は『コーティ』、ニックネームは『チェシャ』。数学とエア・バイクに人並み以上の関心と、そしてどうやら才能もありそうだった。エア・バイクの免許は一三歳の時にとり、今は宇宙艇の操作マニュアルが愛読書。数学の方は、彼女に肩を並べられる級友はいない。ただし、それで洋々たる将来が保証される、というほど現実が甘いものでないことも知っている レイヴェルゲン 共和国母星首都から数百キロ離れた小都市イエルスベルグのダウンタウン。ドレド艦隊の母星空襲にも生き延びた、古ぼけた三ベッドルームのアパートメント。恐ろしく旧式のエア・コンがうなりを上げているが、むっとする熱気を完全には室外に追い出せていない。 額に浮かんだ汗と、張りついた埃を拭いながら、彼女はジーンズのバッグをカーペットの上に放り出した。 「なんだって?」 「そんなにお酒ばっかり飲んでちゃ困るの。大尉の年金なんて、たかが知れてるんだもん。それにパパが死んじゃったら、年金だって出なくなっちゃう。娘を路頭に迷わせる気なの、パパは」 コーティは鼻の頭にしわを寄せて冷笑とも憫笑ともつかない奇妙な微笑を見せる。級友の一人が『コーティったら、猫みたいに笑うのよ』と言い、彼女に『チェシャ』なるニックネームが冠せられる所以になった微笑。もっとも、猫が笑ったところをコーティは見たことがない。 「ひどいことを言う娘だ。わたしは、お前をそんな風に育てた覚えはないぞ」 「たしかにないけど」 コーティの、父デュランに対する記憶はさして古くない。父が戦場にある間、彼女は父の母、つまり祖母に養育された。 「お祖母ちゃん< グランマ >は、ママが大嫌いだったでしょ。だから、ママの付録のあたしも嫌いだって、いつだってそう言ってた。パパは戦争に行ったきりで帰ってこなかったし」 祖母は、コーティの母マユに好意を持っていなかった。悪意を持っていたと表現しても、さして非難を被る筋合いはない。コーティはそう思っている。その祖母は、息子が破綻寸前の精神を抱え込んで戦争から帰ってきたのをま目のあたりにして、コーティの母を罵り、コーティ自身にも悪罵を浴びせながら、昨年亡くなった。故人には悪いが、コーティは祖母の葬儀に、ほっとした思いで出席した記憶がある。ベッドルームとは名ばかりの納戸<ストレージ・ルーム>から、やっと人並みのベッドルームへ移れたのも祖母の死後なのだから。 コーティの冷静な指摘は、父の激昂を誘う。安物のセラミック・グラスが壁に衝突し、鈍い音を立てて埃っぽいカーペットの上に転がる。片端からグラスを割ってしまう父に呆れたコーティは、食器を全て強化セラミック製に買い替えてしまっていた。 「どこへ行ってたんだ、こんな遅くまで」 「届けものを頼まれたの。やだ、また一日、エア・コン回してたんだ。娘は、エア・コンもないクラスルームでひいひい言ってたって言うのに。最近は電気料金だって安くないんだよ、パパ」 「……」 「晩ご飯はレンジ・ランチオンしかないよ。買ってくる暇、無かったから」 でかいだけが取り柄の中古の冷蔵庫を引き開ける。小柄なコーティには一仕事。冷凍パックされたインスタント食品を二人前取り出して、レンジに放りこむ。 「これって汚染されてないんだろぅなぁ。安物って、何が入ってるかわかったもんじゃないもん」 コーティの鼻の頭にまたしわが寄った。ドレド艦隊の攻撃は母星の表土を多量の放射能で汚染した。分裂型の核弾頭が使用されていなかったのは幸いだった。しかし、『最もクリーンな核兵器』と呼ばれる超融合核爆弾も、微量の超ウラン元素を生み出すし、放射された中性子線が ラジオ・アイソトープ 放射性同位元素を生成する。熱核兵器は、無論広範囲な放射能汚染を引き起こす。物理の初歩だった。母星の陸上の四割以上が、耕作不能に陥ったのだが、その地域で密かに耕作が続けられ、作物が格安でマーケットに出回っているとの噂は絶えたことがない。 「ミドル・ティーンで癌患者なんてやだものね」 今の共和国母星で癌は不治ではない。ただし、経済力が許せば。これまで何人もの級友が、クラスルームから姿を消した。いずれも退役大尉の年金ほどの収入もない、貧しい家庭の子弟だった。 レンジが微かなチャイムを鳴らす。酔い潰れたようにカウチにもたれかかっているデュランに一瞥を投げて、さっさと自分の食事にかかった。うっとうしいなあ、と思う。父のデュランが嫌いなのではない。しかし、毎日毎日アルコールとの親密な関係を見せつけられ、宇宙軍への呪いの言葉を吐き散らされては、同居人としてはたまらなくなる。 それに、なにかと言うと『混血児< ハーフ >』と呼ばれるハイ・スクール生活を、もう三年も続けたいとは思わない。『混血児< ハーフ >』……級友たちの口調に敏感に侮蔑を聞き取っている。クラスメートの中で『ハーフ』は彼女一人きりだった。 コーティリア・バードフェザーは、共和国母星出身の父と、植民星ドレド出身の母を持つ、いわゆる混血児< ハーフ >。外宇宙に進出する以前に人種間の混血が進んだ共和国母星で彼女が 混血児< ハーフ >などと呼ばれるのは、共和国母星市民がドレド出身者に対して抱いている偏見の表れである。実際、ドレドへの移住が志望から強制に変わった共和国暦六〇〇年代後半から、母星市民とドレド市民の間での通婚は極端に減少した。 父デュランは、共和国宇宙軍の情報部嘱託としてドレドに滞在中に母のマユ・トマムと知り合った。少なくとも、父から聞いた話ではそうなっている。 共和国宇宙軍は、デュラン・バードフェザーとマユ・トマムの結婚によい顔をしなかった。軍人でこそないが、デュランは宇宙軍情報局の中級諜報員だった。共和国暦七〇〇年代初頭、共和国宇宙軍にとってのドレドは、目障りのあり過ぎる仮想敵になりつつあったのだから。 デュランを翻意させられないと知った共和国宇宙軍は、彼をドレド公使館付きの閑職に回した。そして、七〇九年の『ドレド戦役』開戦と同時に、デュランと、七歳になったばかりだったコーティリア……通称コーティ……は、母と引き離されて母星へ召還されてしまったのだ。 そして戦役。デュランは改めて情報参謀中尉待遇で召集され、妻の故郷を敵と呼ぶことを強制された。彼の最終的な階級は、皮肉にもドレド空襲を敢行することになる第八艦隊参謀大尉。 一六歳になれば、大学への進学資格が得られる。同時に宇宙軍の士官学校への入学資格もだ。数学への興味を満たすなら大学だろう。でも、宇宙軍に入る以外には、宇宙への興味と関心を満たす方法はないのではないだろうか。大学進学には経済的な制約が大きすぎる。退役大尉の年金は、親子二人がどうにか生計を立てていくにも不足する程度のものだ。エア・バイク・ドライブの資格を生かして配達を頼まれたり、級友の数学のホームワークの面倒を見てやったりして、せっせと蓄えた貯金では、せいぜい半年か一年分の授業料にしか足りない。そして、宇宙軍への志願には、父の反対がありそうだった。コーティ自身、規則ずくめの宇宙軍自体には魅力を感じない。 セラミック皿のなかで湯気を立てている、植物蛋白の塊の入ったパイとシチューを機械的に口に運びながら、彼女は『マールク提督』なる名前を反芻してみる。この手の食事の不味さにはもう慣れっ子だった。 『ドレド戦役』の英雄、『救国のヒーロー』、『宇宙軍無敵艦隊の総帥』などなど、マールク提督に冠せられた賛辞を二つみっつ拾いだしてみる。平凡なスクール・キッドのコーティにもさして困難な作業ではない。スクール・トリップ修学旅行でレイヴェルゲンに行ったとき、『英雄の丘』のマールクの銅像も見物した。 「へえ、結構ハンサムなんだ……」 当のマールクが聞けば、照れるに違いない感想を洩らしたコーティだったが、その夜にTVでマールクの写真を目にしてあっさり前言を取り下げた。 「なーんだ、銅像って、実物より五割増しに作るんだ……」 父の憎悪を共有はできなかった。TVで見たマールクは、彼女の想像を超えて平凡な青年に見えたのだ。 一度、父にそういってみたことがある。 「お前は子供だ。何もわかってなどいない。いいかね、コーティ。マールクは、お前のママを殺した。どうしてそんなことをしたと思う? ほかの軍人の功績を取り上げて、ひとりだけ英雄になるためだったんだ。ぼさっとしているように見えるのは、見かけだけだ。騙されちゃいけない」 顔色が変わっていた。以来、コーティはこの話題を避けるようにしているが、マールクと彼の幕僚への関心を失ったわけではない。マールク自身が『英雄の丘』の銅像のような美青年だったとしたら、コーティは彼らへの関心を逆に失っていたかもしれないけれども。 「食べないの、パパ。冷めちゃうよ」 声をかけたとき電話が鳴った。耳障りな電子音。 祖母の遺品だから随分な年代物だ。買い替えたいけれど、そんなお金はない。 ちらとデュランの方へ視線を走らせる。毀れかけた人形のようにカウチに身を埋めている。物憂そうに身を起こしたが、受話器を取ろうとはしない。 「っもう……」 スプーンを置いてミルクを一飲みにして、パイを咽喉の奥へ流し込む。これだって本物のミルクかどうかわかったものじゃない。 「もしもし?」 『バードフェザー大尉?』 平凡な声。コーティは頭の中で人名録を繰ってみる。一四年間で出会った人物全てを覚えていられると思うほど、彼女は自分の記憶力に自信を持っていない。聞き覚えがなかった。つまり、最近に会ったことのある人物は、電話回線の向こう側には立っていない。 「どなたですか?」 『お嬢さん? ミス・コーティリア・バードフェザー?』 お嬢さんかぁ……コーティの口元には『チェシャ・スマイル』。そんな風に呼ばれたのは初めてだ。イエルスベルグのダウンタウン。場末の安アパートメントに住んでいるハイ・スクール・ガールは、少なくとも『お嬢さん』と呼ばれるような存在ではない。 「どなたですか?」 コーティリア・バードフェザーであると、すぐに認めるのはなんとなくためらわれる。バードフェザーなんて苗字は滅多にないから、悪戯電話だとしても、まちがい電話ではない。 『これは失礼しました。宇宙軍中佐アナトール・ザモルク。父上の友人です』 「パパ?」 送話スイッチを『ホールド』にする。 「……?」 「アナトール・ザモルクって人、知ってる?」 「アナトール……何だって?」 「ザモルク」 「アナトール・ザモルク?」 デュランも頭の中の人名録を探る表情になる。かつては情報局の中級諜報員として活躍するに十分だった優れた記憶力も、今はずいぶんと衰え、アルコールに永年浸されてあちこち破れたり、掠れたりしている。が、十数秒の空白が、まだ完全に消え果てていない人名録の一ページを探り出すのに役立った。 「ああ、ザモルク中尉のことか。中佐だって? は、大したものだな」 「そのザモルクって人から電話。中尉だか中佐だか知んないけど」 「電話だって? ザモルクが? もう二年以上も会ってないってのに、何の用だ?」 「そんなこと、自分で聞いてよ、パパ。あたし、まだ食事中なんだからね」 ホールドを解除。受話器を放り投げる。父が受話器を受け取れたかどうかも確認せず、食事に戻る。宇宙艇の操縦資格を取るのは恐ろしく難しい。食事が終わったら、操作マニュアルの第六章の復習。それからホームワーク……と、その前にシャワーを浴びないと。今日も風が強かったし、ひどく暑かったから。 デュランとザモルク中佐の会話が切れ切れに聴覚を刺激して、ふと耳をそばだてる。 「……それは……たしかに、悪くない話だが……いや、そうじゃない。アナトール……わかっている。どうして、そんなことがあり得るんだ……いや、そうじゃない、そうじゃないって……しかし、何で今ごろ……いや、いい、分かっている。しつこいな、アナトール、分かっているって」 何の話だろう……持ち前の好奇心が、ふと首をもたげる。パパに仕事でも持ってきたのかしら。でも、今のパパが仕事なんてする気になるのかな。 「分かった……レイヴェルゲン? オーケイ、もう一度頼む……うん、分かった。大丈夫だ、娘にはちゃんと……わかった、わかったって。歳を食ったなアナトール……いや、冗談だ。じゃ、また」 「なに、パパ?」 「うん。昔の戦友だ。戦友会とか言うのを開きたいとさ、レイヴェルゲンで」 「四五〇 共和国通貨<フラーネ >だよ」 「なにが?」 「 航空機代< ひこうきだい >。月収の三割超えてる。借金でもするの?」 デュランは一応中古のエア・カーを運転するが、続けて走れるのは一〇〇キロくらいだ。彼女のエア・バイクの方がましなくらい。 「いや、旅費は都合してくれるそうだ……二、三日、家を空けるが、大丈夫だね、コーティ?」 「イエルスベルグのダウンタウンに一四の女の子の一人っきりって、はっきり言って大丈夫じゃないん じゃない、パパ。パパのレイ・ガン、使ってもいい?」 治安のいい町ではない。コーティ自身、夜の外出にはかならずエア・バイクを使う。安アパートメントだけにセキュリティも万全ではなかった。過去三年間にバードフェザー家は二回、強盗に襲われかけている。一度はセキュリティ・システムが働いてことなきを得た。もう一回は、システムを殺して入り込んできた賊を、デュランが射殺した。 「強盗に入られた挙げ句に殺されるなんて最低の死に方だよ、パパ」 「そういう言葉を使うな、と何度言ったら分かるんだ、コーティ」 酢でも飲まされたような父の かお 表情を無視して言葉を続ける。 「現実に何人もそうやって殺されてるんだもの。警戒しなきゃ。まだやりたいこともあるし、殺されるのだけはごめんだものね。それに、しようがないじゃない。ハイ・スクールでだって、クラスメートが普通に麻薬<クラック>売ってんだもの。澄ましてたって、『ハーフのくせにお高くとまってやがる』って言われるのが落ちだわ」 「戦役の前はそんなことはなかったのに……大丈夫だ、コーティ。銃を使ってもいい。多分、銃を使う必要などないと思うが……銃は携帯していた方がいいな」 「ありがと、パパ」 言葉に反して決して感謝している表情ではなかった。今ごろ戦友会なんて……きっと、パパみたいな人たちが集まって、みんなして『マールク提督』の悪口を言い合うんだろう。ばかげてる。
第一章 戦勝国の一隅にて(2)
レイヴェルゲンの現在の町並みは、デュランの記憶からも遠くかけ離れたものに変貌していた。参謀本部ビルを中心とした所謂『英雄の丘』を中央に据えた同心円状の市街。かつて、海沿いに細長く広がり、美観と機能を見事にマッチさせた『ル・ヲントの真珠』と讃えられた美しい首都の姿はもはやない。 「『英雄の丘』か」 吐き捨てる口調だった。デュランは、マールクを『救国の英雄』だなどとは思っていなかった。まして、ヴィレックス・タークが『悲劇の英雄』だなどと強弁する政府と参謀本部をまともな神経の持ち主とは見ていなかった。母星爆撃当時、デュランは参謀本部付きだった。 『イエルスブルグは爆撃を受けず。健在なり』 コーティの無事を確かめた時、デュランは安堵の大きさの反動の余りに、ドレド艦隊に母星空襲を許した宇宙軍の無能さを憤った。怒りは、馬鹿げた指揮官交替劇を演出した参謀本部に向けられたのだが、同時に爆撃を易々と許した宇宙軍艦隊司令部への反感にも変質した。『マールク艦隊がもっと早くドレドへ降下していれば、ドレド政府は降伏したはずだ』とは、艦隊以外の宇宙軍部内での囁き。『マールクは自分の敵を温存しておきたかったのだ。獲物を猟り尽くして不要になった猟犬と同じ目に遭うのを避けるために』。 自らの手で妻を殺すはめに陥ったデュランも、その囁きを信じた。信じなければ、それこそ完全な廃人への道は遮るものもなかったはずなのだ。 「バードフェザー大尉?」 『英雄の丘』、ヴィレックス・ターク元帥の銅像の足元。それが、ザモルク中佐の指定した待ち合わせ場所だった。 「ザモルク中尉……い、いや中佐殿だったな。これは失礼、上官にはしかるべき敬意を表さねばならんところを」 「止してください、大尉」 アナトール・ザモルク中佐は背の高い、姿勢のいい典型的な軍人である。今は、私服姿だったが。デュランよりも三歳年下で、艦隊勤務の経験もある参謀士官。 「こちらこそ、上官にはしかるべき敬意を……と、言いたいのですが、人目があります。同行して頂けますか」 「その前に確認しておきたいことがある。イエルスブルグは、コーティを一人で置いておくには危険すぎる。私の言おうとしていることは理解してもらえると思うが」 「理解していると思います。大尉殿の自宅は、現在宇宙軍によって警備されていますし、我々には大尉殿にレイヴェルゲン移住の便宜を図る準備があります。が、後者の条件は、これからの話し合い次第、ということになりますが」 案内されたのは、ありふれたホテルの一室。三人の見知らぬ男たちが、デュランを出迎える。中央の席の長身の男がやおら立ち上がった。 「初めてお会いする、ユーリィ・ザモフ。宇宙軍少将だ。こちらの二人はエフゲニーとペトロフ、わたしの親しい友人だ」 「デュラン・バードフェザー……元大尉です」 いずれ、参謀本部付きのエリート参謀たちだろう……デュランの思いに、自然に悪意が混じった。士官学校をトップグループで卒業し、参謀本部に配属された士官は、一生母星を離れることがない。彼らは、地上数十階の参謀本部ビル、あるいは地下一〇キロの耐爆シェルターで自らの安全のみを確保し、空疎な精神論を唱え続けるだけが唯一の仕事だと心得ている。 「さて、バードフェザー大尉。君の、我々に対する誤解を、まず正しておく必要がありそうだ」 「誤解ですと?」 「我々は、たしかに参謀本部要員だが、主流派ではないということだ。戦時には、我々は艦隊配属になる。この意味を理解できると思うが」 「なるほど……」 「疑うのなら、参戦章を見せよう。これは、『ドレド戦役』に、艦隊付きで参加した将兵のみに与えられる名誉記章だ。参謀本部にふんぞり返っている連中が、逆立ちしても手に入れることのできない、な」 Ⅴのマークが入った参戦章は、第五艦隊での従軍経験を示している。指揮官は……誰だったか……そう、マックス。セルティ・マックスとか言う学生あがりの少将。 「マックス提督の指揮下におられたのですか?」 「そう。第五五戦闘集団を指揮していた。ウェインラントの攻略戦で負傷し、後送されてしまったがね」 ウェインラントはゲッセル恒星系の最外縁惑星。共和国暦七一六年の前半、マールク艦隊はウェインラントに築かれた要塞ラインの攻略を開始、三ヵ月の激戦の末に、これを陥落させている。 「ドレドも必死だった。正攻法を試みた私の部隊は、要塞から狙い撃ちされて半数を失い、私自身も旗艦を破壊されて負傷したのだ」 「なるほど……」 らしくない……マールクの戦術をよく知る人ならザモフの説明に違和感を覚えただろう。要塞を艦隊で正面から叩く。流血の戦術である。しかも、効果はさして高くない。だが、デュランはウェインラント攻略戦には参加していない。 「それで、小官をこうして呼び寄せられた理由は何です? 昔話が目的というわけではないのでしょう?」 「その通りだ、大尉」 ザモフはうなずいた。 「我々は、まあ言ってみれば、参謀本部のやり方に反対するグループなのだ。無論、マールクたちが牛耳っている艦隊司令部にも決して賛同するものではない」 「……?」 「非合法活動と受け取ってもらっては甚だ心外だ。我々は、『ドレド戦役』での戦いを詳細に調査し、戦術と戦略を研究する自発的なグループなのだ。バードフェザー大尉、君は火器コントロールシステムに詳しいと聞いたが」 「ええ、若い頃に大学でかじったことがあります。今でも通用するかどうかは保証のかぎりではありませんが」 「いや、研究にあたれといっているのではない。知っているかね、参謀本部という組織の本質は次の戦争の準備だ。戦争の準備とはつまるところ兵器の準備に尽きる。火器管制システムに関するある程度の専門知識の所有者を、我々は久しく欲していた」 「グループに入れ、とおっしゃるのですか?」 「その通りだが、軍務に復帰しろとは言わない。我々の非常勤の嘱託ということになってもらいたいのだ。無論、住居を首都に用意するし、十分なサラリーも支払うつもりだ」 「わたしは……小官は、もう軍にかかわりたくないのです、ザモフ閣下」 「その気持ちは分からないではない。特に、君の所属していた艦隊が、君の奥さんを殺すことになったのだからな……」 弾かれたように視線を跳ね上げ、それからデュランは納得する。ザモフたちはデュランのことを十分に調べたはずだ。おかしな話だとは思わなかった。酒浸りの一介の退役大尉を説得するのに、わざわざ現役の少将が出張って来ているという事実にも。 説得したり、脅迫したりする場合、相手を十二分に調査する。諜報活動の基本であり、だから、デュランはさして違和感を抱かない。 「おわかりでしたら……」 「君の娘をどうするのだね」 「コーティを?」 「悪いが、君のお嬢さんのことも少し調べさせてもらった。優秀な……優秀といってよいハイ・スクール・ガールだ。退役大尉の年金では、彼女を上級学校にやることは難しいだろう。しかし、知ってのとおり、ハイ・スクール出身者にとって、共和国母星といえども職探しは簡単ではない。まして、ドレド人の母親をもつ混血児<ハーフ>とあってはね……」 「閣下!」 「いや、誤解しないでくれ。わたしは一般論、ル・ヲント社会に蔓延している一般論をのべている。これが現実なのだ。君が、妻殺しの自責の念に苛まれて、一生を棒に振るのはよい。それは君の選択だ。わたしは、決して君一人の責任だとは思っていないのだがね。しかし、君のお嬢さん……コーティリアというのかね……は、未だ一四だ。先のある身だよ。金だけの理由で、みすみすこれからの何十年かを棒に振らせたいのかな?」 「それは、もちろん、コーティには……閣下……しかし、なぜ?」 「何故、我々が君を援助するのか、という疑問かね? 簡単なことだ。我々は、『ドレド戦役』は誤りだったと思っている。いずれ、ドレドを復興させなければならないと思っている。たとえば、ここにいるエフゲニーはドレドの出身者だ。参謀本部は比類ない強大な力を誇っている。対抗するには、それなりの支持基盤が必要だ。その支持基盤を、我々はドレドに求めるつもりなのだ……考える時間はもちろん与えるつもりでいるがね。コーヒーでもやり給え。わたしも少し咽喉を使いすぎたようだ」 ザモルクがコーヒーのポットとカップを載せたワゴンを押してきた。安物の強化セラミック製のカップに注がれた茶褐色の液体は、お世辞にも香り高いとは言えなかった。 「母星の食料事情が悪化しているのは知っているね。客人にはすまんが、この程度の物しか供せないのだ」 「いえ、それは閣下の責任ではないと考えます」 間を持たせるためにコーヒーを啜った。不味い。この前本物のコーヒーを飲んだのは、一体いつだっただろう? ザモフも、コーヒーを大きくひとのみにするが、別に不味さで顔をしかめたりしない。飲み慣れているのだろう。たしかに、この提督は、参謀本部の主流に座っている連中……参謀本部と発音する前に、かならず『光輝ある』だの『栄光の』だのという無意味な形容詞をくっつけるのが、エリート参謀の特権だと思い込んでいる連中……とはかなり異なる。大体、『聖戦』だったはずの『ドレド戦役』を『誤りだった』などと批判するなど、参謀将校にあるまじきことだ。マールク艦隊の幕僚たちなら知らないが。 「それともうひとつ、言っておかないといけないな」 「……?」 「第二の母星となり得る惑星が発見された。名前は……暫定名称だが、コーウィン。ドライバオム宇宙要塞から約六五〇光年ばかり離れた宙域にある」 「それは……どのような?」 「すばらしい惑星らしい。大気組成、海陸比、太陽からの平均距離、四季の存在、それに外惑星に埋蔵された豊富な資源。大尉、コーウィンを手に入れられれば、一〇〇億の共和国市民が新しい人生を楽しむことができるようになる。こんな、放射能塗れの、息の詰まるような母星を離れてね。 これまで、ル・ヲント共和国圏は厚い星間物質の雲に包まれており、繰り返された宇宙探査によっても居住可能な惑星を伴った恒星系は発見されていなかったし、これからも当分は発見されまい、などと天文学者どもは言い立てていたが、彼らの無能さもこれで証明されたことになる」 コーティも行きたがるだろう……あの娘も宇宙が好きだ。乾燥し切ったイエルスベルグの、むさくるしい、息詰まるようなダウンタウンの場末。エア・バイクを飛ばしたくても、燃料代にも事欠くような生活。ひとつまちがえば生命の危険に曝される、治安の乱れた母星の小都市での生活。 「無論、丸ごとの惑星だ。手強い。しかし、大尉、凶悪な犯罪に戦々恐々として生活するのと、丸ごとの惑星に正々堂々の戦いを挑むのと、どちらがより人間らしいかね」 「それは……そのコーウィンへ移住するチャンスが、コーティにも与えられる、という意味でしょうか?」 「保証のかぎりではないが……つまり、こうだ。コーウィンへの進出を喜ばない勢力があるのだ」 「誰ですか?」 「まず、アリシア・ミュッケル下院議員を中心とするグループがそれだ」 「ミュッケル?」 「そう、マールク艦隊副司令長官ミュッケル中将の姉だ。ミュッケル中将の武勲を利用して、政界に進出しようとしているお嬢さまだ。見るかね」 一葉の立体写真を示されてデュランは低く口笛を吹く。アリシアの美貌に驚嘆しなかったわけではない。しかし、彼が見ていたのは『何不自由なく大切に育てられた、大学教授の長女』としてのアリシアだった。コーティは、食費を稼ぐために、毎日のように埃まみれになって、エア・バイクを走り回らせているというのに…… 「政府のやり方が強引すぎるのは、わたしだって認める。しかし、何でも反対していたのでは世の中は進歩しない」 「それは……その通りです。ほかには?」 「当然、マールク元帥……そう、半年前に元帥に昇進したそうだ。史上初の二〇代の元帥だよ……そのマールク元帥も、コーウィンの領有には賛成していない。本格的な調査のための艦隊を動かすことを拒んだと聞いている」 「なぜでしょう。共和国の発展は、マールク提督にとっても喜ばしいことではないのでしょうか?」 「原住民がいるかもしれない、と元帥は主張している。原住民を無視して艦隊を送れば、これは侵略戦争になる、と」 「本当でしょうか?」 「わたしたちの調べた範囲では、コーウィンに固有の原住民は存在しない。彼は心配しすぎている。しかし、元帥の権威は参謀総長にも比肩するものだ。下手をすれば、コーウィンの領有を諦めなければならないかもしれない。我々は非常に危惧しているのだよ、大尉……ま、話が枝道に入ったが、返事は明日にでも聞かせてくれるといい。部屋を予約しておいた。お嬢さんに電話をしてあげるといい。あとで夕食を一緒にどうだね?」 デュランはこたえる……喜んで、と。 *** レストランでの食事……規格品のレンジ・ランチオンより多少はましと言える程度の代物だったが……のあと、自宅をコールする。 『はい……?』 コーティは決して『バードフェザーです』とは応えない。彼女の、アルトよりちょっと高め、ハスキーといっていい声をデュランが聞き間違えるということもあり得なかったが。 「変わりはないか、コーティ?」 『パパなの?』 声から警戒が消え、トーンがほんの少し跳ね上がる。 『ないよ。警察官みたいな連中がいっぱいうろついてるだけ。どこにいるの?』 「首都だ。明日の夕方には帰る」 『戦友会ってどんなだった?』 「大したことはなかったよ。一〇人ほどしか集まらなかったから……コーティ?」 『なに、パパ?』 「宇宙へ出てみたいか? 軍人としてじゃあなく」 『出てみたいよ。でも無理じゃない。酔ってるの? さっきから変なことばっかり言ってるけど』 「少し酔っている。首都でいい仕事が見つかるかもしれない。戦友会に出ていた仲間の一人が、いいつてを持っているらしい」 『あてにしない方がいいんじゃないの、パパ』 最近のコーティは、デュランよりはるかに現実的だった。鼻の頭にしわを寄せるような、奇妙に醒めきった微笑を浮かべる娘の表情を脳裏に浮かべ、デュランはしかめ面になる。まったく、ああいう 表情<かお>さえしなければ、十分以上に美少女で通るというのに。 『つてだとかなんだとか、そうやってパパを騙してお金を巻き上げるつもりなんじゃないの、結局。どうせ、偉い人たちになってるんでしょ、パパのお友達って』 「かもしれないな。あてにしなければ、別に被害もないよ。イエルスベルグよりも首都の方が住みやすいのは事実だ」 『そうね』 コーティは譲歩する。 『それに巻き上げようったって、お金ないもんね。来月分の年金が出るまで、宇宙軍の放出糧食<レーション>しか食べるものないよ』 「分かった、分かった。じゃ、お休み。戸締まりはしたか?」 『うん、いつもどおり。お休み、パパ』 *** 「大尉殿の参加は我々にとって非常な力となります」 翌日、ザモフ提督の申し出でを受けることにしたと告げるデュランに、エフゲニー中尉が浮かべた表情は『我が意を得たり』ともいうべきものだった。 「提督もお喜びでしょう。早速ですが、大尉殿は、我々の所属する参謀本部第五局付きの嘱託ということになります。オフィス、その他はあとで連絡いたしますが、まずはご自宅へお戻りになり、引き払う準備をなさってください。資金は大尉殿の取引口座に振り込みます。金が振り込まれたのを確認してから行動を起こされて結構です。疑っておられるかもしれませんから……」 「五部?」 「情報・諜報を担当する部局です」 「というと、局長は?」 「本来は中将がその任に就くべきポストですが……」 苦い軽蔑と苛立ちに似た表情が、エフゲニーの、硬い軍人らしい容貌を覆う。 第五部局長を兼務する人物の名を知らされたとき、デュランはエフゲニーの表情の意味を理解した。 「ワシェック……あの、ワシェック中将か?」 「いまは、大将閣下であらせられます」 「あの『禿豚』……」 肥満禿頭のフォルター・ワシェック大将のあだ名を、デュランは思い切りの侮蔑をこめてつぶやいた。 「大尉」 「うん?」 「一応、組織上、ワシェック大将は小官の上官であります」 「あ、ああ、悪かった。貴官の立場がなくなるようなことを言ってしまったんだな」 軽く頭を下げるデュランに、エフゲニーはやはり硬質な印象を与える視線で応じた。 「いえ、ここ数日、小官は耳がよく聞こえないのです。今、治療のための休暇を申請しているところであります」 「……たしかに一〇〇パーセント信じているといえば嘘だな。コーティにも、騙されるなと忠告された」 「しっかりしたお嬢さんのようですね」 「わたしよりも、な。首都に出て来たはいいが、ザモフ提督もエフゲニー中尉も存じません、なんて言われたら親子して路頭に迷うことになる」 「大尉殿をは穽めても、利益を上げる人間はいません。投資した額を回収できるかどうかも保証できません」 端正な……というより軍人的な硬質な表情を、エフゲニーはぴくりともさせなかった。 「従って、大尉殿が我々に協力してくださること、そのことで我々も利益を得なければなりません」 「これはまた……随分、経済観念の発達した坊やだ。わかった……もう、行っていいか。そろそろ飛行機の時間だと思うが」 「送らせていただきます。そのように命じられておりますので」 「有り難いね」 バードフェザー親子の銀行口座に、二万フラーネの現金が振り込まれたのは、その一〇日後のことだった。