ペトリコール(コピー本再頒)
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コピー本新刊です。 完全新作。雨が嫌いなkbnさんの話。 A5/22P/¥300 雨の匂いがする。 息苦しいような感覚に気が重くなっていく。雨の日は到底、キバナの気持ちが晴れない。これで仕事の日なんかは空元気でなんとかやっていられるものだけれど、休みの日となるとジョギングもできなければ体を動かしにジムに行くことも憂鬱でできやしない。一度やけくそになってヌメルゴンと一緒に雨に濡れてみたけれど、体調を崩して後に引いただけで特に気持ちも晴れなかった。雨の日というのは、とてもではないがキバナの気持ちを重くするものだった。 これが幼いころから毎回なのだから憂鬱でしょうがなかった。晴れが続く日は良かったけれど、このガラルは雨が多いのだ。どんよりとした雲を眺めて雨が降るか降らないかで一人賭けをしたこともある。結果が的中したかどうかなんて一人なのだから何にも関係がなくて虚しくなって一回でやめた。雨にどんなトラウマがあるのかと聞かれると、キバナとしては特に覚えがないということだけだ。何かしら嫌な思い出もあるのかもしれないが、到底覚えがない。ぴんとくる記憶もなく、ただ雨は憂鬱ということだけなのだ。雨になると寒くなって手足が冷えてくる。その感覚だけをなぜか思い出す。ただそれだけなのだけれど、キバナは本能のように雨の日を嫌っていた。雨になると何をしても手につかないし、不貞腐れて寝ようとしても眠気が一向に来ない。寝られないだけでなく、嫌なことや不愉快なことばかりを思い出してただ苛立つだけなのだ。だから何も考えられないように、仕事をしていたほうがずっとマシなのだった。 そんなある日のことだった。ナックルジムの屋上にあの男が突然現れたのは。ジムの屋上からナックルの街並みを眺めていると、突然あの男が降ってきたものだから、キバナはたいそう驚いた。声を上げて腰を抜かしたキバナに向かって手を差し伸べながら、ダンデは何も起きなかったような顔をして口を開いた。 「キバナ」 ごめんとかそういう一言もないのかこの男は。そう思ったものの口には出さず、大人しくダンデの手を取ったキバナを起こして、ダンデは淡々と明日の会議の内容を話すように言った。 「明後日デートしないか。」 「へ、」 立ち上がってダンデの手を取ったまま、キバナはがちりと固まった。突然のことに何を言われたのか脳が理解を拒否した。右から左に抜けた言葉を改めて咀嚼すると、どうやらデートというものに誘われたような気がする。 脳内でデートという言葉を辞典で引いていると、ダンデは畳み掛けるように言葉を続けた。 「新しくできたカフェに行こう。リザードンモチーフの食事が出るんだ。」 そう言われてようやく納得できた。デートという単語を使ってはいるが、中身はそんなものではなくただ一人では行きにくいカフェに付き合ってほしいというものだろう。それなら新しいカフェが気になっていたキバナに否やはない。 「いいよ。行こう。」 「そうか、うれしい。」 花が綻ぶように笑い、握ったままだったキバナの手を強すぎない力で握りしめて、指先に唇が触れた。あれ、と思ったころにはすでにダンデは空中にいて、リザードンの上から大きく手を振りながら去っていくところだった。 「え、なに?」 そう聞いても、屋上には他に誰もいない。誰も答えてはくれなかった。今起きたことが現実なのか夢なのか、はたまた幻なのか。 キバナとダンデは十年もの間ライバルであり、それ以上はない関係性だった。友人とも言い難い、どちらかといえばビジネスでの付き合いしかない、共通の友人や知り合いが多いだけの人間だ。ライバル相手にそれ以上もそれ以下もないと思っていた。仕事上の付き合いで食事は共にするけれど、それも大勢の関係者がいる中でしか食事していない。この十年、キバナとダンデはそれくらいの関係性で生きてきたのだ。寂しいとは思わなかった。彼とは一生そうであることが分かっていたから。ライバルに弱みは見せられないのだからプライベートで一緒にいるわけにはいかない。ダンデもそう思っているのだと、キバナは思っていたのに。ダンデの甘い声と綻んだ表情が脳裏から離れない。 せっかく立ち上がったのにまた座り込んで、キバナはダンデの乗ったリザードンが向かった方へと目線を送った。 「突然何なんだ……」 ダンデから誘われた「デート」に諾うと、彼は「うれしい」と言った。たったそれだけで喜んだのだ。今の今まで、彼のそんな表情も見たことなければ、喜ぶことも知らなかった。