菊紋 (きく) 日本の実用家紋 ZIP (AI, PNG, PSD)
- A 16点 十二菊ほかダウンロード商品¥ 700
- B 12点 菊水ほかダウンロード商品¥ 700

計28点【A】【B】 【A】十六菊、十四菊、十二菊、丸に十二菊、外雪輪に十二菊、四角に十二菊、井桁に十二菊、木瓜に十二菊、六角に十二菊、三つ割り菊、丸に三つ割り菊、亀甲に三つ割り菊、丸の内に割り菊三つ巴 (切菊)、割り菊に三つ巴 (切菊)、抱き葉菊、葉菊菱 【B】菊水、丸に菊水、亀甲に菊水、井桁に菊水、井桁菱に菊水、菱菊、丸に菱菊、剣菱菊、丸に剣菱菊、抱き菊葉、丸に抱き菊葉、抱き鬼菊葉 ━━━━━━ 【菊花紋章】※皇室関係の紋はこちら → https://kamon.booth.pm/items/3764412 ━━━━━━ 【神紋+寺紋】※家紋としての使用実績が未確認の菊紋あり → https://kamon.booth.pm/items/5612902
サイズ1000px×1000px (余白あり) モノクロの透明背景。拡張子AI (ベクター線 CS2)、PNG (簡単そのまま使える)、PSD (ベクター線) の3種類。※1つのZIPフォルダに一点ずつ個別のデータファイルがあります。
菊紋は皇室を表す家紋。明治期から戦中にかけては家紋としての使用を控えるようになる。身分が高い本物の名家ほど円形放射状に花弁が並べられた菊紋の使用実績はない。一般教養がある家は使用を控えていた為である。 《皇族・旧華族の使用例》 比較的新しく創設された宮家や伏見宮系旧皇族の家紋をよく見ると、十六菊ではなく十四菊や横から見た構図の横見菊が使われている。皇族と同型の紋を使用していた公家の藤原氏水無瀬流は十六菊から五七桐に変更して今に至っており、皇室に対する強い崇敬の念が感じられる。 《日本軍の証しとしての菊紋(家紋ではない)》 近代の戦時中に日本軍として従軍した証として墓石の上部中央の位置に十六菊や星章を刻んだ例が多くあるが、家紋ではないので要注意。軍章以外に装飾の一部として菊紋を刻んだ墓石も多数存在。近代当時の流行のようなものです。墓石に軍章以外の紋が見当たらない場合は、菊紋とは別に家紋を考える必要があります。 《八重菊や十四菊以上の菊花紋の使用は基本NG》 仕事を請け負う業者は、客の言いなりに注文を請け負うのではなく「菊花紋や皇族の類似紋はダメ」「装飾に小さく使うなら可」と客を正す決断が大事です。「今の墓に菊が掘られているが、前の代の墓はどんなのだった?」「曽祖父以前の紋は?ご本家は何の紋使ってる?」など大元の家紋を調べる行動が大事です。分不相応、明らかに皇族の紋を模したオリジナル菊紋の注文、紋帖紋鑑に載っていることを口実に強く出る方もいますがお考え下さい。一般家庭では十二菊以下の花びら、もしくは皇室の紋と図柄を大きく変えた菊紋が正式な家紋である。 《現在における菊紋使用の例外》 ・皇族祭祀後継の公家や皇族の分家華族(母系のつながりの場合、名字では判別できない場合あり)。 ・皇室ゆかりの社寺の宮司家や住職家の家紋(当時の宮内省から指摘を受けず継続して菊紋使用が認められた経緯がある)。 ・皇族の菊紋とかけ離れた図柄(十二菊、菊水、菱菊、葉菊、切菊など)。 《特許法》 「その花弁の数が12以上24以下で表示されている場合は、菊花紋章に類似するものと判断する。」と記されている。 《紋鑑は研究資料になり得ない》 業者が発行している複数の家紋図鑑 (紋鑑) とは、紋様を描く上での指南書である。発注者のいかなる注文に対処できるように、メジャーな家紋から出典不明の実在が確認されていない創作の家紋も混じっている。公家や大名家など旧華族の古い時代に使われた家紋を更新せずに載せているものや、紋様が細かすぎる家紋を省略した形で掲載しているものまである。木下家の切菊紋 (日足紋と誤表記)、榊原家の車紋 (紋様が違う)、土井家の水車紋 (槌紋と誤表記)、こちら3点をはじめ、家紋を誤って記載している点から、紋鑑を鵜呑みにする行為は避けるべきである。 【十六菊】八重ではない十六の菊紋も天皇家を指す紋様であり、皇居の敷地内の江戸城の遺構、富士見櫓をはじめ複数の櫓や門の瓦に十六菊がある。一般家庭にはそぐわない家紋である。 【十四菊】十四菊は宮家や伏見宮系旧宮家を指す家紋である。こちらも一般家庭には向かず、十六菊同様に恐れ多い紋である。 【丸の内に割り菊三つ巴 (切菊)】(備中足守)岡山市足守を治めていた木下家の家紋。美術品によっては丸がない「割り菊に三つ巴 (切菊)」の使用例も確認されている。豊臣秀吉正室の実家側の一族。木下家は関白豊臣家が完全断絶の折、祭祀から美術品、家紋に至るまで豊臣家から継承した。豊臣家は朝廷より五七の桐と共に十六菊花紋も下賜されている。皇室の象徴である2つの紋章をそのまま使用することは恐れ多いとして、桐紋は葉脈を通した紋様に、菊紋は外縁部の花を切り揃えた形に仕上げ使用した経緯がある。各家紋図鑑や家紋の趣味本に「木下家日足」と誤りの情報を記載されてしまった影響で、多くの書物やネット内の記事に誤情報が蔓延している状態が続いており注意が必要である。岡山県立記録資料館所蔵の資料や地元岡山市の間では正しく菊紋の一種「切菊」と伝承されている。美術品、装飾、都内遺構より確認済み。 【抱き葉菊】(美濃郡上)現在の岐阜県郡上市の地を治めてきた青山家の家紋である。都内遺構より確認済み。 【葉菊菱】侯爵木戸孝允家の家紋である。維新三傑の一人として近代政府の創設者メンバーであった。遺構より確認済み。 【菊水】楠木正成の家紋である。奈良県に紋と花押が書かれた旗が残されている。中世、源平藤橘の橘氏の一族の代表的な人物とされている。