戀 恋愛小説短編集
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私なりに「リアル」な恋愛小説短編集です。 「戀」------------------------------------------------------------------- 或る日、貴女の声で目が覚めました。 「生き地獄だろうに、可哀想ね」 ぼんやりとした視界の中で貴女を見つけました。窓辺から差し込む月光が貴女の白く透き通った肌を鮮やかに照らしていました。私は朦朧とした意識の中でもはっきりとその赫い双眸がゆらりと揺れ、まるで蛇の眼のように私を捉えているのを感じました。貴女は私に近づき、私の身体をそっと抱き起こして腕を取りました。そして私の手を貴女の頬に沿わせ、小首を傾げて幻惑的に微笑みます。 「そのまま苦しんで死を待つか、今すぐ終焉を迎えるか、どちらが好い?」 私は息も絶え絶えに、貴女と一緒に居たいと答えました。貴女は頭を振り、違うと云います。そのまま私の親指を咥え、舌を這わせながら云うのです。お前をこれから喰う、と。私はこれまでに抱いていた違和感の正体をここで知ることとなりました。日が沈んだ後にしか姿を見せぬこと。まるで陽を浴びた事の無いような白い肌。真夜中に何処からか帰って来た時に口元についていた血のような赫色。そして――昨晩聞いたあの男の悲鳴、何かを啜るような音。胡蝶様は人間では無く、異形の者――恐らくは妖の類であり、人の生き血を喰らう『捕食者』だと知るには充分過ぎる程に舞台は整っていたのです。私は泣きました。怖いからではありません。貴女に喰らわれ糧となるという事実が嬉しいから泣いたのです。貴女はにんまりと笑んで、咥えていた私の親指に牙を立てました。突き刺さったその先から鮮血が流れ溢れてゆきます。貴女の瞳の色がいよいよ赫く、ぎらりと光りました。傷口から血を啜る様はただただ美しく、痛みも忘れ見入りました。左腕の感覚が無くなり、視界が白い闇に包まれゆく頃、首筋を貴女の舌が這い上がりました。私は云いました。「また会いに来ます、必ず来ます」。貴女は私が意識を混濁させ譫言を謂っているのだと認識したのか、「さぁ、何を」と呆れたように云いました。そのまま脈の麓に牙を立て、ぐっと奥へと差し込み、跳ねる私の身体を貴女は抱きすくめます。喰らわれ、血を啜られ、狂喜にあえぐ貴女の声を聞きながら、私は死んだのです。 -------------------------------------------------------------------「戀」より抜粋 「世界消滅までの五分間」------------------------------------------------------------------- 息が詰まった。返事をする前に、それが直樹にとって最期の言葉になったことが、分かってしまった。私の薬指を自らの唇に当てたままで、すぐ隣で終わりの息を吐き切った音がした。直樹、直樹と声をかけても返る言葉は無い。サイレンと轟音が交互に鼓膜を揺らし、地面は大きく揺れる。自分の出せる限りの力で直樹の身体を抱きしめた。胸に頭を預けても、もう鼓動を感じることができなかった。とめどない涙と嗚咽が漏れ出るが、それも全てかき消される。こんなにもちっぽけな存在は悲しみすら世界の終焉の前では何の意味もなさないんだ。ただただ青い空が目の前で滲んでいく。 もしも生まれ変わることができたなら、今度も絶対に直樹を見つけてみせる。 -------------------------------------------------------------------「世界消滅までの五分間」より抜粋 「南極の日」------------------------------------------------------------------- ぼんやりと記憶が戻ってきてくれた。失意の中、南極大陸に行こうと思ったのはかつての恋人が寝る前によく読んでいた本がきっかけだった。「アムンセンとスコット」という南極大陸への最初の到達を競った冒険家たちの記録についての本で、スコットに感情移入してしまうと涙無しに読めないと彼女は話していた。やけに饒舌に語るものだから、僕もこっそり読ませてもらっていた。内容は悲惨だった。雪上車の故障、次いで馬をも失い、不運が続いたスコット隊がようやくたどり着いたときには一ヶ月も先にそこへ到達していたというアムンセン隊によるノルウェーの国旗がはためいていたという。その赤と青の鮮やかな旗の絵面を想像するだけで僕まで絶望してしまう。帰路についた彼らは同胞を次から次へと失い、全滅してしまう。そのスコットという人も、最愛の人へ手紙を遺して亡くなっている。考えていると涙が出そうになる。眼球がカチカチになりそうだ。いや、もはや泣かなくともこの氷点下ではまつ毛の先から凍っていく。泣いてしまえばもう何も見えなくなることだろう。必死に堪えた。 「神よ、ここはひどく恐ろしいところです」 スコットが日記に残したという言葉を口走りながら、僕は手を合わせた。隣で美樹さんが困惑している気配がある。 -------------------------------------------------------------------「南極の日」より抜粋 「不安定な幻想を」------------------------------------------------------------------- 私は目を閉じて祈る。そこには誰もいないのに。 そして目を開けて、幻想を見る。 「いつもみたいにぎゅってして」 その幻想は、大好きで大切な人の形をしている。私を抱きしめて髪をなで、安心して大丈夫だよとかそんな甘い言葉をかけてくれる。私はひとしきり泣くと、その幻想をどこかへ仕舞う。手をのばす。名残惜しく、あるはずの愛しい人の頬をなぞるように。 -------------------------------------------------------------------「不安定な幻想を」より抜粋 あとがき------------------------------------------------------------------- 2025年3月にパシフィコ横浜で開催されるイベントのために新刊をつくろう! と決めたはいいが、もう短編小説をZINEのためだけに書くことを辞めようとも思っているタイミングだったので、これまでちまちまと書いてはWEBに上げていたものをまとめてみたのがこの本である。まとめてみたら、「恋愛短編小説集」と冠してもよさそうな仕上がりになったので、そうしてみた。「戀」は我ながら傑作だと思うし評判もいいのだが、なかなか日の目を見ない不運な作品なのでいっそ自分で本にしちゃえと表題作にしてみた。「南極の日」は「涼宮ハルヒの憂鬱」の影響をかなり受けているが本作唯一の男性主人公。これも気に入っている。別の短編小説「すねこすりが邪魔してくる」と「2030年、舞台俳優リアコへのレクイエム」はつながっているようでつながっていない。前者の作品に「街音ちゃん」は出てくるが、後者のように戦争は起きていないからだ。「不安定な幻想を」とも共通するテーマであるが、今作に収録した短編小説はどれも「幻想」「妄想」なる「恋愛」を描いた作品群となっている。私にとってはこれが「リアルな恋」だからである。表題作「戀」をも私はリアルだと定義したいと思う。焦がれるほどに想った私の恋をこそ、私自身が肯定したい。-------------------------------------------------------------------