俺の世界のすべてのくせに(コピー本新刊)
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コピー本新刊です。 完全新作。dndさんがプロポーズして振られる話です。 A5/22P/¥300 「キバナ」 美しい海の底のような瞳がまっすぐにダンデに向いた。カーテンの間から差し込む陽の光がそのかんばせに影と光を作り、きらきらと輝いた。まるで水底に光のはしごを作ったみたいで、ダンデはその日のことを忘れられないだろう。それくらい、ダンデにとっては印象的で、きれいな光景だった。 そうだ、こんなにもうつくしい人だった。そう改めて理解したのだ。 ダンデにとって、こんなにも美しくて大切な人は後にも先にも彼しかいないだろう。運命の人だった。 「結婚してくれ」 彼はきっと頷いてくれるだろう。ダンデは自信があったのだ。 きらきらと輝く瞳がきゅうと細まって、ダンデが差し出した指輪を受け取ってくれるに違いない。そんな淡い期待を抱いて、彼のために用意した指輪の入ったベルベットの箱を机の上で開けた。キバナとダンデの瞳の色の石が入ったそれは、ずいぶんと前から用意していたものだった。プロポーズする、この日を思い描いていた。 キバナはぴたりと動きを止めてダンデをじっと見つめた。驚いているのかもしれない。突然のことだったから受け入れるのに時間がかかるのかもしれない。じっと見つめた海の底の瞳が、きゅう、と細まり、ダンデはほっと息を吐いた。 「やだ」 「え」 「別れよ」 「は」 「すごい話聞いちゃったわね」 「凄絶すぎて何と声をかけていいのか」 からんと溶けた氷が音を立てて動いた。それを目で追い、ダンデはもう何百回と吐いた深い溜め息を再度吐き出した。あまりにもダンデの様子が不憫で、普段毒舌なネズも口を噤んでいる。鬱陶しいと言われるくらいはするかと思ったが本当に辛いときには態度が変わるのだ。彼は存外根が優しい。 「結局別れたんですか?」 「いや……」 「え、別れようって言われたんですよね?」 「認めないって、言って、出てきてしまったんだ」 「え、そっから家帰ってないんですか?」 無言で首肯し、ダンデはもう空になったコーヒーカップを仰いだ。空だと気づいてソーサーに戻せば、ネズが店員を呼んでお代わりを頼んでくれた。珍しく優しい。優しさが心に染みて泣いてしまいそうだ。 「一週間前でしたっけ」 「もしかしたら夢かもと思って数日バトルタワーに泊まり込んでみたんだが……」 バトルタワーには仮眠室もあり、シャワールームもある。元々忙しい時期のために服や最低限の荷物は持ち込んでいたため問題はなかったが、一週間経って改めて考えると、一人ではこの感情を持て余してしまってどうしようもなくなってキバナとの共通の友人であるルリナとネズを呼んだのだ。 「キバナから連絡もないし、きっとキバナは本気なんだろうなと」 「はあ……とても現実とは思えませんね。お前たちが別れるなんて」 「まだ別れてない」 「付き合って十年だったっけ?」 ルリナの言葉にダンデは頷く。彼と出会ってすぐにダンデの方から告白して付き合い始め、気がつけばもう十年になる。この十年間とても色々なことがあった。別れの危機に瀕したことは何度もあるけれど、そのたびに仲直りして妥協点を互いに見つけてきたつもりだった。 「……どうしてなのか、分からなくて」 本音がこぼれてしまって、ルリナとネズは二人で顔を見合わせている。ダンデに悪いところはたくさんあるかもしれないけれど、それだけで別れようと言う男ではないと思う。キバナは対話もなしに別れを突きつける人間ではなかったのだ。互いに嫌だと思うことは口にしてきたつもりだ。直してほしいと言われたことは直してきた。それもつもりなのかもしれないけれど。 十年も共に生きてきて、今更他の人間と共に生きることも考えられない。それに、キバナを諦めることもできそうになかった。ダンデには、キバナしかいないのだ。 「俺は、不出来だっただろうか」 彼にいらないと捨てられてしまったのだろうか。 「ダンデ……」 「なんかさすがに可哀想になってきましたね」 「あんまり恋愛のことで間には立てないけど、ちょっと聞いてみるわね」 机に突っ伏しながら頼む、と言えばルリナは戸惑っているようだった。これほどまでにダンデが弱っているのを見たことないからだろう。 「でも、本当にどうしたのかしら……あんたたちのことは順調だと思ってたのに」 ルリナの言葉にネズも静かに頷いている。ダンデは体を起こしてゆっくりと瞬きをした。覚えがひとつもない、と言えば嘘になる。キバナの様子が少しおかしいと思うようなことはわずかながらにあった。ここのところ声をかけても反応がなかったり、残業が多く、帰ってくる時間が遅かったりはしていた。ただ、忙しくて疲れているのだと思っていた。もしかしたら、何かしら彼も考えていたのかもしれない。 「帰って、話を聞くべきなんだろうか……」 再度顔を伏せて、吐き出すようにそう言った。 別れたくないからと話し合いを避けていては、きっとよい方向へは進まないだろう。分かってはいるけれど、改めてキバナの口から別れたいと言われてしまうことが恐ろしくてたまらないのだ。もうやり直せないのだと言われてしまえば、きっとダンデは生きていけなくなる。足元が崩れ落ちて立っていられなくなってしまうだろう。 「まあ逃げちゃうのも手かとは思いますけどね」 その言葉に顔を上げれば、ネズとルリナの顔が入る。ネズの無責任な発言に、ルリナがぎょっとした顔を見せていた。 「そしたらあいつ、真面目だからきっときちんと別れるまで追いかけてきますよ」 「それはまあたしかに」 ルリナも同意したが、なんて卑怯なやり方なんだろう。そんな卑怯なことをして、キバナにさらに嫌われてしまわないだろうか。けれど、まあそれでもいいかと思ってしまうほどには追い詰められている。もう下がる好感度だってない。だって、ダンデには理由がわからない。理由を聞こうともしていないくせに、どうして、だとかうまくやっていたはずなのに、とかぐちぐち考えているよりはよほど建設的な気もした。逃げるのが建設的なのか、と頭の中で誰かが突っ込んだが手段を選んでいられないような気がした。 「逃げる……」 「私はあんまりよくない手だと思うけど……」 ルリナは困った表情をしている。その表情から、キバナには有効なのかもしれないと悟ってしまった。 「ありがとう、ふたりとも」 「次は結婚報告でお願いしますね」 「ああー……決まっちゃったのね」 逃げる。その手があった。ダンデの方向性は決まったも同然だった。ネズも言っていたけれど、キバナは真面目だからきっと自然消滅なんてさせないだろう。きちんと別れると決めて、とことん話し合って別れるに違いない。ここ一週間塞ぎがちだった心がわずかに軽くなったような気がする。卑怯な手だと思うけれど、もうなりふりかまっていられなかった。 ポケットの中のベルベットのケースにこつりと指が当たった。受け取ってもらえなかった、キバナの指のサイズのリング。彼は受け取ってはくれなかったけれど、いらないとは言わなかった。それが唯一の希望だった。